ブロックチェーンが描く新しい社会の可能性── ヴィタリク・ブテリンの思想を読み解く
- Seo Seungchul

- 7月30日
- 読了時間: 14分

シリーズ: 書架逍遥
◆今回の書籍:Vitalik Buterin 『Proof of Stake: The Making of Ethereum and the Philosophy of Blockchains』 (2022年)
概要:Ethereum創設者による2014年から2022年までのエッセイ集。技術論文から社会哲学まで、ブロックチェーンが社会に与える影響について多角的に論じた思想書
19歳で革命的なアイデアを世に送り出したヴィタリク・ブテリン。彼が提示したEthereumという構想は、単なる暗号通貨を超えて、私たちの社会システム全体を根本から変える可能性を秘めています。
でも、「技術的な話って難しそう」、「プルーフ・オブ・ワークとかスマートコントラクトとか、専門用語ばかりで何だかよく分からない」、そんな印象を持っている方も多いのではないでしょうか。
実は、ヴィタリクが考えていることの核心は、もっとシンプルな問いなんです。「どうすれば、もっと公正で透明な社会を作れるだろうか?」「一部の権力者に頼らずに、みんなで物事を決められないだろうか?」そんな、私たちが日々感じている社会への疑問から始まっているのです。
彼の著書『Proof of Stake: The Making of Ethereum and the Philosophy of Blockchains』には、技術者としての視点だけでなく、哲学者、経済学者、そして社会改革者としての深い洞察が込められています。今回は、この本に収録されたエッセイから見えてくる、ヴィタリクの思想の変遷と、そこから浮かび上がる新しい社会の可能性について、二人の対話を通じて考えてみたいと思います。
19歳の青年が描いた未来図
Phrona:私が面白いなって思うのは、ヴィタリクが技術的な可能性を語る時でも、常に「人間同士の関係性」みたいなものを意識しているところなんです。スマートコントラクトって言葉も、結局は「信頼」の問題を技術で解決しようっていう話じゃないですか。
富良野:なるほど。従来の契約って、結局は人間が解釈して、人間が執行するから、そこに恣意性とか不透明さが入り込む余地があった。それをコードで自動化することで、透明性と信頼性を担保するっていう発想ですね。
Phrona:でも、コードで自動化するって言っても、そのコード自体を書くのは人間なわけで。ヴィタリクも後の章で、この辺りの複雑さについて深く考察していますよね。完全に人間を排除できるわけじゃない。
富良野:そこが面白いところで、彼は技術万能主義者じゃないんですよね。技術の限界も含めて、現実的に考えている。分散型自律組織、いわゆるDAOの概念なんかも、単純に「コードがすべてを決める」じゃなくて、参加者の投票による意思決定を重視している。
Phrona:そうそう。人間の判断を完全に排除するんじゃなくて、より多くの人が平等に参加できる仕組みを作ろうっていう。階層的な組織じゃなくて、フラットな関係性の中で物事を決めていく。これって、すごく民主的な発想だなって思うんです。
エネルギー問題という現実の壁
富良野:でも、理想と現実のギャップに直面したのが、プルーフ・オブ・ワークの時代だったんでしょうね。スケーラビリティの問題もそうですし、何より環境負荷の問題が深刻になってきた。
Phrona:この時期のエッセイを読んでいると、ヴィタリクの悩みが伝わってきます。理想的なシステムを作ったつもりなのに、実際に動かしてみると予想していなかった問題が次々と出てくる。特にエネルギー消費の問題は、環境意識の高い彼にとって大きなジレンマだったんじゃないでしょうか。
富良野:マイニングのためのコンピュータが大量の電力を消費するっていう構造的な問題ですね。これは単純に効率を上げれば解決するっていう話じゃなくて、システムの根本設計を変えないといけない。
Phrona:そこで出てきたのがプルーフ・オブ・ステークっていう新しい仕組みなわけですが、これって技術的な改良以上の意味があると思うんです。電力消費を99%削減したっていう数字も驚きですけど、参加の仕方自体が変わりますよね。
富良野:そうですね。プルーフ・オブ・ワークだと、高性能なコンピュータを大量に用意できる人が有利になる。でもプルーフ・オブ・ステークなら、持っているトークンの量に応じて参加できる。これは確かに、より多くの人に門戸を開く仕組みと言えるかもしれません。
