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脳がなくても眠りは必要?──クラゲが教えてくれた「睡眠の起源」

更新日:2月27日

シリーズ: 知新察来


◆今回のピックアップ記事:Jack Tamisiea, "Jellyfish sleep a lot like us—and for the same reasons" (Science, 2026年1月6日)

  • 概要:脳を持たない刺胞動物(クラゲ・イソギンチャク)が人間と類似した睡眠パターンを示すことを報告したNature Communications掲載論文の解説記事。睡眠が神経細胞のDNA修復のために進化した可能性を示唆する研究成果を紹介している。



私たちはなぜ眠るのでしょうか。この問いに対して、「脳を休めるため」「記憶を整理するため」といった答えが浮かぶ方は多いかもしれません。ところが最新の研究が、この常識を揺さぶる発見を報告しています。なんと、脳を持たないクラゲやイソギンチャクが、私たちと驚くほど似た睡眠パターンを持っていたのです。


イスラエル・バルイラン大学の研究チームは、逆さクラゲとスターレットイソギンチャクという2種の刺胞動物を詳細に観察し、その成果を2026年1月、科学誌『Nature Communications』に発表しました。彼らは1日のおよそ3分の1を眠って過ごし、睡眠を奪われると翌日により長く眠る——まるで人間のような「睡眠負債」の返済行動を見せたのです。


この発見が示唆するのは、睡眠が「高度な脳のため」に進化したのではなく、もっと根源的な理由——神経細胞のDNA損傷を修復するため——に始まったという可能性です。富良野とPhronaが、この太古の謎に迫ります。睡眠とは何か、そしてなぜすべての神経を持つ生物にとって不可欠なのか。その答えの糸口が、ゆらゆらと海を漂う透明な生き物の中に隠されていました。




眠るクラゲ、という不思議


富良野:クラゲが眠る、という話を最初に聞いたとき、正直なところ「眠る」という言葉の定義を拡大解釈しているだけなんじゃないかと思ったんですよ。


Phrona:わかります。だって脳がないわけですよね。眠りって、どうしても脳の活動と結びつけて考えてしまうから。


富良野:そう。睡眠といえば、レム睡眠だとかノンレム睡眠だとか、脳波がどうこうという話になるじゃないですか。脳がない生き物に「睡眠」があるって言われても、それは単に動きが鈍くなっているだけでは? という疑問が先に立つ。


Phrona:でも今回の研究、そこをかなり丁寧に検証していますよね。クラゲの傘がパルスする頻度が夜になると下がる、というだけじゃなくて、光の刺激への反応時間も測定している。


富良野:寝ぼけた人間みたいに、夜のクラゲは反応するまでに昼の倍以上の時間がかかるんですよね。20秒くらい。それって「意識レベルが下がっている」ことの証拠として、けっこう説得力がある。


