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「娯楽商品」としての殺人――サラエボ「スナイパー・サファリ」疑惑が問いかけるもの

シリーズ: 知新察来


◆今回のピックアップ記事:Sarah Rainsford et al. "Italy investigates claims of tourists paying to shoot civilians in Bosnia in 1990s" (BBC, 2025年11月12日)

  • 概要:1990年代のボスニア・ヘルツェゴビナ紛争中、イタリア市民がサラエボで「スナイパー・サファリ」と呼ばれる行為に参加していた疑惑について、ミラノの検察当局が捜査を開始。富裕層が高額を支払い、セルビア勢力の拠点から民間人を狙撃していたとされる。ジャーナリストのエツィオ・ガヴァッツェーニ氏が提出した証拠には、ボスニアの軍情報将校の証言が含まれ、殺害対象が男性、女性、子供で異なる料金が設定されていたとの報告もある。一方、英国軍関係者はこうした観光の存在を「都市伝説」として否定している。



1990年代、ボスニア紛争下のサラエボで、外国人観光客が高額を支払って民間人を狙撃していたという疑惑が、30年以上の時を経て再び浮上している。


イタリアの検察当局が捜査を開始したこの事件は、単なる戦争犯罪の告発にとどまらない。戦争が娯楽や冒険の対象として消費され、人の命に値段がつけられる——そんな極限的な状況が本当にあり得たのか。もしそれが事実なら、参加者たちは何を求め、どんな心理で引き金を引いたのだろう。一方で、この告発を「都市伝説」とする声もある中、証拠の断片から歴史的真実をどう掴むのか。


富良野とPhronaの対話は、戦争の商品化という現象が露わにする人間性の深淵と、過去の暴力をめぐる記憶と証言の困難さを、多角的に探っていく。



「狩り」の対象が人間になる


富良野:この記事を最初に読んだとき、正直、現実感がなかったんですよ。戦争中に外国人が高額を払って民間人を撃つ観光ツアーがあったって。でも、証言や文書が複数出てきているし、イタリアの検察も動いている。


Phrona:私も最初は信じられなかった。でも、戦争って普段は見えない人間の何かを引きずり出すんですよね。平時なら絶対に許されないことが、紛争地では「できる」状態になってしまう。それが娯楽にまで転化するって、どういう心理なんだろう。


富良野:いわゆる「サファリ」って本来は野生動物を見に行くツアーじゃないですか。それが人間相手になる。しかも、対象は武装した兵士じゃなくて、街を歩いている民間人。男性、女性、子供で料金が違ったという話もある。


Phrona:値段がつくってことは、完全に商品化されてるってことですよね。人の命に市場価格があるみたいな。それって、ある種の究極の脱人間化というか。


富良野:そう、脱人間化。相手を人として見ないから撃てる。スコープ越しに見える存在を、動くターゲットとしてしか認識しない。距離があるから、相手の表情も声も聞こえない。


Phrona:距離って物理的なものだけじゃなくて、心理的にも作用しますよね。ボタン一つで遠くの誰かを殺せるドローン攻撃とか、近代兵器全般に通じる話かもしれない。でも、これは戦争行為ですらない。完全に娯楽なんですよ。


富良野:そこが一番怖いところだよね。戦争には一応、名目上の大義や目的がある。でも、これは純粋に「撃ちたいから撃つ」。そのために金を払う。そんな欲望が実際に存在して、それを満たすビジネスまで成立していたかもしれないっていう。


誰が参加したのか——富と暴力の結びつき


Phrona:報道では「非常に裕福な人々」「武器への情熱を持つ人」って表現されてますけど、具体的にどんな人たちだったんでしょうね。


富良野:ガヴァッツェーニ氏の調査によると、少なくとも100人くらいが参加したとされてる。料金は今の価値で10万ユーロ、日本円で1500万円くらい。それを払える層ってかなり限られますよね。


Phrona:単にお金持ちってだけじゃなくて、何か特殊な欲求を抱えてた人たちなのかな。普通のハンティングじゃ満足できなくなって、もっと刺激的なものを求めたとか。


富良野:欲望のエスカレーションってやつかもしれない。でも、それだけじゃ説明しきれない気もする。人を撃つことへのハードルって、通常はものすごく高いはずなんですよ。軍隊でさえ、兵士が実際に人を撃てるようにするための訓練が必要だって言われてるくらいで。


