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社会は、静かに壊れる――チンパンジーの「内戦」が教えること

シリーズ: 知新察来


◆今回のピックアップ記事:Christina Larson, "Why these chimps have been at war for 8 years" (National Geographic、2026年4月9日)

  • 概要:ウガンダのキバレ森林国立公園に生息するチンパンジーのコミュニティ「Ngogo」が、かつて統一されていた群れから分裂し、8年以上にわたる「内戦」を続けているという調査報告。学術誌『Science』に掲載された研究をもとに、分裂の前兆として起きた「橋渡し役の個体の死」「権力交代」「感染症の流行」という三重の撹乱を詳細に記録。1970年代にジェーン・グドールが記録したゴンベ「4年戦争」との共通メカニズムを浮き彫りにする。



ウガンダの森で、チンパンジーが戦争をしています。それも、かつて20年以上にわたって平和に暮らしていた、同じコミュニティの仲間同士が。


この「内戦」を記録した研究が今年、学術誌『Science』に発表されました。1970年代にジェーン・グドールが観察したゴンベの「4年戦争」に続く、チンパンジーにおける史上2例目の内戦です。なぜ友人が敵になるのか。なぜかつての仲間を、かつての仲間が殺すのか。


富良野とPhronaが向き合うのは、その問いです。チンパンジーの社会には「構造」があり、その構造には価値があり、そして構造は、ある日突然ではなく、静かに、じわじわと壊れていきます。壊れ方の解剖学を辿っていくうちに、二人の会話は、どこかもっと近い場所へと滲み出していきます。


 


平和な森が戦場になった


富良野: ウガンダのNgogoという場所で、もともと200頭近くいた大きなチンパンジーのコミュニティが分裂して、8年以上にわたって戦い続けているという話なんですが。


Phrona: 8年って、長いですね。しかも同じコミュニティが分かれた、ということですよね。外から来た別の群れじゃなくて。


富良野: そこがこの話のいちばん不思議なところで。Basieという雄がいて、36年間その森で生きてきた個体です。最後の日も普通に過ごして、夕暮れに仲間のパトロール隊に囲まれて、10頭に地面で集団攻撃されて亡くなった。攻撃したのは、いっしょに育った連中です。


Phrona: 同じ木に巣を作っていた、ということですよね、それまでは。


富良野: そう。研究者が20年以上、誰が誰と毛づくろいして、誰と一緒に食事して、誰と狩りをしているかを記録し続けてきた。その全員が、あるとき「相手」に変わった。


Phrona: 長い観察記録があるからこそ、「いつから」変わり始めたかが見える。それが今回の研究の強みなんでしょうね。


富良野: 研究者の一人が「私は戦場特派員になったような気分だった」と言っていて。その言葉が妙に引っかかりました。何かを「記録する」立場でいるのに、感情が後からついてくる、という感じ。


Phrona: 科学的に記録しようとしているのに、目の前で起きていることが人間的すぎて、距離を保てなくなる。



社会構造とは何か——見えない骨格


Phrona: そもそも、チンパンジーのコミュニティに「社会構造」があるということ自体、どういうことなんでしょうね。私たちがそう呼んでいるのは、何を指しているんだろう、と。


富良野: 大きく分けると、四つくらいの層があると思うんですよ。まず「序列」——全員の間に、明確な上下関係がある。アルファ(一番上)から始まって、順番に。


Phrona: それが安定していると、わざわざ争わなくていい。「誰が上か」がみんなに分かっているから。


富良野: そう、秩序の自明さが暴力を抑制する。序列が揺らぐと、「誰が上か」を決め直す必要が生まれる。次の層が「連合」——個体の強さだけでは序列は決まらなくて、誰と組むかで変わる。二頭が連合を組めば、一頭では勝てない相手に勝てる。


