「ムアンガか、ペラか?」 ──季節とともに変わる社会のかたち
- Seo Seungchul

- 8月2日
- 読了時間: 10分
更新日:8月11日

シリーズ: 知新察来
◆今回のピックアップ記事:Cecilia Padilla-Iglesias "How Societies Morph With the Seasons" (SAPIENS, 2025年6月17日)
私たちは「社会」というものを、あまりにも固定的なものとして捉えていないでしょうか。経済制度も政治システムも、一度決まったらそう簡単に変わらない。変わるとしたら革命や戦争のような大きな出来事を通してでしょう。
でも、中央アフリカの熱帯雨林で狩猟採集生活を営むバヤカ族に「どこに住んでいるの?」と聞くと、彼らはこう答えます。「ムアンガか、ペラか?」——つまり「乾季か、雨季か?」と。彼らにとって住む場所も、一緒に暮らす人も、リーダーも、死者を弔う方法さえも、季節によって変わります。
以前このブログでも取り上げた『万物の黎明』で、グレーバーとウェングローが指摘した「社会の季節的変化」が、まさにここにあります。実は人類史を振り返れば、こうした社会の流動性こそが私たちの種の特徴だったのかもしれません。むしろ「変わらない社会」の方が異常なのかも。一体なぜ私たちは、ひとつの社会制度に「固着」するようになったのでしょうか。そして現在の気候変動や格差拡大といった課題を前に、かつての柔軟性を取り戻すことはできるのでしょうか。
固定観念を揺さぶられた人類学者
Phrona: この記事の筆者は、「社会には固定的な型がある」って思い込みを最初は持っていたけれど、現場に行ってみたら全然違ったという話ですよね。バヤカ族の人たちに何を聞いても「ムアンガか、ペラか?」って返されちゃう。
富良野: 乾季か雨季かによって、住む場所、家族構成、リーダーシップ、お葬式の仕方まで変わる。これは確かに衝撃的だと思います。僕たちが当たり前だと思ってる「社会制度」って概念自体が、実はすごく狭い経験に基づいてるのかもしれません。
Phrona: 記事では「fission-fusion社会」という概念が出てきますが、これは集団が状況に応じて離合集散する社会システムのことですね。チンパンジーもこの形態を取るけれど、人間の場合は言語や文化によって、より柔軟で平等主義的な関係を築けるんだそうです。
富良野: へえ、言語があることで可能性が広がるんですね。でも逆に考えると、言語があるからこそ「これが正しい社会のあり方だ」みたいな固定観念も生まれやすいのかも。
Phrona: それは面白い視点ですね。確かに言語は柔軟性を生むと同時に、概念の檻も作り出すかもしれない。
人類学の「発展段階論」の罠
Phrona: 記事に出てくるエルマン・サービスの分類って、結構影響力があったんですね。バンド、部族、首長制、国家っていう四段階の。
富良野: 1960年代の理論ですが、今でもその影響は残ってる。「移動生活から定住へ」「平等から階層へ」「単純から複雑へ」という一方向的な進歩史観です。でもこれって、すごく西欧中心的な見方ですよね。
Phrona: まるで現代の国家システムが人類の到達点みたいな。考古学でも、遺跡に変化が見つかると「外部から先進的な民族がやってきて置き換わった」と解釈しがちだった。
富良野: でも実際は同じ人々が季節や状況に応じて生活スタイルを変えていただけかもしれない。それって、今の私たちにも当てはまりません?何か社会問題が起きると「新しい制度を導入しよう」「外国の成功例を真似しよう」って考えがちだけど、実は内側から変わる力があるのかも。
Phrona: なるほど、内在的な変化の可能性を見落としてる可能性はありますね。
世界各地の季節的社会変容
富良野: バヤカ族だけじゃなくて、世界各地で似たような現象があったというのが興味深いです。レヴィ=ストロースが報告したナンビクワラ族もそうでしたね。
Phrona: 雨季は大きな村で園芸をして、乾季は小グループに分かれて狩猟採集。しかもリーダーシップのスタイルまで変わるんですよね。乾季のリーダーは権威的で決断力があるけれど、雨季になると同じ人でも強制力を持たず、説得や世話を通してしか影響力を行使できない。
