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言葉より先に歌があった?──ニーチェとピンカーが対立する「音楽と言語」の深い関係

更新日:8月31日

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シリーズ: 知新察来


◆今回のピックアップ記事:Kathleen Higgins "Pinker vs Nietzsche: Is music the basis of language?" (Institute of Art and Ideas, 2025年7月4日)


私たちの日常に当たり前のように存在する音楽。車を運転するときのBGM、カフェで流れる心地よいメロディー、友人とカラオケで歌う歌声。これほど身近な音楽ですが、認知心理学者のスティーブン・ピンカーは驚くべき主張をします。音楽が明日消えたとしても、人間の生活はほとんど変わらないというのです。


一方で、19世紀のドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェは全く正反対の立場に立ちます。彼にとって音楽は人間存在そのものの基盤であり、音楽なしには言語すら成り立たないと考えました。この対立は単なる学問的な議論にとどまらず、人間とは何かという根本的な問いに深く関わっています。映画の音楽が私たちの感情を揺さぶる理由、他人の歌声に自分の気持ちを重ねてしまう不思議、そして文字よりも声で聞いた方が相手の真意が分かる感覚。これらの日常体験の奥に隠された、音楽と言語の深遠な関係を探ってみましょう。




音楽は本当に「聴覚のチーズケーキ」なのか


富良野:ピンカーの音楽観って、僕らの直感とは正反対ですよね。音楽を「聴覚のチーズケーキ」って表現するんですから。


Phrona:面白い比喩ですね。チーズケーキって確かに美味しいけれど、なくても生きていけるし、むしろ体には良くないかもしれない。でも、それが音楽の本質なんでしょうか。


富良野:彼の論理はこうです。言語や視覚、社会的推論といった能力と比べて、音楽は進化上の副産物に過ぎない。いわゆる「スパンドレル」ですね。建築の用語で、本来の構造に付随して生まれる装飾的な部分のことです。


Phrona:スパンドレル理論は生物学者のスティーブン・ジェイ・グールドが提唱したものですよね。でも、副産物だからといって重要じゃないとは限らないんじゃないでしょうか。私たちの感情や想像力だって、もしかしたら副産物かもしれませんが、それで人間らしさを否定することにはならないと思うんです。


富良野:確かにそうですね。ピンカーの視点は極めて機能主義的というか、生存に直結するものだけを重視している感じがします。でも人間の豊かさって、もっと複雑なものじゃないですか。


Phrona:それに、音楽が本当に消えても生活が変わらないかどうかも疑問です。私たちって知らず知らずのうちに、音楽的なリズムや抑揚で話していませんか?怒ったときの声の調子、優しく話しかけるときのトーン、これって音楽的な要素抜きには考えられない気がします。


ニーチェが見抜いた「音調的基盤」の秘密


富良野:まさにそこがニーチェの主張の核心部分ですね。彼は言語の成り立ち自体が音楽的だと考えていました。


Phrona:「言語は音楽を前提とする」という発想は、とても詩的ですよね。でも具体的には、どういうことなんでしょう?


富良野:ニーチェは言語を二つの要素に分けて考えています。一つは「身振り象徴」つまり子音や母音の組み合わせで、これは口の動きによって作られる形のようなもの。もう一つが「音調的基盤」で、これがプロソディー、つまり声の調子や抑揚の部分です。


Phrona:なるほど。言葉の意味は身振り象徴の方で決まるけれど、その意味が相手に本当に伝わるかどうかは音調的基盤にかかっているということですね。


富良野:そうなんです。面白いのは、この音調的基盤は言語を知らなくても理解できるとニーチェが考えていることです。外国語が分からなくても、その人が喜んでいるのか悲しんでいるのかは声の調子で分かりますよね。


Phrona:確かに。赤ちゃんだって、言葉の意味は分からないのに、お母さんが優しく話しかけているのか怒っているのかは敏感に感じ取ります。これって生物学的な共通基盤があるからなんでしょうね。


富良野:ニーチェはそこに人間の根本的な共通性を見ています。僕らが「快楽と苦痛の度合い」を共有しているからこそ、言葉でのコミュニケーションが可能になると。音楽的な理解が、言語的な理解の土台になっているんです。


Phrona:それって、文字で読むより声で聞いた方が相手の本音が分かる感覚とも関係しそうですね。メールやテキストメッセージだと誤解が生まれやすいのも、この音調的基盤が失われるからなのかもしれません。


ショーペンハウアーから受け継いだ音楽論


富良野:ニーチェの音楽理解には、師匠のショーペンハウアーの影響が色濃く出ています。


Phrona:ショーペンハウアーの音楽論って、どんな内容なんですか?


