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「物語」という見えない支配者── なぜ私たちは事実よりストーリーを信じてしまうのか

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 シリーズ: 書架逍遥



  • 概要:脳科学と心理学の知見を活用し、なぜ人間は物語を必要とし、どのように効果的な物語を作れるかを解説した創作ガイド



SNSで拡散される感動話、政治家が語る国家のビジョン、企業が掲げるブランドストーリー。私たちの日常は、大小さまざまな「物語」で溢れています。でも、なぜ人間はデータや事実よりも、物語に心を動かされるのでしょうか。


脳科学者でありジャーナリストのウィル・ストーは、著書『The Science of Storytelling』で、物語への依存が人間の脳の根本的な仕組みに由来することを明らかにしました。私たちは文字通り「ストーリーテリング・アニマル」なのです。


今回は、ストーの科学的洞察を軸に、富良野とPhronaが物語の本質について語り合います。個人の認知から社会変革まで、物語がどのように私たちを動かし、時に支配するのか。そして、物語の時代をより賢く生きるための手がかりを探ります。




脳が物語を求める理由


富良野:最近読んだこのウィル・ストーの本、面白かったです。人間の脳は、本質的に物語を通じて世界を理解するようにできているって話なんですけど。


Phrona:ああ、興味深いですね。私たちって、ただの事実の羅列より、ストーリーになっていると記憶に残りやすいって実感があります。


富良野:ストーによると、僕たちが外の世界として経験しているものは、実は脳内で再構築された現実なんだそうです。つまり、脳は常に予測モデルを作って、それを物語として組み立てているんですね。


Phrona:なるほど、だから同じ出来事でも人によって見え方が違うんですね。でも、なぜ脳はわざわざ物語の形で現実を理解しようとするんでしょう?


富良野:それは、物語が因果関係を整理する最も効率的な方法だからです。脳は常に「なぜこうなったのか」「次に何が起きるか」を予測しようとしている。物語はその予測を助けるツールなんです。


Phrona:ああ、だから私たちは偶然の出来事にも意味を見出そうとしてしまうんですね。物語として理解したがる。


富良野:そうです。特に興味深いのは、脳が「変化」に異常に敏感だということ。ストーは、多くの物語が予期せぬ変化の瞬間から始まるのは、この脳の性質を利用しているからだと説明しています。


物語はどのように機能するのか


Phrona:富良野さん、そもそもストーリーとかナラティブとかプロットって、どう違うんですか?よく聞く言葉だけど、混同しちゃいます。


富良野:ストーの説明だと、ストーリーは一番大きな概念で、世界を理解するための包括的な枠組みなんです。単なる出来事の羅列じゃなくて、意味を持った全体像。


Phrona:じゃあプロットは?


富良野:プロットは、その中の出来事がどう配置され、どんな因果関係でつながっているかという構造的な側面です。ストーは五幕構成の重要性を強調していて、物事は特定の順序で起こる必要があると。


Phrona:なるほど、骨組みのようなものですね。じゃあナラティブは?


富良野:ナラティブは「どのように語るか」という技法です。同じストーリーでも、誰の視点から語るか、いつ情報を開示するかで、全く違う印象になりますよね。


Phrona:映画のリメイクなんかがいい例かもしれませんね。基本的なストーリーは同じでも、語り方で別物になる。


富良野:まさに。で、ストーが面白いのは、これらの区別を脳科学と結びつけている点です。物語は「二つの領域」で機能すると。


Phrona:二つの領域?


富良野:一つは「世界における行動の風景」、つまり実際に起きる出来事。もう一つは「主人公の思考と感情が展開される心の風景」です。優れた物語は、この両方に働きかけるんです。


Phrona:確かに、映画でもアクションだけじゃなくて、登場人物の内面が描かれないと薄っぺらく感じますもんね。


富良野:そうなんです。で、この「二つの領域」という考え方は、個人の物語だけじゃなくて、社会全体の物語にも当てはまるんです。


Phrona:どういうことですか?


