個人の野心が国を飲み込もうとした時 ──19世紀アメリカ人冒険家の中米征服という狂気
- Seo Seungchul

- 8月9日
- 読了時間: 10分

シリーズ: 書架逍遥
◆今回の書籍:Scott Martelle 『William Walker's Wars: How One Man's Private American Army Tried to Conquer Mexico, Nicaragua, and Honduras』 (2018年)
概要: 19世紀アメリカ人冒険家ウィリアム・ウォーカーの生涯を描いた歴史的伝記。医師から転身し、私設軍隊を率いて中米諸国の征服を試み、実際にニカラグア大統領となった人物の野心と挫折を詳細に追う。
医師、弁護士、ジャーナリスト。これらの肩書きを持つ男が、なぜ私設軍隊を率いて中米諸国の征服に乗り出したのでしょうか。しかも実際に、ニカラグアの大統領になってしまったというのです。
19世紀半ばのアメリカで起きたこの信じがたい実話は、個人の野心と時代の思潮が合流した時、どれほど危険な結果を生み出すかを物語っています。スコット・マルテルの『William Walker's Wars』は、ウィリアム・ウォーカーという一人の男の生涯を通じて、アメリカ帝国主義の原型とその暗黒面を鮮やかに描き出しています。
富良野とPhronaが、この驚くべき歴史の一幕について語り合います。マニフェスト・デスティニー、フィリバスタリング、人種的優越主義。これらの概念がどのように一人の男を狂気の征服へと駆り立てたのか。そして、この150年以上前の出来事が、なぜ現代の私たちにとって重要な警告となるのか。二人の対話を通じて、歴史の教訓を紐解いていきましょう。
エリート青年の転落、あるいは政治的山師の誕生
富良野:この本を読んで、まず驚いたのは主人公ウォーカーの経歴なんです。14歳でナッシュビル大学を首席卒業、19歳までにヨーロッパの名門大学で医学を学んだ秀才。それがなぜ、私設軍隊を率いて他国を征服しようなんて考えたのか。
Phrona:愛する人の死が転機だったみたいですね。エレン・マーティンという聴覚障害のある女性と深い愛で結ばれていたのに、彼女が24歳で亡くなってしまった。その喪失感が、彼を冒険主義へと駆り立てたって。
富良野:でも、もしかすると彼には元々、政治的山師の気質があったのかもしれません。エリートなのに反エスタブリッシュメントを装い、壮大なビジョンで人々を熱狂させる。現代にもそういう政治家、いますよね。
Phrona:ああ、確かに。高学歴で既存のエリート層と繋がりがあるのに、アウトサイダーとして振る舞う。そして既存の不満や恐怖を煽り立てて支持を集める。
富良野:個人的な悲劇が、なぜ他国征服という方向に向かうのか。そこには当時のアメリカ社会の空気も関係していそうですが、同時に彼の山師的性格も大きかったのかも。
Phrona:マニフェスト・デスティニーですよね。アメリカ白人には大陸を支配する明白な運命があるという思想。でも、これって本当に過去の話なんでしょうか。
富良野:確かに、形は変わっても、自分たちの価値観や制度を普遍的なものとして他国に広めようとする衝動は、今も続いているかもしれない。民主主義の輸出とか、人道的介入とか、言葉は変わっても根っこは同じかも。
Phrona:そう考えると、ウォーカーの時代と現代の違いって、露骨さの程度だけなのかもしれませんね。
富良野:しかも南部出身の彼にとって、それは奴隷制の拡張とも結びついていた。新たな土地を征服すれば、そこに奴隷制プランテーションを作れる。個人の野心と時代の欲望が、危険な形で合流したわけです。
フィリバスタリングという現象
Phrona:フィリバスタリングって言葉、初めて聞きました。私設軍事遠征って意味なんですね。国家じゃなくて個人が軍隊を組織して他国を侵略するなんて、今では考えられない。
富良野:いや、実は形を変えて続いているかもしれませんよ。20世紀のピッグス湾侵攻だって、表向きは亡命キューバ人の自主的な行動ということになっていた。民間軍事会社の活動も、構造的には似ている面がある。
