空気は政治でできている──政治学的インテリジェンスという「自由の技法」
- Seo Seungchul

- 7月10日
- 読了時間: 24分

シリーズ: 行雲流水
序章|なぜ、あの会議で「誰も反対しない」のか?
会議室の重苦しい沈黙。誰もが内心では「これはおかしい」と感じているのに、なぜか誰一人として声を上げない。そして最後には、その「おかしな案」がすんなりと承認されてしまう――。
Sさんは、また同じ光景を目にしていた。
「では、この件はこの方向で進めることになりましたので、皆さんよろしくお願いします」
課長の言葉に、会議室にいた参加者たちが小さく頷く。Sさんも無意識に頷きかけて、ふと動きを止めた。
また、この「空気」か……。
新システムの導入計画。どう考えても現場の実情を無視した机上の空論だ。莫大な導入コストと、現場に丸投げされる運用負担。それなのに、誰も反対しない。いや、反対できない。
隣の同僚がチラリとSさんを見る。その目は何かを期待しているようでもあり、「余計なことは言うなよ」と警告しているようでもある。結局、Sさんは小さく頷いてしまった。
会議の後、給湯室では同僚たちの本音が漏れる。
「あのシステム、絶対うまくいかないよね」「現場のこと、何も分かってない」「普通、あんな案は通さないでしょう」
しかし、もしあの場で誰かが反対していたらどうだっただろう。その人はきっと「空気の読めない人」「協調性がない人」と、周囲からひそかに非難されていたに違いない。「普通」の空気に逆らうことは、常にリスクを伴うのだ。
なぜ私たちは、明らかにおかしいと感じながらも、それを「仕方がない」「こういうものだ」と自分に言い聞かせてしまうのだろう?
それは、職場で起きているこの出来事が実は「政治」の問題であることに気づいていないからかもしれない。多くの人は「政治」と聞くと、国会の論戦や選挙を思い浮かべる。そして「自分には関係ない」「政治の話は面倒くさい」と距離を置いてしまう。
だが、ちょっと待ってほしい。
あなたが本当に向き合うべき「政治」は、永田町にあるのではない。それはまさにあなたの職場で、日々繰り返されている。上司への忖度、同僚への遠慮、そして見えない駆け引き――こうした日常こそが「政治」そのものなのだ。
政治学者たちはこれを「マイクロポリティクス」と呼ぶ。国家や政党の話ではなく、日常のなかにひそむ小さな駆け引きや、目に見えない力関係のことだ。あなたの職場を覆う、あの息苦しい「空気」こそが、まさに政治そのものなのだ。
この記事では、まずその「空気」の正体を探っていく。なぜ私たちは空気に従ってしまうのか。その背後にはどんなメカニズムが働いているのか。そして最も大切な問い――空気に飲み込まれずに、自分自身の「判断」を取り戻す方法はあるのか。
あなたはもう、無力な被害者でいる必要はない。「空気」という名の見えない政治を理解し、それに対抗する術を身につければ、職場でのあなたのふるまいは確実に変わる。
明日の会議では、きっと違う選択ができるようになる。その第一歩を、一緒に踏み出そう。
第1章|職場を支配する「3つの見えない力」
職場の「空気」はなぜここまで強力なのか。それは、私たちを縛る「3つの見えない力」が複雑に絡み合っているからだ。これらの力は非常に巧妙で、普段は意識すらしない。しかし、一度その仕組みを理解すると、これまで見えなかったものが見えてくる。
①《見えない監視塔》――パノプティコン的自己監視
18世紀の哲学者ジェレミー・ベンサムは、効率的な監獄の設計図を考案した。中央に監視塔があり、その周囲に囚人たちの独房が円状に配置されている。看守からは囚人が見えるが、囚人から看守は見えない。大事なのは、看守が実際にいるかどうかではなく、「いるかもしれない」という可能性だけで、囚人が常に「見られている」と感じ、自ら規律正しく行動するようになることだ。
これが「パノプティコン」と呼ばれる監視システムである。
「まさか、うちの会社に監視塔なんてない」そう思うかもしれないが、本当にそうだろうか。
リモートワークが普及した今、多くの企業がSlackやTeamsを導入している。あなたのステータスは今、何色になっているだろうか。緑の「オンライン」? それとも黄色の「離席中」?