富良野:例えば、社会変革の物語を考えてみてください。「行動の風景」は実際の政策や制度改革。でも、それだけでは人は動かない。「心の風景」、つまり人々の価値観や感情に訴える物語も必要なんです。


社会を動かす「部族のプロパガンダ」


Phrona:なるほど、個人の認知の仕組みが、そのまま社会レベルでも機能するってことですね。


富良野:まさにそうです。ストーは物語を「部族のプロパガンダ」と呼んでいます。ちょっと強い言葉ですが、的確だと思います。


Phrona:プロパガンダって、ちょっと強い言葉ですね。


富良野:でも的確だと思います。物語は集団のメンバーをコントロールし、グループに利益をもたらす方法で行動させる。これは個人の脳が物語を必要とするのと同じメカニズムなんです。


Phrona:つまり、個人が物語で現実を理解するように、集団も共有の物語でアイデンティティを形成するってこと?


富良野:その通りです。例えば、アメリカの公民権運動を見てください。キング牧師は、アメリカ建国の理念という既存の物語を再解釈して、人種平等という新しい章を加えた。


Phrona:既存の物語を使って変革を起こしたんですね。でも、物語が現実と乖離すると危険じゃないですか?


富良野:まさにそこが重要です。ストーは「聖なる欠陥」という概念を提示しています。これは、キャラクターが持つ根本的な信念や世界観の歪みのことで、物語の推進力となるものです。


Phrona:つまり、主人公の間違った思い込みとか、偏った価値観のことですか?


富良野:そうです。例えば「他人は信用できない」とか「成功だけが人生の価値」みたいな。この欠陥があるからこそ、主人公は困難に直面し、最終的にはその欠陥と向き合わざるを得なくなる。


Phrona:なるほど、それが個人レベルの話だとすると、社会レベルでも同じことが起きるんですね。啓蒙主義の「理性による無限の進歩」という信念も、聖なる欠陥で、環境破壊という現実に直面して、その欠陥が露呈したと捉えられそうですね。


大きな物語から小さな物語へ


富良野:その点で、リオタールの「大きな物語の終焉」という議論は示唆的です。


Phrona:大きな物語って、人類の進歩とか、歴史の必然的発展とか、世界全体を一つの視点で説明しようとする壮大な物語のことですよね。


富良野:ええ。二度の世界大戦や環境破壊など、大きな物語では説明できない現実に直面して、人々はもはやそれらを信じられなくなった。


Phrona:それで個別の文化や日常に根ざした「小さな物語」の時代になったと。でも、ストーの理論だと人間は物語なしには生きられないんですよね?


富良野:そこが興味深いところです。ストーの視点から見ると、大きな物語の崩壊は、脳にとって巨大な「予期せぬ変化」なんです。


Phrona:ああ、それで脳は新しい予測モデル、つまり新しい物語を必死に探している状態なのか。


富良野:そうです。で、ストーが言うには、好奇心は答えが全く分からない時と、完全に確信している時に最も弱い。つまり、不確実性の中で、人々は単純明快な物語に飛びつきやすくなる。


Phrona:だから陰謀論とか、極端な思想が広まりやすいんですね。複雑な現実より、分かりやすい悪役がいる物語の方が受け入れやすい。


物語の科学が教えること


富良野:ハラリも似たことを言っていますよね。人類が大規模な協働を可能にしたのは、虚構を共有する能力だって。


Phrona:国家とか貨幣とか、実体はないけど皆が信じることで機能する。これもストーの言う「部族のプロパガンダ」の一種ですね。


富良野:ただ、ストーが他の思想家と違うのは、これを脳科学的に説明している点です。物語への依存は、善悪の問題じゃなくて、人間の認知システムの特性なんです。


Phrona:だからこそ、物語の仕組みを理解することが重要になるんですね。物語に支配されるんじゃなくて、意識的に活用できるようになる。


富良野:ストーはそれを「物語の科学」と呼んでいます。どんな要素が人の心を動かすのか、なぜある物語は広まり、別の物語は忘れられるのか。


Phrona:具体的にはどんな要素があるんですか?


富良野:まず先ほど話した「聖なる欠陥」が、物語の核心になるんです。


Phrona:完璧な主人公より、そういう欠陥を持つキャラクターの方が共感を呼ぶってことですか?