Phrona: 権力が、個人の能力ではなく関係の網の目によって支えられている、ということですね。


富良野: そして三番目が、今回の研究が特に注目している「橋渡し役の個体」です。コミュニティには自然とサブグループができる——よく一緒にいる集まり、みたいなもの。その間を自由に行き来できる個体がいて、どちらの側からも信頼されている。


Phrona: 両派に顔が利く人、という感じですね。党派を超えて話せる、みたいな。


富良野: そういう個体が何頭かいて、サブグループ間の緊張を日常的に吸収している。四番目は「関係の履歴」で——昔一緒に狩りをした、あの時助けてもらった、という記憶が蓄積されていて、それがバッファーになっている。いまの緊張を許容範囲内に抑えてくれる、時間の厚みのようなもの。


Phrona: その四つが組み合わさって、初めて「一つのコミュニティ」として機能する。どれか一つが欠けても、全体がぐらつく可能性がある。


富良野: しかもこれらは、一度作ればずっと保たれるものじゃない。毎日の毛づくろい、食料の分け合い、一緒に行動すること——そういう日常の繰り返しによって、能動的に更新し続けないといけない。


Phrona: 維持することに、コストがかかる。


富良野: そう、社会構造とは状態ではなく、日々の実践の累積なんです。



壊れ方の解剖学——静かな始まり


Phrona: で、Ngogoでは何が起きたんでしょう。


富良野: 2014年に呼吸器疾患が広がって、年長の雄5頭と雌1頭が亡くなった。その全員が、さっき言った「橋渡し役」だったんです。サブグループ間を自由に移動していた、コミュニティのハブになっていた個体たちが、短期間に一気に消えた。


Phrona: そこから何が起きるんですか。


富良野: まず接触の頻度が下がる。橋渡し役がいなくなると、それまでその人を経由してつながっていたサブグループが、直接会う機会を失う。会わなければ毛づくろいも減り、関係の更新が止まる。


Phrona: 会わないでいると、「他人」になっていく。人間の友人関係と同じですね。連絡を取り続けないと、いつの間にか疎遠になる。


富良野: 研究者が「コンタクト仮説」という言い方で整理していて——二つのグループが実際に接触し続けることが、許容と協力を維持する。接触がなくなると、心理的な距離が物理的な分断に変わっていく。翌2015年には、両派が単純に互いを避け始めた。


Phrona: 争いすらしていない。ただ避けている。


富良野: その段階では、まだ「同じグループの一員」という意識が残っていたのかもしれないけれど、研究者が「一緒に行動しなくなると、自分たちを同じグループの一部だと思えなくなる」と言っていて。それが驚くほど短期間で、暴力的な結末につながる。


Phrona: 「戦争が始まる前に、まず相手が見えなくなる」ということですよね。物理的にではなくて、内側の話として。


富良野: 同じ森にいるのに、もう「外集団」として見ている。その認識の転換が起きると、暴力の閾値が劇的に下がる。同じコミュニティの仲間には、ほとんど致命的な暴力を加えない。でも「外集団」には、まったく違う水準の暴力が向けられる。



複数の亀裂が重なるとき


Phrona: そこに別の出来事も重なっていますよね。2015年に権力の交代があった。


富良野: アルファ雄のJacksonが、それまでのアルファを追い落とした。序列の頂点が変わる。序列の頂点に曖昧さが生まれると、その下全体が再調整を迫られる。


Phrona: 一番上が揺れると、全員が「どこに立っているか」を確認し直さないといけなくなる。連合の組み替えが始まる。


富良野: しかも2017年に、今度はもっと広い規模の感染症がきて、さらに25頭が亡くなった。残っていた紐帯が最後の一本まで切れた。翌2018年から、殺戮が始まった。


Phrona: 橋渡し役の消失、権力交代、感染症——三つが重なった。一つだけだったら、持ちこたえられたかもしれない。


富良野: 研究者も同じことを言っていて、「一つ一つは小さな出来事が組み合わさって、群れの構造に巨大な変化をもたらした」と。個別の原因を特定するより、複数の亀裂が同時に深まったことが、崩壊の本質だったのかもしれない。


