「持たざる者」の戦術書──コミュニティ・オーガナイザーの古典的「教科書」をひもとく
- Seo Seungchul

- 7月6日
- 読了時間: 11分
更新日:7月16日

シリーズ: 書架逍遥
◆今回の書籍:Saul D. Alinsky 『Rules for Radicals: A Practical Primer for Realistic Radicals』 (1971年)
邦題:『市民運動の組織論』(現在絶版)
「持たざる者」が「持つ者」から権力を奪取するにはどうすればいいのか。1971年に出版されたソウル・アリンスキーの『Rules for Radicals』は、まさにこの問いに答えようとした実践的な手引書です。
コミュニティ・オーガナイザーとして、シカゴの貧困地域で実際に住民組織化を進めてきたアリンスキーが書いたこの本は、単なる理論書ではありません。権力構造に挑戦し、社会変革を実現するための具体的な戦術が詰まっています。そして、この本の手法は今や左派だけでなく、右派ポピュリズムにも活用されています。
今回は、富良野とPhronaがこの物議を醸す書物について語り合います。対立は民主主義にとって本当に必要なのか、日本でコミュニティ・オーガナイジングは可能なのか、そして戦術と価値をどう考えるべきなのか。二人の対話から、現代社会における組織化と変革の可能性が見えてくるはずです。
マキャベリの裏返し?
富良野:アリンスキーの『Rules for Radicals』ですが、「マキャベリの『君主論』が権力を持つ者のための本なら、これは持たざる者が権力を奪うための本だ」という、冒頭の宣言が強烈です。
Phrona:私、その対比にはちょっと違和感があったんです。マキャベリって、単純に権力者の味方だったわけじゃないでしょう? むしろ権力の残酷な現実を暴露することで、逆説的に民衆に何かを伝えようとしていたような気もして。
富良野:なるほど、確かにマキャベリの読み方は複雑ですよね。でもアリンスキーがここで言いたかったのは、要するに視点の転換だと思うんです。これまでの政治学が主に統治する側の論理で書かれていたとすれば、統治される側、いや統治から排除された側の論理を体系化しようとした。
Phrona:その試み自体は画期的ですよね。でも気になるのは、権力を奪う、という表現なんです。奪ったら、今度は自分たちが権力者になるわけでしょう? そこで同じことの繰り返しにならないか、って。
富良野:アリンスキーは、権力は生命の本質だと言っていて、問題は、それが一部の人間に独占されていることだと考えているんですよね。
Phrona:ああ、そうか。権力の再配分というか、民主化というか。でも実際の運動を見ていると、やっぱり新しい権力者が生まれるだけ、みたいなことも多いじゃないですか。
対立は創造の源泉?
富良野:その懸念はもっともです。ただ、アリンスキーの面白いところは、対立そのものを肯定的に捉えている点なんです。すべての新しいアイデアは対立から生まれる、と。
Phrona:私もそこ、すごく共感しました。日本だと対立イコール悪、みたいな空気があるけど、実はそれって思考停止を生むんですよね。でも待って、対立を肯定するのはいいとして、敵を作るっていうのはどうなんでしょう。
富良野:標的を固定化し、個人化し、分極化せよ、ですね。確かに過激に聞こえる。でも考えてみると、漠然とした「システム」に文句を言っても何も変わらない。具体的な標的があって初めて、人々は動き出すんじゃないでしょうか。
Phrona:うーん、戦術としては分かるんです。でも感情的には、誰かを敵にすることで自分たちがまとまる、っていうのが何だか悲しいというか。もっと別の連帯の仕方はないのかな、って思っちゃいます。
富良野:理想としてはそうですね。ただ現実問題として、共通の敵がいないと人はなかなかまとまらない。アリンスキーは理想主義者じゃなくて、徹底的なリアリストなんです。
Phrona:リアリストかあ。でもさ、富良野さん、そのリアリズムが行き過ぎると、目的のためなら手段を選ばない、みたいな話になりません?