Phrona:しかも、睡眠を妨害されたクラゲは翌日に5割増しで眠る。これ、私たちが徹夜明けに爆睡するのと同じ構造ですよね。


富良野:「ホメオスタシス的な睡眠圧」が存在するということ。つまり、眠りが足りないと体がそれを補おうとする仕組みが、脳を持たない生物にもあるわけです。


Phrona:それって、睡眠が脳の機能というよりも、もっと細胞レベルの何かと関係しているってことを示唆していませんか。



DNAを守るために眠る


富良野:まさにそこがこの研究の核心なんですよね。研究チームは、クラゲやイソギンチャクの神経細胞でDNA損傷が起きているかどうかを調べている。


Phrona:結果はどうだったんですか。


富良野:覚醒中にDNA損傷が蓄積して、睡眠中に減少する。そして、紫外線を浴びせてDNA損傷を人工的に増やすと、クラゲはいつもより長く眠った。


Phrona:DNA損傷が増えると、眠りたくなる……。


富良野:イソギンチャクにはDNAを傷つける化学薬品、具体的には抗がん剤を投与したんですが、やはり翌日の睡眠時間が3割ほど増えた。


Phrona:逆に、メラトニンを投与して睡眠を促進させると、DNA損傷が減った、と。


富良野:双方向の関係があるんです。DNA損傷が睡眠の必要性を高め、睡眠がDNA損傷を減らす。


Phrona:神経細胞って、他の細胞と違って基本的に分裂しないんですよね。一度できたら、その個体が生きている間ずっと同じ細胞を使い続ける。


富良野:そこが重要なポイントです。分裂する細胞なら、傷ついたDNAを持つ細胞が死んでも新しい細胞が補ってくれる。でも神経細胞はそうはいかない。


Phrona:だから、定期的にメンテナンスする時間が必要になる。それが睡眠、ということですか。


富良野:少なくとも、そういう仮説がこの研究から浮かび上がってくる。睡眠は「脳を休めるため」というより「神経細胞を修理するため」に進化した、という見方です。



「高度な脳のため」という思い込み


Phrona:でも私、ちょっと引っかかることがあって。睡眠中に記憶が整理されるとか、学習が定着するとか、そういう研究もたくさんありますよね。


富良野:もちろんあります。睡眠が学習や記憶に重要な役割を果たしていることは、多くの実験で確認されている。


Phrona:それと「DNA修復のため」という話は、矛盾しないんですか。


富良野:矛盾というよりは、進化の過程で睡眠の機能が重層化していった、と考えるのが自然じゃないでしょうか。最初は細胞のメンテナンスという基本的な機能があって、脳が複雑になるにつれて、その時間を利用して記憶の整理も行うようになった。


Phrona:睡眠という「お休みタイム」に、後からいろんな機能が乗っかっていった、というイメージ?


富良野:そうですね。研究チームのアッペルバウム教授も、学習や記憶の整理は睡眠の重要な機能だけれど、それ以前に「神経細胞を健康に保つ」という根本的な役割があると言っている。


Phrona:つまり、私たちが「睡眠=脳のため」と思い込んでいたのは、進化の歴史のごく一部しか見ていなかった、ということ?


富良野:カリフォルニア州立大学ノースリッジ校のヴァン・バスカーク教授は、この研究を「睡眠は複雑で強力な脳を管理するために進化したという考えに対する、棺の釘をまた一本打った」と表現しています。


Phrona:なかなか辛辣な言い方ですね。


富良野:でも的確だと思う。私たちはつい、人間を基準にして生命現象を理解しようとする。高度な脳を持つ私たちにとって睡眠が重要だから、睡眠は高度な脳のために進化したのだろう、と。でも実際には順序が逆かもしれない。



クラゲとイソギンチャクの違い


Phrona:私が面白いと思ったのは、クラゲとイソギンチャクで睡眠のパターンがかなり違うという点なんです。


富良野:クラゲは夜に眠って昼間に活動する。イソギンチャクは逆で、夜に活動して明け方から午前中にかけて眠る。


Phrona:同じ刺胞動物なのに、生活リズムが正反対。


富良野:しかも、睡眠を制御するメカニズムも違っている。クラゲは主に光に反応して眠ったり起きたりする。実験で明暗のサイクルを変えると、それに合わせて睡眠パターンも変わった。


Phrona:イソギンチャクの方は?


富良野:体内時計、つまりサーカディアンリズムに依存している部分が大きい。明暗条件を変えても、元の睡眠パターンを維持しようとする傾向がある。


Phrona:それって、人間の中にも朝型と夜型がいる、という話と通じるところがありますね。


富良野:面白い視点ですね。ただ、決定的に重要なのは、制御メカニズムがこれだけ違っても、睡眠時間はどちらも1日の約3分の1、つまり8時間前後だということ。


Phrona:そして、どちらもDNA修復という機能は共通している。


富良野:そう。睡眠のタイミングや制御の仕方は環境や生態に応じて多様化しても、神経細胞を守るという根本的な機能は保存されている。これ、進化的にかなり示唆的だと思いません?



睡眠の「コスト」と「ベネフィット」


Phrona:研究チームも言及していましたけど、睡眠って進化的に見るとかなりリスクの高い行動ですよね。


富良野:外敵に襲われやすくなる、餌を探せない、繁殖行動もできない。生存や繁殖に直結するデメリットがこれだけあるのに、ほぼすべての神経を持つ動物が眠る。


Phrona:それだけのコストを払ってでも得られるベネフィットがある、ということですよね。


富良野:今回の研究は、そのベネフィットの正体に一つの答えを出している。神経細胞は活動中にどうしても損傷を受ける。酸化ストレス、代謝の副産物、日常的な電気活動そのものからくるダメージ……。


Phrona:「働いていれば、どうしても消耗する」というのは、機械でも人間でも同じですね。


富良野:でも機械は部品を交換できる。神経細胞はそうはいかない。だから、活動を止めて修理に専念する時間が必要になる。


Phrona:でも、起きている間に修理することはできないんですか?


