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ルールを守らせたいなら、少し揺らしてみる――臓器移植の待機リストが示す制度設計の逆説

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シリーズ: 知新察来


◆今回のピックアップ記事:John Pavlus "When People Game the System, It Helps to Shake It Up" (Kellogg Insight, 2025年9月1日)

  • 概要:臓器移植の待機リストでは、医師が患者を救うために、集中治療など必要性の低い治療を行い、順位を上げる「システムの悪用」が起きてきた。これに対し、Schummerらは数理モデルを用いて、軽症患者にも一定割合の臓器をランダムに配分することで、医師の過剰治療のインセンティブを抑制し、全体の配分効率を向上させることができることを示した。一見逆説的だが、この方式により重症患者を含む全員の臓器受領確率が向上する。



善意の人ですら、ルールの隙をつくものです。命がかかっているなら、なおさらでしょう。臓器移植の待機リストでは、患者を救いたい医師たちが、必ずしも必要ではない集中治療を施して順位を上げようとしてきました。結果、本当に緊急度の高い患者が後回しになり、システム全体が詰まっていくことになります。


この問題に対して、経済学者たちが提案したのは意外な解決策だった。それは、一部の臓器をあえて軽症の患者にランダムに配分するというものでした。直感に反するように思えるこのアイデアは、実は全員の生存率を高めるといいます。ズルをさせないために、システムを少し揺らす。この発想は、医療に限らず、あらゆる資源配分の現場で応用できる可能性を秘めています。富良野とPhronaが、制度の"抜け道"と"設計の妙"について語り合います。




善意の人が、ルールを曲げる理由


富良野:この話、すごく興味深いんですよ。臓器移植の待機リストで、医師たちが患者を集中治療室に入れることで順位を上げようとするって。で、それがあまりに横行したものだから、移植を管理する組織が集中治療室にいることを優先基準から外したら、利用が半分に減ったっていう。


Phrona:半分ですか。それ、つまり本当に必要だったのは半分だけだったってことですよね。残りの半分は、言ってみれば……


富良野:そう、システムの抜け穴を使った順位操作だったわけです。でもね、ここで大事なのは、これをやっていた医師たちは別に悪意があったわけじゃないってことなんですよ。患者を救いたい一心だった。


Phrona:善意のズル、ですか。なんだか切ない話ですね。でも、確かに目の前に死にそうな患者がいて、ルールが彼らを後回しにするなら、医師としては何かしたくなるのかもしれない。


富良野:そうなんです。でもそれが積み重なると、本当に重症な人たちの順位が相対的に下がっていく。みんなが同じことをし始めるから。


Phrona:高速道路の渋滞みたいなものですね。みんなが近道を使おうとすると、その近道自体が混雑して意味がなくなる。


富良野:まさに。論文の著者のSchummerさんは、それを「混雑効果」って呼んでます。相乗り専用レーンに、無理やり見知らぬ人を拾って入ろうとする車が増えたら、専用レーンの意味がなくなる。


逆説的な解決策――少し揺らしてみる


Phrona:それで、経済学者たちが提案したのが、軽症の患者にも一部の臓器をランダムに配分するっていう方法なんですよね。これ、最初聞いたときは意味が分からなかったんですけど。


富良野:うん、直感に反しますよね。重症の人を優先すべきなのに、なんでわざわざ軽症の人にチャンスをあげるんだって。


Phrona:でも、これって要するに、軽症の人たちに「無理して順位を上げなくても、あなたたちにもチャンスはあるよ」って伝えるってことですよね。


富良野:そうそう。軽症の患者を担当している医師に、過剰な治療をさせないインセンティブを作るわけです。だってランダムに当たる可能性があるなら、わざわざ集中治療室に入れる必要もない。


Phrona:それで、結果としてどうなるんですか。


富良野:これが面白いところで、全員の臓器を受け取れる確率が上がるんです。特に重症の患者の確率が。


Phrona:ちょっと待って。軽症の人にも配分するのに、重症の人の確率も上がるって、どういうことですか。


富良野:高速道路の例で言うとね、相乗り専用レーンに無理やり入ってくる車が減るんですよ。だから、本当に相乗りしている車がスムーズに進める。軽症の人たちは、ランダムで当たるかもしれないから、無理に重症レーンに入ってこない。


