建物そのものが「生きて」いたら?──デザイナーと科学者が挑む未来の住まい
- Seo Seungchul

- 6 日前
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シリーズ: 知新察来
◆今回のピックアップ記事:Carolyn Beans "Designers join scientists to make living architecture a reality" (Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America, 2025年9月17日)
概要:建築デザイナーと科学者の協働により実現する「生きた建築」の最新動向を紹介。酵母、菌糸体、DNA、細菌を建材に組み込む技術開発と、その美的・実用的可能性について報告している。
私たちの住む建物が、まるで植物のように呼吸し、汚れた空気を浄化し、ひび割れを自分で治すとしたら、どう感じるでしょうか。そんなSF映画のような世界が、実は今、現実のものになりつつあります。
コーネル大学の建築デザイナーが3Dプリンターで作る多孔質なセラミックタイルには、ホルムアルデヒドを吸収する酵母が住んでいます。イギリスの研究者たちは、キノコの菌糸体を編み物に組み込んで、まるで生きているかのように自己修復する建材を開発しています。そして、DNAから作られたハイドロゲルが、環境汚染を検知すると光って知らせるタイルも誕生しています。
これらは単なる実験室の試作品ではありません。建築デザイナーと生物工学者、化学者たちが手を組み、私たちの住環境を根本から変えようとする本格的な取り組みなのです。技術的な可能性だけでなく、美的な魅力や実用性も兼ね備えた「生きた建築」は、持続可能性と健康性を両立させる新しい住まいのかたちを提示しています。
人類が長い間、他の生物を排除することで清潔で安全な空間を作ってきた歴史を考えると、生物と共生する建築への転換は、まさにパラダイムシフトと言えるでしょう。
清潔な空間の概念を問い直す
富良野: この記事、すごく面白いですね。僕たちが当たり前だと思っている「清潔で安全な建物」という概念そのものを、根底から揺さぶっている気がします。
Phrona: そうですね。人間が何千年もかけて築いてきた「他の生物を排除する空間」という発想から、「生物と協働する空間」への転換って、本当に大きな変化だと思います。でも、よく考えてみると、私たちの体だって細菌と共生してるわけですし。
富良野: まさにその通り。腸内細菌なんて、僕らの健康に欠かせない存在ですもんね。でも建築となると、なぜか「無菌状態が理想」みたいに考えてしまう。
Phrona: きっと制御への欲求があるんでしょうね。生き物って予測がつかないから、怖いというか。でも記事に出てくる酵母のタイルなんて、むしろ空気をきれいにしてくれるんですよね。
富良野: そう、ホルムアルデヒドを90%も除去できるって書いてありましたね。従来の空気清浄機よりも効果的かもしれない。しかも電気も使わずに。
Phrona: 水をあげるだけで生きてるって、なんだか植物みたい。でも植物より小さくて、壁の中で働いてくれる感じが新鮮です。
美学と機能の新しい関係
富良野: でも技術的に可能であることと、実際に住みたいと思えることは別ですよね。記事でも美的な魅力の重要性について触れられてました。
Phrona: ジェニー・サビンさんの「美学と良いデザインは、機能や性能、持続可能性と同じくらい重要」という言葉が印象的でした。技術だけじゃダメで、やっぱり美しくないと。
富良野: 従来の建築美学って、直線的で人工的な美しさを追求してきた面がありますよね。でも生きた建築は、もっと有機的で不規則な美しさになりそうです。
Phrona: 記事の中で、研究者が「滑らかじゃなくても、自己清浄機能があれば清潔」って言ってたのが興味深くて。私たちの「清潔」の定義そのものが変わっていくのかもしれませんね。
富良野: それって大きな文化的変化ですよね。表面がザラザラしていても、目に見えないレベルで浄化が起きているから清潔、という新しい美意識。
Phrona: 見た目だけじゃない美しさ、というか。機能がそのまま美になるような。
