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経済成長しても幸せになれない?――あるカリブの国が教えてくれること


シリーズ: 論文渉猟



  • 概要:1990年から2017年の27年間、世界139カ国の人間開発指数(HDI)を追跡し、各国の所得と健康・教育の関係を分析した研究。ドミニカ共和国は経済成長を遂げながらも、健康・教育分野への投資が極端に不足しており、所得の順位と健康・教育の順位の乖離が世界10位、ラテンアメリカ・カリブ地域では3位という結果を示した。



GDPが上がれば暮らしは良くなる。そう信じて疑わない人は多いけれど、本当にそうだろうか。ある国が27年かけて証明したのは、経済が成長しても国民の健康や教育が置き去りになるという、皮肉な現実だった。


カリブ海に浮かぶドミニカ共和国。この国は1990年から2017年にかけて一定の経済成長を遂げた。しかし、同じ期間に健康と教育への投資は世界の中でも異例なほど後回しにされ、世界139カ国中ワースト10位という不名誉な記録を残している。


お金があっても使わない―あるいは、使えない。この矛盾はどこから生まれたのか。そして、それは遠い国の特殊事例なのか、それとも私たちが暮らす社会にも潜んでいる構造的な問題なのか。


富良野とPhronaが、この研究から見えてくる「成長と幸福のズレ」について語り合う。


 


なぜ数字だけでは測れないのか


富良野:ドミニカ共和国って、GDPだけ見ればちゃんと成長してるんです。でも、健康や教育の指標で見ると、まるで成長の果実が国民に届いてないような状態になってる。


Phrona:届いてないというか、意図的に届けてないようにも見えますよね。27年もあって改善しないって、偶然じゃないでしょう。


富良野:そうなんです。しかも、2005年以降が特にひどい。経済的にはむしろ良くなってるはずの時期に、健康と教育の相対的な順位がどんどん落ちてる。


Phrona:この研究が面白いのは、単純に「貧しいから健康や教育が悪い」って話じゃないところですよね。同じくらいの所得の国と比べて、極端に使い方が下手だって言ってるわけだから。


富良野:そう、資源配分の問題なんです。お金はあるのに、優先順位が違う。


Phrona:優先順位が違うっていうのは、誰かが決めてるってことですよね。政策として。


富良野:政治の問題であり、制度設計の問題でもある。でも、なぜそうなるかっていうのは、この研究だけじゃ見えてこないんだけど。


成長モデルの「見えない前提」


Phrona:でも富良野さん、これって遠い国の話じゃなくないですか?


富良野:ん、どういうこと?


Phrona:つまり、経済成長すれば自動的にみんなが幸せになるっていう考え方自体が、実はかなり危うい前提だってことですよね。


富良野:ああ、トリクルダウンの幻想ね。


Phrona:そう。上が潤えば下にも滴り落ちるっていうやつ。でも、実際には誰かが意識的に配分を変えない限り、格差は広がるばかり。


富良野:ドミニカ共和国の場合は、おそらく特定のセクターに富が集中してたんでしょうね。観光業とか、外資系企業とか。


Phrona:それで、そこで働ける一部の人たちは恩恵を受けるけど、公共サービスとしての医療や教育には回らない。


富良野:構造的な問題なんですよ。成長のメカニズムと、分配のメカニズムは別物だから。


Phrona:私が気になるのは、じゃあどうして健康や教育が後回しにされたのかってところなんです。富を生み出す源泉として、人への投資って長期的には絶対必要じゃないですか。


富良野:それが短期主義の罠なんですよね。教育の効果が出るのは10年後、20年後。でも、政治家の任期は4年とか。


Phrona:なるほど。目に見える成果を急ぐあまり、インフラとか観光施設とか、すぐ数字に出るものに偏る。


富良野:そして人的資本への投資は先送りされ続ける。


数字の裏側にあるもの


Phrona:でもこの研究、人間開発指数っていう数値で語ってるじゃないですか。それって結局、また別の数字で測ってるってことですよね。


富良野:まあ、そうですね。


Phrona:GDPが不十分だから、健康と教育も入れた指標を作りましたっていうのは分かるんだけど、でも、それでもまだ捉えきれてないものがある気がして。


富良野:例えば?