「ちょっとコンビニに行ってこよう」そう思った時、ステータスを「離席中」に変えるのをためらったことはないだろうか。上司や同僚に「サボっている」と思われたくないから、トイレに行く時も昼食を取る時も、常に「オンライン」の状態を維持しようとする。
誰も「24時間オンラインでいろ」とは言っていない。それでも私たちは、自分自身を勝手に監視し、縛りつける。これが現代のパノプティコンだ。
ある営業職の女性はこう語った。「在宅勤務の日、子どもの保育園のお迎えで16時半に仕事を切り上げたかったんです。でも、Slackが『離席中』になるのが怖くて。結局スマホでSlackを開いたまま保育園に向かいました」
監視塔には看守はいない。いるのは、自分自身を見張る無数の「私」たちだけなのだ。
②《心地よい服従》――ストックホルム症候群的自己同化
1973年、スウェーデンのストックホルムで銀行強盗事件が起きた。人質となった人々は解放後、なぜか犯人を擁護し、警察を批判した。強い心理的プレッシャーの中で、自分の生殺与奪を握る側に依存し、価値観まで同化してしまう現象――これが後に「ストックホルム症候群」と呼ばれるようになった。
「そんな極端な話、職場には関係ない」と感じるなら、もう一度考えてみてほしい。
カリスマ経営者のもとで働く社員たちを考えてみよう。朝礼で社訓を唱和し、経営者の著書を読み、その考え方を「賢明で優れたもの」とすることが暗黙の前提となっている。違和感を覚えても、それを口に出すことは憚られる。残業を厭わず、プライベートさえも会社に捧げ、それを「やりがい」と呼ぶのだ。
「この会社で働けることが誇りです」「社長の期待に応えたい」「うちの社長は本当にすごいですね」
ある若手社員はこう語った。「最初は正直、朝礼や社訓なんて宗教みたいで気持ち悪いと思っていました。でも3ヶ月もすると慣れてしまって、今では社長の考え方に共感している自分がいます。批判的に考えるのって疲れますからね」
そう、批判的に考えることは疲れる。誰かの価値観に自分を預けてしまえば楽になれる。自分で判断する必要も、責任を負う必要もなくなるからだ。
この「心地よい服従」に慣れてしまうと、やがて直接的な権力を持っていない相手にまで、自分の判断を委ねるようになる。インフルエンサーの発言を無批判に受け入れるのも、まさにその一例だ。「○○さんが言うなら間違いない」「この人の言う通りにすれば成功できる」と、自らの判断を手放してしまうのだ。
しかし、その「心地よさ」の代償は、あなた自身の判断力だ。いつの間にか自分の頭で考えることを放棄し、誰かの操り人形になってしまう。それなのに本人は「自分の意志で選んでいる」と信じている――これこそが、ストックホルム症候群的自己同化の恐ろしさなのだ。
③《「普通」という名の暴力》――有徴性への攻撃
「常識的に考えればわかるよね」「普通はこうするでしょう」「社会人として当然だろう」
こんな言葉を耳にしたことはないだろうか。あるいは、自分自身も無意識のうちに口にしているかもしれない。
社会学者ロラン・バルトは、「無徴(unmarked)」と「有徴(marked)」という概念を提示した。私たちが「普通」や「常識」として受け入れているものは、実際には特定の価値観や権力構造を反映している。しかしそれらは、あたかも無色透明で中立な「無徴=当たり前」として扱われるため、その基準から外れたものは自然と「有徴=異質なもの」とみなされ、無意識のうちに疑いの目で見られたり、攻撃の対象となったりしてしまうのだ。
現代の職場では、この「無徴性の雲」が知らず知らずのうちに隅々まで広がっている。
例えば、男性ばかりの部署に女性がごく少数しかいないケースを考えてみよう。最近こそ違和感を持つ人も増えてきたが、少し前までの職場では、多くの場合ごく当たり前の光景だった。しかし逆に、女性ばかりの部署に男性が1〜2人しかいない場合はどうだろう。多くの人はその男性に対して、「女性ばかりで大変でしょう」と声をかける。これは、「女性ばかり」の環境が明らかに「普通ではない=有徴」だと認識されている証拠だ。
「外国人管理職」という言葉についても同じことが言える。なぜわざわざ「外国人」と強調するのか。それは、管理職=日本人という無意識の前提が会社や社会の中にあるからである。日本人が管理職に就くことは無徴で「普通」だから特筆されないが、外国人が管理職になれば「有徴」であり、特別なこととして認識される。
