「賢い街」は誰のために賢いのか――スマートシティを再考する
- Seo Seungchul

- 4月9日
- 読了時間: 22分
更新日:4月11日

シリーズ: 行雲流水
スマートシティという言葉は、もう何年も前から街づくりの合言葉のようになっています。センサー、データ、AI、最適化。でも「賢い街」とは、いったい誰にとって賢いのか。フーコーが提起したバイオポリティクス(生政治)と統治性という概念を補助線にすると、都市が管理しているのはインフラではなく、人々の「生」そのものであることが浮かび上がってきます。そこから見えてくるのは、技術で街を賢くする話ではなく、生きやすさをどう公共的に編成するかという、はるかに深い問いです。
スマートシティという言葉を聞いて、何を思い浮かべるでしょうか。センサーが街中に張り巡らされ、交通渋滞をAIが解消し、ゴミ収集のルートが自動で最適化される——そういう、なんとなく便利そうな未来像が浮かぶかもしれません。
でも、ちょっと立ち止まって考えてみると、不思議なことに気づきます。「賢い」のは誰なのか。街が賢くなるとは、具体的に何がどう変わることなのか。そして、その「賢さ」は、誰のためのものなのか。
富良野とPhronaの対話は、まずその問いから始まります。スマートシティの語りを丁寧にほどいていくと、その奥に「都市が人の生を管理している」という、もっと根本的な構造が見えてくる。フーコーのバイオポリティクスという概念が、そこで思いがけず役に立ちます。そして二人の議論は、技術論を超えて、「街の設計を誰が、どんな権限で、どう決めるのか」という統治そのものの問いへ踏み込んでいきます。
「最適化」という言葉が隠しているもの
富良野: スマートシティって、最初に聞いたときは、なんとなくワクワクした記憶があるんですけど、最近はどうも言葉に手垢がついてきた感じがしていて。
Phrona: 「賢い街」って、響きはいいですよね。でも聞けば聞くほど、何が賢いのかよく分からなくなってくるんですよ。
富良野: 代表的な売り文句を並べると、だいたいこうなります。センサーで交通量を測定して信号を最適化する、ゴミ箱の充填率をリアルタイムで把握して収集ルートを組み直す、エネルギー消費を予測して配電を効率化する。全部、最適化の話なんですよね。
Phrona: そこに引っかかるのが、最適化って、何を基準にしているかで全然違うものになるという点で。交通を「最適化」するとき、車の流れを速くしたいのか、歩行者が安全に渡れるようにしたいのか、排気ガスを減らしたいのかで、正解が変わるじゃないですか。
富良野: 全部同時には最適化できないですからね。何かを優先するということは、別の何かを後回しにするということで。でもスマートシティの語りでは、その優先順位の判断がテクノロジーの中に埋め込まれて見えなくなっている。
Phrona: 「データに基づく合理的な判断」って言ってしまえば、誰かの価値判断が入っていることが消えてしまいますよね。
富良野: OECDがスマートシティ政策を整理した報告書でも、問題になっているのはAIの導入そのものじゃなくて、自治体のデータ処理能力の不足、財源、セキュリティ、データ共有のリスクだと指摘しているんですよ。技術を入れることより、それを誰がどう動かすかのほうが、はるかに難しい。
Phrona: つまり、「賢い街」の核心はセンサーじゃなくて、統治の仕組みのほうにある。
富良野: そうなんです。で、そこまで考えたときに、ちょっと違う角度からこの話に光を当ててくれる概念があって。バイオポリティクスっていうんですけど。
Phrona: フーコーの。
富良野: ええ。生政治と訳されることもあります。僕はこの概念を使うと、スマートシティの話がだいぶ見通しよくなると思っていて。
都市が管理しているのは、インフラではなく「生」である
Phrona: バイオポリティクスって、一言でいうとどういう話なんでしょう。
富良野: 政治や権力が、人間の「生」そのものを対象にするようになった、という話です。ここでいう「生」は、個人の身体だけじゃなくて、出生率、死亡率、健康、衛生、労働力、教育、住宅——つまり、集団としての生き死にの条件まで含みます。
