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無限のマシンは夢を見るか?──イーサリアムの理想と現実の間で

更新日:8月7日

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 シリーズ: 書架逍遥



  • 概要:元ブルームバーグのジャーナリストが、19歳のヴィタリク・ブテリンと彼が率いたハッカー集団がいかにして世界第2位の暗号通貨プラットフォームを構築したかを詳細に記録したノンフィクション作品。



2009年、19歳の天才プログラマーがビットコインに出会い、そこから世界を変える技術を構想しました。ヴィタリク・ブテリンと彼が集めたハッカーたちの物語『The Infinite Machine』は、まるでシリコンバレーの起業神話のように語られます。


でも、ちょっと待って。あれから10年以上経った今、私たちの生活はどれだけ変わったでしょうか。スマートコントラクト、分散型金融、Web3...これらの言葉は投資家やテック愛好家の間では飛び交っていますが、普通の人々の日常にはまだ遠い存在です。


技術革命の物語と、その実装の現実。理想と現実のギャップをどう理解すればいいのでしょうか。今回は、イーサリアムの誕生秘話を描いた『The Infinite Machine』を起点に、ブロックチェーン技術の現在地と未来について、富良野とPhronaが語り合います。


技術の可能性を信じつつも、冷静な目で現実を見つめる。そんな対話から、次世代技術との向き合い方が見えてくるかもしれません。




天才少年の物語、あるいは現代の神話


富良野:この『The Infinite Machine』、19歳のヴィタリク・ブテリンがイーサリアムを構想する物語なんですけど、まるで現代のプロメテウス神話みたいですよね。


Phrona:ええ、特に印象的だったのは、彼が7歳で「The Encyclopedia of Bunnies」っていう技術文書を作ってたエピソード。うさぎの百科事典って...なんか、天才の子ども時代って、やっぱり独特な世界観があるんですね。


富良野:そうそう、数字は得意だけど英語は苦手で、同級生とのコミュニケーションに苦労してたっていう描写も興味深い。技術的な才能と社会性のアンバランスさが、むしろ既存システムへの疑問を生んだのかもしれませんね。


Phrona:私、そこに何か詩的なものを感じるんです。コミュニケーションが苦手だった少年が、人と人をつなぐ新しいプロトコルを作ろうとする。言葉じゃなくて、コードで世界と対話しようとしたのかな、って。


富良野:なるほど...確かに、ビットコインに出会って記事を書き始めたのも、ある意味で新しい言語を見つけたような感覚だったのかもしれませんね。ビットコイン1個につき5記事書いてたらしいですから、相当のめり込んでたんでしょう。


Phrona:でも富良野さん、ここで気になるのは、この物語がどこまで神話化されてるかってことなんです。シリコンバレーって、こういう天才少年の成功物語が大好きじゃないですか。


スイスの宇宙船と理想の共同体


富良野:ああ、その点は重要ですね。特にスイスのツークにあった「宇宙船」って呼ばれた家の話。10人以上の共同創業者が集まって、まるでヒッピーコミューンみたいな...


Phrona:宇宙船!すごい名前ですね。森の中にあるエレベーター付きの奇妙な家で、世界を変える技術を作ってたなんて。でも、結局内部対立で分裂しちゃうんですよね。


富良野:ええ、チャールズ・ホスキンソンは企業化を主張し、ヴィタリクとミハイ・アリシエは非営利を志向した。理想の共同体も、結局は方向性の違いで崩壊する。これ、分散型組織の理想と現実のギャップを象徴してる気がします。


Phrona:そうなんですよね...みんなで平等に、中央集権なしに物事を決めるって理想は美しいけど、実際には誰かがリーダーシップを取らないと前に進まない。ヴィタリクが最終的に共同創業者を8人に絞ったのも、ある種の中央集権的な決断ですもんね。


富良野:僕、ここにブロックチェーンの根本的なパラドックスを感じるんです。分散化を目指す技術を作るために、中央集権的な意思決定が必要になる。


Phrona:うーん、でもそれって、人間社会の普遍的な課題かもしれません。完全に平等で分散的な社会って、理想としては美しいけど、実際に機能させるのは...


The DAO事件が示したもの


富良野:その意味で、2016年のThe DAO事件は象徴的でしたよね。分散型自律組織の理想が、たった一つのコードの脆弱性で崩壊した。


Phrona:360万イーサが流出...当時の価値で数百億円規模でしたっけ。でも私が興味深いと思うのは、その後の対応なんです。ハードフォークでなかったことにするか、コードは法だから受け入れるか。


富良野:結局ハードフォークを選んだわけですが、これって「コードは法」という理想を裏切ったとも言えますよね。人間の判断が技術の上に立った瞬間というか。


Phrona:でも、それでいいんじゃないかな、って私は思うんです。技術は人間のためにあるんだから、人間の価値判断が優先されるのは当然というか...完全に技術に委ねちゃうのって、ある意味で責任放棄かもしれない。


富良野:確かに...ただ、それなら既存の法システムとどう違うんだ、という疑問も湧いてきますよね。


2025年の現実、あるいは理想からの距離


Phrona:本が出版されてから5年経った今、イーサリアムってどうなってるんですか?