富良野: クワクワカワクゥという太平洋岸の先住民族の話も印象的でした。冬は厳格な階層社会なのに、夏になると柔軟な小グループに分散する。しかも冬の儀式のときは名前まで変えちゃうんですって。
Phrona: 名前を変えるって、アイデンティティレベルでの変容ですよね。それだけ季節的な社会変化が深いものだったということでしょう。私たちも実は似たようなことをしてるかもしれません。会社員としての顔と家族での顔、友人同士での顔って、けっこう違いますよね。
富良野: 確かに。個人レベルでは役割を使い分けてるけれど、社会システム自体は固定的なまま。そこに何かヒントがありそうです。
格差の固定化という現代の問題
Phrona: 記事で触れられてるトランプ大統領の就任式の話、ちょっとゾッとしませんでした?3人の大富豪の資産が、アメリカの最貧困層1億6500万人の総資産を上回るって。
富良野:以前Phronaさんと話をした『万物の黎明』の著者のグレーバーとウェングローの問いかけが鋭いですね。「なぜ私たちはひとつのモードに固着してしまったのか?」って。
Phrona: 季節的に社会秩序が逆転する狩猟採集社会とは対照的に、現代社会は格差が一方向に拡大し続ける。
富良野: リセット機能がないんですよね。昔の社会には自然にビルトインされていた平等化メカニズムが、今はない。多くの学者は農業の開始が格差を「固定化」したと考えてますが、記事はそれに疑問を投げかけている。
Phrona: 定住と余剰食料の蓄積が有産者と無産者を生み出すという論理は分かりやすいんですが、考古学的な証拠を見ると、もっと複雑な話みたいですね。
古代の「季節的モニュメント」が示すもの
富良野: 1万8000年前のマンモスの骨で作った円形住居の話は驚きました。これらは季節的な集合施設だったかもしれないと。
Phrona: ギョベクリ・テペも同じですよね。1万1000年前の巨大石造建築物なのに、常住の痕跡がない。農業が始まる前なのに、狩猟採集民が季節的に集まって何か壮大なものを作って、また散らばっていく。
富良野: これは従来の「階層社会じゃないと大建築は無理」という前提を覆してます。支配階級なしでも、一時的な協力で記念碑的な建造物を作れたかもしれない。『万物の黎明』でも、この種の季節的な大規模協力について詳しく論じられていましたよね。
Phrona: なんだかワクワクしません?お祭りのノリで巨大な建物を作っちゃう人たち。現代のフェスティバルで一時的に街ができるのと似てるかも。バーニングマンなんかもそうですね。
富良野: ある意味、古代の季節的集合の現代版かもしれません。そう考えると、人間の創造性って本来もっと流動的で実験的なものだったのかも。固定化された制度の中で発揮されるものじゃなくて。
現代に残る季節性の痕跡
富良野: 工業化社会でも季節的な変化の痕跡があるという指摘は面白いですね。クリスマスシーズンとか。
Phrona: 普段は個人主義が支配的なのに、12月になると急に寛容さや共同体意識が表に出てくる。一時的だけれど、社会秩序が変わるんですよね。ローマのサトゥルナリア祭、中世ヨーロッパのカーニバル、メーデーなんかも同じパターンです。
富良野: 階層が一時的に逆転して、普段とは違う社会生活を実験する。でも今はそういう「社会実験」の機会がどんどん減ってる気がします。クリスマスも商業化されちゃって、本当の意味での社会的逆転は起きにくい。
Phrona: そうですね。制度化された祝日はあっても、本当に権力関係が流動化するような機会は限られてる。これは大きな損失かもしれません。逆に言えば、意図的にそういう機会を作ることもできるってことですよね。
固着からの脱却—現代社会への示唆と新たな可能性
富良野: 記事の最後の問いかけが印象的です。「どんな社会秩序も必然ではない。権力や格差の構造も固定的なものではない」って。チンパンジーのコミュニティは今も昔も似たような組織なのに、人間社会は現代アメリカとバヤカ族みたいに全然違う形を取れる。
Phrona: それって本当にすごいことですよね。人間の政治的想像力の可能性ということでしょうね。『万物の黎明』でも強調されていた「人類は常に多様な社会形態を実験してきた」という視点が、ここでも重要です。