「無徴性の雲」の怖さは、自分がその中にいることに気づきにくく、無意識のうちに「有徴」とされる側の考え方や行動様式を価値の低いものと見なしたり、感情的な反発を覚えたりしてしまうことだ。「当然」とされることほど疑われにくく、そのため知らず知らずのうちに差別や排除を生んでしまう。
典型的な例として、「社会人らしく」という言葉が使われる場面を考えてみよう。「社会人らしさ」という曖昧な基準が恣意的に作られ、いつしか絶対的な尺度となってしまう。そして、その基準から外れた人は「未熟だ」「非常識だ」と決めつけられてしまうのだ。
最も警戒すべきなのは、こうした排除が「集団の和のため」「共通善のため」という名目で行われることである。一生懸命仕事をしない人は「悪」、企業文化になじめない人は「変わり者」とされ、「みんなのために良いこと」が無自覚な抑圧となってしまうのだ。
「無徴性の雲」は、私たちが「正しいことをしている」と信じているときほど濃く広がっていく。
これまで挙げた3つの「見えない力」――パノプティコン的自己監視、ストックホルム症候群的自己同化、無徴性の雲――は、それぞれ別個に存在しているわけではない。見えない視線を感じて自らを監視するところから始まり(パノプティコン)、強い存在に依存してその価値観に自分を同化させ(ストックホルム症候群)、最終的にその基準から外れた他者を「異質なもの」として攻撃する(有徴性への攻撃)という一連のプロセスを形づくっている。
つまり、このプロセスを通じて職場の「空気」は、誰にも抗えないほど強固になっていく。そして私たちは、このすべてを自らの意志で選択したかのように思い込んでいるのだ。
だが、絶望する必要はない。この構造を理解することこそが、そこから抜け出すための最初の一歩なのだ。次章以降では、この一連のプロセスに飲み込まれず、自分自身の判断を取り戻すための技法を提示していこう。
第2章|空気に飲み込まれないための「政治学的インテリジェンス」とは
職場や日常で私たちが感じる「空気」は、具体的な意思決定が行われる前に、「何について、どのようなプロセスで意思決定がされるか」という、意思決定の「場」の設定に静かに関わっている。この意味で、空気は極めて政治的な装置として機能している。
ここでいう「政治的」とは、単に権力争いを指すのではない。意思決定や判断のプロセスが決して中立ではなく、必ず特定の人や集団の価値観・利害を反映している、ということを表している。「何を議題にするか」「誰の声を優先して聞くか」「どんな基準で判断するか」――これらのすべてに見えない力関係が作用しているのだ。そして当然、その結果は公平ではない。ある人には有利に働き、別の人には不利益を与える。このような偏りやそれが生み出す不均衡まで含めて、「政治的」という言葉は使われている。
政治学的インテリジェンスを身につけるとは、私たち自身が日常の中でこうした微細な政治――マイクロポリティクス――に巻き込まれていることを自覚的に認識し、その状況に意識的に働きかける能力を育てることである。
ここからは、この政治学的インテリジェンスの基本的な考え方を、5つのポイントで順に整理していこう。
① 意思決定の「場」は平らではなく、必ず権力の勾配がある
「政治学とは何か?」という問いに簡潔に答えるならば、それは「権力と秩序の関係を研究する学問」である、ということになるだろう。
政治学の重要な分析対象である「権力」とは、「他者に自分の意志を従わせる能力」と定義され、一部の特別な人だけが持つものではない。どのような職場にも、複雑な権力関係が存在する。役職、経験年数、専門知識、人脈、さらには性別や年齢といった多様な要素が絡み合い、目に見える形でも見えない形でも私たちの権力関係を生み出している。
たとえば、「会議では誰でも自由に発言できる」と公式には謳われていても、実際には特定の人物の意見ばかりが重視され、それ以外の人は意見を言いづらい状況がある。このような場合、その背景には権力の勾配(権力関係の偏り)が存在している可能性が高い。
政治学的な視点を持つというのは、「誰がどのような影響力を持ち、なぜ特定の意見が通りやすく、他の意見は軽視されるのか」を意識的に観察し、その構造を理解しようとすることだ。
