「ポスト真実」の時代に、なぜ知的な探求が必要なのか――知ることは道徳的な行為である
- Seo Seungchul

- 2025年11月13日
- 読了時間: 17分

シリーズ: 知新察来
◆今回のピックアップ記事:Jason Baehr "In a post-truth world truth-seeking is more important than ever" (The Institute of Art and Ideas, 2025年10月8日)
概要:ポスト真実の時代において、真実を追求する姿勢がかつてないほど重要になっている。情報技術の発達は情報アクセスを拡大したが、同時に思考の質を低下させた。この状況を打開するには、知的な徳――好奇心、開かれた心、謙虚さ、粘り強さなど――を育むことが鍵となる。教育機関はこうした徳の涵養に特に適した場であり、知的形成を意図的かつ体系的に行うべきだという提言。
情報が溢れているのに、真実は見えにくくなっている。どのニュースにも複数の視点があり、それぞれが異なる「真実」を主張する。そんな世界で、多くの人が知ろうとすること自体を諦めつつあります。
哲学者ジェイソン・ベーアは、こうした状況だからこそ、知識はサバイバルスキルであると主張します。テクノロジーは情報へのアクセスを広げましたが、同時に私たちの思考力を蝕んでもいる。その処方箋は、より多くのデータでも賢いアルゴリズムでもなく、真の理解を可能にする知的な徳――粘り強さ、厳密さ、謙虚さ――を育むことにあるのだと。
富良野とPhronaの二人が、この論考を手がかりに対話を重ねます。真実を追い求めることの難しさと、それでもなお探求し続けることの意味について。知的な態度を身につけることが、個人にとっても社会にとっても、なぜこれほど重要なのかを考えていきます。
情報の洪水と、諦めという誘惑
富良野:このベーアの論考、読んでてドキッとしたんですよね。僕ら、情報にアクセスできる環境がこれだけ整ってるのに、むしろ何が本当か分からなくなってるって。
Phrona:ああ、分かります。ネットで調べれば何でも出てくるはずなのに、逆に混乱することが多いですよね。富良野さん、どのあたりがドキッとしました?
富良野:真実を知りたいっていう欲求そのものが、すり減ってきてるんじゃないかって指摘です。情報の量に圧倒されて、もういいやって思考停止する。それ、僕自身にも心当たりがあって。
Phrona:ああ、諦めですね。ベーアはそれを「降参して引きこもる」って表現してましたけど、確かに魅力的な選択肢かもしれない。判断を保留すれば、少なくとも間違った信念は持たずに済むわけですから。
富良野:でもそれって、間違いは避けられるけど、正しい理解にも辿り着けないってことですよね。ワクチン打つべきか、気候変動をどれくらい心配すべきか、どの候補者に投票すべきか。そういう問いから目を背けたら、責任ある行動なんてできない。
Phrona:責任ある行動は、情報に基づいた行動だと。それはそうなんだけど、じゃあどうやって情報を見極めればいいのかって、そこで詰まっちゃうんですよね、多くの人が。
富良野:そう、で、もう一つのよくある反応が、自分の好きな情報だけ見るっていうやつ。いわゆるエコーチェンバーに籠もる選択。
Phrona:アルゴリズムに身を任せて、心地いい情報だけに囲まれる。それも一種の対処法ではあるけど……でも富良野さん、これってある意味、自分を守る戦略でもあるんじゃないですか? 認知的不協和を避けて、精神的な安定を保つっていう。
富良野:ええ、そうですね。でもベーアの言うように、それだと過剰な自信が生まれちゃう。反証に触れないから、自分の信念が正しいって思い込む。それに、どの集団も真実を独占してるわけじゃないから、結局は限定的な真実しか見えなくなる。
Phrona:真実の一部しか掴めないし、間違いにも気づけない。うーん、どっちの対処法も、なんだか不十分ですね。
知的な徳という処方箋
富良野:で、ベーアが提案するのが、知的な徳っていう考え方なんです。これ、virtue epistemologyっていう分野から来てるんですけど。
Phrona:徳認識論? 何それ、かっこいい響き。
富良野:簡単に言うと、知識や認識を研究する哲学のアプローチで、優れた思考者や探究者が持ってる性質に注目するんです。好奇心とか、開かれた心とか、謙虚さとか、勇気とか、粘り強さとか。
Phrona:ああ、つまり知識それ自体じゃなくて、知識を得る人の性質や態度に焦点を当てるわけですね。面白い。でも、そういう徳を持ってるかどうかって、どう判断するんですか?