手段と目的の関係
富良野:まさにその問題を、アリンスキーは正面から扱ってます。目的は手段を正当化するか、という古典的な問いに対して、彼は状況による、と答えるんです。
Phrona:状況による、ですか。何だか都合のいい答えに聞こえますね。
富良野:いや、でも彼の言い分も一理あって。例えばガンディーの非暴力も、単に道徳的だったからじゃなくて、当時のインドで一番効果的な戦術だったから選ばれた、と。もし他に選択肢があったら違う手段を取ったかもしれない。
Phrona:ああ、なるほど。手段の選択も戦略的なものだ、と。でも私が気になるのは、そういう計算高さが運動から何か大切なものを奪わないか、ってことなんです。純粋な怒りとか、正義への渇望とか。
富良野:面白い指摘ですね。でもアリンスキーは、感情を否定してるわけじゃないんです。むしろ怒りや希望、そして楽しさといった感情を組織化のエネルギーとして使えと言ってる。ただし、それを効果的な行動に変換する必要がある、と。
Phrona:楽しさ、っていうのがいいですよね。良い戦術とは自分たちが楽しめるものだ、って。日本の社会運動って、どうも深刻になりすぎる傾向があるから。
富良野:確かに。でも一方で、楽しければいいのか、という問題もありますよね。ネット右派の人たちも、きっと楽しんでやってる部分があるわけで。
Phrona:ああ、それは確かに。祭り感覚で誰かを攻撃する、みたいな。楽しさも使い方次第で毒にも薬にもなる。
富良野:だからこそ、感情を動員しつつも、それを建設的な方向に導く知恵が必要なんでしょうね。アリンスキーは、オーガナイザーには政治的二重思考が必要だと言ってます。戦術的には問題を二極化しながら、交渉時には現実的になれる能力。
Phrona:アリンスキーは"political schizoid"(政治的統合失調症)という言葉を使っていましたが、私にはむしろ、高度なバランス感覚に思えますね。熱くなりながらも冷静さを保つ、みたいな。
コミュニケーションの技術
富良野:アリンスキーが強調するもう一つの重要な点は、コミュニケーションです。人々の経験の範囲内で話さないと伝わらない、と。
Phrona:それ、本当に大事ですよね。活動家の人たちって、つい専門用語とか難しい理論とか使いがちだけど、それじゃ普通の人には響かない。
富良野:10ドル札を配ろうとして拒絶された話、面白かったですね。人々の経験の外にあることは、たとえ利益になることでも受け入れられない。
Phrona:でも私が思うのは、経験の範囲内で話すのは大事だけど、同時に新しい経験への扉も開かないといけない、ってことなんです。じゃないと、現状維持になっちゃう。
富良野:なるほど。既存の経験から出発して、少しずつ新しい可能性を示していく、という感じでしょうか。
Phrona:そうそう。アリンスキーも、質問を通じて人々を導く、ソクラテス的な方法を勧めてますよね。押し付けじゃなくて、自分で気づいてもらう。
ムフの闘技民主主義との接点
富良野:ただ、アリンスキーの手法は、今や右派ポピュリズムによってさらに先鋭化して使われている気がします。
Phrona:ティーパーティー運動とか、トランプ現象とか、確かにアリンスキー的な要素がありますよね。敵の固定化、嘲笑の武器化、既存エスタブリッシュメントへの攻撃。
富良野:そうなんです。手法自体は価値中立的で、誰でも使える。だからこそ、何のために使うのかという目的や価値観が重要になってくる。
Phrona:いや、でもそこはすごく難しいところで。自分たちは正しい目的のために使ってる、相手は間違った目的で使ってる、って、誰が判断するんでしょう。
富良野:確かに、政治に絶対的な正しさはありません。でも、そこで思い出されるのは、シャンタル・ムフの闘技民主主義理論です。
Phrona:ああ、対立は民主主義に不可欠だ、という。対立する相手を敵として殲滅しようとするんじゃなくて、対抗者として認めるのが、闘技民主主義の特徴ですよね。
富良野:そうそう。アンタゴニズム(敵対)をアゴニズム(闘技)に変換する、と。完全な合意は不可能だし、むしろ危険だと。でも民主主義の枠内で競い合うことはできる。
Phrona:ああ! そうか、それだ。対抗者として認め合うか、排除すべき敵として扱うかの違い。民主主義のルールを守って競い合うなら、たとえ意見が違っても正当な対抗者。でも民主主義の枠組み自体を壊そうとしたら、それは別の話になる。
富良野:まさにそうです。だから問題は、アリンスキーの戦術を使って相手を完全に排除しようとするのか、それとも民主的な競争の中で力関係を変えようとするのか、という点にあるんです。
Phrona:それはすごく大事な点ですね。アリンスキーは敵という言葉を使うけど、本当は対抗者として扱ってるんじゃないかな。だって、完全に排除したら、もう政治じゃなくて戦争になっちゃう。
富良野:アリンスキーとムフは、実は同じプロジェクトの違う側面を扱ってるのかもしれませんね。ムフが理論的な正当化をして、アリンスキーが実践的な方法を示す、みたいな。