富良野: 問題は、その想像力を現実に移す柔軟性を、どうやって取り戻すかです。気候変動とか格差拡大とか、今の大きな問題に対処するためにも、この柔軟性が必要なのかもしれません。一つの制度にしがみつくんじゃなくて。
Phrona: 現代の社会の制度に「fission-fusion」的な要素を取り入れることってできないものでしょうか?例えば、現在の政党のあり方って、ある意味すごく伝統的というか硬直的ですよね。連立政権とか派閥とかはあるけれど、基本的に政党という「箱」自体は変わらない。でも、ブロックチェーン技術とかDAOとかで、もっと柔軟な組織運営ができるようになってきてるじゃないですか。
富良野: 分散自律組織ですね。面白い着眼点です。トークンエコノミクスを組み合わせれば、政策課題ごとに一時的な政治連合を作って、成果に応じて資源を再配分するとか、集団が状況に応じてより柔軟に離合集散できるような形が可能かもしれない。
Phrona: TCR...トークンキュレーテッドレジストリっていうんでしたっけ?あれを使えば、政策の質を市場メカニズムで評価できるかも。良い提案をした人には報酬、失敗した人にはペナルティ。
富良野: そうすると、固定的な政党に頼らずに、能力と状況に応じてリーダーシップが流動化する。まさに狩猟採集社会の季節性を、現代の情報技術で再現する感じですね。ただし、記事も指摘してるように、季節的変化にはセットパターンがあるわけじゃない。
Phrona: バヤカ族は乾季に大きな儀式をするけれど、ナンビクワラ族は雨季に。ガブラ族は月の満ち欠けに合わせる。つまり、「こうすれば社会が良くなる」みたいな万能の解はないってことですね。それぞれの文脈に応じて、実験していくしかない。
富良野: そう、実験する勇気と、失敗してもまた違うパターンを試せる柔軟性。それが人類の適応力の源泉だったのかもしれません。でも技術があっても、結局は人々がそういう流動性を受け入れられるかどうかですよね。安定性への欲求って、すごく強いから。
Phrona: そこが難しいところですが、逆に言えば現在の制度の行き詰まりが明らかになれば、人々も新しい可能性に目を向けるかもしれません。「ムアンガか、ペラか?」って問いかけを現代風にするなら...「今の制度のままでいくか、別のやり方を試すか?」って感じでしょうか。
富良野: 季節が変わるように、社会も変わっていい。むしろ変わらないことの方が不自然なのかもしれませんから。
ポイント整理
社会の流動性は人類の特徴
バヤカ族のように季節に応じて住居、リーダーシップ、儀式を変える社会は、人類史では標準的だった
発展段階論の限界
「バンド→部族→首長制→国家」という一方向的進歩史観は、人間社会の多様性と柔軟性を見落としている
環境適応としての季節性
社会構造の季節的変化は、環境条件に応じた最適化戦略として機能していた
古代の季節的協力
ギョベクリ・テペやマンモス骨住居などの巨大建造物は、階層社会ではなく季節的集合による可能性がある
現代社会の固着性
工業化社会では格差の固定化が進み、社会秩序の季節的逆転メカニズムが失われている
『万物の黎明』との連続性
グレーバー&ウェングローが提起した「社会実験の歴史としての人類史」を、現代の民族誌的事例で裏付ける内容
柔軟性と蓄積のバランス
現代技術を活用した流動性の回復も重要だが、知識・信頼・制度の蓄積とのバランス設計が課題
選択的変化の重要性
「何を変えて何を守るか」を見極める知恵が、持続可能な社会変革のカギ
キーワード解説
【Fission-fusion社会】
状況に応じて集団が離合集散する社会システム
【エルマン・サービスの分類】
バンド・部族・首長制・国家という社会発展段階論
【ムアンガ/ペラ】
バヤカ族の言葉で乾季/雨季、転じて社会の季節的変化を象徴
【季節的権力逆転】
一定期間だけ通常の階層や権力関係が変化する現象
【ギョベクリ・テペ】
トルコの1万1千年前の巨大石造遺跡、農業以前の狩猟採集民による建設
【DAO(分散自律組織)】
中央集権的な組織構造に依らない、分散型のガバナンスシステム
【TCR(トークンキュレーテッドレジストリ)】
トークンを使って情報の質を市場メカニズムで評価・管理する仕組み
【柔軟性と蓄積のジレンマ】
社会変化の柔軟性と知識・制度の安定的蓄積を両立させる課題