富良野:ある哲学者の言葉を借りると、真実を求める人が持ちたいと思うような性質だって。つまり、真実に辿り着くために役立つ性質ってことですね。
Phrona:なるほど。でも富良野さん、それって結局、理想論じゃないですか? 好奇心を持ちましょう、謙虚でいましょうって言われても、具体的にどうすればいいのか分からない気がする。
富良野:その疑問、分かります。でもベーアは、さっきの二つの失敗パターンから逆算して考えてるんですよ。諦めるのは早すぎる降参で、エコーチェンバーは批判精神が足りなくて視野が狭い。だったら、粘り強く探求し続けて、しかも厳密に考えて、かつ他の視点にも開かれている、そういう態度が必要だって。
Phrona:ああ、そうか。抽象的な理想じゃなくて、具体的な失敗を避けるための処方箋として示してるんですね。
富良野:そうなんです。で、その態度を支えるのが、三つのグループの徳だって言うんです。まず、探求に踏み出して諦めずに続けるための徳。知的自律性、勇気、粘り強さとか。
Phrona:うんうん、それで?
富良野:次が、探求を十分に厳密なものにする徳。注意深さ、徹底性、論理的厳密さとか。そして三つ目が、視野が狭くなったり硬直したりしないようにする徳。謙虚さ、開かれた心、好奇心。
Phrona:なるほどね。でもさ、富良野さん、それって時には矛盾しませんか? 勇気と慎重さとか、自律性と謙虚さとか。どっちを優先すればいいのか、迷いそう。
富良野:それはもう、ケースバイケースなんでしょうね。ベーアもそこまで詳しくは論じてないけど、徳認識論の分野では議論されてるみたいです。完璧な答えがあるわけじゃない。
Phrona:そっか。でも、それってむしろ現実的かも。状況に応じて判断するしかないっていうのは、ある意味誠実ですよね。
専門家に任せればいい、という幻想
富良野:あと面白かったのが、専門家に任せればいいっていう楽観的な考えへの批判です。
Phrona:ああ、よく聞きますよね、専門家を信頼しろって。でもベーアは、それも単純じゃないって?
富良野:そうです。まず、本物の専門家と自称専門家を見分けるのが難しい。それに、専門家同士が意見を異にすることもよくある。だから結局、専門家に丸投げするんじゃなくて、自分でもある程度の知的労働が必要だって。
Phrona:うーん、でもそれって、結構ハードル高くないですか? 一般の人が、専門家の意見を吟味するだけの知識や判断力を持てるのかなって。
富良野:たしかに。でもベーアが言いたいのは、専門知識そのものを身につけろってことじゃないと思うんですよ。むしろ、情報源の質を評価する力とか、代替的な説明を考慮する姿勢とか、そういう基本的な態度の話じゃないかな。
Phrona:ああ、そういうことか。専門家の言うことをそのまま鵜呑みにするんじゃなくて、複数の専門家の意見を聞いて、自分なりに考えるってことですね。それなら、少し現実的に思えてきました。
富良野:そう。で、そういう態度を支えるのが、さっきの知的な徳なんです。好奇心があれば複数の情報源を調べるし、開かれた心があれば自分の好みと違う意見にも耳を傾ける。謙虚さがあれば、自分の理解の限界を認められる。
Phrona:なるほどね。徳っていうのは、抽象的な美徳じゃなくて、具体的な行動や態度として現れるものなんですね。
テクノロジーが与え、奪うもの
富良野:ベーアが言ってる「高度な情報技術が一方で与えて、もう一方で奪う」っていうフレーズ、すごく印象的でした。インターネットやAIのおかげで、あらゆる情報にアクセスできるようになったけど、その量に圧倒されて探求する気力を失ったり、情報の質を見極めるのが難しくなったり。
Phrona:しかも、見たい情報だけ見せてくれるように設計されてるから、自分では気づかないうちにエコーチェンバーに閉じ込められてるっていう。
富良野:そうなんですよ。アルゴリズムが親切に、僕らの信念を強化する情報を届けてくれる。でもそれって、探求じゃなくて、確証を得てるだけなんですよね。
Phrona:うん。でもそれって、テクノロジーそのものが悪いっていうより、使い方とか、設計の問題でもあるんじゃないですか?
