友達の信念で人を判断していませんか?――見えない差別「beliefism」が分断を深める理由
- Seo Seungchul

- 2025年11月10日
- 読了時間: 15分
更新日:2025年11月22日

シリーズ: 知新察来
◆今回のピックアップ記事:Paul Dolan "The hidden prejudice tearing society apart" (Kellogg Insight, 2025年10月30日)
概要:行動科学の視点から、性差別や人種差別とは異なる新しい形の差別「beliefism」について論じた記事。beliefismとは、ある一つの信念や意見の違いだけで相手の人格全体を判断してしまう態度を指す。ガーナのタクシー運転手の研究事例などを通じて、beliefismが経済行動や社会的分断にどのような影響を及ぼすかを検証し、異なる意見を持つ人々との寛容な関係構築の重要性を訴えている。
SNSで意見が合わない人をブロックする。政治的立場が違うというだけで、その人の全人格を否定してしまう。私たちは日常的に、性別や人種による差別には敏感になっているけれど、もっと見えにくい、けれど確実に社会を分断している差別があるのかもしれません。
ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの行動科学教授Paul Dolanは、この現象を「beliefism(信念差別)」と名付けました。ある一つの問題についての意見の違いだけで、相手の人間性全体を判断してしまう。そんな態度が、いま私たちの社会をどれほど分断しているのか。
今回は、beliefismという概念を通じて、富良野とPhronaが、なぜ私たちは異なる信念を持つ人との対話を避けてしまうのか、そして寛容さを取り戻すためには何が必要なのかを語り合います。もしかしたら、気づかないうちに私たち自身も beliefismを実践しているかもしれない――そんな問いかけが、この対話の出発点です。
「黒人の友達がいる」という言葉の違和感
富良野:Phronaさん、この記事を読んでいて、冒頭の一文にハッとさせられたんですよ。かつて白人が人種差別を否定するために使っていた「僕の親友には黒人がいる」っていうフレーズ。これって今では完全に逆効果の典型例として知られていますよね。
Phrona:ええ、あれは言い訳にしか聞こえないっていう批判が定着してますよね。でも富良野さん、Dolanはそこで立ち止まっているんですよね。すぐに切り捨てないで。
富良野:そう、そこが面白いんです。彼は「でも、ちょっと待って」と言っている。黒人の友人がいる白人と、まったくいない白人を比べたら、前者のほうが相対的には差別的じゃない可能性が高いんじゃないか、と。
Phrona:友達の選び方って、行動として現れるわけですもんね。日本のことわざにもあるでしょう、「人を知りたければその友を見よ」って。Dolanが引用してるのは日本の諺なんですよ、これ。
富良野:そうなんですよ。つまり、友情っていうのは態度の表れであって、どんな人と付き合っているかは、その人の寛容さを測る一つの指標になりうる。もちろん完璧な指標ではないけれど。
Phrona:でもここから先がDolanの本題なんですよね。「友達が皆、自分と同じ信念を持っている人だけだったら?」っていう問いかけ。
富良野:それが beliefismの入り口ですね。もし自分と同じ考え方の人としか友達になっていないとしたら、それは定義上、異なる考えを持つ人を差別していることになる。
beliefismとは何か――新しい差別の形
Phrona:beliefismって、日本語にするのが難しい概念ですけど、敢えて言うなら「信念差別」とか「意見による差別」って感じでしょうか。
富良野:そうですね。Dolanは、人種差別、性差別、階級差別と論理的には同じレベルの差別だと言っている。ある一つの問題についての意見が違うだけで、その人の全人格を否定してしまう態度のことです。
Phrona:たとえば雇用の場面で、仕事の能力とはまったく関係ない政治的信念――中絶に関する意見とか――が理由で、優秀な候補者を不採用にしてしまう。そういうことが実際に起きている、と。
富良野:記事の中でガーナのタクシーの事例が紹介されていて、これが興味深いんです。2008年の選挙の時期に、乗客がタクシーを拾う際、最初に自分の民族言語で話しかける実験をしたんですね。
Phrona:言葉やアクセントから互いの民族が分かって、それによって支持政党も推測できる。ガーナでは民族集団と政党が密接に結びついているから。
富良野:で、結果はどうだったかというと、運転手は自分と同じ政党を支持している乗客からは低い料金でも受け入れるけど、対立政党の支持者だと分かると高い料金を要求した。つまり、政治的立場の違いが経済行動に直接影響を及ぼしているわけです。
Phrona:それって日常生活の中で無意識に起きてる差別ですよね。仕事の能力とも、タクシーの乗車距離とも関係ないのに。
beliefismと他の差別との違い
富良野:ただPhronaさん、ここで一つ考えないといけないのは、beliefismと人種差別や性差別との違いです。Dolanは論理的には同じだと言っているけど、実際には微妙な差もある気がするんですよ。
Phrona:というと?