富良野:研究チームの言い方を借りると、「覚醒中のDNA損傷と修復のバランスは不十分」なんです。活動しながら修理するよりも、活動を止めて修理に集中した方が効率がいい。


Phrona:車を走らせながら整備するのと、停車させてから整備するのの違い、みたいな。


富良野:まさにそういうことだと思います。睡眠は、神経細胞にとっての「定期点検」の時間なんですね。



人間の睡眠障害への示唆


Phrona:この研究、人間の健康にも関係してきますよね。


富良野:当然つながってくる話です。アルツハイマー病やパーキンソン病といった神経変性疾患と、慢性的な睡眠障害との関連は以前から指摘されている。


Phrona:睡眠が足りないと、神経細胞の修復が追いつかなくて、長期的にダメージが蓄積していく……という可能性?


富良野:少なくとも、そういう仮説と整合的な結果がこの研究から得られている。もちろん、人間の脳とクラゲの神経網は複雑さが全然違うから、単純には比較できませんが。


Phrona:でも、「神経細胞を守る」という根本的な機能が6億年以上前から保存されているとしたら……


富良野:私たちの睡眠にも、その太古の機能が残っている可能性は十分にある。


Phrona:現代人って、睡眠時間を削りがちじゃないですか。仕事とか、スマホとか。


富良野:「寝る時間がもったいない」という感覚は、たしかにありますよね。でも、この研究を読むと、睡眠を削ることの代償について考えさせられる。


Phrona:脳を「使っていない」時間じゃなくて、脳を「修理している」時間。そう考えると、睡眠の価値が違って見えてきます。



「神経の誕生」と「睡眠の誕生」


富良野:睡眠はいつ、なぜ進化したのか、という問題に対して、この研究は「最初の神経細胞が生まれたときに、睡眠も一緒に生まれた」という可能性を示唆しているんですよね。


Phrona:神経があるところには、必ず睡眠がある?


富良野:少なくとも、神経を持つ動物で睡眠をしないものは見つかっていない。最も単純な神経系を持つ刺胞動物ですら眠る。


Phrona:神経という「革新」には、睡眠という「メンテナンス機構」がセットで必要だった、ということですね。


富良野:神経細胞は情報処理において非常に効率的だけど、その代償として他の細胞よりも傷つきやすい。分裂もしない。だからこそ、定期的に修復する仕組みなしには、長期間機能を維持できなかった。


Phrona:考えてみれば、脳って電気信号をやり取りするわけですよね。電気を使う機械が発熱したり消耗したりするように、神経細胞も活動するだけで何らかの負荷がかかる。


富良野:「興奮性細胞はDNA損傷を受けやすく、定期的なメンテナンス方法を必要とする」というヴァン・バスカーク教授のコメントは、まさにそのことを指している。


Phrona:神経を持つことの「コスト」と、それを補う「解決策」としての睡眠。進化って、問題解決の連続なんですね。


富良野:そして、その解決策が何億年も保存されてきた。私たちが毎晩眠るとき、クラゲやイソギンチャクと同じ、太古からの生命維持プログラムが作動しているのかもしれない。


Phrona:そう思うと、今夜の睡眠がちょっと神聖なものに感じられてきます。



 

ポイント整理


  • クラゲとイソギンチャクの睡眠行動が詳細に解明された

    • バルイラン大学の研究チームが、逆さクラゲ(Cassiopea andromeda)とスターレットイソギンチャク(Nematostella vectensis)の睡眠パターンを実験室と自然環境の両方で観察し、Nature Communications誌に発表した。これはイソギンチャクで睡眠が確認された初めての研究であり、両種の睡眠パターンを詳細に記述した点で画期的である。