Phrona:なるほど……。混雑が解消されるから、本当に急いでいる人がちゃんと先に進める。


数学が示す「甘い罠」の効用


富良野:で、この研究者たちは数理モデルを作って、どれくらいの割合を軽症患者に配分すればいいかを計算したんです。ダイヤルを回すみたいに、配分比率を調整してみた。


Phrona:それで最適なポイントが見つかったんですね。


富良野:そう。そして彼らが発見したのは、個別の医師が競争している状況でも、大きな移植センターが複数の患者をまとめて扱っている状況でも、必ずそういう最適点が存在するってことなんです。


Phrona:でも、移植センターのほうが調整しやすいんですか。


富良野:実はそうなんです。移植センターのような大きな組織だと、戦略的に動くから、軽症患者への配分を少なめに設定しても、過剰治療を抑制できる。つまり、より多くの臓器を重症患者に回せるようになる。


Phrona:それって、競争が少ないほうが効率的ってことですよね。経済学の常識に反するような……。


富良野:まさにそこがポイントで、Schummerさんも言ってるんですが、この分野では競争を減らしたほうがいい結果が出る。移植センターの数が少なくて、それぞれが多くの患者を抱えているほうが、システムを悪用する動機が減るんです。


制度の「遊び」が生む余裕


Phrona:でも、これって臓器移植だけの話じゃないですよね。他の分野でも応用できそうな気がします。


富良野:絶対できると思います。資源が限られていて、それを奪い合う状況なら、どこでも同じ問題が起きる。教育、雇用、住居、補助金の配分、いろいろ。


Phrona:たとえば、奨学金の選考とか。成績優秀な学生ばかりに集中すると、みんなが成績を上げることだけに必死になって、本来の学びが歪む。


富良野:そうですね。で、少し枠をランダムな選考に回すと、成績以外の要素を持っている学生にもチャンスが生まれる。そうすると、成績だけを追いかける競争が和らぐ。


Phrona:ただ、これってすごく繊細な調整が必要ですよね。配分の比率を間違えると、本当に必要な人に届かなくなる。


富良野:だからSchummerさんも、これは理論的な証明であって、実際に適用するには現場に合わせた調整が必要だって強調してます。


Phrona:でも、考え方自体は面白いですよね。ルールを厳格にするんじゃなくて、少しランダム性を入れることで、かえって公平性が保たれる。


人間らしさを許容する設計


富良野:この話で僕が感じるのは、制度設計って、人間の行動を完全にコントロールしようとしちゃダメなんだなってことです。


Phrona:ああ、分かります。完璧なルールを作って、それを守らせようとすると、必ず抜け道を探す人が出てくる。


富良野:そう。で、抜け道を塞ごうとすると、また別の抜け道が生まれる。イタチごっこになる。


Phrona:むしろ、人間がズルをしたくなる気持ちそのものを認めて、それを前提に設計するほうがうまくいく。


富良野:まさに。この臓器移植の話だと、医師が患者を救いたいっていう動機を否定するんじゃなくて、その動機が暴走しないようにシステムに「遊び」を入れる。


Phrona:遊び、ですか。いい言葉ですね。


富良野:機械でも、部品がぴったりはまりすぎると摩擦で動かなくなるでしょ。少し隙間がないと。人間の社会も同じで、完璧を求めすぎると息苦しくなる。


Phrona:その息苦しさが、かえって不公平を生むんですね。みんなが必死に隙間を探し始めて、結局ルールが機能しなくなる。


不確実性が生む平等


富良野:それにしても、ランダム配分っていうのが効くのは、不確実性が人間の行動を変えるからなんですよね。


Phrona:どういうことですか。


富良野:つまり、努力しても確実に報われるわけじゃないって分かると、人は過剰に努力しなくなる。逆に、何もしなくてもチャンスがあるって分かると、無理な競争に参加しなくなる。


