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読書は死なずに生まれ変わる――AIと共に歩む知の新しい地図

更新日:6月30日

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シリーズ: 知新察来


◆今回のピックアップ記事:"What's Happening to Reading?"
  • 出典: The New Yorker(2025年6月17日)

  • 筆者: Joshua Rothman


静かなカフェで本のページをめくる。そんな当たり前の風景が、実は歴史的に見ればとても新しい営みだったということを、私たちは忘れがちです。印刷技術の発明からおよそ500年、人類は「本を読む」という行為を文明の中心に据えてきました。しかし今、スマートフォンの画面を滑らせ、ポッドキャストを聞きながら歩き、AIチャットボットと対話する私たちの日常は、その長い読書文化に静かな変革をもたらしています。


一年に一冊以上読む米国成人の割合は、2012年の55%から2023年には48%へ。13歳が「ほぼ毎日」楽しみで読む割合は同期間に27%から14%へと半減しました。大学教授たちは「長文を読むのが苦手な学生が増えた」と嘆きます。これは単なる世代の変化なのでしょうか、それとも人類の知の在り方そのものが変わろうとしているのでしょうか。


富良野とPhronaの対話を通じて、読書の未来について考えてみたいと思います。



富良野:この記事を読むと、読書離れって言われるけど本当にそれは悪いことなのか、って考えさせられますね。


Phrona:ああ、私も同じことを考えていました。記事の中で「粘度の高いモラセスの中を泳ぐようなもの」って表現があったでしょう。小説の冒頭を詳しく読解することを指してるんですけど、なんだかそれって、読書を苦行みたいに捉えてませんか?


富良野:そうそう。でも実際、僕らが若い頃に「これが教養だ」と思って読んでいた本の多くも、正直言えば退屈だったりしたわけで。今の人たちがNetflixの『Stranger Things』を選ぶのも、ある意味自然な流れかもしれません。


Phrona:面白いのは、記事が「グーテンベルク・パレンテシス」という概念を紹介していることですね。印刷時代に始まった文化構造が、インターネットで一度閉じられた括弧になったって。つまり、私たちは本を読む代わりにコメント欄で議論したり、ポッドキャストで語り合ったりしている。


富良野:その発想は興味深いですね。ジョー・ローガンのポッドキャストを「古代ギリシャの焚き火を囲む知識交換」と類比する視点もあるらしいです。つまり、人類はもともと口承文化だったのが、印刷技術で一時的に「読む文化」になって、今またデジタル時代の口承文化に戻りつつある、と。


Phrona:でも富良野さん、今はもうそれも過去になりつつあるって記事は言ってますよね。「ザッカーバーグ・パレンテシス」の時代だって。フェイスブック中心の議論の場を経て、今度はAIが対話相手として登場している。


富良野:そこが一番気になるところです。AIは確かに「読む機械」として驚異的な能力を発揮する。大量のテキストを瞬時に処理して、接続や比較、洞察を引き出してくれる。でも、果たしてそれは「読書」と呼べるのでしょうか。


Phrona:記事に出てくる経済学者のタイラー・コーエンという人、今や「AIのために書く」と宣言してるんですって。自分の幼児期の詳細までブログに記録して、将来のAIが自分の伝記を生成できるように素材を提供してるって。これ、すごく未来的だけど、同時にちょっと寂しくもありませんか?


富良野:なるほど。人間の読者ではなく、AIに読まれることを前提とした文章か。でも考えてみれば、僕らだって難解な古典をチャットボットに平易に再表現してもらいながら読むことが増えています。読書と編集の境界が溶けてる、って記事の表現は的確ですね。


Phrona:そうなんです。でも私が気になるのは、そうやって要約や再構成が当たり前になったとき、「原典に直接触れる」という体験の価値がどう変わるかということ。記事では、エレナ・フェッランテの小説みたいに、長さや難度自体が意義である作品は要約では味わえないって指摘してます。


富良野:確かに。十数年内には、多くの人がまず短縮版を読んで、必要なら原典に進むという逆転が常態化するかもしれない。音楽でリミックスが主流化したみたいに、テキストも可変な素材になるって予測は興味深いです。


Phrona:でもそれって、原著を読む人が希少な存在になることを意味しますよね。彼らはそれゆえに洞察に富んだ経験を得る一方で、「教養=よく読んだこと」という社会的判断基準は揺らぐ。


富良野:そこが制度設計的に面白いところです。読書という行為の社会的価値が変わると、知識人のヒエラルキーも変わる。今まで「この古典を読んだことがあるか」で測られていた教養が、「この情報をどう使えるか」に重点が移るかもしれません。


Phrona:私は、文章が「完成された到達点」ではなく「次へとつながる媒介」に変わるっていう記事の指摘が印象的でした。読み手は文脈としてのテキストを手掛かりに行動へ進む。つまり、読書が静的な体験から動的な体験に変わるってことかもしれませんね。


富良野:なるほど。でも僕は、これを読書の「死」ではなく「生まれ変わり」として捉えたいんです。AIと人間が共同で再編集する時代っていうのは、むしろ創造的な可能性を秘めてるんじゃないでしょうか。


Phrona:そうですね。記事の最後で著者が「読者とAIが共同で再編集する時代が目前にある」って書いてるのも、悲観的というより、新しい知の形への期待を込めているように感じます。読書は終わらない、でも読まれ方と評価軸は根本的に書き換わりつつある、と。


富良野:ただ、感情や動機づけを持たないAIには、文化的伝承力は期待できません。人間だけが持つ「読書体験」の深みは、きっと残り続けるでしょうね。


Phrona:ええ。だからこそ、私たちは意識的に「原典を読む」という選択をしていく必要があるのかもしれません。それが希少価値を帯びるからこそ、より豊かな経験になる可能性もありますし。



ポイント整理


  • 読書の形が分散化・断片化する中、深い読書体験は珍しくなりつつあり、統計的にも読書量の減少が確認されている

  • 印刷技術によって成立した「グーテンベルク・パレンテシス」は終わりを迎え、デジタル時代の「セカンダリー・オラリティ(二次的口承文化)」を経て、現在は「ザッカーバーグ・パレンテシス」の時代に入っている

  • AIの登場により、テキストの読み方自体が変容し、「読む機械」としてのAIと人間の読書体験の違いが明確になりつつある

  • 今後、要約や再構成が当たり前になると、原典を読む人は希少な存在となり、「教養=よく読んだこと」という社会的判断基準が揺らぐ可能性がある

  • 文章は「完成された到達点」から「次へとつながる媒介」へと役割が変化し、読書が静的体験から動的体験へ転換する

  • 文化的・感情的価値を伴う人間の「読む体験」は、AIには代替できない固有の価値として残り続ける


キーワード解説


【グーテンベルク・パレンテシス】

印刷技術の発明から始まった出版中心の文化構造を指す概念


【ザッカーバーグ・パレンテシス】

ソーシャルメディア中心の情報交換の文化構造。出版中心から、AI対話の時代への移行期


【セカンダリー・オラリティ(二次的口承文化)】

デジタル時代における、口承文化への回帰現象


【読む機械】

大量のテキストを処理し、接続や比較、洞察を瞬時に引き出すAIの能力


【原典】

要約や再構成されていない、元の形のままのテキスト


【可変な素材】

リミックスや再構成が前提となった、流動的なテキストの概念


【動的読書体験】

静的な読書から、行動や創造につながる能動的な読書への転換


本稿は近日中にnoteにも掲載予定です。
ご関心を持っていただけましたら、note上でご感想などお聞かせいただけると幸いです。
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