私たちは状況によって不利な立場に置かれることもあるが、一方で、自覚しないまま他者より優位な立場に立っていることもある。自分自身もまた無意識のうちに権力を振るっている可能性があることを認識し、自分がその権力の勾配のどこに位置しているかを客観的に把握することで、初めて主体的な判断や行動を取り戻すことができるのだ。
② 制度やルールは運命でも必然でもなく、変えられる
私たちが直面する制度や規範、さらにはそれを支える権力勾配も、決して自然で固定的なものではない。それらは特定の社会的背景や歴史的条件の下で人為的に形成された「偶有的(contingent)」な存在である。
これまで「当たり前」と考えられてきたルールや判断基準も、何らかの利害や価値観によって作り上げられたものであり、必ずしも永続的なものではない。こうした偶然性を認識し、必要であればそれを主体的に変えていける可能性に気づくことが必要である。
③ 制度やルールが生み出す結果は公平ではなく、不均衡である
いまある仕組みや規範によって生まれる影響は決して均一ではない。どんな制度やルールも、特定の人や集団にとって有利に働き、他の人々にとっては不利に作用することが多い。しかし、その不均衡は往々にして見えづらくなっている。
この見えにくい不均衡を可視化する能力を身につけることが、政治学的インテリジェンスの重要な要素である。「誰が得をし、誰が損をしているのか」「この仕組みや規範は本当に公平なのか」と問い続けることで、職場や社会の状況をより公平で健全な方向に変えていくための主体性を手に入れることができるのだ。
④ 自分自身も「空気」や規範をつくることに参加している
「空気」や規範をつくっているのは、他の人たちだけではない。私たち自身もその作業に参加している。私たち自身の普段の振る舞いや判断が、意思決定の「場」の偏りを再生産していることを自覚することが大切だ。
なぜなら、この自覚がないまま日々を過ごしていると、いつの間にか自分が全く望んでいなかったはずの結果を生み出すことに加担してしまうことになりかねないからだ。
「長時間労働は良くない」と思いながら定時退社する同僚に冷たい視線を送る。「多様な意見が大切」と言いながら異論を述べる部下を「面倒な人」扱いする。こうした小さな行動の積み重ねが、やがて息苦しい規範を作り上げていく。気づいた時には、もう後戻りできないほど強固な「空気」が完成している――そうなる前に、私たちは自分の行動が何を生み出しているかを見つめ直す必要がある。
第3章|「政治学的インテリジェンス」の実践――分析から行動へ
この章では、職場や日常で起きる現象に表面的な判断で反応するのではなく、その背後にある構造を冷静に分析する視点と行動のヒントを整理していく。
① 「意見」の背後にある「利害(インタレスト)」を捉える
職場の会議で、部署間の意見が対立する場面を考えてみよう。営業部と製造部が納期の問題で対立しているようなケースだ。
営業部:「お客様からの要望が強いので、もっと納期を短くできませんか?」製造部:「品質確保のために、これ以上の短縮は厳しいです」
一見すると、ここでは営業部と製造部の単純な利害の衝突が起きているように見える。しかし、実際には、公的な利害と私的な利害、さらには「職場の空気」を乱したくないという感情的・心理的要素が複雑に絡み合っている。
まず、公的な利害とは、営業部なら顧客満足度や売上高の達成、製造部なら品質基準や納品ミスを防ぐことである。一方で、私的な利害も存在する。営業部の担当者は顧客対応を早く進めることで、自分自身の評価や昇進に繋がる可能性がある。製造部の担当者もまた、品質を維持することが、自分の職業的プライドや部署内での評価を守ることになる。
しかし、この会議の場では、互いに自分の利害をストレートに主張することが避けられてしまった。「相手の部署と明確に対立すれば、職場の雰囲気が悪くなる」「自己中心的だと思われるかもしれない」という、職場の空気を意識する心理が働いたからだ。
結果として、表面的な議論だけで妥協してしまい、「とりあえず検討しましょう」という曖昧な結論で終わってしまった。本音の利害を率直に話し合えないために、職場の空気は守られたが、問題は先送りされてしまったのだ。
◇状況を読み解くための問い◇
この議論の背後には、公的な利害と私的な利害がどのように混ざり合っているのか?