富良野:もちろんそうです。ベーアも、政策立案者やメディア企業、規制機関なんかが情報環境の質を改善する責任があるって言ってます。でも同時に、個人の価値観や態度や選択も重要だと。
Phrona:個人の責任と、社会や制度の責任、両方が必要なんですね。どっちかだけじゃダメで。
富良野:そうそう。テクノロジーが環境を作るけど、その中でどう振る舞うかは、やっぱり個人の問題でもある。そこで知的な徳が役立つってわけです。
Phrona:でも富良野さん、そういう徳って、どうやって身につけるんでしょうね? 自然に身につくものなのか、それとも意図的に育てるものなのか。
教育の役割――知的な徳を育む場として
富良野:ベーアは、教育機関がこの知的な徳を育むのに特に適してるって主張してるんです。
Phrona:学校で? それはどうしてですか?
富良野:学校っていうのは、もともと知識を追求したり伝えたりする場所ですよね。だから、好奇心とか開かれた心とか知的勇気とか、そういう徳を育むことは、学校の目的と自然に合致するって。
Phrona:なるほど。確かに、学ぶことそのものが、そういう態度を必要としますもんね。
富良野:ええ。で、ベーアはジョン・デューイの言葉を引用してるんですけど、教育の仕事は、根深くて効果的な習慣を育てることだって。単なる主張や推測や意見と、検証された信念を見分ける習慣、とかね。
Phrona:ああ、デューイ。でも富良野さん、それって理想論じゃないですか? 現実の学校では、テストの点数を取ることとか、知識を詰め込むことに重点が置かれてる気がするんですけど。
富良野:それはそうなんですよ。ベーアも、多くの教育者は知的な徳を育ててると自認してるけど、具体的に何が関わってるのか、どうやって育てるのか、雄弁に語れる人は少ないって指摘してます。
Phrona:うーん、じゃあどうすればいいんでしょう?
富良野:ベーアが問いかけてるのは、学問的な知識やスキルを教えるだけじゃなくて、意図的かつ体系的に知的な徳の育成を支援するような方法で教えるとしたら、どうなるかってこと。
Phrona:それ、具体的にイメージできます? 例えば、どんな授業になるんだろう。
富良野:うーん、例えばですけど、歴史の授業で、複数の視点から同じ出来事を見てみるとか。科学の授業で、仮説を立てて検証する過程を大事にするとか。文学の授業で、自分とは違う立場や感情を理解しようとするとか。
Phrona:ああ、そうか。知識そのものじゃなくて、知識を得るプロセスや態度を学ぶってことですね。
富良野:そうです。それに、間違いを恐れずに試してみる雰囲気とか、自分の考えを変えることを恥ずかしいと思わない文化とか、そういうのも大事ですよね。
Phrona:うんうん。でも富良野さん、それって先生にとっても大変そう。自分自身が知的な徳を体現してないと、教えられないですもんね。
富良野:そうなんですよ。教師の養成とか、学校文化全体の変革とか、そういう話にもなってくる。簡単じゃないですね。
知ることは道徳的な行為である
Phrona:ところで富良野さん、このタイトル、「知ることは道徳的な行為である」ってありますけど、これってどういうことなんでしょう?
富良野:ああ、それ。知識を得ることって、単に頭の中の情報を増やすってことじゃないってことだと思うんです。どう知るか、何を信じるかってことが、倫理的な選択でもあるって。
Phrona:倫理的な選択?