Phrona:でも、それって努力を否定することになりませんか。


富良野:いや、そうじゃなくて、努力の方向性が変わるんです。順位を上げるための努力じゃなくて、本当に必要なケアに集中できるようになる。


Phrona:ああ、なるほど。無駄な競争から解放されるってことか。


富良野:そう。医師は患者を集中治療室に入れる理由を考える時間を、もっと本質的な治療に使えるようになる。これって、ルールで縛るんじゃなくて、制度が人間の善意を引き出し、自然に良い行動をしたくなるように仕向けるってことじゃないかと思うんです。


公平性の再定義


Phrona:でも、この方法に反発する人もいそうですよね。重症の患者の家族からしたら、なんで軽症の人にチャンスをあげるんだって。


富良野:そこは説明が難しいところですね。でも、数字で示せるのは強い。全員の確率が上がるって言えるから。


Phrona:でも、感情的には納得しにくいかもしれない。自分の家族が死にかけてるのに、軽症の人が先に臓器をもらうなんて。


富良野:うん、だから実装するには、相当な説得力と透明性が必要だと思います。なぜこの方法が全体の利益になるのか、ちゃんと説明しないと。


Phrona:それに、ランダムっていう言葉も不安を煽りますよね。運任せって聞こえちゃう。


富良野:そうなんですよ。だから、これは運任せじゃなくて、戦略的なランダム性なんだって伝える必要がある。公平性を保つための仕組みなんだって。


Phrona:公平性って、結果の平等じゃなくて、機会の平等ってことですよね。誰にでもチャンスがあるっていう。


富良野:そうそう。で、その機会を作るために、あえて少し混沌を入れる。それが全体の秩序を保つっていう逆説。


システムを揺らすことの勇気


Phrona:この話を聞いてると、制度設計って本当に難しいなって思います。完璧を目指すと失敗するけど、だからといって適当でもダメ。


富良野:そう、バランスなんですよね。どこまで厳格にして、どこで遊びを持たせるか。


Phrona:でも、実際にこういう方法を導入するには、すごく勇気がいりますよね。既存のシステムを揺らすわけだから。


富良野:確かに。失敗したら責任問題になるし。でも、Schummerさんの研究は、理論的には必ず改善するって証明してるんです。だから、試す価値はある。


Phrona:試す価値はあるけど、誰が最初にやるかってことですよね。


富良野:そうなんですよ。イノベーションって、いつもそこがネックになる。新しい方法が理論的に優れていても、実装するリスクを誰が取るか。


Phrona:でも、誰かがやらないと、状況は変わらない。医師は過剰治療を続けて、患者は苦しみ続ける。


富良野:だからこそ、こういう研究が大事なんです。理論的な裏付けがあれば、実装のハードルが下がる。少なくとも議論の土台にはなる。


揺らぎを設計する時代


富良野:この話、もっと広く言えば、これからの時代の制度設計のヒントになると思うんですよね。


Phrona:どういうことですか。


富良野:つまり、これまでは効率とか最適化とか、そういう方向に進んできたじゃないですか。でも、それが限界に来てる。完璧なシステムは、かえって脆いんです。


Phrona:揺らぎがないから、少しの変化で壊れちゃう。


富良野:そう。だから、あえて揺らぎを組み込む。不確実性を許容する。それが、長期的には安定につながる。


Phrona:生態系みたいなものですね。多様性があるから、環境が変わっても生き残れる。


富良野:まさに。制度も同じで、少しの混沌が全体の健全性を保つ。この臓器移植の話は、その一例なんだと思います。


Phrona:でも、それを受け入れるのって、心理的に難しいですよね。人間って、秩序とか予測可能性を求めるから。


富良野:そうですね。だからこそ、教育が大事になる。不確実性は悪じゃないって、みんなが理解しないといけない。


Phrona:揺らぎを恐れるんじゃなくて、揺らぎと共存する。そういう感覚が、これからの社会には必要なのかもしれないですね。



 

ポイント整理


  • 善意の悪用

    • 臓器移植の待機リストでは、患者を救いたい医師が、必ずしも必要のない集中治療を施して患者の順位を上げようとしてきた。移植管理組織が集中治療室を優先基準から外したところ、利用が半分に減少した。これは、残りの半分が順位操作目的だったことを示している。