富良野:その通りです。なぜなら、私たちも皆、何かしらの偏った信念を持っているから。主人公がその欠陥ゆえに困難に直面し、最終的にそれと向き合う過程が、読者を引き込むんです。


Phrona:なるほど。他にはどんな要素が?


富良野:ストーは「好奇心のギャップ」について興味深いことを言っています。情報を小出しにして、読者の知りたい欲求を刺激する。でも面白いのは、好奇心は答えが全く分からない時と、完全に分かっている時に最も弱いんです。


Phrona:じゃあ、ちょうど半分くらい分かっている時が一番気になるってこと?


富良野:まさにその通り。だから優れた物語は、情報の開示を巧みにコントロールします。全部説明しちゃダメだし、何も分からないのもダメ。


Phrona:あと、感覚的な詳細も重要じゃないですか?


富良野:鋭いですね。ストーは、脳が世界を再構築する際に感覚情報を使うことを指摘しています。だから具体的で感覚的な描写があると、読者の脳内でより鮮明に物語が再現される。


Phrona:それで記憶に残りやすくなるんですね。でも、なぜある物語は社会全体に広まって、別の物語は消えていくんでしょう?


富良野:ストーによれば、広まる物語には共通点があります。まず、既存の信念や価値観と適度に合致しつつ、新しい視点も提供すること。完全に新しすぎると受け入れられないし、まったく新しくないと興味を持たれない。


Phrona:バランスが大事なんですね。


富良野:それと、物語が「部族のプロパガンダ」として機能するためには、集団のアイデンティティや利益と結びつく必要があります。自分たちは誰で、何を大切にし、誰と戦っているのか。そういう要素を含む物語は強力に広まります。


Phrona:現代のSNS時代には特に重要ですね。誰もが物語の発信者になれる一方で、フェイクニュースも簡単に拡散する。


富良野:そうなんです。だから僕たちに必要なのは、物語を完全に排除することじゃなくて、より良い物語を選び、創造する能力なんです。


Phrona:複雑な現実を単純化しすぎず、でも理解可能な形で伝える。多様な視点を含みながら、分断ではなく対話を生む物語。


富良野:簡単じゃないけど、それが「ストーリーテリング・アニマル」として生きる僕たちの課題なんでしょうね。




ポイント整理


  • 人間の脳は外界の情報を「物語」として再構築することで現実を理解しており、これは因果関係を整理し、未来を予測するための認知システムの基本的な機能である

  • 脳は特に「変化」に敏感であり、多くの効果的な物語が「予期せぬ変化の瞬間」から始まるのは、この脳の性質を利用している

  • 物語は個人の認知レベルだけでなく、「部族のプロパガンダ」として集団のアイデンティティ形成や行動制御にも機能する

  • リオタールの指摘する「大きな物語の終焉」は、普遍的な物語への信頼が失われ、多様な「小さな物語」が並立する時代への移行を意味するが、人間の物語への依存自体は変わらない

  • 不確実性が高まると、人々は複雑な現実よりも単純明快な物語(陰謀論など)に惹かれやすくなる。これは「好奇心は答えが全く分からない時と完全に確信している時に最も弱い」という脳の性質による

  • 現代において重要なのは、物語の仕組みを科学的に理解し、物語に支配されるのではなく意識的に活用する「物語リテラシー」を身につけることである



キーワード解説


【ストーリーテリング・アニマル】

物語を通じて世界を理解する人間の本質的特性


【予測モデル】

脳が外界の情報から構築する、現実を理解するための物語的枠組み


【聖なる欠陥】

キャラクターや集団が深く信じている間違った信念や世界観で、物語の推進力となるもの


【二つの領域】

物語が機能する「行動の風景」と「心の風景」


【部族のプロパガンダ】

集団の行動を制御し、アイデンティティを形成する共有物語


【大きな物語】

近代社会が普遍的視点で歴史や社会を説明しようとした統一的物語


【小さな物語】

個別の文化や日常経験に根ざした多様で分散的な物語群



本稿は近日中にnoteにも掲載予定です。
ご関心を持っていただけましたら、note上でご感想などお聞かせいただけると幸いです。
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