富良野:人種や性別は変えられないものですよね。でも信念や意見は、原理的には変わりうるものです。そこがちょっと違うんじゃないかって。
Phrona:なるほど。じゃあ、信念による差別のほうが正当化されやすいってこと?
富良野:いや、そうじゃなくて、むしろ逆かもしれない。変えられるはずのものだからこそ、「なぜあなたはその考えを変えないのか」という非難が生まれやすい。そして、「その意見を持っているなら、あなたという人間全体がダメだ」という飛躍が起きやすいのかもしれません。
Phrona:ああ、それは鋭い見方ですね。つまり、信念っていうのは選択の結果だと思われているから、その人の道徳性や人格と直結して見られてしまう。
富良野:そうなんです。でもDolanが言いたいのは、一つの信念だけでその人の全体を判断するのは、あまりにも情報が少なすぎるってことですよね。
Phrona:記事の中で彼はこう言ってます。「ある問題について異なるけれど嫌悪すべきではない意見を持っているというだけで、その人を完全に否定してしまうとき、私たちはその人に関するごくわずかな情報を使って、その人の全人格を判断している」って。
寛容さの境界線――どこまで受け入れるべきか
富良野:ただ、ここで難しい問題が出てくるんですよ。Dolanも認めているように、不寛容な人に対して不寛容であることは正当化される場合がある。
Phrona:寛容のパラドックスですね。無制限に寛容であると、不寛容な勢力によって寛容な社会が破壊されてしまう。
富良野:そう。だから、人種差別主義者と友達になる義務はないし、「僕の親友には人種差別主義者がいる」なんて主張に道徳的価値はない。これは当然です。
Phrona:じゃあ、どこで線を引くかが問題になりますよね。どの信念なら受け入れられて、どの信念は拒絶すべきなのか。
富良野:Dolanは「異なるけれど嫌悪すべきではない(different but not abhorrent)」という表現を使っていますね。つまり、意見は違うけど、人間性を否定するほどひどいものではない、という領域がある。
Phrona:でも、何が「嫌悪すべき」かの判断自体が、人によって違うんじゃないですか?ある人にとっては中絶反対論が嫌悪すべき意見かもしれないし、別の人にとってはそうじゃない。
富良野:それはまさにbeliefismの核心ですよね。自分と違う意見を、「異なるだけ」なのか「嫌悪すべき」なのか、私たちはどう判断しているのか。そして、その判断があまりに早く、あまりに単純になっていないか。
Phrona:私が感じるのは、beliefismって怖いのは、知らないうちに自分の世界を狭めていくことなんですよね。同じ意見の人とばかり付き合っていると、自分の考えが正しいって確信がどんどん強くなっていく。
富良野:エコーチェンバー効果ですね。反響室の中では、自分の声だけが増幅されて返ってくる。
SNSとbeliefism――分断を加速させる構造