Phrona:ただ、これはこれで「お金持ちが有利」っていう別の問題もあるわけで。完璧な解決策はないんだなって思います。でも、そういう限界も含めて、現実的な改善を積み重ねていこうっていう姿勢が、ヴィタリクらしいなって。
ゲーム理論が教えてくれること
富良野:この本で特に興味深かったのは、ゲーム理論的な分析なんですよ。個々の参加者が合理的に行動する中で、システム全体としてどう最適化するかっていう視点。これって、経済学や政治学の古典的な問題でもあるんですよね。
Phrona:「調整問題」っていう概念が出てきますけど、これって日常生活でも身近な話だと思うんです。みんなで何かを決めようとする時、個人の利益と全体の利益が必ずしも一致しない。
富良野:そうですね。囚人のジレンマの発展形みたいなものでしょうか。ブロックチェーンの文脈で言えば、ネットワークを攻撃した方が短期的には儲かるかもしれないけど、長期的にはネットワーク全体の価値を毀損してしまう。
Phrona:そこで面白いのが、経済的なインセンティブ設計だけじゃなくて、社会的な規範とか、人間の心理的な側面まで考慮に入れているところなんです。人って必ずしも完全に合理的じゃないし、感情的な要素も行動に影響する。
富良野:悪意ある攻撃者や共謀の分析なんかも、単純に技術的な脆弱性を指摘するだけじゃなくて、「なぜ人は悪意を持つのか」「どういう状況で協力するのか」っていう人間理解が前提になっている。
Phrona:51%攻撃とか長距離攻撃とか、専門的な用語が出てきますけど、要するに「多数派による少数派への圧迫」とか「過去の記録の改ざん」とか、政治や歴史の文脈でもよく知られた問題なんですよね。技術は違うけど、根本的な構造は同じ。
言論の自由という永遠の課題
富良野:「On Free Speech」っていうエッセイは、特に現代的な問題意識が強く表れていますね。TwitterやFacebookみたいな巨大プラットフォームが、実質的に言論空間を支配している状況への危機感。
Phrona:「クレディブル・ニュートラリティ」っていう概念が印象的でした。信頼できる中立性って日本語にすると、何だか硬い感じになっちゃいますけど、要するに「公正で透明なルールに基づいて運営される」っていうことですよね。
富良野:中央集権的なプラットフォームだと、運営会社の判断で検閲されたり、アカウントが停止されたりする。でもその判断基準が不透明だったり、一貫性がなかったりする。ヴィタリクは、そういう恣意性を排除したいんでしょうね。
Phrona:でも完全な中立性って実現可能なんでしょうか。コードを書く人も人間だし、どういうルールを設定するかは結局、価値判断の問題になりますよね。
富良野:そこが難しいところですね。彼も完璧な解決策があるとは言っていない。むしろ、より多くの利害関係者が意思決定プロセスに参加できるような仕組みを作ることで、偏りを最小化しようとしている。
Phrona:現実のソーシャルメディアを見ていると、フェイクニュースの問題とか、エコーチェンバー効果とか、言論の自由を守ることの難しさがよく分かります。技術的な解決策だけじゃなくて、社会全体のリテラシー向上も必要なのかなって。
予測市場が映し出す民主主義の姿
富良野:2020年のアメリカ大統領選挙を題材にした予測市場の分析も面白かったですね。ヴィタリク自身が実際に取引をしてみて、その経験を基に考察している。
Phrona:理論だけじゃなくて、実際にお金を賭けてみるっていうのが、いかにも彼らしいというか。予測市場って、単なるギャンブルじゃなくて、集合知を活用した情報収集システムっていう面があるんですよね。
富良野:従来の世論調査だと、回答者にとって嘘をつくコストが低い。でも予測市場なら、間違った予測をすれば実際にお金を失うから、より正直で慎重な判断をするはず、っていう理屈ですね。
Phrona:でも実際には、必ずしも世論調査より正確とは限らなかった。トランプ支持者の多くが、最後まで彼の勝利を信じていたっていう分析が興味深いです。情報の偏りとか、希望的観測とか、人間の認知バイアスは簡単には克服できない。
富良野:それでも、多様な情報源を統合して、より良い判断材料を提供するツールとしての可能性はあると思うんです。政策決定の現場で活用されれば、もう少し合理的な議論ができるかもしれない。