Phrona: 社会は脆くて、でも一点から一気に割れるんじゃない。少しずつひびが入っていって、ある日気づいたら、もう戻れないところまで来ている。


富良野: ゴンベの「4年戦争」でも同じパターンがあとから確認されていて——分裂前に、橋渡し役だった個体が先に亡くなっていた。Ngogoと構造が重なっている。


Phrona: つまり偶然ではなく、仕組みの話なんですよね。チンパンジーに固有の話でもなくて。



暴力の中にある、もう一つの話


富良野: ただ、記事の中でいちばん長く記憶に残ったのは、暴力の記述じゃなくて、別の場面なんです。


Phrona: Basieとその友人の話ですよね。


富良野: BFという53歳の雌がいて、Basieと10年以上の付き合いがあった。攻撃を受けたBasieに近づいて、ゆっくりとコミュニティの中心部まで歩くのを助けた。夜も寄り添い続けて、翌朝Basieがほぼ死にかけているときに、手を差し伸べて、ついてきてほしそうにした。


Phrona: それを記録した研究者が、そこで「感情が後からきた」と言っていた。


富良野: 戦争の中で、関係の歴史が生き続けている。10年の付き合いは、コミュニティの分裂も消せなかった。


Phrona: 社会構造が壊れても、個体と個体の間にある何かは残る、ということですよね。構造と関係は、重なっているけれど、同じじゃない。


富良野: 研究者が「チンパンジーは神話的な殺戮者というイメージがあるけれど、互いに対して驚くべき優しさを発揮することもできる。私たちはその両方を見た」と言っていて。


Phrona: 暴力と優しさが、同じ個体から出てくる。どちらかが本質で、どちらかが例外ではなくて。


富良野: その両方を抱えながら、社会を作っているし、壊している。チンパンジーも、僕らも。



社会構造には、なぜ価値があるのか


Phrona: 今日の話を振り返ると、社会構造の価値って、あらためてどういうことだと思いますか。


富良野: 序列・連合・橋渡し・関係の履歴——その四つが機能しているとき、コミュニティは紛争を吸収し続けられる。緊張が生まれても、それを処理する仕組みがある。社会構造の価値は、平時に目立たない。壊れたときに初めて、それがどれだけのことをしていたか分かる。


Phrona: インフラと似ていますね。水道が来ていることに、普段は気づかない。


富良野: そして壊れ方が怖いのは、劇的な事件が一つ起きるんじゃなくて、日常の接触の減少という、ほとんど気づけないプロセスから始まるということです。


Phrona: 最初は、ただ「会わなくなった」だけ。


富良野: その「ただ会わなくなった」が、心理的な距離になり、認識の変容になり、暴力の閾値の低下になっていく。連鎖の速度は、外側からはほとんど見えない。


Phrona: チンパンジーの8年間の記録が、それを可視化してくれている、ということですよね。20年以上の観察データがあったから、「いつから」が見えた。


富良野: 社会が壊れる前に、何が起きていたかを知ることは、難しい。でも知ろうとすることには、意味がある気がします。どんなコミュニティの話として読むにしても。


 

 

ポイント整理


  • 社会構造の四層構造

    • チンパンジーのコミュニティは、①序列(誰が上か)、②連合(誰と組むか)、③橋渡し役の個体(サブグループをつなぐ存在)、④関係の履歴(過去の共同経験の蓄積)という四つの層が重なることで成立している。どれか一つではなく、複数が組み合わさって初めてコミュニティとして機能する。

  • 社会構造は能動的に維持されるもの

    • 毎日の毛づくろい・食料共有・共同行動が、社会的な紐帯の「更新作業」である。これらが途絶えると、つながりは自然と薄れていく。社会構造は状態ではなく、日々の実践の累積として存在している。

