資本主義の二つの顔──奪うイナゴと創造する蜂
- Seo Seungchul

- 7月11日
- 読了時間: 8分
更新日:7月24日

シリーズ: 書架逍遥
◆今回の書籍: Geoff Mulgan 『The Locust and the Bee: Predators and Creators in Capitalism's Future』 (2013年)
2008年の金融危機から15年以上が経った今、私たちは資本主義というシステムをどう捉え直すべきでしょうか。イギリスの政策思想家ジェフ・マルガンは、資本主義を「蜂」と「バッタ」という生き物にたとえて、その二面性を鮮やかに描き出しました。
創造し、協働し、価値を生み出す蜂。そして群れをなして襲いかかり、あるものすべてを食い尽くすイナゴ。この比喩は単純に見えて、実は私たちが生きる経済システムの本質的な矛盾を突いています。
マルガンは元イギリス首相の戦略室長を務めた実務家でもあり、理想論だけでなく現実的な変革の道筋を探ろうとしています。今回は富良野とPhronaが、この挑発的な本を手がかりに、資本主義の未来について語り合います。
資本主義って、結局なんだろう?
Phrona:マルガンのこの本のタイトル、イナゴと蜂って生き物の比喩が秀逸ですね。イナゴは群れで襲いかかって、作物を根こそぎ食べ尽くしてしまう。蜂は花から花へ飛び回って、蜜を集めながら受粉も助ける。
富良野:僕たちが普段「資本主義」って言葉を使うとき、実はこの両方の側面を含んでいるってことですよね。新しい価値を生み出す創造的な面と、既存の価値を奪い取る捕食的な面と。
Phrona:マルガンは資本主義を「交換可能な価値の執拗な追求」って定義してるんですよね。でも私、この「執拗な」って言葉が気になって。なんというか、取り憑かれたような感じがする。
富良野:確かに。領土を征服したり、魂を救済したり、人類の同胞愛を追求したりする社会とは、根本的に違うシステムだって言ってますね。でも面白いのは、マルガンは資本主義を完全に否定してるわけじゃない。
Phrona:そう、程度の問題だって言ってますよね。社会は自分たちがどの程度資本主義的になるか選べるって。健康や芸術の分野にまで市場原理を持ち込むかどうかも、私たちの選択次第。
富良野:現実の資本主義は全部「不純な混合物」だって表現も印象的でした。純粋な資本主義なんてどこにも存在しない。
価値って、そもそも何?
Phrona:マルガンが面白い区別をしてますよね。「生きた価値」と「表現された価値」。
富良野:ああ、これは核心的な概念ですね。生きた価値っていうのは、食べ物とか家とか、人間関係とか。実際に経験できる価値。
Phrona:私たちの生存と繁栄に直接関わるものですよね。お腹が空いたときのおにぎりの価値とか、寒い日の暖かい部屋の価値とか。
富良野:一方で表現された価値は、お金とか株式とか債券。数字で表せるけど、それ自体は食べられないし、着られない。
Phrona:でもね、この表現された価値があるからこそ、時間と空間を超えて価値を交換できるようになった。東京で稼いだお金で、パリでパンを買えるみたいに。
富良野:そうですね。ただマルガンが指摘するのは、この二つの価値の間のギャップが広がりすぎると危険だってこと。2008年の金融危機もまさにそれでしたよね。
Phrona:金融商品がどんどん複雑になって、実体経済から乖離していった。誰も本当の価値がどこにあるのか分からなくなってしまった。
富良野:生きた価値と表現された価値の関係があまりにも引き伸ばされたとき、システムは崩壊する。これ、今のAIバブルとかにも当てはまりそうな話ですよね。
奪う人と創る人
Phrona:捕食が資本主義の日常だって指摘が刺さりました。
富良野:製薬会社とか、ソフトウェア企業とか、石油会社の例を挙げてましたね。人々のお金、データ、時間、注意力を奪っているって。
Phrona:でも待って、これらの企業だって価値を生み出してるんじゃない?薬を開発したり、便利なアプリを作ったり。
富良野:そこが複雑なところですよね。同じ企業が創造者でもあり捕食者でもある。薬を開発する研究者は確かに価値を創造してる。でも、その薬の価格を不当に吊り上げる経営者は...