Phrona:じゃあ、そのハードルを下げるための何かがあったのかもしれないですね。イデオロギーとか、民族主義的な正当化とか。


富良野:ロシアの作家で政治家だったエドゥアルド・リモノフって人が、1992年にサラエボを見下ろす丘から重機関銃を撃ってる映像が残ってる。彼はボスニア・セルビア人勢力の指導者ラドヴァン・カラジッチのファンで、無料で参加してたらしい。「我々ロシア人はあなたから学ぶべきだ」って言いながら。


Phrona:その場合は政治的共感が動機なんですね。でも、イタリア人の観光客たちは違う。彼らには思想的背景があったのかな、それとも純粋に金で買えるスリルを求めてただけなのか。


富良野:両方が混ざってたのかもしれない。金があって、ある種の世界観を持ってて、戦場の無秩序が免罪符になると感じてた。紛争地って普通の倫理が機能しなくなる場所だから。


Phrona:でも、彼らは帰ればイタリアの日常に戻るわけですよね。その落差ってどうやって処理してたんだろう。まるで異世界の出来事みたいに切り離してたのかな。


サラエボの現実——包囲された街で


富良野:一方で、狙われる側の状況も想像しないといけない。サラエボは4年近く包囲されてて、11,000人以上が亡くなった。その中には狙撃で殺された人も大勢いる。


Phrona:街の中心を横切るだけで命がけだったんですよね。いわゆる「スナイパーアレイ」って呼ばれた大通り。走って渡るしかなかった。


富良野:そう、日常生活のあらゆる瞬間が死と隣り合わせ。水を汲みに行くのも、子供を学校に送るのも。そういう状況に置かれた人たちにとって、自分たちが誰かの娯楽の標的になってたかもしれないって知ったら、どんな気持ちだろう。


Phrona:想像を絶しますよね。戦争の論理の中での死でさえ理不尽なのに、それが誰かの余興だったかもしれないなんて。


富良野:しかも、その「誰か」は紛争に何の関係もない外部の人間。そこに何の因果関係もない。ただ金を払えば参加できるっていう。


Phrona:ある意味、最も純粋な形の暴力かもしれない。政治的な動機も、復讐の感情も、生存のための必要性もない。ただ「やりたいから」っていう。


富良野:それが可能になってしまう構造が恐ろしい。セルビア勢力側の誰かが窓口になって、お金を受け取って、武器と場所を提供する。完全に分業化されたシステムとして。


Phrona:戦争の民営化、っていうのとはまた違うんですよね。民間軍事会社は一応、戦闘力として雇われるけど、これは完全に消費者ビジネス。戦争体験の商品化。


証拠をめぐる問題——真実は証明できるか


富良野:ただ、この話には大きな問題がある。証拠が断片的で、確証が難しいってこと。英国軍の関係者は「都市伝説だ」って言ってるし。


Phrona:でも、ボスニアの軍情報将校の証言があって、イタリアの軍情報機関も当時把握してたって話になってる。しかも対応までしたと。


富良野:そう、1993年末にボスニア側が把握して、1994年初めにイタリアに情報を渡した。2ヶ月後に「止めた、もうサファリはない」って返答があって、実際に数ヶ月以内に止まったらしい。


Phrona:ってことは、イタリア当局は事実として認識してたってことですよね。じゃあなんで30年も放置されてたんだろう。


富良野:いくつか理由は考えられる。一つは、国際的な恥だから公にしたくなかった。もう一つは、具体的な証拠や証人の確保が難しかった。戦争中の混乱の中で、誰が何をしたか特定するのは容易じゃない。


Phrona:それに、参加者が本当に富裕層だとしたら、権力や影響力を持ってる可能性もある。調査を妨げる力が働いてたかもしれない。


富良野:英国軍関係者が否定してるのも興味深いよね。「検問が多すぎて、第三国から人を連れてくるのは物理的に難しい」って。


Phrona:でも、それって見なかったから存在しないって話なのか、構造的に不可能だったって話なのか。当時の英国軍がどこまで包囲線の内側と外側を把握してたかにもよりますよね。


富良野:完全に掌握してたわけじゃないでしょう。セルビア側の支配地域には立ち入れない場所も多かったはずだし。それに、もし本当に秘密の観光ルートがあったなら、わざわざ目立つようにはしないだろうし。


Phrona:証拠がないことが、なかったことの証明にはならないっていう古典的な問題ですね。


記憶と正義——30年後の捜査の意味


富良野:それでも、今になって捜査が始まったことには意味があると思うんですよ。ミラノの検察は殺人容疑で動いてる。時効はないから。


Phrona:ガヴァッツェーニ氏が30年前の新聞記事を覚えてて、2022年のドキュメンタリー映画を見て再調査を始めたんですよね。ジャーナリストとしての執念というか。