Phrona: 昔の王様が「従わなければ首をはねるぞ」と脅すのとは、権力の働き方がまるで違うわけですね。
富良野: そうです。近代に入ると、人口が増えて都市化が進んで、感染症や失業や教育や福祉の問題が出てくる。権力は、一人ひとりを直接罰するよりも、統計、リスク管理、制度設計、インセンティブを通じて、人々の行動を整える方向に進んでいく。
Phrona: 「殺す権力」から「生かす権力」へ、みたいな話ですね。そしてそこにフーコーが言う「統治性」がつながってくる。
富良野: 統治性というのは、ちょっと独特な概念で。人を直接命令するんじゃなくて、行動しやすい環境や規範や知識を整えることで、人々が自分で自分を管理するように仕向ける統治の合理性のことです。
Phrona: 歩きやすい街路を作れば人は歩くし、健康診断を義務化すれば人は受けに行くし、住宅ローンの制度を整えれば人は家を買う。環境を整えることで行動が誘導される。
富良野: で、ここが面白いんですけど、都市ってまさにそういう装置じゃないですか。上下水道は人を衛生的に生かすためのもの、ゾーニングは誰がどこに住みどこで働くかを配分するもの、交通網は人の移動の可能性を規定するもの。全部、「生」の条件を編成している。
Phrona: WHOが都市の健康を左右する要因として挙げているものも、そのまんまですよね。都市ガバナンス、人口特性、自然環境と人工環境、社会経済発展、サービス、健康危機管理、食料安全保障。これ全部、人がどう生きてどう死ぬかに直結している。
富良野: しかもWHOは、都市の健康格差がときに「通り一本」の単位で現れると言っています。つまり都市空間の設計そのものが、生命機会の配分装置になっている。
Phrona: スマートシティに戻ると、センサーやAIでそれを「効率化」するというのは、つまり「生の管理」をテクノロジーで高度化するということなんですね。
富良野: バイオポリティクスの最新アップデートだと言ってもいいかもしれません。統計や衛生記録だけじゃなく、センサー、プラットフォーム、予測アルゴリズム、信用スコアリングを通じて、生の管理がより精密に、よりリアルタイムに進んでいく。
Phrona: そう聞くと、なんだか怖い話に聞こえるかもしれないんですけど——でも、怖いだけの話じゃないですよね。
守ることと管理することは、切り離せない
富良野: そこがバイオポリティクスの一番厄介なところで。ワクチン、上下水道、労働安全基準、母子保健、食品衛生——こういう「生政治的介入」がなければ、多くの人命は守れなかったわけです。
Phrona: 都市が「生」を管理しているのは、悪意があるからじゃなくて、管理しないと人が死ぬからでもある。
富良野: コロナ禍でそれがすごく可視化されましたよね。感染症対策として行動制限をかける、ワクチン接種を勧奨する、接触確認アプリを導入する——あれは全部、典型的なバイオポリティクスです。で、それなしには大量の死者が出ていた。
Phrona: でも同時に、行動追跡がどこまで許されるのか、ワクチンを打たない人はどう扱われるのか、飲食店の営業制限は誰が決めたのか、という問いもずっとついてまわっていた。
富良野: 守ることと管理することが、構造的に一体化しているんですよね。片方だけ取り出すことができない。だから「バイオポリティクスは悪だ」と言い切ると、そこで思考が止まってしまう。
Phrona: 問題は、「生を守る」という名目のもとで、見えにくくなっていることがあるという点ですよね。誰が基準を決めるのか、何を「正常」とみなすのか、誰がリスクとされるのか、どの生が優先されるのか。
富良野: そして、当事者の声がどこまで制度設計に入っているのか。ここが不透明になりやすい。カーネギー国際平和財団の2025年の報告でも、従来のスマートシティの議論は企業主導のデータ駆動型統治に偏りがちで、アルゴリズムの導入が公共サービス、プライバシー、人権に負の影響を与えうると指摘されています。
