頭の中にリンゴを描けない人たち──アファンタジアという見えない多様性
- Seo Seungchul
- 7月5日
- 読了時間: 11分

シリーズ: 知新察来
◆今回のピックアップ記事:Allegra Rosenberg "Can you picture an apple in your mind? If not, you might have this condition"(National Geographics, 2025年5月29日)
概要:アファンタジアの発見から現在までの研究成果、そして当事者コミュニティの実態について包括的に解説した記事。
目を閉じて、リンゴを思い浮かべてください。あなたには何が見えますか?赤い皮、つやつやした表面、丸い形…。でも、もしかしたら何も見えない人もいるかもしれません。それは想像力がないからではなく、脳の働き方が違うからなのです。
「アファンタジア」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。これは、心の目で視覚的なイメージを描くことが困難、または不可能な状態を指します。2015年に神経学者のアダム・ゼーマンによって命名されたこの現象は、実は世界中で数百万人もの人が経験していると推定されています。驚くべきことに、彼らの中にはプロのイラストレーターや建築家もいて、私たちが「普通」だと思い込んでいる認知の仕組みとは全く違う方法で、創造的な仕事をこなしているのです。
今回は、富良野とPhronaがこのアファンタジアという現象について話しあいます。見えないからこそ見落とされがちな人間の多様性、そして私たちが「普通」だと思い込んでいることの危うさについて、二人はどのような洞察を示してくれるでしょうか。
アファンタジアとは何か
富良野:この記事を読んで、僕たちがいかに自分の体験を「普通」だと思い込んでいるか、って考えさせられますよね。リンゴを思い浮かべろって言われて、何も見えない人がこんなにいるなんて。
Phrona:本当ですね。私も最初は信じられませんでした。だって、詩を読むときとか、小説を読むときとか、自然に場面が頭に浮かんでくるじゃないですか。でも、アファンタジアの人たちは全く違う方法で物語を理解してるんですよね。
富良野:そうそう。記事の中で印象的だったのは、ジョージ・ワシントン大学のサラ・ショムシュタイン教授の話です。彼女自身がアファンタジアで、認知神経科学のPhDを取ってから気づいたって。
Phrona:それ、すごく興味深いですよね。専門家でさえ気づかなかった。つまり、この違いって本当に見えないんです。外から見ても分からないし、本人も他の人と比較する機会がないから気づかない。
富良野:記事によると、アファンタジアの人は「概念化」はできるけど、視覚的な形では想像できないらしいです。ショムシュタイン教授の言葉を借りれば、「すべてが黒いけれど、概念は持っているし、心の中で形にしている」と。
Phrona:なるほど。つまり、想像の仕方自体が根本的に違うということですね。私たちが映像で考えるところを、彼らは言葉や概念で考えている。それって、思考と言語の関係を考える上でもすごく面白い現象だと思います。
連続的な認知の世界
富良野:ただ、最近分かってきたのは、アファンタジアって完全に「ある・ない」の二分法じゃないってことです。グラデーションなんですよね。
Phrona:ああ、そうそう。完全に何も見えない人もいれば、ぼんやりした影のようなものは感じる人もいる。それから、対象によって違うって話も面白いですよね。人の顔は全く想像できないけど、風景なら少し見えるとか。
富良野:研究で使われるVVIQっていう質問票では、1から5のスケールで評価するんですが、これ見ると本当に連続的な分布になってる。自閉症スペクトラムと同じような考え方で、「アファンタジア・スペクトラム」って呼ばれることもあります。
Phrona:視覚だけじゃなくて、聴覚的アファンタジア、触覚的アファンタジアもあるんですよね。音楽を頭の中で再生できない人、触感を思い出せない人。一人ひとり、全然違うプロファイルになってる。
富良野:そう考えると、僕たちが普通だと思ってることって、実はものすごく個人的な体験なのかもしれませんね。みんな同じように世界を認識してると思ってたけど、全然違う。
Phrona:それで思い出すのは、記事を読んだ人がよく「自分もそうかも」って思うらしいことです。でも、多くの場合は軽度の違いで、完全なアファンタジアとは違うのかもしれません。