自己修復という革命的概念
富良野: 特に驚いたのが、イギリスの研究チームが開発したキノコの菌糸体を使った建材ですね。ひび割れができても、水を与えると菌糸体が成長して自分で修復するって。
Phrona: BioKnitっていう名前も素敵ですよね。編み物とバイオテクノロジーの組み合わせなんて、すごく詩的で。しかも廃棄された羊毛を使ってるところが、循環型社会の理想的な形みたい。
富良野: 建物が生きてるって、メンテナンスの概念も変わりますよね。従来は「劣化したら交換」だったのが、「栄養を与えて回復」になる。
Phrona: でも一方で、生き物だからこそのリスクもありそうです。研究者も「結果は期待できるけれど一定しない」って正直に書いてましたし。
富良野: そうですね。カビが生えてしまったり、想定していない微生物が繁殖したり。生物システムって複雑だから、完全にコントロールするのは難しそうです。
Phrona: でもそれも含めて「生きている」ということなのかも。完璧にコントロールできない不確実さも、ある意味で魅力なのかもしれません。
DNAが創る新しい警告システム
富良野: DNA由来のハイドロゲルで作る検知タイルっていうのも、SF的でワクワクしますね。汚染物質やウイルスを感知すると光るなんて。
Phrona: 壁が光って危険を知らせてくれるって、まるで生き物の皮膚みたい。私たちが痛みで危険を察知するように、建物も光で警告してくれる。
富良野: ただ、コストの問題もありそうです。記事では「たくさんのDNAが必要で、初期段階では高価になる」って書いてありました。
Phrona: でも技術って、最初は高くても普及していくにつれて安くなりますよね。スマートフォンだって、最初はすごく高かったのに、今では当たり前になってる。
富良野: 確かに。それに、従来の監視システムと比べて、メンテナンスが少なくて済むかもしれません。電子機器じゃないから、故障も少ないでしょうし。
Phrona: 何より、建物自体が私たちの健康を気にかけてくれてるって感覚が、すごく温かい気がします。
持続可能性の新次元
富良野: 環境への負荷という観点でも、この技術は画期的ですね。セメント製造時のCO2排出量の問題は深刻ですから。
Phrona: モンタナ州立大学のチームが開発した、菌糸体と細菌を組み合わせた建材は、製造過程でCO2を出さないだけじゃなくて、逆に吸収してくれるんですよね。
富良野: しかも材料が有機物だから、最終的には土に還る。従来の建材だと解体後の廃棄物処理が大変ですが、これなら文字通り「ゴミゼロ」が実現できそうです。
Phrona: 記事を読んでいて思ったのは、これって建築業界だけの話じゃないってことです。製造業全体のパラダイムシフトのきっかけになるかも。
富良野: 「作る」んじゃなくて「育てる」製造業ですね。時間はかかるけれど、エネルギー消費は圧倒的に少ない。
Phrona: ただ、生産のスピードは課題かもしれませんね。菌糸体が成長するのに数週間かかるって書いてありましたし。
富良野: でも逆に言えば、急いで大量生産する必要性そのものを見直す機会でもあるかもしれません。じっくり時間をかけて、質の高いものを作る。
人と建物の新しい関係性
Phrona: この技術が普及したら、私たちと建物との関係も変わりそうですね。今までは建物って、雨風をしのぐ「器」みたいな存在だったけど。
富良野: そうですね。まるでペットや植物のように、お世話をする対象になるかもしれません。酵母タイルに水をあげたり、菌糸体の調子を気にかけたり。
Phrona: でも逆に、建物の方も私たちの健康を気遣ってくれる。相互的な関係というか、共生関係というか。
富良野: 家族の一員、とまではいかなくても、少なくとも「一緒に暮らすパートナー」みたいな感覚になりそうです。
Phrona: 記事の最後の方で、美術館での展示の話が出てきましたけど、ああいう場所で実際に体験してもらうのって大事ですよね。頭で理解するだけじゃなくて、感覚的に受け入れられるかどうか。
富良野: 「The Living Room」に入った人たちが「音響が素晴らしい」「神秘的な空間」って感動していたという話も印象的でした。技術的な説明だけじゃ伝わらない魅力があるんでしょうね。