Phrona: 生政治の構造って、新自由主義の文脈ではもう一段ねじれますよね。国家が直接管理するんじゃなくて、個人に自己管理させる方向に制度を組み替える。健康は自己責任、失業は再訓練と自己投資の問題、教育は人的資本の形成……。
富良野: 国家が手を引いたように見えて、実は「自分で自分を管理する主体であれ」というメッセージが、制度の隅々に埋め込まれている。フーコーが言う統治性が、最も洗練された形で作動している状態ですね。
Phrona: だから反対するにしても、「管理するな」では足りないんですよ。管理の仕組みがなければ命が守れない。でも管理の基準や方法を誰がどう決めるのかが見えないと、それは統治ではなくただの支配になる。
富良野: 技術の話に戻すと、スマートシティを単に批判するんじゃなくて、発展的に組み直すとしたら、まさにそこが軸になるはずなんです。
「生きやすさの公共的編成」としてのスマートシティ
Phrona: スマートシティを捨てるんじゃなくて、組み直す。どういう方向になりますか。
富良野: 一言でいえば、スマートシティを「技術で都市を最適化する構想」としてではなく、「生きやすさを公共的に編成する都市ガバナンスの構想」として捉え直すことだと思います。
Phrona: 目的変数が変わる、ということですね。交通流やエネルギー効率じゃなくて。
富良野: 基準に置くべきなのは、健康、安全、移動のしやすさ、住宅の質、災害への脆弱性、ケアへのアクセス、孤立の低減——つまり、人がどう生きられるかの条件そのものです。WHOもUN-Habitatも、都市政策は人々の健康と幸福を意思決定の中心に据えるべきだと繰り返し言っています。
Phrona: もう一つ、都市を「制御する対象」として見るか、「交渉する場」として見るかも、大きな分岐ですよね。
富良野: それはかなり本質的な区別で。従来のスマートシティは、都市をセンサーで把握してAIで制御する対象として描きがちだった。でも実際の都市は、利害も価値観も生活様式も違う人たちが重なり合っている政治空間なので、一つの最適解に収束させる発想が、そもそも無理がある。
Phrona: 技術は政治の代わりにならない。
富良野: ならない。ただし、利害の対立を見えやすくしたり、選択肢と結果を比較できるようにしたり、という補助線としては機能しうる。対立をなくすためじゃなくて、対立を扱いやすくするための道具として。
Phrona: バルセロナがやっている「デシディム」っていうプラットフォーム、ご存じですか。市民が政策提案や予算の優先順位を議論できるオンラインの仕組みで、2016年くらいから運用されているんですけど。
富良野: ああ、あれはまさに今の話の具体例ですね。テクノロジーを都市の最適化に使うんじゃなくて、意思決定のプロセスを開くために使っている。
Phrona: ただバルセロナのケースも、デジタル参加できる人とできない人の格差があるとか、声の大きい層に引っ張られがちだとか、課題は山ほどあるんですよ。万能薬ではない。
富良野: それはそうなんですけど、この方向をもっと思想的に深く詰めている人たちがいて。台湾の元デジタル担当大臣のオードリー・タンと、マイクロソフトリサーチの政治経済学者グレン・ワイルが2024年に出した「プルラリティ」という本が、まさにそこを正面から扱っています。
Phrona: あ、あの本。GitHubで共同執筆されて、パブリックドメインで公開された。本の作り方自体が、本の主張を体現しているという。
富良野: そうです。彼らの核心的な主張は、デジタル技術を個人の自由の拡張にも、中央集権的な管理にも使うんじゃなくて、社会的な差異を架橋して協働を豊かにするために使え、ということなんですよね。テクノリバタリアニズムでも、AIによる集権的ガバナンスでもなく、第三の道を示そうとしている。
Phrona: 台湾で実際にやってきたことが背景にあるから説得力がありますよね。Pol.isという意見集約プラットフォームを使って、ライドシェアの規制やオンライン販売のルールを市民的な議論で練り上げていった。バルセロナのデシディムが参加の場を開くことに力点を置いているのに対して、台湾のアプローチは、対立する意見の構造を可視化して、分断を越えた合意点をあぶり出す方向に技術を使っている。