Phrona:ただ、何でもかんでも市場メカニズムで解決するっていう発想には、ちょっと注意が必要かもしれませんね。お金を持っている人の声が大きくなるっていうリスクもあります。
未来の都市は何を可能にするのか
富良野:本書の最後の方で語られている「クリプト都市」の構想は、かなり野心的ですよね。ブロックチェーン技術で都市全体を統治するっていう。
Phrona:エストニアのe-Residencyプログラムの話とか、既に現実的な実験が始まっているのが驚きです。デジタル住民票とか、オンラインでの行政手続きとか、想像していたより身近な話なのかもしれません。
富良野:透明な予算管理、市民参加型の意思決定、効率的な公共サービス。確かに魅力的なビジョンですが、現実の政治って、利害関係が複雑に絡み合っているじゃないですか。技術だけで解決できるのかなって疑問もあります。
Phrona:そうですね。でも、現在の民主主義制度だって完璧じゃないわけで。投票率の低下とか、既得権益の固定化とか、いろんな問題を抱えている。新しい仕組みを試してみる価値はあるんじゃないでしょうか。
富良野:二次投票とか流動民主主義とか、興味深いメカニズムが提案されていますね。従来の一人一票制とは違って、関心の強さや専門性を反映できるような工夫がされている。
Phrona:ただ、これも格差の問題は残りますよね。デジタルデバイドとか、ITリテラシーの差とか。技術に詳しい人だけが参加できるような仕組みになってしまったら、本末転倒です。
社会復旧という新しいセキュリティ
富良野:最新のエッセイで語られている社会復旧ウォレットの概念は、技術的にも社会的にも画期的だと思います。パスワードを忘れた時に、友人や信頼できる機関に助けてもらうっていう仕組み。
Phrona:「3人中5人の協力で鍵を復旧する」っていう具体例が分かりやすいですね。家族とか親しい友人とか、現実の人間関係を基盤にしたセキュリティシステム。これって、すごく人間的な発想だと思うんです。
富良野:従来の生体認証とか、中央機関による本人確認とは全く違うアプローチですね。AIの発達で生体認証も偽装される可能性があるっていう指摘も、現実味があります。
Phrona:デジタルアイデンティティの問題って、単なる技術的な課題じゃなくて、「自分とは何か」「他者とのつながりとは何か」っていう根本的な問いと関わってきますよね。ソウルバウンドトークンっていう概念も、面白い発想です。
富良野:学歴とか職歴とか、個人の属性や経験を、譲渡不可能なトークンとして記録するっていう。これがあれば、履歴書の詐称とかも防げるし、より公正な評価システムが作れるかもしれません。
Phrona:でも一方で、一度記録されたデジタル履歴は永続的に残ってしまうっていう怖さもありますよね。若い時の失敗とか、個人的な秘密とか、忘れられる権利はどうなるんだろうって。
技術と社会の間で
富良野:ヴィタリクの思想を全体として見ると、技術決定論でも技術懐疑論でもない、バランスの取れた視点が印象的ですね。技術の可能性を信じながらも、限界や副作用についてもしっかりと考察している。
Phrona:そうなんです。「技術があればすべて解決する」っていう楽観論でもないし、「技術は危険だから使わない方がいい」っていう悲観論でもない。現実的な改善を積み重ねながら、より良い社会を作っていこうっていう実用主義的な姿勢。
富良野:暗号経済学っていう新しい学問分野を作ったのも、そういう総合的なアプローチが必要だと考えたからでしょうね。暗号学、経済学、ゲーム理論、政治学、社会学、いろんな分野の知見を統合しないと、現実の問題は解決できない。
Phrona:それに、常に「なぜ人々が参加するのか」「どうすれば誠実に行動してもらえるのか」っていう人間理解が根底にありますよね。技術的に可能なことと、社会的に受け入れられることは違うっていう認識。
富良野:環境問題への配慮もそうですし、格差の拡大を防ぐための工夫もそう。単に効率的なシステムを作るだけじゃなくて、持続可能で包括的な社会の実現を目指している。
Phrona:でも同時に、完璧な解決策はないっていうことも受け入れている。トレードオフがあることを認めながら、それでも現状よりは良いものを作ろうとする。その謙虚さと積極性の両立が、すごく現代的だなって思います。
ポイント整理
技術革新と社会変革の一体性
