政治システムを変えるのが、本当に答えなの?──ネパールの制度改革論争から見える民主主義の課題
- Seo Seungchul

- 3 時間前
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シリーズ: 知新察来
◆今回のピックアップ記事:Ayusha Chalise "Nepal's democracy keeps doubting itself" "Designers join scientists to make living architecture a reality" (Nepal Times, 2025年9月28日)
概要:ネパールのZ世代による政府打倒後、首相の直接選挙制度導入を求める声が高まる中、その是非と民主主義への影響について論じた記事
Z世代の若者たちが汚職政治に怒り、街頭で声を上げました。そして今、ネパールで新たな議論が始まっています。首相を国民が直接選ぶべきか、それとも現在の議会制のままでよいのか。一見すると明快に思える制度変更の議論には、実は複雑な落とし穴が潜んでいます。
今回は、富良野とPhronaがこの問題の奥深さを探ります。政治制度の変更は本当に「答え」になるのでしょうか。それとも、問題の根っこはもっと別のところにあるのでしょうか。スリランカやアメリカの事例、そしてSNSが政治に与える影響も含めて、現代民主主義が抱える根本的な課題を見つめ直してみましょう。
システム変更への期待と疑問
富良野:ネパールの若い世代が首相の直接選挙を求めているという話、興味深いですね。「政治家が信用できないから、制度を変えよう」という発想は分かりやすいけれど、果たしてそれで本当に問題が解決するんでしょうか。
Phrona:そうですね。記事を読んでいて感じたのは、若い人たちの怒りの純粋さと、でも制度設計の複雑さとの間にある大きなギャップです。「同じ政党を何度も信頼したけれど、裏切られ続けた」という言葉は重いですよね。
富良野:そうなんです。でも、僕が気になるのは、制度を変えても根本的な問題が解決しない可能性があるということです。記事でも上級弁護士が「憲法自体に問題があるのではなく、政治アクターが良いガバナンスを実現できていないことが問題だ」と指摘していますよね。
Phrona:つまり、問題は制度設計そのものではなく、それを運用する人間の側にあるということでしょうか。でも一方で、若い世代の絶望感も理解できます。既存の枠組みの中では何も変わらないという実感があるから、制度自体を変えたくなる。
富良野:まさにそこなんですよ。制度変更への期待は理解できるけれど、直接選挙制にしたからといって汚職がなくなるわけではない。むしろ新たなリスクが生まれる可能性もある。
権力集中のリスク
Phrona:記事でスリランカの事例が挙げられていましたが、これは考えさせられますね。直接選挙で選ばれた大統領が権力を集中させて、結果的に民主主義を後退させてしまった。
富良野:スリランカのケースは本当に示唆的です。1978年憲法で大統領に大きな権限を与えたら、ラージャパクサ大統領が任期制限を撤廃したり、重要な任命権を独占したりした。そして2022年のアグラハーヤ運動——民衆蜂起につながった。
Phrona:皮肉ですよね。民主的な手続きで選ばれた指導者が、民主主義そのものを壊していく。でも、これって決して珍しいことではないのかもしれません。
富良野:そうですね。アメリカのトランプ前大統領の例も挙げられていました。直接選挙で選ばれた正統性を盾に、司法を攻撃したり、政敵を糾弾したりする。制度的なチェック機能を「民意の妨げ」として攻撃する論理は、確かに危険です。
Phrona:なるほど。つまり、直接選挙制度は「民意の代表」という強力な正統性を与える一方で、その正統性が暴走した時のブレーキが効きにくくなってしまうということですね。
富良野:その通りです。議会制であれば、与党と野党の競争、議会での質疑応答、連立政権内での調整など、自然と権力にブレーキがかかる仕組みがある。でも直接選挙制だと、「国民から直接選ばれた」という正統性が他の制度的チェックを上回ってしまう危険性がある。
SNSとポピュリズムの新たな脅威
Phrona:この記事で特に印象深かったのは、SNSが政治に与える影響についての分析です。カトマンズ市長のバレン・シャー氏の例が興味深いですね。
富良野:ああ、「バレン現象」ですね。SNSで人気を博した人物が実際に選挙で勝利を収めた。記事では「アルゴリズムを制する者が選挙を制する」という表現もありました。これは現代の政治にとって新しい課題ですよね。
Phrona:そうなんです。そして気になるのは、バレン市長への批判的なコメントが支持者からの反発を受けたり、アルゴリズムによって「関連性が低い」として排除されたりするという指摘です。これって、事実上の言論統制みたいなものじゃないでしょうか。
富良野:それは深刻な問題ですね。SNSのアルゴリズムが政治的な議論の質を左右してしまう。記事では「感情的な反応や感情に焦点を当てた会話が注目を集める一方で、政策論議は比較的注目されない」とも書かれていました。
Phrona:つまり、政策の中身よりも感情的な訴求力が重視される構造になってしまっている。これでは建設的な政治議論が成り立たないですよね。特に若い世代がニュースの情報源としてフェイスブックやYouTubeに依存しているという調査結果も紹介されていましたが。
富良野:記事によると、Z世代の82.6%がフェイスブックをニュース源にしているとか。そして「見出しだけのバイト化されたジャーナリズム」が読者を情報操作に脆弱にしているという指摘もある。これは本当に危険な状況です。
