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「遅れてくれてありがとう」──世界的ジャーナリストが見つけた、加速する時代の生存戦略

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 シリーズ: 書架逍遥




朝の待ち合わせに遅刻してきた友人に「遅れてくれてありがとう」と言ったら、どんな顔をされるでしょうか。でも、ニューヨーク・タイムズのコラムニスト、トーマス・フリードマンは本気でそう言いました。そして、その一言から生まれた本が、私たちが生きる「加速の時代」を読み解く重要な手がかりになっています。


テクノロジー、グローバル化、気候変動。この3つの巨大な力が同時に加速している今、私たちはどう生きればいいのでしょうか。2005年に『フラット化する世界』でグローバル化の可能性を高らかに謳ったフリードマンが、11年後に書いた本書では、スピードから立ち止まることの価値へ、グローバルからローカルへと、視点が大きく変化しています。


今回は、この本が提示する「動的安定性」や「信頼の表土」といった概念を、富良野とPhronaが語り合います。加速する世界で、あえて遅れることの意味とは何か。二人の対話を通じて、一緒に考えてみませんか。




遅刻が教えてくれたこと


富良野:フリードマンが友人の遅刻に感謝したって話、面白いですよね。普通なら「時間返せ」って思うところなのに。


Phrona:そうですよね。でも彼はその待ち時間で気づいたんです。機械のポーズボタンを押すと止まるけど、人間のポーズボタンを押すと動き始めるって。素敵な逆転の発想だと思いません?


富良野:確かに。僕たちって、立ち止まると不安になりがちですけど、実はそこで初めて考え始めるんですね。現代って、加速しているだけじゃなくて、その加速自体が加速しているという……なんだか目が回りそうな話ですが。


Phrona:私、駐車場係員のエピソードも印象的でした。エチオピア出身の方が自国の経済問題についてブログを書いていて、フリードマンがその指導をすることになったという。


富良野:ああ、Ayele Z. Bojiaさんの話ですね。そこから「楽観主義者のガイド」という視点が生まれたんでしたっけ。でも楽観主義って、現実から目を背けることとは違いますよね。


Phrona:むしろ逆かもしれません。現実の厳しさを直視しながら、それでも人間の可能性を信じる。そういう成熟した楽観主義なんじゃないかな。


3つの加速する力


富良野:本書の中核は、テクノロジー、市場、母なる自然という3つの力が同時に加速しているという分析ですよね。特に2007年を転換点として挙げているのが興味深い。


Phrona:iPhoneが発売された年ですものね。でも単にスマホが出たというだけじゃなくて、コンピューティングの5つの要素すべてが同時に進化し始めたと。


富良野:統合回路、メモリ、ネットワーク、ソフトウェア、センサー。これらが複合的に進化することで、僕たちの適応能力を超える速度で世界が変わっていく。ムーアの法則って、2年でチップの処理能力が倍になるって話でしたっけ。


Phrona:そう。でもフリードマンが面白いのは、クラウドを「スーパーノヴァ」って呼んでいるところ。火の発見に匹敵する重要性があるって。ちょっと大げさかなって思ったけど……


富良野:いや、案外的を射ているかもしれません。Uberは車を持たない、Facebookはコンテンツを作らない、Airbnbは不動産を持たない。これって「フロー」の時代の象徴ですよね。


Phrona:情報や知識の流れそのものが価値を生む時代。でも同時に、個人が世界を壊す力も持ってしまった。超権限を持つ個人って表現、ちょっと怖いです。


富良野:そして気候変動。雨の部屋の例えが印象的でした。センサーで人を感知して雨を避ける部屋なんだけど、人が多すぎると雨が降らなくなる。


Phrona:人類が自然に対する力そのものになってしまったという比喩ですね。ホッケースティック型のグラフを見ると、本当に転換点に立っているんだなって実感します。


動的安定性という知恵


富良野:で、こういう加速する世界でどう生きるかという話になると、「動的安定性」という概念が出てくる。自転車に乗るような生き方って言い方、なるほどなって思いました。


Phrona:止まったら倒れちゃうけど、動き続けながらバランスを取る。でもこれって、すごく疲れそうじゃないですか?


富良野:確かに。でも、フリードマンは単に走り続けろって言ってるわけじゃないんですよね。「pausing in stride」、つまり動きながら一時停止する技術が必要だと。


Phrona:矛盾しているようで、深い知恵かもしれません。完全に止まるんじゃなくて、動きの中で内省の時間を持つ。現代的な瞑想みたいな感じでしょうか。


富良野:仕事についても、興味深い指摘がありました。「もしその仕事ができるなら、その仕事に就くべきだ」という新しい雇用の原則。つまり、誰かが仕事を用意してくれるのを待つんじゃなくて。


Phrona:自分で仕事を作り出す時代ってことですね。でも、みんながみんな起業家になれるわけじゃないし……そこに不安を感じる人も多いんじゃないかな。


富良野:だからこそ、生涯学習が重要になる。5年から7年で技術が大きく変わる時代では、学び続けることが生存の条件になるって。


Phrona:でも、学び続けるためにも、立ち止まって内省する時間が必要なんですよね。このパラドックスが面白い。


自然から学ぶレジリエンス


富良野:第10章で、自然システムから学ぶという話が出てきます。政治や社会システムも、自然のレジリエンスを模倣すべきだと。


Phrona:生態系って、多様性があるから強いんですよね。一つの種が失われても、システム全体は生き残る。でも人間社会って、効率を求めて単一化しがちじゃないですか。