本音の利害を口にできない「空気」は、どこから生まれているのか?
このまま空気を優先することで、職場にとって本当に良い結論が出るのか?
◇行動のヒント◇
「お互いの意見がぶつかっていますが、それぞれが本当に大事にしていることを明確にして、双方の利害を満たす新たな方法を考えませんか?」と対話の土台を作ることで、建設的な解決策へと導く。
② 「個人」ではなく「制度(システム)」で見る
「最近の若手は積極的に意見を出さない」「自分から行動しない」といった不満がよく聞かれる。しかし、それを個人の性格や意欲の問題と捉えてしまう前に、職場の制度や仕組みが生み出す「空気」に原因がないかを考える必要がある。
たとえば、ある企業では毎週のミーティングで「自由に意見を出してほしい」と上司が呼びかけていた。ところが、若手社員は会議でまったく発言しない。経営陣は「最近の若手は意欲が低い」と不満を口にする。
しかし、実際には別の事情があった。この職場では、提案をしてもほとんど採用されず、しかも提案が通らなかった場合には個人の評価が下がるという慣行が存在していた。そのため、会議では「自由に意見を出してほしい」と建前では言われても、実際には若手社員が発言をためらうような空気が自然と形成されていたのだ。
また、上司への提案自体を評価したり、失敗したアイデアを「前向きな挑戦」として認めたりする仕組みもなかった。結果として若手社員は、意見を出すことで自分が不利益を被ることを恐れ、「黙っているほうが無難」という空気を敏感に感じ取っていたのである。
◇状況を読み解くための問い◇
若手社員が会議で積極的に発言しないのは、本当に個人の資質の問題なのか?
提案やアイデアを評価する制度や仕組みが整備されているか?
制度上の問題によって生じる職場の空気が、社員の主体性を奪っていないか?
◇行動のヒント◇
「個人のやる気や能力に問題があるのではなく、制度や仕組みを改善することで解決できる可能性があります。具体的な制度改革を議論しませんか?」と提案し、職場の状況を前向きに変える。
③ 「語られているトピック」より先に「設定されたアジェンダ」を見る
職場での議論や会議では、目の前の議題やトピックについて議論をしているつもりでも、実際には「なぜこの話題が議題になっているのか」「なぜ別の重要な問題が話題にならないのか」といったことを疑問に感じる場面がある。
たとえば、多くの企業が「働き方改革」のための会議を頻繁に開催している。しかし、実際の議論は「いかに残業時間を削減するか」というテーマばかりが繰り返されている。参加者たちも、「定時退社を励行しよう」「勤務時間をもっと厳密に管理しよう」という表面的な議論に終始することが多い。
一方で、なぜか「業務量の見直し」や「人員増強」といった根本的な話題は議題にすら上がらない。それらを提起しようとすると、「それは別の場で」「現実的には難しい」とすぐに話題が逸らされる。このように、重要なトピックが議題から意図的に外されることによって、参加者たちは本質的な議論に踏み込めないまま、曖昧な「空気」を維持する方向に向かってしまう。なぜこんなことが起きるのか。
それは、「議題(アジェンダ)」を設定すること自体が、一種の政治的な行為だからである。アジェンダを設定したり、議題を選んだりする人は、「何が問題で何が問題でないか」をコントロールしている。そのため、アジェンダに乗らなかった問題は、どんなに重要でも議論の対象にはならない。
◇状況を読み解くための問い◇
この議論では、なぜ今のテーマが議題に選ばれているのか?
誰が、どのような意図でこの議題を設定したのか?
重要なのに取り上げられていない話題はないか。それはなぜ無視されているのか?