Phrona:そういえば、日本の大陸進出でも似たような手法が使われていましたよね。大陸浪人とか。
富良野:まさに!玄洋社や黒龍会のメンバーが民間人として大陸で工作活動をしていた。中には馬賊の頭目になった日本人もいた。表向きは個人の冒険だけど、実際は国家戦略の一部。
Phrona:つまり、フィリバスタリングは19世紀アメリカ特有の現象じゃなくて、帝国主義的拡張の普遍的な手法の一つということですか。
富良野:そうなんです。政府の直接的な責任を回避できる。失敗したら個人の勝手な行動として切り捨てられるし、成功したら後から正当化できる。否認可能性っていうやつです。
Phrona:ジャーナリスト出身でメディアの使い方も心得ていた。失敗しても自分の責任と認めず、常に国務省や北部の奴隷制廃止論者のせいにしていたって書いてありますね。
富良野:そう、典型的な政治的山師のパターンです。メディアを巧みに利用し、失敗は全て外部要因のせい。そして一度権力を味わうと執着して、何度でも復活を試みる。
Phrona:ニカラグア大統領になった後も2回侵攻を試みたんですよね。その執念は、権力への病的な執着というか。
富良野:しかも彼が掲げた「中央アメリカのアメリカ化」という漠然としたビジョン。具体的な政策というより、理想化された未来像で人々を煽動する。これも山師の常套手段です。
ニカラグア大統領への道
Phrona:でも、個人が他国の大統領になるって、どうやって可能だったんですか。
富良野:これがまた時代の産物なんです。当時のニカラグアは独立から30年以上経っても政治的に不安定で、保守派と自由派の内戦が続いていた。そこに目をつけたウォーカーは、自由派に軍事支援を申し出て介入したんです。
Phrona:内戦に乗じて権力を掴む。これも普遍的なパターンですね。
富良野:そうです。しかも彼は軍事的才能があった。わずか170人の部隊で正統派の拠点グラナダを奇襲占領し、事実上ニカラグア全土を支配下に置いた。そして傀儡大統領を立てた後、偽装選挙で自ら大統領に就任した。
Phrona:満州国の建国過程を思い出します。傀儡政権を立てて、現地の要請があったかのように見せかける。
富良野:驚くことに、アメリカのピアース大統領はウォーカー政権を正式に承認したんです。民主党も支持を表明した。つまり、アメリカの公式な後ろ盾を得てしまったわけです。
文化的傲慢さの極致
Phrona:大統領になったウォーカーは、どんな政策を進めたんでしょう。
富良野:ここが恐ろしいところなんですが、彼は徹底的なアメリカ化政策を推進した。英語を公用語にし、アメリカ式の法制度を導入し、そして奴隷制を合法化した。
Phrona:ニカラグアはもともと奴隷制を禁止していたのに。
富良野:そうです。彼は著書の中で、黒人奴隷を使って白人が土地に定着し、混血種の力を破壊すると書いている。混血種こそがこの国の害毒だと。
Phrona:文明化の使命という名の文化的破壊。日本の同化政策もそうでしたし、現代でも開発という名で似たようなことが。
富良野:しかもそれを善意だと信じている。この独善性は、現地住民の強い反発を招き、結局は彼の失墜につながります。歴史は繰り返すというか、支配者は同じ過ちを繰り返すんですね。
経済利益との衝突
Phrona:でも、アメリカの支持があったのに、なぜ失敗したんでしょう。
富良野:決定的だったのは、コーネリアス・ヴァンダービルトを敵に回したことです。当時、ニカラグアを通る輸送ルートは莫大な利益を生んでいて、それをヴァンダービルトの会社が支配していた。
Phrona:あの鉄道王のヴァンダービルトですか。
富良野:そうです。ウォーカーは彼の会社の資産を没収して、別の実業家に譲渡してしまった。激怒したヴァンダービルトは、中米諸国に武器と資金を提供して、ウォーカー打倒の連合軍を支援したんです。
Phrona:個人の野心が、より大きな経済利益とぶつかった時、どちらが勝つかは明白ですね。