富良野:彼は音楽を他の芸術とは根本的に違うものと考えました。絵画や彫刻は世界の表面的な現象を表現するけれど、音楽は世界の根本的な意志そのものを直接表現するというんです。


Phrona:世界の意志って、ちょっと神秘的な響きですね。


富良野:確かに抽象的ですが、要するに音楽は僕らの内面の動きを直接映し出すということです。緊張と解放、高まりと静寂、これらの音楽的パターンが、僕らの心理的な動きとそのまま対応している。


Phrona:だから音楽を聴いていると、自分の感情が動かされるんですね。それも、特定の出来事と結びついた感情じゃなくて、もっと純粋な感情の本質のようなものに触れる感じがします。


富良野:ショーペンハウアーの表現を借りれば、音楽は「この特定の喜びや苦痛」ではなく、「喜びや苦痛そのもの」を表現するんです。その動機や理由抜きに、感情の純粋な形を伝える。


Phrona:それって言語では不可能なことですよね。言葉はどうしても概念的になってしまうから、感情の微細なニュアンスを伝えきれない部分がある。でも音楽なら、言葉で表現できない繊細な心の動きも表現できる。


富良野:だからこそ、ショーペンハウアーは音楽に歌詞をつけるときは、常に音楽が主役であるべきだと主張したんです。言葉は音楽が表現する普遍的な感情状態の、具体的な例を示すだけの役割。


古代ギリシャ悲劇が教えてくれること


Phrona:ニーチェが『悲劇の誕生』で描いた古代ギリシャの話、すごく興味深いですよね。


富良野:彼の説明では、ギリシャ悲劇の力の源泉は、コロス、つまり合唱隊の音楽にあったということです。観客は筋書きを理解する前に、まず音楽によって感情的に準備されていた。


Phrona:音楽が感情の「下地」を作っていたんですね。現代でも映画を見るとき、音楽があるかないかで全然印象が変わりますものね。


富良野:そうなんです。でもニーチェが注目したのは、音楽の効果がそれだけじゃないということです。音楽は観客を個別の存在から、より大きな生命の流れに参加する存在へと変化させた。


Phrona:「感情的な伝染」という表現が出てきますが、これって現代のライブ会場でも体験できることですよね。みんなで同じリズムに合わせて手拍子をしていると、個人の境界が溶けて、会場全体が一つの生き物のようになる感覚。


富良野:まさにそれです。ニーチェは悲劇を見る体験を、個人の小さな目標や不安を超えて、不死なる自然の一部として自分を感じる体験として描いています。


Phrona:だから悲劇の筋書きがどんなに悲惨でも、観客は絶望するんじゃなくて、むしろ人生の深い喜びを感じることができたんですね。音楽が媒介となって、より大きな存在との一体感を体験していた。


富良野:この考え方を現代に当てはめると、僕らが他人の歌に自分の体験を重ねる理由も見えてきます。歌詞の具体的な内容よりも、音楽が伝える感情の質に、普遍的な人間体験を感じ取っているんでしょうね。


言語の社会的起源と音楽の役割


Phrona:ニーチェは言語の起源についても独特の考えを持っていたんですね。


富良野:彼は言語が群れでの情報共有から生まれたと考えています。特に危険を知らせるための道具として発達したと。でも面白いのは、そのときから音楽的要素が不可欠だったという点です。


Phrona:どういうことでしょう?


富良野:単純に決められた音の組み合わせだけでは、本当に重要な情報は伝わらないということです。「危険だ」という概念的な情報だけじゃなくて、その危険がどの程度切迫しているのか、どんな種類の脅威なのか、そういう微細な情報は音の調子で伝えられる。


Phrona:確かに、同じ「気をつけて」という言葉でも、言い方によって緊急度が全然違いますね。のんびりした調子なのか、切迫した調子なのかで、受け取る側の反応も変わってきます。


富良野:ニーチェの考えでは、現代でも言語の限界は同じです。僕らは個人的な体験を言葉で表現しようとするけれど、言葉は社会で共有される一般的なカテゴリーに基づいているから、どうしても個人の特殊性は削り取られてしまう。


Phrona:だから声の調子や身振りが重要になってくるんですね。言葉では表現しきれない個人的なニュアンスを、音楽的な要素で補完している。


富良野:そして重要なのは、これらの音楽的特徴は言語の後から付け加えられたものではないということです。ニーチェにとって、音楽は言語の前提条件なんです。


現代への示唆:なぜ映画には音楽が必要なのか


Phrona:ニーチェの理論を現代に当てはめると、とても興味深い洞察が得られますね。


富良野:記事でも触れられていますが、映画のサウンドトラックがなぜあれほど効果的なのかも説明がつきます。僕らは画面で起きている出来事を理解する前に、音楽によって感情的に準備されているんです。