富良野: しかも面白いのが、Pol.isでは返信機能を意図的に外しているんですよね。反論合戦を避けて、それぞれが独立に意見を出し、その意見群の構造をアルゴリズムが地図のように可視化する。すると「対立しているように見えていたけど、実はこの一点では全員が一致していた」みたいな発見が出てくる。
Phrona: 技術で対立をなくすのではなく、対立の地形を見えるようにする。さっき富良野さんが言った「補助線としての技術」を、最も鮮やかにやった例かもしれない。
富良野: プルラリティが都市ガバナンスにとって示唆的なのは、多様性をコストや障害としてではなく、エネルギー源として捉えている点です。社会的な違いがあるからこそ協働に価値が生まれる、というのが彼らの基本的なテーゼで。
Phrona: さっき話に出た認知的多様性の話とも、直接つながりますよね。考え方が違う人同士が出会うことでイノベーションが起きるという話を、都市空間の設計だけじゃなくて、デジタルな意思決定のインフラとしても実装できるんじゃないか、という提案になっている。
富良野: ただ——台湾のケースがうまくいっている背景には、オードリー・タンという個人のリーダーシップと、ひまわり運動以降の市民社会のエネルギーがあった。それを他の文脈にそのまま移植できるかは、別の問いです。
Phrona: でも方向性として、技術を統治のプロセスに接続するという発想は、バルセロナにも台湾にも共通していて、かなり重要だと思います。で、ここからが一番難しいところなんですけど。
富良野: 参加の話ですね。
Phrona: ええ。市民参加を、意見聴取から共同統治にどう変えるか、という問題です。
「参加」の壁を越えるとき、何が起きるか
富良野: 今のスマートシティ案件で「市民参加」と言われているものの大半は、説明会やアンケート、パブリックコメントで終わっています。行政や企業が論点を設定して、市民はそれに対して意見を言う。最終決定権は最初から運営側にある。
Phrona: それは参加というより、「聞いたという実績」を作るプロセスに近い。
富良野: 本当の意味で共同統治に近づけるなら、市民が「何を論点にするか」「何を優先するか」「どこに予算を使うか」「どう評価するか」の一部を実際に握る必要がある。
Phrona: 共同統治って言葉にすると綺麗なんですけど、やろうとした瞬間にものすごく厚い壁にぶつかりますよね。誰に権限を渡すのか。暇がある人、声が大きい人、デジタルに強い人が有利になって、結局一部の層の支配になりかねない。
富良野: 何を渡すのかも難問で。全部は渡せないんですよ。都市には専門知が必要な領域もあるし、法規制もあるし、緊急対応もある。だから全面的な民主化ではなくて、どの領域で、どの程度の裁量を、どんな条件つきで市民に委ねるかの制度設計になる。
Phrona: あと、権限だけ渡して責任を曖昧にすると、要求だけ増えて現実の制約が見えなくなる。でも責任を重くしすぎると誰も参加しなくなる。
富良野: しかも都市の問題は、住宅、交通、防災、福祉、環境が全部つながっていて複雑だから、普通の人が毎回深く検討するのは認知的に無理があるんですよね。
Phrona: 理想としては正しいけれど、運用すると疲弊する。
富良野: そう。だからこそ、実務的には小さくて明確な形で始めるしかないんだと思います。たとえば、生活道路や公園や暑熱対策みたいな、生活に近い領域に限って、住民が優先順位を決められる予算枠を設ける。選択肢を行政が出して選ばせるだけじゃなくて、選択肢の修正や統合を住民側が提案できるようにする。
Phrona: 参加の結果を本当に反映するかどうかも、決定的に重要ですよね。制度上は参加と言いながら、運営側が最後に都合よく要約し直すなら、それは共同統治じゃなくて演出です。
富良野: だから「どこまで採用するか」「採用しなかった場合は何をどう説明するか」「再提案の余地はあるか」を制度として明文化しないといけない。
Phrona: 共同統治の核心って、発言権じゃなくて編集権なのかもしれないですね。都市政策という文章に対して、市民がコメントを書けるだけなのか、議題や選択肢や評価基準の一部を書き換えられるのかで、意味がまったく違ってくる。