Phrona:例えば、コミュニティの絆とか、文化的なアイデンティティとか。あるいは、日々の暮らしの中で感じる安心感とか。


富良野:確かに。数値化できないものは見落とされがちですね。


Phrona:ドミニカ共和国の人たちが実際にどう感じて生きてるかって、数字だけじゃ見えないんですよ。もしかしたら、経済成長の陰で、もっと大切な何かが失われてるかもしれない。


富良野:それは重要な視点ですね。この研究は、あくまでマクロの指標で政策の失敗を指摘してるけど、個々人の生活実感とは別の層の話だから。


Phrona:そう。だから、私たちが考えるべきなのは、数字をどう読むかっていうことと同時に、数字に表れないものをどう大切にするかってことなんじゃないかな。


富良野:両方必要だってことですね。数字は政策の責任を問うために不可欠だけど、それだけで幸福は測れない。


他の国ではどうなのか


Phrona:この研究では、139カ国を比較してますが、うまくやってる国もあるんですよね。


富良野:そう。同じくらいの所得でも、健康と教育にちゃんと投資してる国はたくさんある。


Phrona:どういう国なんでしょう?


富良野:一概には言えないけど、おそらく税制がしっかりしてて、再分配の仕組みが機能してる国。あとは、民主主義が成熟していて、市民が政府に説明責任を求められる国とか。


Phrona:つまり、制度の問題。


富良野:制度と、それを支える政治文化ですね。汚職が蔓延してたら、どんなにお金があっても正しいところに使われない。


Phrona:でも、それって結局、誰が決めるんですか? 何を優先するかって。


富良野:最終的には政治のプロセスで決まるんだけど、理想を言えば、市民の声が反映される仕組みがあるべきなんです。


Phrona:でも、声を上げられる人とそうじゃない人がいる。


富良野:それが民主主義の難しさですよね。経済的に余裕がない人ほど、政治参加する余力も時間もない。


Phrona:悪循環ですね。教育が行き届かないから情報にアクセスできない、アクセスできないから声を上げられない、声が届かないから政策が変わらない。


富良野:だからこそ、教育と健康への投資は、単なる社会福祉じゃなくて、民主主義そのものを機能させるための土台なんですよ。


この構造は日本にもあるのか


Phrona:日本はどうなんでしょうね。


富良野:日本は人間開発指数自体は高いですよ。健康寿命も教育水準も世界トップクラス。


Phrona:でも?


富良野:でも、最近は教育への公的支出の対GDP比が先進国の中で低いとか、格差が広がってるとか、気になる兆候はありますよね。


Phrona:若い世代の貧困とか、奨学金という名のローン地獄とか。


富良野:そう。今のところは過去の蓄積で何とか保ってるけど、投資を怠ればじわじわと質が落ちていく。


Phrona:ドミニカ共和国と同じ道をたどる可能性もあるってことですか。


富良野:可能性としてはね。特に、成長だけを追い求めて、分配を軽視する政策が続けば。


Phrona:怖いのは、それが目に見えにくいことですよね。GDPが横ばいでも、株価が上がってれば「景気がいい」って思われちゃう。


富良野:そして、その裏で教育や医療の現場が疲弊してても、すぐには表面化しない。


Phrona:何年も経ってから、あれ、こんなに差がついてたんだって気づく。


富良野:気づいたときには、取り戻すのに莫大なコストがかかる。予防より治療の方がずっと高くつくんです。


別の豊かさを測る試み


Phrona:さっき数字に表れないものの話をしたじゃないですか。


富良野:ええ。


Phrona:最近、GDPじゃない指標を作ろうっていう動きもあるみたいですね。幸福度とか、ウェルビーイングとか。


富良野:ブータンのGNH、国民総幸福量とかね。あれは象徴的だけど、実際に政策に落とし込むのは難しい。


Phrona:でも、試みること自体に意味があるんじゃないですか。何を大事にするかっていう価値観を示すわけだから。


富良野:それは同意します。指標って、単に測るだけじゃなくて、社会の目標を設定する役割もあるから。


Phrona:ドミニカ共和国の研究も、そういう意味では価値がありますよね。こういう測り方をすると、この国は失敗してますよって示すことで。


富良野:ええ。そして、どこに問題があるかを可視化できれば、改善の余地も見えてくる。


Phrona:でも私、もう一つ思うんですけど。


富良野:何でしょう?


