top of page

「グローバル・サウス」という言葉が覆い隠す問題 ──AI倫理が向き合うべき言葉の罠

シリーズ: 知新察来


◆今回のピックアップ記事:Evani Radiya-Dixit et al. "Moving Beyond the Term 'Global South' in AI Ethics and Policy" (Stanford University Human-Centered Artificial Intelligence, 2025年11月19日)

  • 概要:AI倫理・政策分野における「グローバル・サウス」という用語の限界を検証し、20名の研究者・実務家へのインタビューを通じて、この用語が持つ問題点と、より具体的な地域・権力構造に基づいたアプローチの必要性を論じた研究報告。



AI技術をめぐる国際的な議論の場で、いま「グローバル・サウスの声を聞くべきだ」という言葉がよく聞かれるようになりました。一見すると、これまで軽視されてきた地域や人々に光を当てようとする、前向きな姿勢のように感じられます。しかし、この「グローバル・サウス」という言葉そのものが、実は新たな偏見や単純化を生み出してしまっているのではないか──そんな問いを、スタンフォード大学の研究者たちが投げかけています。


富良野とPhronaの対話は、この問題の核心に迫ります。「包摂」を目指す言葉が、かえって多様性を見えなくしてしまうパラドックス。言葉を選ぶことの政治性。そして、本当に必要なのは新しいラベルではなく、具体的な地域や文脈に根ざした実践なのではないか、という洞察です。善意から使われる言葉が、どのように権力構造を温存してしまうのか。その仕組みを理解することで、私たちはより誠実な対話の道を見つけられるかもしれません。




「包摂」を謳う言葉のパラドックス


富良野:スタンフォード大学の研究者たちが、AI倫理の分野で「グローバル・サウス」という言葉の使われ方を検証したんですよ。で、結論がなかなか皮肉というか。この言葉、包摂を目指しているはずなのに、実際には有害なステレオタイプを強化しているかもしれない、と。


Phrona:ああ、なるほど。つまり、善意で使われてる言葉が、逆に問題を作ってるってことですか?


富良野:そういうことです。20人の研究者や実務家にインタビューしたら、多くの人が「グローバル・サウス」って言葉には、同質性とか、未発展とか、技術リテラシーが低いっていう含みがあるって感じてたんですね。


Phrona:でも待って。「第三世界」とか「途上国」っていう、もっとあからさまに階層的な言葉よりはマシだ、っていう位置づけじゃなかったでしたっけ?


富良野:ええ、もともとはそうなんです。でも、実際に使われてる文脈を見ると、結局70カ国以上をひとまとめにしちゃってる。ブラジルもガーナもインドもインドネシアも、みんな「グローバル・サウス」。これって相当乱暴ですよね。


Phrona:たしかにね。それぞれまったく違う歴史や文化、政治体制を持ってるのに。でも、使う側はどういう意図で使ってるんですかね?


富良野:そこが興味深いんです。インタビューでは、多くの人が「使わざるを得ない」って言ってた。なぜかというと、研究資金も知識生産の拠点も、結局アメリカやヨーロッパに集中してるから。その構造の中で話を聞いてもらうには、相手が理解しやすい言葉を使うしかない。


Phrona:ああ、それは……切ないですね。本当は自分たちの地域や文脈に即した言葉で語りたいのに、資金提供者や査読者が求める言葉に合わせないといけない。



「南」は地理なのか、立場なのか


富良野:で、もうひとつ面白いのが、「グローバル・サウス」っていう言葉、本来は地理的な区分じゃなくて、レンズとして使えるっていう議論もあるんですよ。


Phrona:レンズ?


富良野:つまり、植民地主義や搾取、抵抗の経験を共有するコミュニティを照らし出す視点として。だから、例えばアメリカ国内の移民監視も、インド国内のムスリムコミュニティ監視も、どちらも「グローバル・サウス的な」搾取の構造として捉えられる。


Phrona:なるほど。地理じゃなくて、権力関係とか周縁化のパターンを見る視点として、ってことですね。それなら、ただの地域分類よりずっと鋭いかも。


富良野:ただ、現実には、そういう繊細な使い方がされてないことが多い。「AI政策の議論にグローバル・サウスの代表を呼ぼう」みたいな言い方になると、結局また地理的なカテゴリーに戻っちゃう。で、70カ国を代表する人なんて存在しないわけで。


Phrona:ああ、それは確かに。「誰が代表なのか」って問い自体が、もう危ういんですね。


富良野:そうなんです。で、研究者たちが指摘してるのは、この言葉が帝国的なまなざしを温存してしまう可能性がある、と。


Phrona:帝国的なまなざし、ですか。


富良野:アメリカやヨーロッパのAI規制を、暗黙のうちにゴールドスタンダードとして扱う構図です。で、「グローバル・サウス」はそれに追いつく側、学ぶ側、配慮される側として位置づけられる。そういう非対称性が、言葉の使い方に染み込んでる。