富良野: ただ、僕はここまで話していて、自分でもある種の楽観に寄りかかっている気がしてきました。「制度を整えればうまくいく」みたいな。
Phrona: どこに引っかかっているんですか。
富良野: もっと手前の話です。その「権限配分を変えるプロセス」を設計するのは、いったい誰なのか。どういう権威と権限を持って、それをやるのか。
正統性は、紡ぐしかない
Phrona: ……そこに行かざるを得ないんですよね。
富良野: 共同統治の仕組みを作ろうと言うのは簡単だけど、「その仕組みを作る権限は誰にあるのか」と問われたら、きれいな答えが出ない。
Phrona: すぐに循環が始まりますよね。既存の権力が設計するなら、それは既存の権力の延長じゃないのか。市民が設計するなら、「その市民」とは誰で、誰がその範囲を決めたのか。専門家が設計するなら、その専門知は誰から委任されたのか。
富良野: どの入口から入っても、正統性の根拠が自己完結しない。これは参加論やガバナンス論の根底にある、かなりしんどい問いです。
Phrona: でも、しんどいからって迂回したら、話が浅いところで終わってしまう。
富良野: そうなんです。で、僕が最近考えているのは、「誰が最初の正統な設計者か」という一点突破の答えを探すのはたぶん無理で、正統性を一つの起点から純粋に導出するんじゃなくて、複数の不完全な根拠を接続して、暫定的に積み上げていくしかないんだろう、ということです。
Phrona: 正統性は与えられるものじゃなくて、紡ぐもの。
富良野: 具体的には、こういうことだと思います。まず、既存の法的権限を持つ主体——議会や自治体——から、限定された委任を受ける。何を対象にするのか、何は触れないのか、期間はいつまでか、最終決定権はどこに残るのかを明示した、包括的じゃない限定的な委任。
Phrona: 一つの主体に正統性を全部背負わせないことも大事ですよね。行政だけでも、市民だけでも、専門家だけでも弱い。法的な正統性と、参加による正統性と、専門知による正統性を、重ねて使う。
富良野: そして、最初から恒久的な制度として正当化しようとしないこと。特定の地区だけ、特定の予算だけ、2年で見直し、自動的に終了する条項つき——暫定的で可逆的なものとして始める。
Phrona: 「新しい正しい秩序を作ります」ではなくて、「検証可能な暫定秩序を試してみます」と言うほうが、正統性のハードルは現実的に下がりますね。
富良野: もう一つ欠かせないのが、異議申し立ての制度化です。正統性は同意だけでは成り立たなくて、異議が制度の中で扱えることが必要になる。特にスマートシティでは、データ収集やアルゴリズムの運用に対して、個人や少数者が不利益や不透明さを指摘できる経路がないと、参加はすぐ同調圧力に変わる。
Phrona: 政治学で言うスループット正統性の話ですよね。最初に誰が同意したかという入口の正統性だけでも、結果がよかったかという出口の正統性だけでもなくて、過程の公正さ、透明さ、説明責任、修正可能性——プロセスそのものの質が、正統性を支える。
富良野: ……自分で言い出しておいて何ですけど、正統性を「紡ぐ」って、終わりがないんですよね。一度紡げば完成、ではなくて、導入後の評価と再授権をずっと繰り返していくしかない。
Phrona: それ、疲れませんか。
富良野: 疲れます。疲れるんですけど、「最初に正統な設計者が一度だけ正しく設計すればいい」という発想のほうが、たぶん危ない。
Phrona: 民主主義ってもともとそういうものかもしれないですね。完成形がなくて、合意と異議と修正のループを回し続けることが、そのまま正統性になっている。
富良野: スマートシティに話を戻すと、従来型は「技術導入の正当化」に終始しがちだった。再構築版は、技術の話をする前に、「この権限変更はどの手続きで、誰に対して、どの範囲で、どの程度可逆的に行われるのか」を問わないといけない。