Phrona:幸福って、そもそも個人的なものじゃないですか。一人ひとり、何を幸せと感じるかは違う。


富良野:確かに。


Phrona:だから、国レベルで幸福度を測るって、どこか矛盾してるというか。平均値で語れるものじゃないというか。


富良野:難しいところですね。政策を作る上では、ある程度マクロな指標が必要なんだけど、それに回収されない個別性も尊重しないといけない。


Phrona:両立できるんでしょうか。


富良野:完璧には無理でしょうね。でも、だからこそ、単一の指標に頼らず、複数の視点から社会を見る必要があるんだと思います。


誰のための成長なのか


Phrona:結局、この研究が私たちに問いかけてるのは、経済成長って何のためなのかってことですよね。


富良野:そうですね。


Phrona:成長すること自体が目的になってしまうと、誰が幸せになってるのか分からなくなる。


富良野:ドミニカ共和国のケースは、まさにそれを体現してる。成長はしてるんです、数字の上では。でも、多くの人の暮らしは良くなってない。


Phrona:それって、成長の定義自体を問い直す必要があるってことじゃないですか。


富良野:どういうこと?


Phrona:つまり、何が増えれば成長と呼ぶのか。お金が動けば成長なのか、人が健康になれば成長なのか、選択肢が増えれば成長なのか。


富良野:ああ、なるほど。成長という言葉が指すものを、もっと広く捉え直すべきだと。


Phrona:そう。じゃないと、いつまでたってもGDPという呪縛から逃れられない。


富良野:でも、言葉の定義を変えるだけじゃ不十分で、実際の政策や制度も変えないといけない。


Phrona:もちろん。でも、言葉は思考を規定するから、まずそこから変える必要があるんじゃないかと思うんです。


富良野:言葉が変われば、問いが変わる。問いが変われば、答えも変わる。


Phrona:そういうことです。


残された問い


富良野:この論文、結論らしい結論は出してないんですよね。


Phrona:ええ。問題を指摘するだけで、解決策は示してない。


富良野:でも、それが逆にいいのかもしれない。答えを押し付けるんじゃなくて、考える材料を提供してるっていう。


Phrona:そうですね。それに、簡単な解決策なんてないでしょうし。


富良野:ないですね。もしあったら、27年も放置されてないはず。


Phrona:じゃあ、私たちにできることって何なんでしょう。遠い国の話を知って、ふーんで終わり?


富良野:いや、そうじゃないと思います。この研究が教えてくれるのは、経済成長と幸福は自動的には結びつかないってこと。意識的に設計しないと、富は偏在し続ける。


Phrona:そして、自分たちの社会を見る目も変わる。


富良野:そう。日本でも、同じような構造が潜んでないか、目を凝らす必要がある。


Phrona:数字の裏側に何があるのか、誰が取り残されてるのか。


富良野:それを問い続けることが、たぶん最初の一歩なんでしょうね。


Phrona:答えのない問いを抱えて生きるって、しんどいですけどね。


富良野:しんどいけど、それが思考するってことなのかもしれません。



 

ポイント整理


  • 人間開発指数の分解分析

    • 研究は1990年から2017年の27年間、世界139カ国の人間開発指数を、所得(実質国民総所得per capita)と健康・教育の複合指標の2つに分けて分析した。この分解によって、経済成長と社会福祉の関係をより明確に把握できる。

  • 世界的な改善傾向

    • ほぼすべての国で人間開発指数は向上しており、所得の順位と健康・教育の順位の間には正の相関関係が見られる。つまり、通常は経済的に豊かな国ほど健康・教育も優れているという一般則が成り立つ。