◇行動のヒント◇
「いま議論しているテーマも大切ですが、そもそもこの問題が最重要課題であるか、一度見直してみませんか?」とアジェンダ自体を問い直し、職場の対話をより根本的で有意義な方向に導く。
④ 「権力」と「影響力」の関係を見る
表面的には自由に意見を交換しているように見えても、最終的な意思決定が特定の人の意見や一言によって大きく左右されることがある。
たとえば、あるプロジェクトで議論が行き詰まったとき、同じ役職であるにもかかわらず、ベテラン社員の発言によって一気に方向性が決まってしまうというケースを考えてみよう。
若手社員:「新しい市場を狙うためには、もっと思い切ったコンセプト変更が必要だと思います。」
ベテラン社員:「いや、これまでの方針で十分。変更するのはリスクが大きすぎるよ。」
若手社員の提案に賛同する社員がいても、ベテラン社員のひと言で議論が終わり、会議室はそれ以上の議論を許さない「空気」に包まれてしまう。このとき、なぜ誰も反論しないのだろうか?
それは、職場には役職や公式な権限とは別に、「非公式な影響力」や「隠れた権力構造」が存在するからだ。ベテラン社員は役職上の権力以上に、豊富な経験や実績、上層部との人間関係を背景にした「影響力」を持っている。そのため、彼が発言すると周囲が自然と追従するような雰囲気が生まれてしまうのだ。
また、会議前の「根回し」や事前の「調整」が行われることで、会議での議論自体が形式的なものになり、誰もが「もう結論は決まっている」と感じ取ってしまうこともある。こうした隠れた権力構造や影響力の存在は、会議の中で明確に意識されることはほとんどなく、職場の意思決定を見えないところで大きく左右している。
◇状況を読み解くための問い◇
最終的にこの意思決定に最も大きな影響を与えたのは誰か?
その人の発言が重視される理由は何か?役職か、経験か、人間関係か?
事前に誰かが意図的に根回しや調整をして、結論を誘導していないか?
◇行動のヒント◇
「あの人の意見が通りやすいのはなぜか? 事前にその人の関心や懸念を理解し、より説得力のある提案を準備しておこう」と戦略的に行動を計画する。
⑤ 「正統性」と「規範」の基準を見る
職場の意思決定や対話がうまくいかないとき、その背景には異なる規範や正統性が存在し、それらが無意識のうちにぶつかり合っていることがある。しかし、具体的な問題の議論にばかり集中していると表面的な対立に終始してしまい、「そもそも、何を正しいと考えているのか」という規範そのものを話し合い、互いの認識をすり合わせる機会はほとんどないのが現実だ。
例えば、ある中堅企業でのケースを考えてみよう。その会社は創業者である社長が自らの苦労話を繰り返し語り、苦労や努力を重んじる「苦労至上主義」が社内の文化として定着していた。社員たちは「苦労すること」「頑張ること」自体が高く評価される職場の空気に慣れていた。
しかし、若手幹部が入社し、業務の効率化やイノベーションを推進し始めると、この苦労至上主義との間で衝突が起き始めた。若手幹部が社内の業務改善としてデジタル化や効率化の施策を提案した際、創業社長はそれに対して、「それはまだ時期尚早だ」「今までのやり方にはそれなりの良さがある」と、具体的な施策の細かいデメリットやリスクだけを指摘した。若手幹部はそれを聞いて、「社長は変化に消極的だ」「効率性や合理性を理解していない」と不満を感じる。
しかし、このやりとりで二人が話しているのは、あくまで具体的な施策の良し悪しばかりで、「苦労や手間を尊ぶべきだという価値観」と「効率や成果こそが重要という価値観」という、お互いの判断の基準そのものは全く議論されなかった。そのため、話し合いはいつまでも表面的な対立に終始し、互いの規範を理解しあう機会を持てないまま、すれ違いが深まっていったのだ。
◇状況を読み解くための問い◇
職場内で正しいとされる規範は何か?その規範はどこから来ているのか?
お互いの意見がすれ違う本当の原因は、具体的な施策や業務ではなく、規範そのものにあるのではないか?
規範を直接議論しないことで、かえって職場の空気が悪化していないか?
