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記憶が意味を選ぶとき──表面的類似を超えた深い理解の仕組み

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シリーズ: 知新察来


◆今回のピックアップ記事:Antoine Guenot "Memory Chooses Meaning Over Surface Similarities" (Neuroscience News, 2025年7月10日)

  • 概要:過去50年間に発表された約100の記憶研究を分析したメタレビュー


私たちは日々、様々な場面で過去の経験を現在の状況と結びつけて理解しようとしています。でも、なぜ記憶は時には「同じ場所で起きたこと」を思い出し、別の時には「似たような問題」を思い出すのでしょうか。ジュネーブ大学の研究チームが、この記憶の不思議なメカニズムについて興味深い発見をしました。


記憶は単なる過去の保管庫ではありません。今この瞬間を理解するために、適切な経験を呼び出すという重要な役割を担っています。その際、表面的な手がかり(同じ人、同じ場所)に頼ることもあれば、より抽象的で構造的な手がかり(似たような意図や行動パターン)を優先することもあります。


この記事では、記憶研究の専門家たちの対話を通じて、私たちの心がどのようにして意味のある学びや理解を生み出していくのかを探っていきます。その過程で見えてくるのは、教育や日常の問題解決にも活かせる、深い洞察かもしれません。




記憶は何を選んでいるのか


富良野:この研究結果を見ると、記憶って思っていた以上に戦略的なんですね。表面的な手がかりと構造的な手がかりを使い分けているというのは。


Phrona:そうですね。プルーストのマドレーヌの例も面白いです。あの有名な場面って、お菓子の味や香りという表面的な要素が記憶を呼び覚ましてるじゃないですか。でも研究によると、時にはもっと抽象的な構造、つまり言い訳や紛争といった概念的な枠組みの方を優先するって。


富良野:なるほど。研究で挙げられてた例がわかりやすいですよね。レストランに友人を誘って断られたとき、記憶が呼び出すのは「前回同じレストランでその友人と食事した記憶」かもしれないし、「自分がスポーツの練習を膝の痛みを理由に断った記憶」かもしれない。


Phrona:後者の方が面白いですよね。場所も人も全然違うのに、言い訳という概念で結びついている。まるで記憶が、状況の本質を見抜こうとしているみたい。


富良野:そこで重要になってくるのが、既存の心的カテゴリーなんでしょうね。言い訳とか迷信とか対立といった、すでに持っている概念の枠組みがあるときに、記憶は構造的なつながりを優先する。逆にそういうカテゴリーがないときは、表面的な手がかりに頼ると。


Phrona:つまり、私たちが持っている概念の豊かさが、記憶の質を左右するってことですか。興味深いのは、これが学習の仕組みにも関わってくるところですね。


教育現場での応用可能性


富良野:そう、研究の実用的な示唆として教育が挙げられてますよね。数学の例で言うと、パン屋の顧客の問題と スポーツイベントの問題が、実は同じタイプの計算を必要とするのに、文脈が違うから学生が気づけない。


Phrona:それって学習者の側に、その問題を分類する心的カテゴリーがまだ形成されてないからなんでしょうね。表面的には全然違うから、同じ種類の問題だって認識できない。


富良野:だとすると、教える側は単に解法を教えるだけじゃなくて、問題を分類する枠組み自体を教える必要があるってことになりますね。新しい心的カテゴリーの形成を促すような教授法。


Phrona:でもそれって、けっこう繊細な作業になりそう。概念的なつながりを見出せるようになるには、ある程度の抽象化能力が必要だし。学習者の認知的な発達段階も考慮しないといけないのかも。


富良野:研究者たちがADAPTERモデルって名前をつけてますが、これは「できるだけ深いレベルでの対象符号化と検索」という意味らしい。記憶は可能な限り深い理解を目指そうとするってことですね。


Phrona:面白いですね、記憶にそんな志向性があるなんて。でも考えてみると、表面的な手がかりだけに頼ってたら、新しい状況に対処できないですもんね。


記憶の階層性と理解の深さ


富良野:この研究で言う構造的類似って、一種の抽象化なんですよね。具体的な文脈から離れて、より一般的なパターンを見出す。それが深い理解につながると。


Phrona:抽象化って言葉を聞くと、なんだか冷たい感じがしちゃいますけど、実際にはすごく人間的な営みなのかもしれませんね。私たちって、ばらばらに見える経験の中に共通のテーマを見つけようとする生き物じゃないですか。