ヴィタリクの思想の核心は、技術的イノベーションと社会制度の改革を切り離して考えることはできないという認識にある。Ethereumの開発過程で明らかになったのは、単に優れた技術を作るだけでは不十分で、それを支える経済システム、ガバナンス機構、社会的規範の全てが連携して初めて持続可能なエコシステムが構築されるということだった。
プルーフ・オブ・ステークの社会的意義
エネルギー消費を99%削減したプルーフ・オブ・ステークへの移行は、単なる技術的改良を超えた意味を持つ。これは環境負荷の軽減だけでなく、参加の門戸を広げ、富の集中を防ぐメカニズムとして機能する。高価なマイニング機器を必要とするプルーフ・オブ・ワークとは異なり、より民主的で包括的な参加を可能にするシステムとして設計されている。
ゲーム理論的アプローチの重要性
分散型システムの設計において、個人の合理的行動とシステム全体の最適化をどう両立させるかは最重要課題の一つである。ヴィタリクは、経済的インセンティブの設計だけでなく、社会的規範、心理的要因、文化的背景まで考慮した包括的なアプローチを提示している。これは従来の経済学の枠を超えた新しい学際的領域としての暗号経済学の基礎となっている。
言論の自由と中立性の実現
「クレディブル・ニュートラリティ」の概念は、現代のプラットフォーム社会における言論統制の問題に対する技術的解決策を提示している。中央集権的なプラットフォームによる恣意的な検閲を防ぎ、透明で公正なルールに基づく言論空間の構築を目指すものである。ただし、完全な中立性の実現は不可能であることも認識され、より多くの利害関係者の参加による偏りの最小化が現実的目標とされている。
予測市場による集合知の活用
2020年アメリカ大統領選挙での実体験を基にした予測市場分析は、従来の世論調査や専門家予測とは異なる情報収集メカニズムの可能性を示している。経済的インセンティブによって正確な予測を促すシステムは、政策決定や社会的合意形成において重要なツールとなり得る。ただし、認知バイアスや情報の偏りといった人間的要因は完全には克服できないことも明らかになっている。
クリプト都市構想の現実性
ブロックチェーン技術による都市統治は、もはや遠い未来の話ではない。エストニアのe-Residencyプログラムなど、実際の実験が既に始まっている。透明な予算管理、市民参加型意思決定、効率的公共サービス提供など、従来の政治制度では実現困難だった理想的統治システムの構築可能性が具体的に検討されている。
社会復旧メカニズムの革新性
パスワードや生体認証に代わる新しいセキュリティシステムとして提案されている社会復旧は、技術的セキュリティと人間的関係性を融合させた画期的なアプローチである。友人や信頼できる機関による鍵復旧システムは、より使いやすく、より安全で、より人間的なデジタルアイデンティティ管理を可能にする。
持続可能性と包括性の重視
ヴィタリクの思想の特徴は、技術的効率性の追求と社会的公正性の実現を両立させようとする点にある。環境負荷の軽減、経済格差の是正、デジタルデバイドの解消など、技術の発展が社会の分裂を促進するのではなく、より包括的で持続可能な社会の構築に貢献することを目指している。
キーワード解説
【スマートコントラクト】
コードによって自動実行される契約システム。人間の解釈や執行に依存せず、透明性と信頼性を向上
【プルーフ・オブ・ステーク】
エネルギー効率的な合意形成メカニズム。トークン保有量に応じた参加権により民主的運営を実現
【分散型自律組織(DAO)】
階層的構造に代わる透明なルールとスマートコントラクトによる組織運営システム
【暗号経済学】
暗号学・経済学・ゲーム理論を融合した新しい学際分野。分散型システムのインセンティブ設計を扱う
【クレディブル・ニュートラリティ】
特定の価値観に偏らない信頼できる中立性。透明で公正なプラットフォーム運営の理念
【社会復旧ウォレット】
友人や信頼機関による鍵復旧システム。従来の生体認証に代わる人間関係ベースのセキュリティ
【ソウルバウンドトークン】
譲渡不可能な個人属性記録システム。学歴・職歴・評判などを永続的にデジタル記録
【二次投票】
関心の強さを反映する投票システム。従来の一人一票制とは異なる民主的意思決定メカニズム
【流動民主主義】
専門性や関心に応じて投票権を移譲できるシステム。代議制民主主義の新しい発展形
【調整問題】
複数参加者の合理的行動と全体最適化の両立課題。ゲーム理論における古典的問題の現代的応用