富良野:そうなんです。だから意識的に多様性を維持する必要がある。「レジリエンスと推進力を生み出す母なる自然のキラーアプリ」って表現、テック系の人らしいなって思いましたけど。


Phrona:自然をアプリに例えちゃうところがね。でも、相互依存性についての指摘は重要だと思います。健全な相互依存と不健全な相互依存を区別するって。


富良野:依存っていうと悪いイメージがあるけど、実は互いに支え合うことがレジリエンスの源泉なんですよね。一人で完結しようとすると、かえって脆くなる。


Phrona:私たち、独立を美徳としすぎているのかもしれません。本当の強さは、つながりの中にあるのかも。


故郷への回帰、信頼の表土


富良野:最後の章で、フリードマンが故郷のミネソタ州セントルイスパークの話をするんですが、これが意外でした。グローバル化の旗手だった人が、ローカルの重要性を説くなんて。


Phrona:でも、考えてみれば自然な流れかもしれません。世界がフラットになって、どこでも同じになったら、逆にローカルな特色や絆が大切になる。


富良野:「信頼の表土」という概念、いいですよね。コミュニティの信頼関係を土壌に例えて、そこから多様な花が咲くという。


Phrona:セントルイスパークの例がすごいんです。白人中心の排他的な町から、多文化共生のコミュニティに変わった。それも何十年もかけて、少しずつ。


富良野:学校への資金提供に70パーセントの有権者が賛成し続けているって話、驚きました。学齢期の子供がいる世帯は15パーセントしかないのに。


Phrona:これこそ信頼の表土の力ですよね。自分の子供じゃなくても、コミュニティの子供たちのために投資する。未来への投資を、みんなで支える。


富良野:でも、こういうコミュニティを作るのって、すごく時間がかかりますよね。加速する時代に、ゆっくりとコミュニティを育てるって、矛盾してるような。


Phrona:だからこそ「遅れることに感謝する」んじゃないでしょうか。効率だけを追い求めていたら、信頼の表土なんて育たない。時には非効率でも、みんなで話し合って、理解し合う時間が必要。


フラットから加速へ、そして立ち止まることへ


富良野:フリードマンの世界観の変化を見ると、興味深いですよね。2005年の『フラット化する世界』では、技術決定論的で、ひたすら前進あるのみという感じでした。


Phrona:それが11年後には、立ち止まることの価値を説いている。単純な楽観主義から、もっと複雑で成熟した世界観へ。


富良野:世界は「フラット」なだけじゃなくて、「速く、融合し、深く、脆い」という多面的な理解。単一のメタファーで世界を説明しようとしないところに、成長を感じます。


Phrona:2008年の金融危機とか、いろんな現実を見てきたからでしょうね。効率性至上主義の限界も見えてきた。


富良野:だから今は、短期的な効率性より長期的なレジリエンスを重視している。これって、すごく重要な転換だと思うんです。


Phrona:私たちも、そろそろ立ち止まって考える時期なのかもしれません。走り続けることが正しいって思い込みから、一度離れてみる。


富良野:動的安定性を保ちながら、信頼の表土を育てる。簡単じゃないけど、それが加速の時代を生き抜く知恵なのかもしれませんね。


Phrona:遅れることに感謝する。素敵な逆説です。みんなが少しずつ遅れたら、世界はもっと優しくなるのかな。




ポイント整理


  • 現代は技術、市場、気候変動という3つの力が同時に加速しており、その変化の速度は人間の適応能力を超えつつある

  • 機械と違い、人間は立ち止まることで内省し、再考し、再想像を始める。意図的な「一時停止」に価値がある

  • 「動的安定性」という自転車に乗るような生き方が必要。変化し続けながらバランスを保つ技術

  • クラウドコンピューティングは火の発見に匹敵する革命であり、情報の「フロー」が価値を生む時代が到来

  • 自然システムのレジリエンスから学び、多様性と健全な相互依存性を社会に取り入れることが重要

  • ローカルコミュニティの「信頼の表土」を時間をかけて育てることが、グローバル化時代の安定の鍵

  • 生涯学習が生存の条件となる時代。5-7年で技術が大きく変わる中、学び続ける必要がある

  • フリードマンの視点は単純な楽観主義から、課題を直視しつつ人間の可能性を信じる成熟した楽観主義へ進化



キーワード解説


【ムーアの法則】

マイクロチップの処理能力が約2年ごとに倍増するという法則


【スーパーノヴァ】

フリードマンがクラウドコンピューティングを指す独自の表現


【動的安定性】

変化し続けながらバランスを保つ、自転車に乗るような生き方


【信頼の表土】

コミュニティの信頼関係を土壌に例えた概念


【超権限を持つ個人】

テクノロジーにより世界規模の影響力を持つようになった個人


【フロー】

情報、知識、アイデアの流れそのものが価値を生む現象


【pausing in stride】

動きながら一時停止する、現代的な内省の技術



本稿は近日中にnoteにも掲載予定です。
ご関心を持っていただけましたら、note上でご感想などお聞かせいただけると幸いです。
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