  • 混雑効果の問題

    • 多くの医師が同じ手法でシステムを悪用すると、高速道路の渋滞のように、優先レーンそのものが混雑してしまう。結果として、本当に重症な患者の臓器受領確率が相対的に低下する。100人に50個の臓器があれば50%の確率だが、悪用により150人になれば33%に下がる。

  • 逆説的な解決策

    • 一部の臓器をあえて軽症患者にランダムに配分することで、医師が過剰治療をするインセンティブを減らす。軽症患者にもチャンスがあれば、無理に順位を上げようとする動機が弱まる。これにより優先レーンの混雑が解消され、重症患者を含む全員の臓器受領確率が向上する。

  • 数理モデルによる証明

    • SchummerとMuñoz-Rodriguezは数理モデルを構築し、どの程度の割合を軽症患者に配分すれば最適かを計算した。個別の医師が競争する状況でも、大規模な移植センターが複数患者を扱う状況でも、必ず最適点が存在することを示した。

  • 競争の逆効果

    • 通常の経済理論とは逆に、この分野では競争が多いほど効率が悪化する。移植センターのような大規模組織が少数で競争する場合のほうが、システムの悪用が減り、より多くの臓器を重症患者に配分できる。

  • 戦略的ランダム性

    • ランダム配分は運任せではなく、戦略的な不確実性の導入である。努力しても確実に報われるわけではないと分かれば、人は過剰な競争に参加しなくなり、本質的な活動に集中できるようになる。

  • 実装の課題

    • 理論的には優れていたとしても、実際の導入には現場に合わせた調整が必要。特に重症患者の家族からの感情的な反発に対処するには、なぜこの方法が全体の利益になるのかを透明性をもって説明する必要がある。

  • 普遍的な応用可能性

    • この原理は、臓器移植以外の資源配分にも応用できる。教育における奨学金、雇用、住居、補助金など、限られた資源を奪い合う状況では、同様の問題と解決策が考えられる。

  • 制度の「遊び」の重要性

    • 完璧なシステムは、かえって脆弱である。機械の部品に隙間が必要なように、社会制度にも適度な「遊び」や余裕が必要。完璧を求めすぎると、人々は抜け道を探し、結果的にシステムが機能しなくなる。

  • 揺らぎを設計する時代

    • これからの制度設計には、あえて不確実性を組み込むことが重要になる。生態系が多様性によって環境変化に強いように、社会制度も適度な混沌を許容することで、長期的な安定性と公平性を保てる。



キーワード解説


システムの悪用】

本来の目的とは異なる形でルールの抜け道を利用すること。必ずしも悪意があるわけではなく、目の前の目標達成のために行われることもある。


混雑効果】

限られた資源に多くの人が殺到することで、全体のアクセス効率が低下する現象。高速道路の渋滞のように、近道を使う人が増えると近道自体が混雑する。


戦略的ランダム性】

単なる運任せではなく、意図的に不確実性を導入することで、全体の行動パターンを望ましい方向に誘導する手法。


インセンティブ設計】

人々が自発的に望ましい行動を取るように、報酬や機会の構造を設計すること。罰則や規制ではなく、動機づけによって行動を変える。


最適点】

複数の要素のバランスを取りながら、全体として最も良い結果を生み出す設定値。配分比率など、調整可能なパラメータの理想的な値。


数理モデル】

現実の複雑な状況を数式や計算で単純化し、さまざまなシナリオをシミュレーションできる形にしたもの。理論的な検証や予測に使われる。


資源配分】

限られた資源を誰にどのように分配するかを決定する仕組み。公平性と効率性のバランスが常に問題になる。


移植センター】

複数の患者の臓器移植を扱う大規模な医療組織。個別の医師よりも戦略的に意思決定を行う傾向がある。


優先度スコア】

臓器移植の待機リストで、患者の緊急度を数値化したもの。重症度や待機期間などの要素から計算される。


制度の遊び】

システムに意図的に組み込まれた柔軟性や余裕。完璧すぎるルールは脆弱なため、適度な「隙間」が全体の安定性を保つ。



本稿は近日中にnoteにも掲載予定です。
ご関心を持っていただけましたら、note上でご感想などお聞かせいただけると幸いです。
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