言葉の選択が持つ政治性


Phrona:でもさ、じゃあ「グローバル・サウス」って言葉を使わなければいいのかっていうと、代わりの言葉も結局似たような問題を抱えそうですよね。


富良野:ええ、それがまさにこの研究のポイントなんです。別の広範な用語を採用しても、同じステレオタイプを引きずる可能性が高い。だから、彼らが提案してるのは、別の言葉を探すんじゃなくて、もっと具体的な地域や文脈に根ざした議論をすることなんです。


Phrona:あー、なるほど。抽象的なカテゴリーに頼らず、もっと個別具体的に、ってことですね。


富良野:そうです。例えば「東南アジアにおけるデータガバナンス」とか「西アフリカのAI労働市場」とか、文化的にも歴史的にも固有の文脈を大切にする。そうすれば、その地域特有の権力構造や課題が見えてくる。


Phrona:でも、それって研究者や政策立案者にとっては、すごく手間がかかりません?一般化できないし、資金申請もしにくそう。


富良野:そこなんですよ。だから、この研究は言葉の問題だけじゃなくて、研究資金の構造そのものを変える必要がある、って言ってる。アメリカ中心の資金配分システムが続く限り、結局「グローバル・サウス」みたいな便利な言葉が使われ続けるし、本質的な変化は起きない。


Phrona:ああ、構造の問題なんですね。言葉を変えるだけじゃダメで、知識生産のシステム自体を問い直さないと。



誰のための「包摂」なのか


富良野:もうひとつ興味深いのが、「包摂的なAI」っていうスローガンの背後にある、微妙な権力関係です。


Phrona:というと?


富良野:「包摂しよう」って言うとき、誰が主語なのか、ってことですよね。包摂する側と包摂される側が、暗黙のうちに決まってる。で、包摂する側は自分たちの基準や枠組みを疑わない。


Phrona:ああ、「テーブルに招く」って発想そのものが、そもそも誰がテーブルを用意したのか、誰が招く権利を持ってるのか、っていう非対称を前提にしてますもんね。


富良野:そうなんです。研究者たちも、そこに触れてる。「誰がグローバル・サウスを代表してAI政策のテーブルに座るのか」っていう問い自体が、すでにある種の権力構造を反映してるわけです。


Phrona:じゃあ、本当に必要なのは、テーブル自体を複数作ることなのかもしれませんね。それぞれの地域や文脈で、それぞれのテーブルを。


富良野:いい視点ですね。そして、それらのテーブルが対等に対話できる、水平的なネットワークを作る。垂直的な「包摂」じゃなくて、水平的な「連帯」とか「協働」とか。


Phrona:でも、それを実現するには、やっぱり資金も時間も相当かかりますよね。短期的には、どうしても効率を優先して、既存の枠組みに頼っちゃう。


富良野:ええ、だからこそジレンマなんです。でも、効率を優先し続けた結果が、今の状況なわけで。多様性を削ぎ落として、都合のいい一般化を繰り返してきた。



言葉を疑い続けること


Phrona:この研究を読んで思うのは、言葉って本当に厄介だなってことです。善意で選んだ言葉が、気づかないうちに誰かを傷つけたり、見えなくしたりする。


富良野:ええ、言葉は中立じゃない。常に誰かの視点を反映してるし、誰かの利益に寄与してる。だから、自分が使ってる言葉を常に疑い続ける必要がある。


Phrona:でも、疑い続けるだけだと、何も言えなくなりそうで怖いですね。


富良野:そこのバランスが難しいんですよ。完璧な言葉なんてないんだけど、だからって無頓着でいいわけじゃない。使いながら、疑う。疑いながら、より良い表現を探す。そのプロセス自体が大事なのかもしれません。


Phrona:なるほど。で、この研究が言ってるのは、少なくとも「グローバル・サウス」って言葉については、もう少し慎重になろうよ、ってことですね。


富良野:そうです。安易にひとくくりにしないで、もっと具体的な地域や文脈に目を向ける。そして、言葉の背後にある権力構造を意識する。それが、本当の意味で包摂的なAI倫理への第一歩なんじゃないか、と。


Phrona:言葉を変えることより、言葉との向き合い方を変えることが大事、ってことかもしれませんね。


富良野:ええ、それが核心だと思います。「どう呼ぶか」じゃなくて「どう関わるか」。言葉はその手段にすぎない。


 

 

ポイント整理


  • 「グローバル・サウス」という用語の問題点

    • AI倫理・政策分野で頻繁に使われる「グローバル・サウス」という言葉は、70カ国以上を一括りにすることで、地域の多様性を無視し、同質性・未発展・技術リテラシーの低さといったステレオタイプを強化する危険性がある。