Phrona:考えてみると、ネパールの首相直接選挙論も、こうしたSNS政治の延長線上にあるのかもしれませんね。複雑な政治プロセスよりも、分かりやすい「解決策」を求める傾向。
制度論を超えた根本的課題
富良野:結局のところ、制度設計の問題と人々の政治リテラシーの問題は切り離せないということでしょうね。どんなに良い制度を作っても、それを適切に運用し、監視する市民の能力が伴わなければ機能しない。
Phrona:記事の最後で研究者のアユシャ・チャリセさんが「有権者のメディア・リテラシーと政治リテラシーを強化することが鍵」と指摘していますが、これが本質なのかもしれません。
富良野:そうですね。制度変更よりも先に取り組むべきことがある。でも、これって時間のかかる地味な作業なんですよね。若い世代の急いで変化を求める気持ちも分かるけれど。
Phrona:そこが難しいところですよね。即効性のある「解決策」を求める気持ちと、民主主義の成熟には時間がかかるという現実との間で。でも、安易な制度変更が逆に民主主義を危険にさらす可能性があるということを、スリランカやアメリカの例は教えてくれています。
富良野:ネパールの場合、過去45年間で君主制から議会制民主主義、そして連邦共和制まで、様々な制度を試してきたという歴史もある。でも、どの制度でも腐敗や不安定さは解決されなかった。これは制度の問題ではないということの証拠かもしれません。
Phrona:つまり、「制度を変えれば解決する」という発想自体が間違っているのかもしれませんね。制度は道具であって、それを使う人間の質や社会の成熟度が本質的な要素だということでしょうか。
民主主義の持続可能性
富良野:この記事を読んで感じるのは、民主主義って本当に脆いものだということです。人々の期待に応えられないと、すぐに「システムを変えよう」という話になる。でも、その変更が必ずしも良い結果をもたらすとは限らない。
Phrona:そうですね。民主主義は完璧なシステムではないけれど、現在のところ最も「まし」なシステムだという言葉を思い出します。でも、それを維持し続けるには絶えざる努力が必要なんですね。
富良野:特に現代は情報技術の発達で、政治の環境が急激に変化している。SNSによる世論形成、フェイクニュースの拡散、アルゴリズムによる情報の偏りなど、従来の民主主義理論では想定されていなかった課題が山積みです。
Phrona:ネパールの若い世代の怒りも、そうした現代的な課題の表れなのかもしれません。情報が氾濫する中で、何が真実で何が正しい方向性なのかを見極めるのが難しくなっている。だからこそ、分かりやすい「解決策」に飛びつきたくなる。
富良野:記事の研究者も言っていましたが、3月の選挙に向けて重要なのは「メディア・リテラシーと政治リテラシーの向上」なんでしょうね。これは時間のかかる取り組みだけれど、民主主義の基盤を固めるためには避けて通れない道だと思います。
Phrona:制度設計も大切だけれど、それを支える市民社会の成熟がもっと大切だということですね。ネパールの事例は、世界中の民主主義国家にとって重要な教訓を含んでいるような気がします。
ポイント整理
制度変更の限界
ネパールは過去45年間で様々な政治制度を試してきたが、腐敗や不安定さは制度変更では解決されていない。根本的な問題は制度設計ではなく、それを運用する政治アクターの質にある可能性が高い。
直接選挙制のリスク
首相の直接選挙制は「民意の代表」という強力な正統性を与える一方で、権力集中のリスクを孕む。スリランカでは大統領制が独裁的な権力行使につながり、アメリカでもトランプ前大統領が制度的チェック機能を攻撃する事例が見られた。
SNSがもたらす新たな政治課題
カトマンズ市長選挙での「バレン現象」が示すように、SNSアルゴリズムが選挙結果を左右する時代になった。感情的な訴求が政策論議よりも注目を集め、批判的な声がアルゴリズムや支持者の反発によって排除される構造的問題が存在する。
情報環境の変化
Z世代の82.6%がフェイスブックをニュース源とし、「見出しだけのバイト化されたジャーナリズム」が情報操作への脆弱性を高めている。偽情報や煽動的な内容が拡散しやすい環境が政治判断を歪める危険性がある。
政治・メディアリテラシーの重要性
制度変更よりも先に取り組むべきは、有権者のメディア・リテラシーと政治リテラシーの向上である。これは時間のかかる地味な作業だが、民主主義の基盤を強化するためには不可欠な取り組みである。
民主主義の脆弱性
現代の民主主義は情報技術の発達により新たな脅威に直面している。従来の制度的チェック機能だけでは対応できない課題が生まれており、市民社会の成熟度が制度の有効性を左右する重要な要素となっている。
キーワード解説
【Z世代抗議運動】
ネパールで汚職政治に対して若い世代が起こした政府打倒運動
【首相直接選挙制】
国民が直接首相を選ぶ制度(現在のネパールは議会制)
【議会制民主主義】
議会の多数派が政府を形成する制度
【権力集中リスク】
一人の指導者に過度な権限が集まることによる民主主義の危険
【アグラハーヤ運動】
2022年にスリランカで起きた大統領を打倒した民衆蜂起
【バレン現象】
SNSを活用してカトマンズ市長に当選したバレン・シャー氏の政治手法
【アルゴリズム政治】
SNSのアルゴリズムが政治的議論や選挙結果に与える影響
【ポピュリズム】
大衆の感情に訴えかける政治手法(しばしば専門性や制度を軽視)
【メディア・リテラシー】
情報を批判的に読み解く能力
【政治リテラシー】
政治制度や政策を理解し判断する能力
【制度的チェック機能】
権力の暴走を防ぐための相互監視システム
【IT細胞】
政治的な情報操作を行うSNS工作組織