脳科学が明かす違い
富良野:最近の研究で面白いのは、主観的な報告だけじゃなくて、生理学的な違いも見つかってきていることですね。太陽を見ると瞳孔が収縮するけど、普通の人は太陽を想像しただけでも瞳孔が収縮する。でもアファンタジアの人は収縮しない。
Phrona:体が正直に反応してるんですね。それから、怖い話を聞かせる実験も興味深かったです。怖い画像には普通に反応するのに、怖い話には恐怖反応を示さない。つまり、物語から感情への橋渡しをしているのが、視覚的イメージだったということですか。
富良野:そう考えると、僕たちが文学作品を読んで感動したり、恐怖を感じたりするメカニズムも、実は視覚的イメージに大きく依存してるのかもしれませんね。
Phrona:でも、それで思うのは、じゃあアファンタジアの人たちは文学をどう体験してるんだろうということです。彼らなりの豊かな読書体験があるはずですよね。私たちとは違う回路で、物語を理解し、感動している。
富良野:夢の話も興味深いです。アファンタジアの人でも夢は見るけど、起きてる時のように鮮明じゃない。でも夢を見てる時の脳活動を調べると、視覚野は動いてるらしい。無意識下では視覚的処理が行われてるのかもしれません。
Phrona:意識と無意識の境界線も曖昧になってきますね。私たちが「見る」って言ってるものも、実はいろんなレベルがあるのかもしれません。
創造性の別の形
Phrona:でも一番驚いたのは、アファンタジアの人でもイラストレーターや建築家になれるってことです。私たちって、絵を描くには頭の中でイメージを作ってから紙に移すものだと思い込んでませんでした?
富良野:そうそう。でも実際は、描き方のプロセスが全然違うらしいです。頭の中のイメージに頼るんじゃなくて、手を動かしながら発見していく。技法や構図の知識を使って、参考資料を組み合わせながら。
Phrona:ディズニーの有名なアニメーター、グレン・キーンさんもアファンタジアなんですよね。「絵を描くことで初めて、自分が何を考えていたかが分かる」って言ってるのが印象的でした。
富良野:むしろ、頭の中のイメージに縛られない分、より自由で意外性のある作品が生まれることもあるのかもしれません。僕たちが創造性について考える時の前提も、見直す必要がありそうです。
Phrona:そう考えると、創造性って一つの形じゃないんですね。視覚的想像力がなくても、別の回路で創造的になれる。それぞれの脳の特性を活かした、それぞれの創造性がある。
記憶という個人的な体験
富良野:ただ、一つ気になるのは記憶の話です。研究によると、アファンタジアの人は自伝的記憶、つまり自分の過去の体験の記憶が比較的貧しいらしいんです。
Phrona:それは切ないですね。私たちが昔の恋人の顔を思い浮かべたり、子どもの頃の夏休みの風景を懐かしんだりするとき、それは視覚的なイメージとして蘇ってくる。でも、アファンタジアの人にはそれがない。
富良野:記事の中のアファンタジア・ネットワークの人たちも、そこに一番つらさを感じてるって言ってました。亡くなった家族の顔を思い浮かべることができない、とか。
Phrona:でも、考えてみると、それって私たちの記憶の仕方が「正しい」ってことでもないですよね。視覚的記憶って、実はすごく曖昧で、勝手に美化されたり、歪められたりもしてしまう。アファンタジアの人の記憶の方が、ある意味で純粋なのかもしれません。
富良野:なるほど。僕たちは映像として記憶を保存してるつもりでも、実際にはその都度再構成してるわけで、必ずしも正確じゃない。アファンタジアの人の記憶は、別の形で、もしかしたらより本質的な部分を保持してるのかもしれませんね。
Phrona:そうそう。記憶の「豊かさ」の定義自体を問い直したくなります。視覚的な鮮明さだけが豊かさじゃないというか。感情の記憶、身体の記憶、言葉の記憶…いろんな記憶の形があって、それぞれに価値がある。
見えない多様性の意味
Phrona:こういう見えない違いって、他にもたくさんあるんでしょうね。私たちが当たり前だと思ってることが、実は全然当たり前じゃない。
富良野:そうですね。19世紀のフランシス・ガルトンという心理学者が、既に1880年の時点で100人中12人が朝食のテーブルを思い浮かべられないって発見してたらしいです。でも、それがちゃんと研究されるまで140年以上かかった。