  • 脳を持たない生物も「睡眠」の定義を満たす

    • 両種は①活動性の低下(クラゲの傘のパルス頻度減少)、②覚醒閾値の上昇(刺激への反応時間が倍以上に延長)、③睡眠負債の存在(睡眠剥奪後に睡眠時間が50%増加)という睡眠の基本的な特徴をすべて示した。これは「睡眠には脳が必要」という従来の前提に疑問を投げかける。

  • 睡眠時間は種を超えて類似している

    • クラゲもイソギンチャクも1日の約3分の1、およそ8時間を睡眠に費やす。これは人間の推奨睡眠時間と驚くほど一致しており、睡眠時間に何らかの生物学的な最適値が存在する可能性を示唆している。

  • 睡眠の制御メカニズムは種によって異なる

    • クラゲは主に光(明暗サイクル)によって睡眠が制御され、イソギンチャクは体内時計(サーカディアンリズム)により強く依存している。しかし制御機構が異なっても、睡眠時間と基本機能は保存されている。

  • 睡眠とDNA損傷に双方向の関係がある

    • 覚醒中に神経細胞のDNA損傷が蓄積し、睡眠中に減少することが確認された。さらに、紫外線照射や化学薬品によってDNA損傷を人工的に増加させると、動物はより長く眠った。逆に、メラトニンで睡眠を促進するとDNA損傷が減少した。

  • 神経細胞の特殊性が睡眠進化の鍵

    • 神経細胞は基本的に分裂しないため、損傷した細胞を新しい細胞で置き換えることができない。また、電気的に活発な「興奮性細胞」であるため、活動するだけでDNA損傷を受けやすい。これらの特性が、定期的な修復時間としての睡眠を必要とした可能性がある。

  • 睡眠の起源に関する新たな仮説

    • この研究は「睡眠は複雑な脳を管理するために進化した」という従来の見方に対し、「睡眠は最初の神経細胞が誕生したときに、その維持のために同時に進化した」という仮説を支持する証拠を提供している。

  • 人間の健康への示唆

    • アルツハイマー病やパーキンソン病といった神経変性疾患と慢性的な睡眠障害との関連が以前から指摘されているが、この研究は睡眠が神経細胞の健康維持に根本的な役割を果たしているという考えを補強している。



キーワード解説


刺胞動物(Cnidaria)】

クラゲ、イソギンチャク、サンゴなどを含む動物門。神経系を持つ最も古い動物群の一つで、約6億年前に出現したと考えられている。中枢神経系(脳)を持たず、体全体に分散した神経網を持つ。


逆さクラゲ(Cassiopea andromeda)】

傘を下向きにして海底に座り込む習性を持つクラゲ。体内に共生藻類を持ち、光合成による栄養も得る。浅い海域の砂地やマングローブ域に生息。


スターレットイソギンチャク(Nematostella vectensis)】

汽水域に生息する小型のイソギンチャク。全ゲノムが解読されており、発生生物学や進化生物学のモデル生物として広く研究されている。


サーカディアンリズム(概日リズム)】

約24時間周期で繰り返される生物の内在的なリズム。光などの外部刺激がなくても維持される体内時計によって制御される。睡眠-覚醒サイクル、ホルモン分泌、体温変動などに関与。


ホメオスタシス(恒常性)】

生体が内部環境を一定に保とうとする性質。睡眠の文脈では「睡眠圧」とも呼ばれ、長時間起きていると眠気が増し、十分に眠ると眠気が減るというバランス調整機能を指す。


メラトニン】

松果体から分泌されるホルモンで、暗くなると分泌が増加し、睡眠を促進する。サーカディアンリズムの調節に重要な役割を果たす。刺胞動物にも類似した睡眠誘導効果があることが今回の研究で確認された。


DNA損傷】

紫外線、酸化ストレス、代謝副産物、放射線などによってDNAの構造が傷つくこと。修復されなければ細胞死や機能障害につながる。神経細胞は分裂しないため、DNA損傷の蓄積が特に問題となる。


神経変性疾患】

神経細胞が徐々に機能を失い、死滅していく疾患の総称。アルツハイマー病、パーキンソン病、筋萎縮性側索硬化症(ALS)などが含まれる。慢性的な睡眠障害との関連が研究されている。



本稿は近日中にnoteにも掲載予定です。
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