富良野:彼が集めた17ページの資料には、元サラエボ市長のベンヤミナ・カリッチ氏の報告も含まれてる。被害を受けた側からの証言もあるってこと。


Phrona:でも、実際に有罪にまで持っていけるのかな。参加者を特定して、その人が実際に誰かを殺したって証明しないといけない。


富良野:難しいでしょうね。物的証拠はほとんどないだろうし、目撃証言も曖昧になってる。それに、参加者が本当に100人いたとして、全員を特定するのは不可能に近い。


Phrona:じゃあ何のための捜査なんだろう。象徴的な意味しかないのかな。


富良野:いや、それも大事だと思う。こういうことが起きた、許されないって公式に記録すること。歴史の中に刻むこと。それだけでも意味がある。


Phrona:ああ、真実の承認っていう意味での正義ですね。誰かを罰するっていうより、被害者の経験を認めるっていう。


富良野:それに、今後の抑止力にもなる。紛争地で同じようなことが起きないように。戦争犯罪は時効がないし、いつか追及されるかもしれないっていう警告になる。


Phrona:でも一方で、こういう話が「都市伝説」扱いされ続けることの危険性もありますよね。実際に起きたことが、あまりに非現実的だから信じてもらえないっていう。


富良野:ホロコーストの否定論者が使う手法に似てる。「そんなことが本当に起きるはずがない」っていう常識感覚が、逆に真実を覆い隠す。


戦争の商品化——現代への問いかけ


Phrona:この話って、今の私たちにも無関係じゃないと思うんです。戦争をエンターテインメントとして消費する構造って、形を変えて存在してる。


富良野:たとえば?


Phrona:戦争映画とか、戦争ゲームとか。もちろん実際に人を殺すわけじゃないけど、暴力をスペクタクルとして楽しむっていう構造は似てる。


富良野:それはちょっと違うんじゃないかな。フィクションと実際の殺人を同列に語るのは危険だと思う。ただ、戦争を遠くの出来事として消費する視線っていう意味では、確かに共通点がある。