Phrona: スマートシティを「都市サービスの高度化」ではなく、「都市における正統性生成のインフラ」として捉え直す、ということですね。センサーは便利さのためではなく、不平等や脆弱性を可視化し、異議申し立てを可能にし、公共の判断の質を上げるための補助線として位置づけ直す。
富良野: フーコー的に言えば、「反バイオポリティクス」を目指すのは無理で、すでに避けがたく存在しているバイオポリティクスを、より見える形にして、より民主的にして、より修正可能にして、より分散的にする、という方向です。
Phrona: ……最初に「スマートシティって何だろう」と言っていたのが、だいぶ遠いところまで来ましたね。
富良野: でも、たどってきた道は一本だったと思いますよ。「賢い街」は何を管理しているのか。その管理は誰のためか。誰が決めているのか。決め方自体を変えるには何が要るのか。その一本の問いが、少しずつ深くなっていっただけで。
Phrona: 答えは出ていない、と言えば出ていないんですけど。
富良野: 答えが出ないことが分かった、というのは、一つの前進だと思うんですよね。少なくとも、「データを入れれば街は賢くなる」という話では全然ないということは、はっきりした。
Phrona: 正統性を紡ぐのは疲れる、という話が出たけど、その疲れを引き受けるかどうかが、結局のところ「賢い街」と「管理された街」の分かれ目なのかもしれないですね。
ポイント整理
スマートシティの目的変数の転換
従来型スマートシティは交通流やエネルギー効率の「最適化」を目指してきたが、最適化の基準には必ず価値判断が含まれる。目的を技術的効率から、健康・安全・住宅の質・ケアへのアクセスなど「生の条件」に置き換えることが、再構築の出発点になる。
バイオポリティクスとしての都市ガバナンス
都市が管理しているのはインフラではなく、人々の生そのもの。上下水道、ゾーニング、交通設計、公衆衛生政策はすべて、誰がどう生き、どうリスクにさらされるかを配分する行為であり、これをフーコーはバイオポリティクス(生政治)と呼んだ。
統治性という概念の射程
直接命令するのではなく、環境・規範・知識を整えることで人々が自らを管理するよう誘導する統治のあり方。歩きやすい街路、健康診断の義務化、住宅ローン制度など、都市の設計そのものが統治性の作動する場になっている。
保護と管理の切り離せなさ
ワクチン、上下水道、食品衛生のような生政治的介入なしには多くの人命は守れなかった。問題は介入そのものではなく、基準の決め方、「正常」の定義、リスクの選別、当事者の声の反映度が不透明になりやすいこと。批判は「管理するな」ではなく「管理の仕方を問え」に向かう。
データ統治の重要性
スマートシティにおいてデータは燃料ではなく権力の媒介。何を集めるかより前に、所有・アクセス・再利用・削除・異議申立ての制度設計が必要。OECDも自治体の処理能力・財源・セキュリティが中核的課題だと指摘している。
発言権と編集権の違い
市民参加を共同統治に近づけるには、意見を言えるだけでは足りない。議題設定・選択肢の修正・優先順位決定・事後評価という「編集権」を、限定的でも実効的に委ねる制度設計が鍵になる。
正統性は紡ぐもの
権限配分の再設計を誰が正統に行えるかという問いには、一点突破の答えがない。法的正統性・参加的正統性・認識的正統性を重ね、暫定的・可逆的な制度として始め、異議申立てと事後評価によって正統性を漸進的に積み上げていくしかない。
スループット正統性(過程の正統性)
入口の同意(誰が選んだか)でも出口の成果(結果がよかったか)でもなく、意思決定過程の公正さ・透明性・説明責任・修正可能性が正統性を支える、という考え方。スマートシティのガバナンス設計において中核的な位置を占める。
キーワード解説
【バイオポリティクス(生政治 / Biopolitics)】
政治や権力が、人間の「生」——健康、出生、死亡、衛生、労働力、人口——を対象にするようになった状態を指す概念。フーコーが提唱した。個人を直接罰する権力とは異なり、集団としての生の条件を管理・最適化する方向に近代の権力が変容したことを捉える枠組み。
【統治性(Governmentality)】