富良野:例えば、根拠のない噂を鵜呑みにして広めるのは、無責任ですよね。逆に、証拠を吟味して慎重に判断するのは、責任ある態度です。つまり、認識的な態度が、道徳的な善悪と結びついてるってこと。
Phrona:ああ、なるほど。知的に誠実であることが、道徳的に誠実であることにつながると。
富良野:そうです。ベーアも、道徳的にも政治的にも責任ある行動には、きちんとした思考や推論が不可欠だって言ってます。知的な徳を育てることは、よりよい市民を育てることでもあるんです。
Phrona:でもそれって、すごく重い話ですよね。自分がどう考えるか、何を信じるかが、社会にも影響するってことですから。
富良野:ええ。でも同時に、それって希望でもあると思うんですよ。一人ひとりの態度や選択が、社会全体の認識的な健康につながるわけですから。
Phrona:認識的な健康、か。いい言葉ですね。
富良野:だから、ベーアの提案って、単に個人が賢くなればいいって話じゃないんです。民主主義を維持するためにも、信頼を築くためにも、知的な徳が必要だって。
Phrona:うん。でも富良野さん、そう考えると、知的な徳が乏しいって彼が指摘してる現状は、結構深刻ですよね。
富良野:そうなんですよ。しかも、知的な徳っていう概念自体、ほとんどの人が聞いたこともないわけで。だから教育と訓練が必要だって、ベーアは言ってるんです。
問いを残しながら、前に進む
Phrona:でもさ、富良野さん、知的な徳を育てるって、具体的にどれくらい効果があるんでしょうね? 本当に、情報の洪水の中で道を見失わずに済むようになるのかな。
富良野:それは、正直分からないですよね。ベーアの提案は理論的には筋が通ってるけど、実際にやってみないと。
Phrona:うん。でも、やってみる価値はあると思います。少なくとも、諦めるよりはいいし、エコーチェンバーに閉じこもるよりは健全な気がする。
富良野:そうですね。完璧な解決策じゃないかもしれないけど、方向性としては正しい気がします。知的な徳を育てることで、少なくとも、自分の判断のプロセスに自覚的になれるわけですから。
Phrona:自覚的になるって、大事ですよね。自分が何を知っていて、何を知らないか。どんなバイアスを持っているか。それを認識するだけでも、だいぶ違う気がする。
富良野:ええ。それに、謙虚さとか開かれた心とかって、単に認識的に有益なだけじゃなくて、人間関係にもいい影響がありそうですよね。
Phrona:ああ、そうか。自分と違う意見を持つ人にも、敬意を持って接することができる。それって、分断が深まってる社会では、すごく大事なことかもしれないですね。
富良野:そうなんです。知的な徳って、結局は、他者と共に生きるための徳でもあるんですよ。
Phrona:うん。ベーアの論考、最初は難しそうに感じたけど、話してみたら、すごく身近なテーマだったんだなって思いました。
富良野:そうですね。情報の洪水の中で、どう生きるか。何を信じるか。どう判断するか。誰もが直面してる問いですもんね。
Phrona:で、その答えは、単に情報を集めることじゃなくて、自分自身の知的な態度を育てることにあると。
富良野:そういうことです。簡単じゃないけど、取り組む価値はある。
ポイント整理
ポスト真実の時代における認識的課題
情報技術の発展により膨大な情報にアクセスできるようになった一方で、情報の質の見極めが困難になり、エコーチェンバーやエピステミック・バブルに閉じ込められるリスクが高まっている。結果として、真実を知りたいという根源的な欲求そのものが損なわれつつある。
二つの不十分な対処法
情報の氾濫に対して、多くの人は降参して判断を保留するか、自分の信念を強化する情報だけに選択的に触れるかのどちらかを選ぶ。前者は誤った信念を避けられるが真実にも辿り着けず、後者は過剰な自信と視野狭窄を生む。どちらも責任ある行動の基盤となる情報に基づいた判断を妨げる。
専門家への依存の限界
専門家に判断を委ねればよいという考えは単純すぎる。本物の専門家と自称専門家を見分けることは困難であり、専門家同士が意見を異にすることも多い。したがって、ある程度の知的労働は個人に求められる。
知的な徳という処方箋
徳認識論のアプローチに基づき、優れた思考者や探究者が持つ性質に注目する。真実を追求する人が持ちたいと思うような性質、つまり真実に辿り着くために役立つ個人的な資質や性格的特徴が知的な徳である。
三つのクラスターの知的な徳
第一に、探求に踏み出し粘り強く続けるための徳として、知的自律性、勇気、粘り強さ。第二に、探求を十分に厳密なものにする徳として、注意深さ、徹底性、論理的厳密さ。第三に、視野の狭窄や硬直を防ぐ徳として、謙虚さ、開かれた心、好奇心。これらは相互に支え合い、調整原理として機能する。
徳の具体的な働き
知的な徳は抽象的な理想ではなく、情報環境を航行する際の具体的なガイダンスを提供する。例えば、好奇心は複数の情報源を調べさせ、開かれた心は異なる意見に耳を傾けさせ、謙虚さは自分の理解の限界を認めさせる。
教育機関の役割
学校などの教育機関は知的な徳を育むのに特に適している。学問的学習の中心には知的な徳があり、知識の追求と伝達に必要な個人的資質である。現状では多くの教育者が知的な徳を育てていると自認しているが、具体的な方法論や意図的な設計は不十分である。
教育改革への問いかけ