富良野:そうですね。物語を紡ぐとか、意味を見出すとか、そういう根本的な欲求と関わってる気がします。記憶がただの倉庫じゃなくて、意味生成の装置として機能している。


Phrona:それで思ったんですが、この研究の意味って、単に効率的な学習法を見つけることを超えてるんじゃないでしょうか。私たちがどうやって世界を理解しているのか、その根本的なメカニズムを明らかにしてる。


富良野:たしかに。50年間の研究を分析して一貫したパターンを見つけたっていうのも興味深い。記憶研究の分野で長年議論されてきた論争に、ひとつの答えを提示したわけですから。


Phrona:でも同時に、新しい疑問も浮かんできますよね。じゃあその心的カテゴリーって、どうやって形成されるのか。文化や言語によって違いがあるのか。


深い学びへの道筋


富良野:研究の教育的示唆を考えると、知識の転移を促進するためには、学習者が新しい心的カテゴリーを形成できるような教授法が必要だってことになりますね。具体例から概念を抽出する力を育てる。


Phrona:でもそれって、教師の側にもかなり高度な理解が求められそう。生徒がどんな心的カテゴリーを持ってるのか、新しい概念をどうやって既存の知識と結びつけるのか、そういうことを考えながら教えないといけない。


富良野:研究では発達的な軌道についても言及してましたね。構造に基づく検索がどのように発達するのか。これは教育心理学の分野でも重要な知見になりそうです。


Phrona:そうそう、私が気になったのは、このプロセスって意識的にコントロールできるものなのかっていうこと。私たちが自分の記憶の働き方を理解して、より効果的に学習に活用できるようになるのかしら。


富良野:メタ認知的な視点ですね。自分がどんな心的カテゴリーを持っているのか、どんな類似性に注目しがちなのか、そういうことを意識化できれば学習効果も上がりそう。


Phrona:でも一方で、あまり意識しすぎると自然な記憶の働きを阻害してしまうかもしれないし、その辺りのバランスは微妙そうですね。




ポイント整理


  • 記憶は戦略的に情報を選択している

    • 表面的類似(同じ場所、同じ人)と構造的類似(似たような意図や行動パターン)を使い分けて過去の経験を呼び出す

  • 心的カテゴリーの有無が決定要因

    • 既存の概念的枠組み(言い訳、迷信、対立など)がある場合は構造的つながりを優先し、ない場合は表面的手がかりに依存する

  • ADAPTERモデルの提唱

    • 記憶は可能な限り深いレベルでの理解を目指すという新しい心理学的モデルが提示された

  • 教育への実用的示唆

    • 知識転移を促進するには、新しい心的カテゴリーの形成を促す教授法が重要で、単なる解法の暗記を超えた概念的理解が必要

  • 50年間の研究論争に決着

    • 過去半世紀にわたって議論されてきた「記憶は表面的手がかりと構造的手がかりのどちらを優先するか」という問題に統一的な説明を提供

  • 抽象化能力と深い理解の関係

    • 構造的類似の認識は高次の抽象化を伴い、これが深い理解と学習の転移を可能にする

  • 発達的軌道の重要性

    • 構造に基づく記憶検索がどのように発達するかを理解することで、年齢に応じた効果的な教育介入が可能になる



キーワード解説


【類推的検索(Analogical Retrieval)】

過去の経験から現在の状況に関連する記憶を呼び出すプロセス


【表面的類似(Surface Similarities)】

同じ場所、人物、物理的特徴など、具体的で感覚的な共通点


【構造的類似(Structural Similarities)】

行動パターン、意図、問題の構造など、抽象的で概念的な共通点


【心的カテゴリー(Mental Categories)】

既存の概念的枠組みや分類システム


ADAPTERモデル】

記憶符号化と検索における概念駆動型のプロセスを説明する理論モデル


【知識転移(Knowledge Transfer)】

ある文脈で学んだ知識を別の文脈で適用する能力


【メタレビュー】

複数の研究結果を統合的に分析する研究手法



本稿は近日中にnoteにも掲載予定です。
ご関心を持っていただけましたら、note上でご感想などお聞かせいただけると幸いです。
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