富良野:データを見ると、確かに成長はしてます。時価総額は巨大だし、DeFiのTVLも600億ドル規模。でも、実際の利用者数で見ると...世界人口の0.1%未満がアクティブユーザーという現実があります。


Phrona:0.1%...思ったより少ないですね。


富良野:ええ。しかも主な用途は投機、DeFi、NFT取引。日常的な決済手段としてはほとんど使われていない。「次世代のインターネット」というビジョンからは、まだ相当遠いんです。


Phrona:でも、それって本当に失敗なんでしょうか。インターネットだって、最初の20年は研究者とオタクのものだったわけで...


富良野:その比較は興味深いですね。インターネットは1969年のARPANETから始まって、一般に普及するまで約30年かかった。その観点では、ブロックチェーンはまだ1980年代後半のインターネットくらいの段階かもしれません。


インターネットとの決定的な違い


Phrona:私、何か違和感があるんです。インターネットって、それまでできなかったことを可能にした。遠く離れた人と瞬時にメッセージ交換できるとか、世界中の情報にアクセスできるとか。


富良野:そう!そこなんですよ。インターネットは「無」から「有」を生み出した。でもブロックチェーンは、送金も契約も資産管理も、すでにあるものの「別の方法」を提供してるだけなんです。


Phrona:しかも多くの場合、既存の方法の方が速くて安くて使いやすい...


富良野:まさに。僕たちがクレジットカードで買い物するとき、それが中央集権的だなんて気にしませんよね。むしろ、便利で安全だと感じてる。


Phrona:うーん、でもそれって先進国の視点かもしれません。銀行口座を持てない人たちにとっては、違う意味があるのかも...


富良野:確かにその通りです。ただ、皮肉なことに、そういう地域ではインターネット接続自体が課題だったりするんですよね。


キラーアプリの不在、あるいは解くべき問題の不在


Phrona:富良野さん、この15年間で、ブロックチェーンの決定的な使い道って見つかったんでしょうか。


富良野:正直なところ...色々試されてはいるものの、投機以外では、これだ!というものはないんです。DeFiも結局は暗号通貨の中での金融。NFTもバブル的な投機対象。DAOも理想は高いけど実際の運営は困難。


Phrona:それって、技術が先にあって、それに合う問題を探してる状態ですよね。普通は逆なのに。


富良野:ええ、典型的な「ソリューション・イン・サーチ・オブ・ア・プロブレム」です。すごい技術なんだけど、何に使えばいいのか分からない。


Phrona:でも、それも悪くないんじゃないかな。すぐに役立つものばかりじゃなくて、可能性を探り続けることも大事というか...


富良野:理想主義的ですね(笑)。でも現実的には、15年経っても決定的なユースケースが見つからないというのは...


メインストリーム化しない未来


Phrona:富良野さんの分析だと、ブロックチェーンはメインストリーム化しない可能性もあるんですか?


富良野:むしろ、その可能性の方が高いかもしれません。すべての技術がメインストリーム化する必要はないんです。LinuxやUNIXみたいに、一般人は直接使わないけど、インフラの一部として機能する。そんな位置づけに落ち着くんじゃないかと。


Phrona:なるほど...でも、それはそれで意味があるんじゃないですか。見えないところで世界を支える技術って、むしろ本質的な気がします。


富良野:確かに。ブロックチェーンの一部の概念、たとえば暗号技術や分散システムの考え方は、既存システムに統合されていくでしょう。中央銀行デジタル通貨なんかは、その一例ですね。


Phrona:皮肉ですね。分散化を目指した技術が、中央集権的に実装される...


量子コンピューターとAIがもたらす未来


富良野:実は、もっと根本的な問題があるかもしれません。量子コンピューターの話、聞いたことあります?


Phrona:ああ、暗号を破っちゃうっていう...でも、それってまだSFの世界じゃないんですか?


富良野:いや、もう現実的な脅威として認識されてます。今のブロックチェーンが依存してる暗号技術、RSAとか楕円曲線暗号とか、十分に強力な量子コンピューターが実現したら破られる可能性があるんです。


Phrona:え、じゃあビットコインとかイーサリアムのセキュリティが...


富良野:根本から崩れる可能性があります。もちろん、量子耐性暗号への移行も研究されてますけど、それって結局、いたちごっこなんですよね。


Phrona:うーん、でも技術って常にそういうものじゃないですか。脅威が現れたら、それに対応して進化する。


富良野:確かにそうなんですが、AIの進化も考えると、もっと興味深い展開があるかもしれません。


Phrona:AIですか?ブロックチェーンとどう関係が...