Phrona:そう考えると、両方必要なんですよね。理論だけでも動かないし、実践だけでも方向性を見失う。
日本でオーガナイジングは可能か
富良野:最後に、Phronaさんは、このアリンスキーの教えを、現代の日本にどう活かせると思いますか。
Phrona:うーん、このアリンスキー的な組織化って、日本では根付いてないですよね。日本人は文化的に対立を避ける傾向がある、ということが理由なのかな。
富良野:日本人は対立を避ける、というのはステレオタイプな気がします。日本の歴史を見れば、一揆とか、激しい労働争議とか、いくらでも対立はありますし、政治ニュースへの関心も政策論争よりも政局とか大好きじゃないですか。
Phrona:確かに、対立はあるんだけど、それが正当な政治的表現として認められない。デモをすれば迷惑だと言われ、ストライキをすれば自分勝手だと批判される。そういう対立を可視化させないメカニズムが働いている、と考えた方がいいのかもしれませんね。
富良野:そうなんです。だから、対立を健全な形で表現するチャンネルを作ることができれば、アリンスキー的な組織化の手法は日本の文脈でも意義が大きいように思うんです。
Phrona:そのまま輸入するんじゃなくて、隠れた怒りや不満を、建設的な行動に変える方法として、日本のニーズに合わせた形で展開する必要があるということですね。例えば、対立を作るにしても、敵を攻撃するだけじゃなくて、提案型にするとか。
富良野:そうですね。あと、既存の組織やネットワークを活かすことも大事かも。ゼロから作るんじゃなくて、町内会とか、PTAとか、既にあるものを変革の基盤にする。
Phrona:面白いですね。でも時には、既存の枠組みに挑戦することも必要でしょう。そのバランスが難しい。
富良野:本当にそう思います。でも私、アリンスキーから学ぶべき一番大切なことは、普通の人々が組織化されれば大きな力を持てる、という信念だと思うんです。
Phrona:権力は上から与えられるものじゃなくて、下から作り出すものだ、と。その意味で、アリンスキーのメッセージは今でも、いやむしろ今だからこそ重要なのかもしれませんね。
ポイント整理
アリンスキーは「持たざる者」が権力を獲得するための実践的方法論を体系化した
対立を否定的にではなく、創造と変化の源泉として肯定的に捉える
13の戦術的ルールは、権力構造に挑戦するための具体的指針を提供
1. 権力は持っているものだけでなく、敵が持っていると思っているものでもある
実際の力以上に強く見せることで、相手を萎縮させる心理戦術
2. 決して自分たちの経験の外に出てはならない
不慣れな領域では失敗しやすい。自分たちの強みを活かせる範囲で行動する
3. 可能な限り敵の経験の外に出る
相手を不慣れな状況に追い込むことで、混乱と不安を生み出す
4. 敵に自分たちのルールブックに従って生きることを強制する
相手が掲げる理想や規則を厳密に守らせることで、矛盾を暴露する
5. 嘲笑は人間の最も強力な武器である
ユーモアと皮肉は防御が困難で、相手の権威を効果的に損なう
6. 良い戦術とは自分たちが楽しめるものである
参加者が楽しめる活動は持続し、より多くの人を引きつける
7. 長引く戦術は退屈になる
同じ手法の繰り返しは効果を失う。常に新しい戦術を開発する必要がある
8. 圧力を維持し続ける
一時的な勝利で満足せず、継続的な圧力で根本的な変化を迫る
9. 脅威は実際の行動よりも恐ろしいことが多い
何をするか分からない不確実性が、相手により大きな不安を与える
10. 否定的なものを強く深く押し進めれば、それは肯定的なものに転換する
相手の過剰反応を引き出すことで、世論の同情を獲得できる
11. 成功した攻撃の代価は建設的な代替案である
批判だけでなく、実現可能な解決策を提示する責任がある
12. 標的を選び、凍結し、個人化し、分極化せよ
漠然とした「システム」ではなく、具体的な個人や組織を標的にする
13. 戦術の選択は、どれだけの選択肢があるかによって決まる
利用可能な資源と機会に応じて、最も効果的な手法を選ぶ
手段と目的の関係について、状況に応じた現実主義的アプローチを提唱
感情(怒り、希望、楽しさ)を組織化のエネルギーとして活用することの重要性
コミュニケーションは相手の経験の範囲内で行う必要がある
アリンスキーの手法は価値中立的で、右派ポピュリズムにも利用されている
日本での展開には文化的文脈を考慮した適応が必要
シャンタル・ムフの闘技民主主義論と高い親和性を持つ
キーワード解説
【コミュニティ・オーガナイジング】
地域住民を組織化し、集団的な力を構築する手法
【闘技民主主義】
対立を民主主義の本質として肯定するムフの政治理論
【ヘゲモニー】
文化的・思想的な指導権、支配的な価値観
【Have-Nots vs Haves】
持たざる者と持つ者という対立軸
【政治的二重思考(political schizoid)】
戦術的二極化と現実的交渉を両立させる能力