Phrona:なぜこんなに長い間見過ごされてきたんでしょうね。障害として認識されるほど日常生活に支障をきたすわけでもないし、本人も気づかない。でも、だからこそ重要な気がします。
富良野:僕が思うのは、これって社会制度の設計にも関わってくる問題だということです。教育現場でも、ビジネスでも、みんな同じように「想像してください」とか「イメージしてください」って言うけど、実際には全然違う体験をしてる人がいる。
Phrona:確かに。学校の授業とか、プレゼンテーションとか、視覚的イメージに頼った説明って多いですよね。でも、アファンタジアの人にとっては、それは意味のない指示になってしまう。
富良野:そう考えると、多様性って言葉で済ませてしまいがちだけど、具体的にどういう違いがあるのかを知ることが大切ですね。アファンタジアの存在を知ることで、僕たちのコミュニケーションの仕方も変わってくるかもしれません。
Phrona:私は、この研究が進むことで、人間の意識の個別性がもっと明らかになってくると思うんです。私たちはみんな、自分の意識を通してしか世界を見られないから、ついつい自分のやり方が普通だと思ってしまう。でも、実際には一人ひとり全然違う世界を見てるんですね。
コミュニティが生み出す発見
富良野:アファンタジアの人たちが作ってるコミュニティの話は興味深かったです。Reddit で7万人以上が集まって、研究者と一緒に自分たちの体験を言語化しようとしてる。
Phrona:それって、すごく現代的な現象ですよね。インターネットがあるからこそ、同じような体験をしてる人同士が出会えて、自分たちの違いを発見できる。昔だったら一生気づかずに終わってたかもしれません。
富良野:そうですね。そして、研究者の側も、こうした当事者コミュニティからの声を受けて研究を進めてる。トップダウンじゃなくて、ボトムアップで新しい知見が生まれてる。
Phrona:「羊を数える」とか「観客を裸だと想像する」みたいな表現を、ずっと比喩だと思ってたって人もいるんですよね。でも、コミュニティで話すうちに、他の人は本当に「見えてる」んだって気づく。
富良野:アファンタジアって、ある意味で人間の認知の多様性の象徴だと思うんです。障害でもないし、優劣でもない。ただ、違う。でも、その違いを知ることで、私たちはもっと豊かに世界を理解できるようになる。
Phrona:そう。そして、その多様性を前提とした社会の仕組みを考えていく。アファンタジアの発見は、私たちに「普通って何だろう」という問いを投げかけてくれてるんだと思います。
ポイント整理
アファンタジアは視覚的イメージを心の中で描けない状態で、世界中で数百万人が該当すると推定される
2015年に神経学者アダム・ゼーマンによって命名され、現在活発に研究が進んでいる
完全な二分法ではなく連続的なスペクトラムで、視覚・聴覚・触覚など感覚ごとに異なる程度がある
最近の研究で瞳孔反応や脳活動の違いなど、生理学的な差異が確認されている
プロのイラストレーターや建築家もおり、視覚的想像とは異なる創造的プロセスを持つ
夢は見るが起床時に視覚的記憶が薄れやすく、無意識下では視覚的処理が行われている可能性
自伝的記憶については比較的貧しい傾向があるが、記憶の質や価値観の違いとも考えられる
Reddit等のオンラインコミュニティが当事者同士の発見と研究促進に重要な役割を果たしている
この現象は人間の認知の多様性を示しており、「普通」という概念を問い直すきっかけとなる
キーワード解説
【アファンタジア】
心の目で視覚的イメージを描くことが困難または不可能な状態
【アファンタジア・スペクトラム】
アファンタジアが連続的で多様な認知状態の総称
【心の目(mind's eye)】
実際には見ていないものを頭の中で視覚化する能力
【ハイパーファンタジア】
アファンタジアとは逆に、極めて鮮明な視覚的イメージを描ける状態
【VVIQ】
Vividness of Visual Imagery Questionnaire(視覚的イメージの鮮明度質問票)
【視覚的記憶】
視覚的なイメージとして保存・再生される記憶
【自伝的記憶】
個人の人生における出来事や体験に関する記憶
【概念化】
視覚的イメージを使わずに、言葉や抽象的思考で物事を理解すること
【認知の多様性】
人間の思考や認知プロセスの個人差や多様な在り方
【アファンタジア・ネットワーク】
アファンタジアの当事者による世界最大のコミュニティ組織