Phrona: きっと、何か原始的な安心感みたいなものを感じるのかもしれません。人工的すぎない、自然に近い空間で過ごす心地よさ。
課題と可能性の境界線
富良野: ただ、実用化にはまだまだ課題がありそうです。記事でも、微生物をコンクリートの中で数週間以上生かし続けるのが難しいって書いてありました。
Phrona: 生き物だから、温度や湿度、栄養の管理が複雑になりそうですね。従来の建材みたいに「設置したら何十年もメンテナンスフリー」とはいかない。
富良野: でも一方で、建物の寿命という概念も変わるかもしれません。適切に世話をすれば、理論的には永続的に機能し続ける可能性もある。
Phrona: それって、すごく日本的な感覚かも。神社仏閣を何百年もかけて維持していく文化と通じるものがありそう。
富良野: 確かに。西洋的な「作ったら完成」じゃなくて、「作ってからが始まり」という東洋的な時間感覚ですね。
Phrona: 記事を読んでいて、これからの建築家やデザイナーには、生物学の知識も必要になりそうだなって思いました。
富良野: 逆に、生物学者も美的センスや空間設計の知識が求められる。まさに学際的な協働が不可欠な分野ですね。
ポイント整理
技術革新の多面性
生きた建築は、空気浄化(酵母によるホルムアルデヒド除去)、環境監視(DNAハイドロゲルの検知機能)、自己修復(菌糸体による構造回復)、持続可能な製造(CO2削減と生分解性)という複数の機能を同時に実現している。従来の建材が単一機能に特化していたのに対し、生物システムの複雑性を活用した多機能性が特徴的である
美学と機能の統合
ジェニー・サビンが指摘するように、技術的可能性だけでなく美的魅力が普及の鍵となる。3Dプリンティングによる複雑な幾何学パターンや、菌糸体の有機的な形状は、従来の直線的・人工的な建築美学とは異なる新しい美意識を提示している。機能が形を決定し、その形が新たな美しさを生み出すという循環的関係が興味深い。
制御と共生のバランス
人類が長年追求してきた「生物を排除した清潔空間」から「生物と協働する健康空間」への転換は、根本的なパラダイムシフトを意味する。完全な制御は困難だが、適切な管理により生物システムの利益を最大化できる可能性がある。この不確実性への対処が、技術普及の重要な要素となる。
経済性と普及の課題
初期コストの高さ(特にDNA技術)や、生物システム特有のメンテナンス要件が普及の障壁となる可能性がある。しかし、長期的な自己修復機能やエネルギー効率の良さは、ライフサイクルコストの削減につながる。技術の成熟と量産効果により、経済性は改善していくと予想される。
建築と生物学の学際的協働
この分野の発展には、建築デザイナー、化学工学者、生物工学者、材料科学者などの密接な協力が不可欠である。各専門分野の知識を統合し、技術的実現可能性と美的価値を両立させる新しい職能が求められている。美術館展示などを通じた社会受容性の向上も重要な要素である。
キーワード解説
【生きた建築(Living Architecture)】
酵母、細菌、菌糸体、DNAなどの生物要素を建材に組み込み、浄化・修復・検知などの機能を持たせた建築技術
【ホルムアルデヒド吸収酵母】
室内空気中の発がん性物質ホルムアルデヒドを自然に除去する能力を持つ微生物
【DNAハイドロゲル】
合成DNAから作られるゲル状物質で、特定の環境変化に反応して蛍光タンパク質を生成する
【菌糸体(Mycelium)】
キノコの地下部分を構成する糸状の菌類ネットワークで、建材として強度と自己修復機能を提供
【BioKnit技術】
編み物構造に菌糸体を組み込み、軽量で強度があり自己修復可能な建材を作る技術
【バイオミネラリゼーション】
生物が鉱物を生成する自然プロセスを利用した、建材の強化や自己修復の仕組み
【3Dプリンティング建材】
コンピューター制御による積層造形で複雑な多孔質構造を持つセラミック建材を製造
【エンジニアード・リビング・マテリアルズ(ELM)】
生物機能を工学的に設計・制御した新世代の建築材料
【自己修復建材】
損傷を検知し、生物学的プロセスによって自動的に修復する能力を持つ材料
【持続可能建築】
CO2排出削減、廃棄物最小化、生分解性を重視した環境負荷の少ない建築手法