Phrona:それって古代ギリシャの悲劇と同じ構造ですね。コロスの役割を、現代では映画音楽が担っている。


富良野:そうなんです。しかも興味深いのは、映画を見ている間、僕らは個人としての日常的な関心事を忘れて、より大きな物語世界に没入する。これもニーチェが描いた悲劇体験と似ています。


Phrona:音楽があることで、映画の中の出来事を単なる他人事として見るんじゃなくて、どこか自分自身の体験として受け取ってしまうんですね。


富良野:現代のAI時代を考えると、この議論はさらに切実かもしれません。テキストベースのやり取りが増える中で、僕らは音楽的なコミュニケーションの機会を失いつつある。


Phrona:確かに。メールやチャットでは、声の調子が伝わらないから誤解が生まれやすいし、相手の感情の微細なニュアンスも読み取りにくいですね。


富良野:ニーチェの視点から見ると、これは単なる利便性の問題じゃなくて、人間同士の根本的な共感能力に関わる問題なのかもしれません。


音楽なき世界の想像を超えた恐ろしさ


Phrona:ニーチェが「音楽なしには、人生は間違いである」と言った真意が、だんだん見えてきました。


富良野:彼の考えでは、音楽が消えることは単に娯楽が一つなくなることじゃないんです。僕らが共通の世界に住んでいるという感覚そのものが失われてしまう。


Phrona:共通の生物学的・感情的基盤を認識する手段がなくなってしまうということですね。そうなると、言葉を使っても本当に相手に伝わっているかどうか確信が持てなくなる。


富良野:考えてみれば恐ろしいことです。他人が自分と同じような内面を持っていることを確認する手段がなくなってしまうわけですから。


Phrona:それって、現代社会でも部分的に起きていることかもしれませんね。デジタル化が進んで、直接的な音楽的コミュニケーションが減ると、他者理解が浅くなったり、孤立感が増したりする。


富良野:ニーチェの警告は、音楽を軽視することの危険性を示しているのかもしれません。効率性や生産性だけを追求すると、人間らしさの基盤そのものを失ってしまう可能性がある。


Phrona:でも希望もありますよね。音楽的な感受性は人間に根深く備わっているから、意識的に大切にしていけば、豊かなコミュニケーションを取り戻すことができるはずです。


富良野:そうですね。この論争は結局、僕らがどんな人間でありたいかという選択の問題なのかもしれません。




ポイント整理


  • ピンカーの機能主義的音楽観

    • 音楽は進化的副産物(スパンドレル)であり、生存に直結しない「聴覚のチーズケーキ」のような嗜好品。音楽が消えても人間の本質的な生活は変わらない。

  • ニーチェの音楽基盤説

    • 言語は音楽的要素(プロソディー)を前提として成り立っている。「身振り象徴」(子音・母音の組み合わせ)と「音調的基盤」(声の調子・抑揚)の二層構造で言語を理解。

  • ショーペンハウアーの影響

    • 音楽は世界の根本的意志を直接表現し、感情の本質的な形を言語よりも精密に伝達する。緊張と解放のパターンが人間の心理的動きと直接対応。

  • 古代ギリシャ悲劇の分析

    • コロス(合唱隊)の音楽が観客の感情を準備し、個人を超えた生命体験への参加を可能にした。現代の映画音楽にも同様の効果が見られる。

  • 言語の社会的起源

    • 言語は群れでの危険情報共有から発達したが、概念的情報だけでなく音楽的要素による感情・緊急度の伝達が不可欠だった。

  • 現代的含意

    • デジタル化により音楽的コミュニケーションが減少すると、他者理解や共感能力の低下、人間関係の質的変化が起こる可能性。



キーワード解説


【スパンドレル】

建築で構造上必然的に生まれる装飾的空間。生物学では進化の副産物として生じた特徴を指す


【プロソディー】

言語の音韻的特徴。声の高低、強弱、リズム、抑揚などの音楽的要素


【身振り象徴】

ニーチェの用語で、子音と母音の組み合わせによる言語の形式的側面。口の動きによって作られる


【音調的基盤】

言語の意味理解の下層にある、音楽的・感情的な共有基盤。快楽と苦痛の度合いを表現


【感情的伝染】

音楽を通じて他者の感情状態が自分に伝播する現象。集団的な感情体験の基盤


【世界意志】

ショーペンハウアーの哲学概念。現象世界の背後にある根本的な生命力・衝動


【レチタティーヴォ】

オペラで言葉のリズムに音楽を合わせた歌唱形式。言葉の自然な流れを重視



本稿は近日中にnoteにも掲載予定です。
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