富良野:例えば、高度なAIシステムによる異常検知や不正防止が発達したら、ブロックチェーンの「信頼できる第三者不要」っていう価値提案が、部分的に不要になるかもしれない。


Phrona:ああ...つまり、分散型じゃなくても、AIが見張ってれば信頼できるシステムが作れる、と。


富良野:そうです。しかも、AIの方が効率的かもしれない。分散型って、結局みんなで同じデータを持つから非効率なんですよ。


Phrona:も待って、それってAIを信頼することになりますよね。誰がそのAIをコントロールするんですか?


富良野:そこなんですよ!結局、信頼の問題は解決してない。ただ、信頼する対象が変わっただけかもしれません。


技術の融合、あるいは予期せぬ進化


Phrona:でも富良野さん、こういう見方もできませんか。ブロックチェーンとAIが競合するんじゃなくて、融合していく可能性。


富良野:ああ、それは面白い視点ですね。例えば、スマートコントラクトにAIを組み込むとか。


Phrona:そう!AIが判断して、ブロックチェーンが記録する。信頼性と知能の組み合わせ。


富良野:確かに、エッジコンピューティングとかフォグコンピューティングとか、分散型の計算リソースの活用も進んでますし、ブロックチェーンの分散性と組み合わせれば...


Phrona:技術って、単体で評価するんじゃなくて、組み合わせで考えるべきなのかもしれませんね。インターネットだって、電話線とコンピューターの組み合わせから始まったわけで。


富良野:その通りです。ただ、量子コンピューターの脅威は依然として...


Phrona:でも、量子耐性の研究も進んでるんでしょう?技術の進化って、常に攻撃と防御のせめぎ合いじゃないですか。


理想と現実の間で


富良野:結局『The Infinite Machine』が描いた理想と、現実のギャップをどう受け止めればいいんでしょうね。


Phrona:私は...理想があったからこそ、ここまで来れたんだと思うんです。ヴィタリクたちが見た夢がなければ、今の技術革新もなかった。


富良野:でも同時に、理想に酔いすぎると現実が見えなくなる。


Phrona:そうですね。でも、完全に現実的になっちゃうと、新しいものは生まれない。理想と現実の間を行ったり来たりしながら、少しずつ前に進むしかないのかな。


富良野:「無限のマシン」という発想自体が、ある種の傲慢さを含んでいたのかもしれませんね。人間が作るものに、無限なんてあり得ないんですから。


Phrona:でも、無限を夢見ることは許されるんじゃないですか。たとえそれが幻想だとしても、その過程で生まれるものがあるから。


富良野:なるほど...技術革命の物語は、成功か失敗かの二元論じゃなくて、その過程で何を学び、何を生み出したかで評価すべきなのかもしれませんね。


Phrona:そして、他の技術との出会いで、予想もしなかった形に進化していく。それが技術の面白さかもしれません。




ポイント整理


  • ヴィタリク・ブテリンの原点

    • 17歳でビットコインに出会い、その分散型の性質に価値を見出した天才プログラマーの物語

  • 理想の共同体の崩壊

    • スイスの「宇宙船」に集まった10人以上の共同創業者たちの内部対立と、非営利vs企業化の方向性の違い

  • The DAO事件の教訓

    • 360万イーサが流出し、「コードは法」という理想と現実的な対応(ハードフォーク)の間でコミュニティが分裂

  • 2025年の現状

    • 世界人口の0.1%未満しかアクティブユーザーがおらず、主な用途は投機・DeFi・NFTに限定

  • インターネットとの根本的な違い

    • インターネットは「無から有」を生み出したが、ブロックチェーンは既存システムの「別解」を提供するのみ

  • キラーアプリの不在

    • 15年経っても決定的なユースケースが見つからない「ソリューション・イン・サーチ・オブ・ア・プロブレム」状態

  • メインストリーム化しない可能性

    • LinuxやUNIXのように、一般人は直接使わないがインフラの一部として機能する技術として定着する可能性

  • 量子コンピューターの脅威

    • 現在の暗号技術基盤が根本的に脅かされる可能性と、量子耐性暗号への移行の必要性

  • AIとの競合と融合

    • AIによる信頼性確保がブロックチェーンの価値提案を部分的に代替する可能性と、両技術の融合による新たな可能性



キーワード解説


【スマートコントラクト】

プログラムされた条件に基づいて自動的に実行される契約


【DeFi(分散型金融)】

銀行などの仲介者なしに金融サービスを提供するシステム


【DAO(分散型自律組織)】

中央管理者なしに運営される組織形態


【ハードフォーク】

ブロックチェーンの仕様を変更し、過去との互換性をなくす大規模な更新


【TVL(Total Value Locked)】

DeFiプロトコルにロックされた資産の総額


【Layer 2】

メインのブロックチェーン上に構築される、処理速度向上のための追加レイヤー


【Web3】

分散型で検閲耐性のある次世代インターネットの概念


【量子耐性暗号】

量子コンピューターによる攻撃に耐えられるよう設計された暗号技術


【エッジコンピューティング】

データ処理を中央サーバーではなく、ネットワークの端(エッジ)で行う分散型コンピューティング



本稿は近日中にnoteにも掲載予定です。
ご関心を持っていただけましたら、note上でご感想などお聞かせいただけると幸いです。
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