富良野:これって現代にも通じる話だと思いませんか。政治権力と経済権力の複雑な関係。時に協力し、時に対立する。多国籍企業の利益が国家の政策を左右することも。
孤立と敗北
Phrona:中米諸国も黙っていなかったでしょうね。
富良野:コスタリカ、グアテマラ、ホンジュラス、エルサルバドルが連合軍を結成しました。彼らはウォーカーが中米全体を征服しようとしていると恐れた。実際、その通りだったかもしれません。
Phrona:小国が団結して大国の侵略に対抗する。これも歴史で繰り返されるパターンですね。
富良野:1857年5月、ウォーカーはアメリカ海軍に降伏しました。わずか10ヶ月の大統領職でした。でも彼は諦めなかった。その後も2回、中米侵攻を試みています。
Phrona:執念というか、もはや妄執ですね。なぜそこまで。
富良野:おそらく、一度味わった権力の魅力から逃れられなかったんでしょう。それに、自分の使命を信じ続けていた。最後はホンジュラスで捕らえられ、36歳で銃殺刑に処されました。
歴史の教訓は活かされているか
Phrona:この物語から、私たちは何を学べるでしょうか。
富良野:まず、文化的優越感の危険性ですね。自分たちの価値観を絶対視して、他者に押し付ける。それがどれほど破壊的か。でも、これって本当に過去の教訓として活かされているでしょうか。
Phrona:形を変えて続いている気がします。開発援助、民主化支援、人道的介入。言葉は美しくなったけど、構造は同じかもしれない。
富良野:そうですね。善意の仮面をかぶった支配欲求。ウォーカーも最初は、アパッチ族から国境を守るための植民地建設だと言っていました。大義名分は常に用意される。
Phrona:もう一つ気になるのは、民間を装った国家の拡張政策という手法が、実は普遍的だということ。
富良野:フィリバスタリング、大陸浪人、民間軍事会社。時代と地域を超えて、同じパターンが繰り返される。国家は直接手を汚さず、失敗したら個人の責任にできる。
Phrona:でも一番恐ろしいのは、個人の野心が時代の空気と結びついた時の破壊力かもしれません。
富良野:一人の人間の妄想が、適切な条件さえ揃えば、国家規模の悲劇を引き起こす。それを防ぐには、歴史のパターンを認識し、同じ過ちを繰り返さない知恵が必要なんでしょうね。でも、人類はその知恵を本当に身につけているのか。それが問題です。
ポイント整理
ウィリアム・ウォーカーは高い教育を受けたエリートだったが、政治的山師の気質を持ち、個人的悲劇とマニフェスト・デスティニーの思想により中米征服という野心を抱いた
エリートでありながら反エスタブリッシュメントを装い、メディアを巧みに利用し、壮大なビジョンで支持者を熱狂させる手法は、現代の政治的ポピュリストとも共通する
19世紀アメリカのフィリバスタリング(私設軍事遠征)は、実は帝国主義的拡張の普遍的手法の一つで、20世紀のピッグス湾侵攻や日本の大陸浪人などとも構造的に類似している
民間を装った侵略は「否認可能性」を確保でき、失敗すれば個人の責任、成功すれば国家が追認するという都合の良いシステム
ウォーカーの統治は文化的傲慢さと人種的優越主義に基づき、徹底的なアメリカ化政策と奴隷制導入を推進した
経済的巨人ヴァンダービルトを敵に回したことと、中米諸国の連合軍結成により、ウォーカーの野望は挫折した
この歴史は、個人の野心と時代思潮の危険な結合、文化的優越感の破壊性、「文明化の使命」という名の支配欲求、そして政治的山師の危険性など、現代にも形を変えて続く問題を浮き彫りにしている
キーワード解説
【フィリバスタリング】
19世紀アメリカで行われた私設軍事遠征。現代の民間軍事会社や秘密工作の原型
【マニフェスト・デスティニー】
アメリカの領土拡張を正当化した「明白な運命」思想。現代の「民主主義の輸出」にも通じる
【大陸浪人】
日本の大陸進出で活動した民間人工作員。フィリバスタリングの日本版
【否認可能性】
国家が関与を否定できる余地を残す工作手法
【アクセサリー・トランジット・カンパニー】
ヴァンダービルトが支配したニカラグア経由の輸送会社