フーコーの概念。人々を直接命令で従わせるのではなく、環境・規範・知識・制度を整えることで、人々が自ら行動を調整するように仕向ける統治の合理性。都市の設計、公衆衛生政策、教育制度、経済的インセンティブなど、広範な領域にこの統治の技法が浸透している。「政府性」と訳されることもあるが、国家の行政機構に限定されない広い概念であるため「統治性」が適切。
【都市ガバナンス(Urban Governance)】
国家だけでなく、自治体、デベロッパー、交通事業者、病院、学校、地域団体、データ基盤企業など、多様な主体が連動して都市を動かす仕組み。UN-Habitatは、政府と利害関係者が都市の計画・資金配分・管理を共同で決めるプロセスとして整理している。
【スマートシティ(Smart City)】
センサー、データ分析、AIなどの技術を活用して都市サービスを高度化する構想。近年は技術中心主義への批判が強まり、包摂性・透明性・プライバシー・人権を重視する「人間中心のスマートシティ」への再定義が進んでいる。
【スループット正統性(Throughput Legitimacy)】
政治的正統性を支える三つの軸の一つ。入口の正統性(誰が同意したか)や出口の正統性(結果がよかったか)に対して、意思決定過程そのものの公正さ・透明性・説明責任・修正可能性を問う概念。特に専門家やアルゴリズムが統治に関与する場面で重要性が増している。
【新自由主義的統治(Neoliberal Governmentality)】
国家が直接管理するのではなく、個人が自らの健康・教育・雇用可能性・老後資産を自己管理する主体になるよう、制度を組み替える統治のあり方。「自己責任」の制度化とも言えるもので、バイオポリティクスが消えるのではなく、自己管理・市場規律・データ評価を通じてより深く浸透する。
【共同統治(Co-governance)】
市民が意見を述べるだけでなく、議題設定・予算配分の優先順位決定・評価基準の策定など、意思決定の一部を実際に握る統治のかたち。意見聴取や協議とは区別される。実現には、権限移譲の明確化、反映義務、事後評価権の制度化が必要とされる。
【デシディム(Decidim)】
バルセロナ市が2016年頃から運用しているオープンソースの市民参加プラットフォーム。政策提案、予算の優先順位づけ、市民発議などをオンラインで行える仕組み。テクノロジーを都市の最適化ではなく意思決定プロセスの開放に使う事例として注目されるが、デジタル格差や参加の偏りなどの課題も指摘されている。
【プルラリティ(Plurality)】
台湾の元デジタル担当大臣オードリー・タンと政治経済学者グレン・ワイルが2024年に刊行した著作、およびその思想的枠組み。デジタル技術を個人の自由の拡張にも中央集権的管理にも使うのではなく、社会的な差異を架橋し協働を豊かにするために使うことを提唱する。本自体がGitHubでの共同執筆・パブリックドメイン公開という形で、主張を実践している。
【Pol.is】
台湾のデジタル民主主義で活用されている意見集約プラットフォーム。参加者が意見を投稿し、それに対して賛成・反対・パスで応答する。返信機能をあえて排除することで反論合戦を避け、意見群の構造をアルゴリズムが可視化する。対立しているように見えた集団の間に潜む合意点を発見する機能が特徴。ライドシェア規制やオンライン販売ルールなどの政策形成に実際に使われた。
【異議申立ての制度化】
統治の正統性を支えるために、決定に対する不同意や不利益の指摘を、制度の内部で扱えるようにすること。特にスマートシティにおいては、データ収集・アルゴリズム運用・監視装置の導入に対して、個人や少数者が声を上げられる回路を確保することが不可欠とされる。
【メタガバナンス(Meta-governance)】
ガバナンスの仕組みそのものをどう設計し・どう修正するかという、統治についての統治。「参加の制度を作る」のは誰か、「権限配分を変える」権限は誰が持つのか、という問いに取り組む際に必要になる概念。単一の設計者が正統に全体を設計できるとは限らないため、限定委任・暫定性・複数主体の関与・事後評価による再授権を組み合わせる手法が検討されている。