Phrona:SNSで流れてくる紛争地の映像とか、ニュースで見る空爆とか。数字としての死者数とか。どこか他人事として見てしまう感覚。


富良野:距離が生む無感覚ってやつか。画面越しに見てるだけだと、現実感が薄れる。それが行き着くと、サラエボで起きたようなことにも繋がるのかもしれない。


Phrona:あと、戦場観光っていう現象も実際にありますよね。ベトナムのクチトンネルとか、カンボジアのキリングフィールドとか。過去の戦争の跡地を訪れる。


富良野:それは教育的な側面もあるから、一概に否定できないけど。でも、戦争を観光資源として消費するっていう構造自体は考えさせられる。


Phrona:そう、どこまでが学びで、どこからが消費なのか。その線引きって曖昧で。


富良野:今回のサファリ疑惑が本当だったとしたら、それは「進行中の戦争への観光参加」っていう、最も極端な形だよね。しかも、見るだけじゃなくて加害者になる。


Phrona:観客じゃなくて、プレイヤーになるっていう。ゲームの感覚に近いのかもしれない。でも、死ぬのは本物の人間。


人間性の境界線——なぜ撃てるのか


富良野:結局、この話で一番の謎は、普通の人間がどうやってそこまでできるのかってことなんですよ。心理学的にどう説明するんだろう。


Phrona:スタンリー・ミルグラムの服従実験とか、フィリップ・ジンバルドの監獄実験とか思い出しますね。状況が人を変えるっていう。


富良野:でも、それらの実験は権威や役割が人を動かすって話でしょ。今回は誰かに命令されたわけじゃない。自ら金を払って参加してる。


Phrona:そうですね。むしろ、もっと能動的な選択。だから余計に怖い。


富良野:一つの仮説として、彼らは自分を兵士だと思い込んでたのかもしれない。戦争ごっこの延長というか、ロールプレイとして。


Phrona:でも、兵士には一応、規律や交戦規定があるじゃないですか。民間人を撃つのは明確に違反。それを知らないはずがない。


富良野:知ってた上で、それを無視できる心理状態。戦場の無法性が、普段の倫理を停止させる。


Phrona:あるいは、もともと持ってた暴力性が、戦争という状況で正当化される口実を得たのかもしれない。普段は抑えてるけど、条件が揃えば発露する。


富良野:それって、誰の中にもあるのか、特定の人だけなのか。そこが怖いところだよね。


Phrona:たぶん、両方なんじゃないかな。潜在的には多くの人が持ってるけど、実際に行動に移すのは極めて限られた人。そして、それを可能にする特殊な状況。


富良野:サラエボの丘は、そういう状況だったってことか。倫理が機能しない空白地帯。


今、なぜこの話が蘇るのか


Phrona:最後に考えたいのが、なぜ今この話が再浮上したのかってことです。30年も経ってるのに。


富良野:一つには、時間が経って証言しやすくなったってこともあるかもしれない。戦争直後は混乱してたし、誰が敵で味方かも複雑だった。今になって整理できることもある。


Phrona:あと、ドキュメンタリー映画の影響も大きいですよね。2022年のスロベニアの監督の作品がきっかけで、ガヴァッツェーニ氏が動いた。


富良野:メディアの力ってやつか。映像になることで、抽象的な話が具体性を持つ。それが世論を動かして、検察も動かざるを得なくなる。


Phrona:それと、ウクライナの戦争もあるのかな。戦争犯罪への関心が高まってる時期だから、過去の疑惑にも光が当たりやすい。


富良野:そうかもしれない。ロシアの戦争犯罪が連日報道されてる中で、戦争における人道的規範ってものが改めて問われてる。そのタイミングで、過去にも同じような、あるいはもっと異常な事例があったかもしれないって知る。


Phrona:歴史は繰り返すのか、それとも私たちは学んでるのか。


富良野:正直、分からない。でも、少なくともこうやって過去を掘り起こして、問い続けることには意味があると思いたい。


Phrona:問い続けること、記録し続けること。それが次の暴力を防ぐ最低限の防波堤なのかもしれないですね。


富良野:希望的観測かもしれないけど、そう信じたいよね。サラエボで何が起きたのか、誰が関わったのか。真実が明らかになるかどうかは分からないけど、探求を止めないこと自体が、一種の抵抗なのかもしれない。


Phrona:忘れさせようとする力に対する、記憶の抵抗。そう考えると、この捜査の意味も少し違って見えてきますね。


 

 

ポイント整理

  • スナイパー・サファリ疑惑

    • 1990年代のボスニア紛争中、イタリア人を含む外国人がサラエボで「スナイパー・サファリ」と呼ばれる行為に参加していたとされる。富裕層が高額な料金を支払い、セルビア勢力の支配地域からサラエボの民間人を狙撃する観光ツアー形式だったという告発である。

  • 料金体系の存在

    • 報告によれば、殺害対象が男性、女性、子供かによって異なる料金が設定されていたとされ、人命の完全な商品化を示唆している。現在の価値で約10万ユーロ(約1500万円)という高額が支払われたとの証言がある。

  • 証拠と証言

    • ジャーナリストのエツィオ・ガヴァッツェーニ氏が17ページの調査資料をミラノ検察に提出。これにはボスニアの軍情報将校の証言が含まれており、1993年末にボスニア側がこの実態を把握し、1994年初めにイタリアの軍情報機関に情報提供したとされる。イタリア側は「対処した」と応答し、数ヶ月以内に行為は停止したという。

  • 否定的見解の存在

    • 英国軍関係者は「都市伝説」として疑惑を否定している。多数の検問所が存在したため、第三国から人を連れてくるのは物理的に困難だったと主張しており、証拠の信憑性をめぐる議論が存在する。

  • サラエボ包囲の文脈

    • 当時のサラエボは約4年間にわたり包囲され、11,000人以上が死亡した。市民は日常生活の中で常に狙撃の危険にさらされており、いわゆる「スナイパーアレイ」を横切るだけで命がけだった。この極限状況の中で疑惑の行為が行われたとされる。

  • 類似事例との比較

    • ロシアの作家・政治家エドゥアルド・リモノフが1992年にサラエボを見下ろす丘から重機関銃を発砲する映像が記録されている。彼はボスニア・セルビア人指導者ラドヴァン・カラジッチへの政治的共感から無償で参加しており、イデオロギー的動機による関与の例として挙げられる。

  • 捜査の現状と課題

    • イタリアの反テロ検察官アレッサンドロ・ゴッビス氏が殺人容疑で捜査を進めているが、30年以上が経過しており、具体的な証拠の確保や参加者の特定は困難を極める。ボスニア国内での捜査は停滞しているとされる。

  • 戦争犯罪の時効と正義

    • 殺人罪には時効がないため、法的には追及可能である。しかし、実際に有罪判決を得るには参加者の特定と、彼らが実際に誰かを殺害したという証明が必要であり、極めて高いハードルが存在する。

  • 歴史的記録としての意味

    • 仮に有罪判決が困難であっても、公式に捜査を行い記録に残すこと自体が、被害を認め、将来の抑止力となる象徴的正義として重要な意味を持つ。真実の承認というプロセスが、被害者と歴史に対する責任の一形態となる。