学問的知識やスキルを教えるだけでなく、意図的かつ体系的に知的な徳の育成を支援するような方法で教えるとしたら、どのような形になるか。この問いに真剣に取り組むことで、多くの人々が複雑な情報環境を責任を持って有能に航行できるようになる。
知的な徳と道徳的責任の結びつき
知的な徳を育てることは、単に個人を賢くするだけでなく、道徳的にも政治的にも責任ある行動の前提条件となる思考と推論を可能にする。認識的な態度は倫理的な選択と結びついており、知ることは道徳的な行為でもある。
社会的・制度的措置の必要性
個人の知的な徳の育成だけでは不十分であり、政策立案者、メディア企業、規制機関、ジャーナリストなども情報環境の質を改善する責任を担う必要がある。個人の価値観や選択と、社会的・制度的な改革の両方が求められる。
現状の課題
知的な徳は現在相対的に不足しており、知的な徳という概念自体がほとんどの人々に馴染みがない。したがって、この処方箋を実装するには、相当な教育と訓練が必要である。
民主主義と信頼の維持
知的な徳の育成は、個人の利益だけでなく、民主主義を維持し社会的信頼を築くためにも不可欠である。一人ひとりの認識的態度が、社会全体の認識的健康に影響を与える。
キーワード解説
【ポスト真実(Post-truth)】
客観的事実よりも感情や個人的信念が世論形成に影響を与える状況
【認識的目的(Epistemic aims)】
真の信念を形成し誤った信念を避けるという、人間の知的活動における双子の目標
【エコーチェンバー(Echo chamber)】
自分の意見や信念を強化する情報だけに囲まれた環境
【エピステミック・バブル(Epistemic bubble)】
反対意見や異なる視点から隔離された情報空間
【降参と引きこもり(Surrender and withdraw)】
情報の複雑さに圧倒され、判断を保留して知的探求を放棄する態度
【選択的露出(Selective exposure)】
自分の既存の信念に合致する情報だけを意図的に選んで接する傾向
【徳認識論(Virtue epistemology)】
知識や認識を研究する哲学のアプローチで、知的な徳に焦点を当てる
【知的な徳(Intellectual virtues)】
優れた思考者や探究者が持つ個人的資質や性格的特徴。好奇心、開かれた心、謙虚さ、勇気、粘り強さなど
【知的自律性(Intellectual autonomy)】
他人の意見に過度に依存せず、自分自身の思考と判断を形成する能力
【知的勇気(Intellectual courage)】
知的リスクを取る強さと自信、既存の信念に挑戦する意欲
【知的粘り強さ(Intellectual perseverance)】
知的課題や障害に直面しても、真実を追求し続ける意志と持続力
【知的注意深さ(Intellectual carefulness)】
潜在的な誤りに注意を払い、それを避けようとする態度
【知的徹底性(Intellectual thoroughness)】
理解を深く掘り下げ、説明を求め、アイデア間の関連を見出す姿勢
【知的厳密さ(Intellectual rigor)】
自分自身や他者のアイデアを評価する際に、高い論理的基準を適用する態度
【知的謙虚さ(Intellectual humility)】
自分の知的過ちや限界に気づき、それを認める意欲
【知的開放性(Intellectual open-mindedness)】
代替的な視点を考慮し、公平に聞く姿勢
【知的好奇心(Intellectual curiosity)】
疑問を持ち続け、思慮深い質問をする傾向
【調整原理(Regulative ideals)】
行動や思考の指針となる理想的な基準や目標
【認識的主体性(Epistemic agency)】
情報を集め、評価し、信念を形成する際の個人の能動的な役割
【認知的不協和(Cognitive dissonance)】
矛盾する信念や情報に直面したときに生じる心理的不快感
【過剰な自信(Hyperconfidence)】
反証や異なる視点に触れないことで生じる、自分の信念に対する過度の確信
【知的形成(Intellectual formation)】
知的な徳や思考の習慣を意図的に育成するプロセス
【根深い習慣(Deep-seated habits)】
表面的ではなく、性格の深い部分に根ざした行動や思考のパターン
【検証された信念(Tested beliefs)】
単なる主張や推測ではなく、証拠や論理によって裏付けられた信念
【道徳的・政治的責任(Moral and political responsibility)】
社会の一員として適切に行動するための倫理的・市民的義務
【情報に基づいた行動(Informed action)】
十分な情報と理解に基づいて行われる、責任ある意思決定と行動
【認識的健康(Epistemic health)】
個人や社会が真実を追求し、誤りを避ける能力を持つ健全な状態
【アルゴリズム的流れ(Algorithmic flow)】
ソーシャルメディアや検索エンジンのアルゴリズムが提示する情報の流れ
【情報環境の質(Quality of information environment)】
情報源の信頼性、多様性、アクセス可能性などを含む情報空間の全体的な状態