  • ドミニカ共和国の逆説

    • ドミニカ共和国も人間開発指数自体は向上しているが、所得順位と健康・教育順位の関係が逆転している稀有なケースである。経済的には世界の中で相対的に順位を上げているにもかかわらず、健康・教育では順位を大きく下げている。

  • 資源活用の失敗

    • ドミニカ共和国は、利用可能な経済資源を健康と教育の改善に効果的に転換できていない。同等あるいはより少ない資源しか持たない国々が、より良い成果を上げている事実は、政策的な優先順位の問題を示唆している。

  • 世界ワースト10の不名誉

    • 139カ国中、資源を健康・教育に活用できていない国として10位、ラテンアメリカ・カリブ26カ国中では3位という極めて低い評価を受けている。これは単なる経済発展の遅れではなく、構造的な資源配分の問題である。

  • 2005年以降の悪化

    • 特に2005年から2017年にかけて、所得順位の向上と健康・教育順位の悪化の乖離が顕著になっている。経済成長が加速した時期に、社会サービスへの投資が相対的に停滞したことを示している。

  • 政策の方向性の誤り

    • 経済成長を達成しながら国民の福祉が向上しないという状況は、成長のメカニズムと分配のメカニズムが切り離されていることを意味する。成長の果実が公共サービスに再投資されない構造的な問題がある。

  • 短期主義の罠

    • 健康や教育への投資は長期的にしか効果が現れないため、短期的な成果を求める政治サイクルの中で後回しにされやすい。これは多くの国に共通する構造的な課題でもある。

  • 民主主義と再分配

    • 資源を適切に配分するためには、透明性の高い税制、効果的な再分配の仕組み、市民が政府に説明責任を求められる成熟した民主主義が必要である。これらが欠如すると、富は偏在し続ける。

  • 指標の限界と可能性

    • 人間開発指数のような指標は政策の失敗を可視化し説明責任を問う上で有効だが、個々人の生活実感や数値化できない幸福の要素を捉えきれない限界もある。複数の視点から社会を評価する必要性が示唆される。

  • 普遍的な教訓

    • ドミニカ共和国の事例は、経済成長と国民の幸福が自動的には結びつかないという教訓を与える。意識的な政策設計と資源配分がなければ、成長は一部の層にしか恩恵をもたらさない。この構造は他の多くの国にも潜在的に存在しうる。



キーワード解説


人間開発指数(Human Development Index, HDI)】

国連開発計画が公表する、各国の発展度合いを測る複合指標。所得、健康(平均寿命)、教育(就学年数)の3要素から構成される。


実質国民総所得per capita】

一国の経済規模を人口で割った一人当たりの所得。購買力平価で調整されることが多く、生活水準の比較に用いられる。


トリクルダウン】

富裕層や大企業が豊かになれば、その富が徐々に社会全体に滴り落ちるという経済理論。実証的な裏付けに乏しいとして批判されることも多い。


人的資本】

教育や訓練、健康などを通じて個人に蓄積される知識・技能・健康状態。経済成長の重要な要素とされる。


再分配政策】

税制や社会保障を通じて、所得や富を社会全体でより公平に配分しようとする政策。格差是正の主要な手段。


政策の優先順位】

限られた公共資源をどの分野に配分するかという政治的判断。短期的な成果と長期的な投資のバランスが問われる。


ウェルビーイング】

単なる物質的豊かさを超えた、心身の健康、社会的つながり、生きがいなどを含む包括的な幸福の概念。


国民総幸福量(Gross National Happiness, GNH)】

ブータンが提唱した、経済成長だけでなく精神的・文化的な豊かさを重視する発展の指標。


説明責任(アカウンタビリティ)】

政府や公的機関が、その行動や決定について市民に対して説明し、責任を負うこと。民主主義の基本原則の一つ。


構造的問題】

個別の事象ではなく、社会制度や権力関係に根ざした持続的な問題。一時的な対処では解決できず、制度改革が必要となる。



本稿は近日中にnoteにも掲載予定です。
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