  • 戦争の商品化という構造

    • この疑惑は戦争が娯楽や消費の対象となる極端な事例であり、暴力のスペクタクル化という現代的問題との連続性を持つ。物理的・心理的距離が脱人間化を促進し、倫理的歯止めを失わせるメカニズムを示している。

  • 参加者の心理的プロファイル

    • 非常に裕福で武器への情熱を持つ層が参加者として想定されるが、通常の人間が持つ殺人への心理的ハードルをどう越えたのかは未解明である。イデオロギー的正当化、役割演技、元々の暴力性の発露など、複数の心理的要因が考えられる。

  • 現代への問いかけ

    • ドローン攻撃による心理的距離、SNSを通じた紛争の消費、戦場観光の倫理など、現代社会にも暴力と距離をめぐる類似の構造が存在する。この歴史的疑惑は、人間性の境界線と倫理的空白地帯の危険性について、今日的な問いを投げかけている。



キーワード解説


スナイパー・サファリ】

1990年代のボスニア紛争中、外国人が高額を支払ってサラエボの民間人を狙撃したとされる行為の俗称。野生動物を観察するサファリツアーになぞらえた呼称で、人命の娯楽化・商品化を象徴する表現。


サラエボ包囲】

1992年から1996年まで約4年間続いたボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボに対する包囲作戦。ボスニア・セルビア人勢力による包囲で、11,000人以上の市民が死亡し、現代史における最も長い都市包囲戦の一つとなった。


スナイパーアレイ】

サラエボ包囲中、狙撃の危険にさらされていた主要大通りの通称。市民は丘陵地から狙撃されるリスクを冒して道路を横切る必要があり、日常生活そのものが死の危険と隣り合わせだったことを象徴する場所。


脱人間化】

他者を人間としての属性や尊厳を持つ存在として認識せず、物や対象として扱う心理的プロセス。戦争犯罪やジェノサイドにおいて、加害者が被害者への共感を失い残虐行為を可能にする心理メカニズムの一つ。


ラドヴァン・カラジッチ】

ボスニア・セルビア人勢力の指導者で、サラエボ包囲を指揮した人物。後にハーグの国際刑事裁判所でジェノサイド罪などで有罪判決を受けた戦争犯罪人。サラエボ包囲における民間人への攻撃に直接的な責任を持つ。


エドゥアルド・リモノフ】

ロシアの作家・政治家で民族主義者。1992年にカラジッチの案内でサラエボを見下ろす丘から重機関銃を発砲する様子が撮影されており、イデオロギー的共感による紛争への外部者の関与を示す象徴的存在。


戦争犯罪の時効】

多くの国際法および国内法において、ジェノサイド、人道に対する罪、戦争犯罪などの重大犯罪には時効が適用されない。これにより、何十年経過しても法的追及が可能であり、歴史的正義の実現を目指す法的基盤となる。


象徴的正義】

実際の刑罰や賠償ではなく、真実の承認、公式な謝罪、記念碑の設置などを通じて実現される正義の形態。被害の事実を公的に認め、歴史に記録することで、被害者の経験を尊重し社会的癒しを促進する役割を持つ。


戦争の商品化】

戦争や暴力が経済的利益や娯楽の対象として取引される現象。軍需産業による武器取引から、戦場観光、戦争ゲーム、メディアにおける戦争のスペクタクル化まで、多様な形態で現れる現代的問題。


心理的距離と暴力】

加害者と被害者の間の物理的・心理的距離が、暴力行為への抵抗感を低下させる現象。ドローン攻撃、長距離砲撃、スコープ越しの狙撃など、相手の人間性を直接感じない状況では、殺人への心理的ハードルが下がるとされる。


都市伝説としての歴史】

あまりに非現実的に見える実際の出来事が、その信じがたさゆえに虚構として扱われてしまう現象。ホロコースト否定論などにも見られる、常識感覚が真実の認識を妨げる逆説的状況を指す。


エツィオ・ガヴァッツェーニ】

テロリズムとマフィアを主に扱うイタリアのジャーナリスト・小説家。30年前の新聞記事と2022年のドキュメンタリー映画をきっかけに独自調査を行い、17ページの証拠資料をミラノ検察に提出し、今回の捜査開始のきっかけを作った。


記憶と証言の困難さ】

戦争犯罪の立証において、時間の経過による記憶の曖昧化、証人の死亡や所在不明、物的証拠の散逸など、真実の再構成を困難にする構造的問題。しかし同時に、時間が経つことで証言しやすくなる側面もある複雑な状況を指す。



本稿は近日中にnoteにも掲載予定です。
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