◇行動のヒント◇
「長時間働くことが本当に良いことなのでしょうか? 私たちがもっと効率的で健康的に働ける新しい方法を考えてみませんか?」と、規範自体を議論の対象にする。この問いによって、職場の価値観を更新し、より柔軟で持続可能な働き方を可能にする。
⑥ 「アイデンティティ」と「感情」の要素を見る
職場での対立やすれ違いは、しばしば表面的な意見や利害を超えて、個人のアイデンティティや感情に深く関わっている。人は、自分自身の価値観や自己イメージが脅かされると感じると、合理的な判断を超えて感情的に反応してしまうことがある。
例えば、ある企業で長年あるプロジェクトを担当してきたベテラン社員を考えてみよう。そのプロジェクトはかつては会社の花形だったが、近年は市場の変化に対応できず業績が低迷していた。若手幹部が「プロジェクトの抜本的な見直しや、場合によっては撤退も検討すべきだ」と提案したところ、ベテラン社員は激しく反発した。
ベテラン社員の反応は単にプロジェクトの是非を巡る議論を超えていた。彼にとってこのプロジェクトは、自分のキャリアやプライド、長年培ってきた専門性や職業人としての自己イメージそのものを象徴していたのだ。プロジェクトへの批判は、彼自身の価値や存在意義を否定されるように感じられた。
一方、若手幹部はベテラン社員の反応を見て、「合理的な判断ができない人だ」と不満を感じた。若手幹部自身も、「合理的に判断し、成果を上げる有能なリーダー」という自己イメージを持っていたため、ベテラン社員の感情的な態度に苛立ちを覚えたのだ。しかし彼もまた、自分の感情や自己イメージが問題に深く関わっていることには無自覚であった。そのため、二人の対話はますますすれ違い、対立が深刻化してしまったのだ。
ここで重要なのは、感情やアイデンティティを切り離した客観的で合理的な意思決定が、必ずしも優れているわけではないということだ。感情的な反応は、個人が何を価値あるものとして大切に感じているかを知らせる貴重な手がかりである。感情を単に排除するのではなく、それを出発点として踏み込んだ対話を進めることができれば、より深い理解や建設的な合意につなげることができる。今回の対立は、双方が自分の感情やアイデンティティに深く関わっていることを意識できず、表面的な対話に終始したために深刻化してしまったのだ。
◇状況を読み解くための問い◇
この問題は、単なる意見や利害の対立を超えて、個人の感情やアイデンティティに関わっていないか?
相手の激しい反応の裏にある感情や自己イメージを理解しようとしているか?
自分自身もまた、感情的に反応している可能性を認識できているか?
◇行動のヒント◇
「このプロジェクトに対して強い思い入れがあることを理解しています。あなたの経験やこれまでの努力を尊重しつつ、同時に会社として前に進むための方法を一緒に考えましょう。」と、感情や自己イメージに寄り添った対話を行う。このようにすることで、職場で起きる問題や対立をより建設的で深い対話へと導くことが可能になる。
明日からできる小さな実践
この章で紹介した小さな取り組みを明日から少しずつ積み重ねていくことで、あなたは徐々に、自律的な判断と行動を取り戻すことができる。職場の空気に翻弄されるのではなく、自らその空気に働きかけ、昨日よりも自由にふるまえるようになるだろう。
会議や対話の中で、それぞれの意見の裏側にある利害関係を意識してみる
職場で起きる問題を「個人の問題」とだけ考えるのをやめ、「制度や仕組み」の観点から見直す
与えられた議題だけでなく、「そもそもなぜこの議題が挙がったのか?」を問い直してみる
職場の権力や影響力の構造を意識し、誰がどのように意思決定に影響を与えているのかを観察する
職場で当然とされる価値観や規範を問い直し、「それは本当に公平で妥当なのか?」と問いかける
自分や相手の感情やアイデンティティを大切にし、それを起点に深い対話をしてみる
終章|「判断」と「倫理」を取り戻す「自由の技法」
日常の職場や生活において、その場の空気に飲み込まれず、自分の目で状況を確かめ、自分の考えで行動することは簡単ではないが、不可能でもない。それは、自分自身の判断や倫理を引き受けるということだ。
政治学的インテリジェンスとは、「今はこうだから」と現状を追認する姿勢から、「本来はどうあるべきなのか」と問い直す姿勢へと転換するための知性だ。他人の言葉ではなく、自分自身の言葉でその答えを導き出すために必要な視点である。
これは倫理や価値判断を教科書や他者に委ねず、自らの責任で引き受ける覚悟を意味する。場の空気や権力関係に流されず、自分自身の価値観と責任に基づいて選択する。その一つひとつの選択を、明確に自覚できるようになる。
それが本当の意味で、自律的に生きるということだ。