Phrona:特にSNSの時代になって、beliefismは加速してる気がします。ボタン一つで、意見の合わない人をブロックできるから。
富良野:そう、物理的な距離がない分、関係を断つコストがすごく低い。昔なら、たとえ意見が違っても、同じ職場や地域で顔を合わせ続けなきゃいけなかった。そこには強制的な対話の機会があったわけです。
Phrona:今は自分で情報環境を完全にコントロールできちゃうから、違和感のある意見に触れないで生きていける。
富良野:Dolanの議論で僕が大事だと思うのは、beliefismには「波及効果(spillover effects)」があるっていう指摘です。タクシーの料金交渉みたいに、本来は関係ないはずの領域にまで、信念による差別が浸透していく。
Phrona:仕事の採用だけじゃなくて、住む場所の選択とか、子どもの学校選びとか、あらゆる場面で同じ考えの人を求めてしまう。
富良野:そうなると、社会全体が分断されていくんですよね。物理的にも思想的にも、同質な集団がバラバラに存在する状態になる。
Phrona:そして、その分断が深まれば深まるほど、「あちら側」の人たちへの想像力が失われていく。会ったこともない、話したこともない人たちに対して、ステレオタイプなイメージだけで判断するようになる。
行動としての寛容――友情の意味を問い直す
富良野:記事の最初に戻ると、Dolanが「黒人の友人がいる」という発言を完全には否定しなかったのは、友情を行動の指標として見ているからなんですよね。
Phrona:友達になるっていうのは、ただの言葉じゃなくて、具体的な行為の積み重ねですもんね。一緒に時間を過ごして、話を聞いて、互いの存在を尊重する。
富良野:で、beliefismの文脈で言えば、「自分と違う信念を持つ友人がいる」っていうのは、まさに beliefismに抗う行動なんです。口先だけじゃなくて、実際に異なる視点と向き合っている証拠になる。
Phrona:ただ、そこで注意しないといけないのは、富良野さんがさっき言った「嫌悪すべき」意見との境界線ですよね。たとえば、明確な差別思想を持つ人とも友達になるべきかっていうと、それは違う。
富良野:そうですね。Dolanも言っているように、不寛容な人に対して寛容である義務はない。でも、意見が異なるだけで、すぐに「不寛容」のレッテルを貼ってしまっていないか、という自己点検は必要だと思います。
Phrona:つまり、beliefismの問題は、すべての意見を受け入れろってことじゃなくて、一つの意見の違いから相手の全人格を否定するその早さ、その乱暴さにあるってことですね。
富良野:まさにそうです。ある問題について意見が違う。でも、その人は他の多くの問題については共感できる考えを持っているかもしれない。そういう複雑さを見ないで、一つの意見だけで「あの人はダメだ」って切り捨ててしまう。
日本社会とbeliefism
Phrona:これって、日本の社会にも当てはまる話だと思いますか?