  • 壊れ方は静かに始まる

    • 内戦の発端は劇的な事件ではなく、「会わなくなる」という接触の減少だった。橋渡し役の消失→接触頻度の低下→心理的距離の拡大→外集団としての認識→暴力の閾値の低下、という連鎖が、ゆっくりと進行する。

  • 三つの撹乱が重なった

    • Ngogoでは、橋渡し役の死(2014年)、権力交代(2015年)、感染症の再流行(2017年)という三つの出来事が重なった。一つひとつは小さな亀裂でも、複数が同時に深まることで、取り返しのつかない崩壊が起きた。

  • 「外集団」認識が、暴力の性質を変える

    • 同じコミュニティ内での争いは、ほとんど致命的にならない。しかし「外集団」と認識した相手には、まったく異なる水準の暴力が向けられる。かつての仲間を「外集団」として見始めた瞬間に、暴力の閾値が急激に下がる。

  • 構造が壊れても、個体間の関係は残ることがある

    • Basieへの攻撃後、旧友のBFが寄り添い続けた。コミュニティ全体の分裂は、二頭の間の10年の関係を消せなかった。社会構造と個体間の関係は重なっているが、同じではない。

  • 社会構造の価値は、壊れたときに初めて見える

    • 紛争を吸収し、緊張を処理するための仕組みは、機能しているあいだは目立たない。インフラと同様に、失われて初めてその役割の大きさが分かる。



キーワード解説


【Ngogo(ンゴゴ)コミュニティ】

ウガンダ・キバレ森林国立公園に生息する、記録上最大規模のチンパンジーコミュニティ。かつて200頭近くが統一された群れとして20年以上にわたって共存していたが、2015年頃から分裂が始まり、2018年以降は内戦状態にある。今回のScience論文の調査対象。


【ゴンベ「4年戦争」(1974〜1978年)】

タンザニアのゴンベ・ストリーム国立公園でジェーン・グドールが記録した、チンパンジー初の内戦。カサケラ派がカハマ派のすべての雄を系統的に殺害し、領土を奪取した。暴力の組織性と残虐さがグドールを深く動揺させ、チンパンジー研究の転換点となった。


【橋渡し役の個体(ブローカー個体)】

コミュニティ内の異なるサブグループ間を自由に移動し、どちらからも信頼されている「顔役」的な存在。このような個体が複数いることで、サブグループ間の緊張が日常的に吸収される。彼らの死が、社会的な分断を加速させる引き金になることが、ゴンベとNgogo両事例で確認されている。


【コンタクト仮説(Contact Hypothesis)】

もともと人間の集団間関係の研究から生まれた考え方。二つのグループが実際に接触し続けることが、相互の許容や協力を維持するという理論。チンパンジーの事例でも同様のメカニズムが働いており、接触が失われると心理的距離が急速に拡大し、対立が激化する。


【社会的紐帯(Social Bond)】

コミュニティ内の個体間に存在する関係の強さ・密度のこと。毛づくろい・食料共有・共同行動などの日常的なやり取りを通じて形成・更新される。チンパンジーにおいては、この紐帯の強さが個体の生存率や繁殖成功率にも直接影響することが研究で示されている。


【序列と連合の相互依存】

チンパンジーの権力構造では、個体の身体的強さだけでなく、誰と連合を組むかが序列を左右する。連合はグルーミングなどの互恵的行動によって維持されるため、序列・連合・日常行動の三つは互いを支え合う関係にある。序列が安定していると、実際の暴力は抑制される。


【内集団・外集団(In-group / Out-group)】

「自分たちの仲間」と「そうでない他者」を区別する認識のこと。この認識が切り替わると、相手への扱いが劇的に変化する。チンパンジーの場合、同じコミュニティの仲間への攻撃はほとんど致命的にならないが、外集団とみなした相手への暴力は、質・程度ともに異なる。かつての仲間が「外集団化」する過程が、今回の研究の核心的な問いである。



本稿は近日中にnoteにも掲載予定です。
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