  • 用語使用の強制的側面

    • 研究者や実務家の多くは、「グローバル・サウス」という用語に問題を感じながらも、研究資金や知識生産の中心がアメリカやヨーロッパにあるため、資金提供者や学術界で理解されやすい言葉として使わざるを得ないと感じている。これは言葉の選択における権力の非対称性を示している。

  • 地理的区分から分析レンズへの転換

    • 「グローバル・サウス」は本来、特定の地理的領域を指すのではなく、植民地主義・搾取・抵抗といった経験を共有するコミュニティを照らし出す分析の視点として理解できる。この視点では、先進国内の周縁化されたコミュニティも「グローバル・サウス的」状況に置かれていると捉えられる。

  • 帝国的まなざしの温存

    • 「グローバル・サウスの包摂」という言説は、アメリカやヨーロッパのAI規制を暗黙の基準・理想として設定し、その他の地域を「追いつく側」「学ぶ側」として位置づける非対称な権力関係を再生産する可能性がある。

  • 代替案としての地域特化アプローチ

    • 別の広範な用語を採用するのではなく、具体的な地域・国・コミュニティに根ざした議論を展開することが重要。例えば「東南アジアのデータガバナンス」や「西アフリカのAI労働市場」といった、文化的・歴史的文脈を考慮した固有のアプローチが求められる。

  • 研究資金構造の改革

    • 言葉の問題は、より深い構造的問題の表層にすぎない。アメリカ中心の研究資金配分システムや知識生産の構造そのものを変革しなければ、真の多様性や包摂は実現できない。

  • 「包摂」概念の権力性

    • 「誰かを包摂する」という発想自体が、包摂する側と包摂される側の非対称な関係を前提としている。本当に必要なのは、垂直的な「包摂」ではなく、水平的な「連帯」や「協働」のための複数の対話の場を構築することかもしれない。

  • 言葉との継続的対話

    • 完璧な言葉は存在しないが、だからといって無頓着でいいわけではない。自分が使う言葉を常に疑い、その背後にある権力構造を意識し、より良い表現を探し続けるプロセスこそが、真の包摂的なAI倫理への道である。



キーワード解説


グローバル・サウス(Global South)】

伝統的には、アフリカ、ラテンアメリカ・カリブ海、中東およびアジア(イスラエル、日本、韓国を除く)、オセアニア(オーストラリア、ニュージーランドを除く)を含む経済的発展途上国を指す用語。「第三世界」や「途上国」よりも攻撃的でないとされるが、70カ国以上を一括りにすることで多様性を無視する危険性がある。


AI倫理(AI Ethics)】

人工知能の開発・展開・利用における倫理的課題を扱う分野。公平性、透明性、説明責任、プライバシー、偏見の排除などが主要テーマ。グローバルな文脈では、特定の地域や文化的背景における固有の倫理的配慮が求められる。


帝国的まなざし(Imperial Gaze)】

特定の中心(多くの場合、欧米)の視点や基準を普遍的なものとして扱い、その他の地域や文化を従属的・劣等的に位置づける視座。AI政策においては、欧米の規制や枠組みを「ゴールドスタンダード」として他地域に適用しようとする姿勢に表れる。


データ植民地主義(Data Colonialism)】

巨大テクノロジー企業や先進国が、経済的に脆弱な地域や国から大量のデータを収集・搾取する構造。歴史的な植民地主義と類似した非対称な権力関係が、デジタル時代に形を変えて継続していると批判される。


知識生産の非対称性】

研究資金、学術機関、出版プラットフォームが特定の地域(主にアメリカやヨーロッパ)に集中することで、知識や言説が特定の視点に偏る構造的問題。これにより、周縁化された地域の声や視点が学術・政策議論から排除されやすい。


ステレオタイプの再生産】

善意や配慮から使われる言葉であっても、無意識のうちに固定観念や偏見を強化してしまう現象。「グローバル・サウス」という用語が、技術的未発展や低リテラシーといったイメージを連想させることがその例。


文脈的アプローチ(Contextual Approach)】

広範なカテゴリー化や一般化を避け、特定の地域・文化・歴史的背景に根ざした分析や政策立案を行う方法。AI倫理においては、各地域固有の権力構造や価値観を考慮することで、より実効性のある対応が可能になる。


水平的連帯(Horizontal Solidarity)】

垂直的な「包摂」(上位者が下位者を受け入れる)ではなく、対等な立場での協力・協働を目指す関係性。グローバルなAIガバナンスにおいては、複数の地域が それぞれの視点を尊重し合いながら対話する構造を指す。



本稿は近日中にnoteにも掲載予定です。
ご関心を持っていただけましたら、note上でご感想などお聞かせいただけると幸いです。
bottom of page