富良野:うーん、日本の場合は、beliefismというよりも、そもそも政治的な話題をタブー視する傾向があるんじゃないかな。職場でも友人関係でも、政治や宗教の話は避けるっていう暗黙のルールがある。
Phrona:ああ、たしかに。意見の対立を避けるために、最初から話さないっていう選択ですね。
富良野:でも、それは beliefismの裏返しかもしれないですよ。つまり、「意見が違うと分かったら関係が壊れる」っていう恐れがあるから、最初から触れないようにする。beliefismが怖いから、予防的に沈黙を選んでいるとも言える。
Phrona:なるほど。じゃあ、表面的には穏やかに見えるけど、実は深いところでは beliefismが働いているのかもしれない。
富良野:SNSを見ていると、日本でも特定の話題――たとえば原発とか、ジェンダーの問題とか――では、beliefism的な反応がすごく激しいですよね。意見が違うというだけで、攻撃的な言葉が飛び交う。
Phrona:オンラインだと、顔が見えない分、beliefismが過激化しやすいのかもしれません。リアルな場では沈黙を守っているけど、ネット上では極端な形で意見をぶつけ合う。
beliefismを超えるために――小さな実践から
富良野:じゃあ、beliefismを乗り越えるには、どうすればいいんでしょうね。
Phrona:Dolanは明確な答えは出していないけど、でも記事の最後に大事なことを言ってますよね。「beliefismを認識すること」が第一歩だって。
富良野:自分が beliefismを実践しているかもしれない、という自覚を持つこと。それだけでも違うのかもしれない。
Phrona:たとえば、SNSで誰かの投稿を見て、「この人、この意見を持ってるのか、じゃあもう付き合う価値ないな」って思ったとき、ちょっと立ち止まる。その意見は本当に嫌悪すべきものなのか、それとも単に自分と違うだけなのか、って。
富良野:それから、意識的に異なる意見を持つ人の話を聞いてみる。ネットの記事だけじゃなくて、実際に対面で話してみる。そうすると、その人の意見の背景とか、人間性の複雑さが見えてくる。
Phrona:友情って、もしかしたら beliefismへの最強の対抗手段なのかもしれないですね。友達になってしまえば、その人のいろんな面が見える。一つの意見だけで判断できなくなる。
富良野:ただ、それは簡単なことじゃないですよね。特に、感情的に強く反応してしまう問題については。
Phrona:ええ。でも、beliefismが社会を分断しているっていう認識があれば、少なくとも、自分の反応をコントロールする余地が生まれるかもしれない。
富良野:Dolanが言うように、beliefismは sexismや racismと同じくらい、社会にとって有害なものになりうる。だからこそ、私たち一人ひとりが意識的に向き合う必要があるんでしょうね。
Phrona:結局、寛容さって、何も考えずに全部を受け入れることじゃなくて、違いに向き合いながら、相手の人間性全体を見ようとする努力なのかもしれません。
富良野:そうですね。beliefismっていう言葉を知っただけで、自分の中にある無意識の判断に気づけるようになる。それが変化の始まりなのかもしれないですね。
ポイント整理
beliefismの定義と特徴
beliefismとは、ある一つの信念や意見の違いだけで、相手の人格全体を判断してしまう態度を指す。人種差別、性差別、階級差別と論理的には同じ構造を持つ差別の一形態である。
特定の問題についての意見が異なるというだけで、その人の他のすべての側面を否定してしまうことが特徴。わずかな情報で全人格を評価する点に問題がある。
beliefismは、意見が「異なる(different)」ことと「嫌悪すべき(abhorrent)」であることを混同させ、本来は共存可能な多様性を排除してしまう。
beliefismの社会的・経済的影響
ガーナの研究事例では、タクシー運転手が乗客の政治的立場を推測し、同じ政党支持者には低い料金を、対立政党支持者には高い料金を提示する行動が確認された。beliefismが経済的取引にまで影響を及ぼす実例である。
雇用の場面でも beliefismは発生する。仕事の能力とは無関係な政治的・社会的信念によって、優秀な候補者が不採用になるケースがある。
beliefismには「波及効果(spillover effects)」があり、特定の領域での意見の違いが、本来は無関係な他の領域での差別や排除につながる。結果として社会全体が思想的に分断され、同質な集団が孤立していく構造が生まれる。
友情と行動としての寛容さ