Phrona:価値を奪ってる、と。私たち、普段この区別をあまり意識してないですよね。
富良野:マルガンは、資本主義の道徳的な正当性は、封建領主や国家の捕食的な傾向に代わって、創造者に報いるシステムを作ったことにあるって言ってます。
Phrona:理想としてはね。でも現実には、捕食者も同じくらい報われてしまう。むしろ短期的には、奪う方が儲かることも多い。
富良野:だから制度設計が重要になってくる。創造を促進して、捕食を抑制するような仕組みをどう作るか。
社会起業家ブームの教訓
Phrona:マルガンは、1995年に社会的企業に関する報告書を委託してたんですよね。日本でも、2000年代後半から2010年代前半頃に、「社会起業家」という言葉が流行しましたが、彼はこのムーブメントの初期の推進者の一人だった。
富良野:ありましたね。当時「すべてのビジネスは社会貢献してる」みたいな議論も盛んだった。グーグルの「Don't be evil」なんてスローガンも、素直に受け入れられてた時代。今思うと、ちょっとナイーブだったかも。結局、公共サービスの削減を正当化する道具として使われた面もあったような気がします。
Phrona:「美しい物語」として機能してしまうんですよね。政府は責任を放棄できるし、企業は社会貢献してるって言い訳ができる。でもこの本では、もっと根本的なシステムの変革を論じてる。社会的企業だけじゃ限界があるって認識したのかな。
富良野:調査によると、政府が社会イノベーションを支援すると、それが主流化されて、結果的にイノベーション性が失われるって指摘があります。本来は既存のシステムに挑戦するはずだったのに、システムに取り込まれてしまうとは、皮肉ですよね。
関係性の経済へ
Phrona:マルガンが面白い指摘をしてるのは、先進国の経済がモノの生産から関係性やケアを中心にしたものに変わってきてるってこと。
富良野:ヘルスケアとか教育とか、環境産業とか。これらに共通するのは、何かを作るというより、既存のものを維持したり、関係を構築したりすることですよね。
Phrona:私、これすごく大事な視点だと思うんです。だって、私たちが本当に必要としてるのって、モノよりも関係性だったりするじゃないですか。
富良野:確かに。でも市場経済は、関係性を商品化するのがあまり得意じゃない。
Phrona:だから新しい仕組みが必要なのかも。マルガンは時間を通貨にするシステムなんかも提案してますよね。
富良野:時間銀行みたいな?1時間の介護と1時間のプログラミングを等価交換するような。
Phrona:うーん、でもそれも結局、すべてを交換可能な価値に還元しちゃうんじゃない?関係性の本質的な部分が失われそう。
富良野:そこは難しいところですね。でも少なくとも、お金だけが価値の尺度じゃないって認識は広がってきてる。
変化は可能なのか
Phrona:マルガンは、システムの変化は予測不可能で複雑なプロセスだって言ってますよね。
富良野:歴史を見ると、大きな変化って危機の後に起きることが多い。産業革命も、福祉国家の誕生も、新自由主義への転換も。
Phrona:2008年の金融危機も、そういう転換点になるはずだった?
富良野:マルガンはそう期待してたみたいですね。でも実際には、システムの根本的な変革には至らなかった。むしろ格差は広がってる。
Phrona:でも、変化の種は蒔かれてるのかもしれない。ESG投資とか、サーキュラーエコノミーとか、新しい動きも出てきてるし。
富良野:ただ、これらも結局は既存のシステムに取り込まれて、本来の理想から離れていく可能性もある。社会起業家と同じように。
Phrona:だからこそ、常に批判的な視点を持ち続けることが大事なのかも。美しい物語に惑わされずに、実際に何が起きてるのかを見極める。
創造か、捕食か
富良野:結局、僕たちは日々の経済活動の中で、創造者になるか捕食者になるか、選択してるんですよね。
Phrona:そう考えると、自分は価値を生み出してるつもりでも、実は奪ってるだけかもしれない。
富良野:でも完全に白黒つけられるものでもない。マルガンも言ってるように、現実は「不純な混合物」ですから。
Phrona:大事なのは、その混合の中で、どちらの要素を強めていくか、ですよね。蜂的な面を育てて、バッタ的な面を抑える。
富良野:そのためには個人の努力だけじゃなく、制度やルールの設計が必要。民主的に経済システムの方向性を決められる仕組みとか。
Phrona:でも、誰が蜂で誰がバッタかって、立場によって見え方も違いますよね。ある人にとっての創造が、別の人にとっては捕食かもしれない。
富良野:だからこそ対話が必要なんでしょうね。異なる視点を持ち寄って、何が本当の価値創造なのか、みんなで考え続ける。資本主義を「超えて成長する」って、そういうことなのかもしれません。
ポイント整理
資本主義には価値を創造する「蜂」的側面と、価値を奪う「バッタ」的側面の二面性がある
「生きた価値」(実際に経験できる価値)と「表現された価値」(貨幣などの抽象的価値)の乖離が危機を生む
現実の資本主義は純粋なものではなく、様々な要素が混ざった「不純な混合物」である
社会起業家ブームは、結果的に公共サービス削減を正当化する道具として利用された面がある
先進国経済は物の生産から関係性・ケア中心へとシフトしている
システム変革には個人の努力だけでなく、民主的な制度設計が必要
変化は予測不可能で複雑なプロセスであり、継続的な対話と批判的視点が重要
キーワード解説
【イナゴと蜂】
捕食的な資本主義と価値創造的な資本主義の比喩
【生きた価値/表現された価値】
実体的価値と抽象的価値の区別
【社会的イノベーション】
社会課題解決を目的とした革新的取り組み
【関係性経済】
モノの生産より人間関係の構築・維持を重視する経済
【時間通貨】
時間を価値交換の単位とする代替的経済システム
【システム変革】
個別の改革を超えた経済システム全体の根本的変化