「黒人の友人がいる」という発言は、言い訳として批判されてきたが、Dolanはこれを完全には否定しない。友人関係は具体的な行動の積み重ねであり、多様な背景を持つ人々と実際に関係を築いている事実は、相対的な寛容さの指標になりうる。
日本の諺「人を知りたければその友を見よ」が示すように、友情の選択はその人の価値観や寛容さを反映する。同じ信念を持つ人としか友人関係を持たないことは、定義上、異なる信念を持つ人への差別を意味する。
友情は beliefismへの対抗手段となる。友人になることで、その人の複雑さや多面性が見えるようになり、一つの意見だけで判断することが難しくなる。
寛容のパラドックスと境界線
無制限な寛容は、不寛容な勢力によって寛容な社会が破壊される「寛容のパラドックス」を引き起こす。そのため、不寛容な態度や明確な差別思想に対して不寛容であることは正当化される。
「人種差別主義者の友人がいる」という主張に道徳的価値はない。beliefismの克服は、すべての意見を無条件に受け入れることではなく、意見の違いと人格の否定を混同しないことを意味する。
何が「嫌悪すべき」意見かの判断は個人や文化によって異なる。重要なのは、一つの意見の違いから相手の全人格を即座に否定する態度の速さと乱暴さを自覚し、より慎重な判断を心がけることである。
SNS時代における beliefismの加速
SNSやデジタルコミュニケーションの時代において、beliefismは加速している。ボタン一つで意見の合わない人をブロックできるため、関係を断つコストが極めて低くなった。
エコーチェンバー効果により、同じ意見を持つ人々の間で自分の考えが増幅され、異なる視点に触れる機会が失われる。結果として、自分の意見の正しさへの確信が過度に強化される。
従来は物理的な共同体の中で、意見が違っても顔を合わせ続ける必要があり、そこに強制的な対話の機会があった。現代ではこうした摩擦が減少し、自分で情報環境を完全にコントロールできるようになった分、beliefismが促進されやすい。
日本社会における beliefism
日本社会では、beliefismそのものというより、政治や宗教といった話題をタブー視し、意見の対立を避けるために最初から議論を回避する傾向が強い。これは beliefismへの恐れの表れとも解釈できる。
表面的には穏やかで調和的に見えるが、深層では「意見が違うと分かったら関係が壊れる」という不安が働いており、beliefism的な思考が潜在的に存在している。
SNS上では、原発問題やジェンダー問題など特定の話題において、beliefism的な反応が激しく現れる。リアルな場では沈黙を守る一方で、オンラインでは極端な形で意見をぶつけ合う二重構造が見られる。
beliefismを乗り越えるための実践
beliefismを克服する第一歩は、自分自身が beliefismを実践しているかもしれないという自覚を持つこと。無意識の判断パターンを認識することから変化が始まる。
誰かの意見に反発を感じたとき、「この意見は本当に嫌悪すべきものなのか、それとも単に自分と異なるだけなのか」と立ち止まって考える習慣をつける。即座の人格否定を避ける。
意識的に異なる意見を持つ人の話を聞く機会を作る。特にオンラインの記事や投稿だけでなく、対面での対話を通じて、意見の背景や人間性の複雑さに触れることが重要。
寛容さとは、何も考えずに全てを受け入れることではなく、違いに向き合いながら相手の人間性全体を見ようとする意識的な努力である。beliefismという概念を知ることで、より慎重で公正な判断が可能になる。
キーワード解説
【beliefism(信念差別、意見による差別)】
ある一つの信念や意見の違いだけで、相手の人格全体を判断し、差別する態度
【spillover effects(波及効果)】
beliefismが本来無関係な領域にまで浸透し、様々な場面で差別を引き起こす現象
【エコーチェンバー効果】
同じ意見を持つ人々の間で意見が増幅され、異なる視点に触れる機会が失われる現象
【寛容のパラドックス】
無制限な寛容が不寛容な勢力による社会の破壊を招くという矛盾
【different but not abhorrent(異なるが嫌悪すべきではない)】
意見は違うが、人間性を否定するほどひどいものではない状態を指す表現
【行動としての寛容】
口先だけでなく、具体的な行為(友情の構築など)を通じて示される寛容さ
【認知的分断】
beliefismによって社会が思想的に分断され、同質な集団が孤立していく状態
【行動科学(Behavioural Science)】
人間の行動パターンを科学的に研究し、より良い意思決定や政策設計に活用する学問分野