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意識はいかにして生まれたか──デネット最後の大著『心の進化を解明する』を読む

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 シリーズ: 書架逍遥


◆今回の書籍: Daniel C. Dennett 『From Bacteria to Bach and Back: The Evolution of Minds』 (2017)

  • 邦題:『心の進化を解明する―バクテリアからバッハへ』



単細胞生物から、バッハの複雑な音楽を作曲できる人間の心まで。この壮大な進化の道のりを、一貫した理論で説明できるでしょうか。2024年に亡くなった哲学者ダニエル・デネットは、生涯最後の大著でこの難問に挑みました。


『From Bacteria to Bach and Back』(2017年)は、意識の謎に対するデネットの集大成です。彼は「理解なき能力」という独特の概念を軸に、進化がいかに設計者なしに複雑な心を生み出したかを論じています。驚くべきことに、私たちの意識や自由意志も、この進化のプロセスの産物だというのです。


でも、それは私たちの日常的な実感とあまりにもかけ離れているのではないでしょうか。意識を単なる進化の産物として説明することで、何か大切なものが失われてしまうのでは?


今回は、富良野とPhronaが、デネットのこの野心的な著作について語り合います。進化論と計算理論を組み合わせた彼の理論は、私たちの自己理解をどう変えるのでしょうか。




「理解なき能力」という逆説


富良野: デネットのこの本、タイトルからして壮大ですよね。バクテリアからバッハまで。単細胞生物から、あの複雑な音楽を作る人間の心まで、一つの理論で説明しようって。


Phrona: しかも「往復」するんですよね、Back がついてる。バッハまで行って、またバクテリアに戻る。これ、どういう意味なんでしょう。


富良野: 僕の理解では、人間の心の進化を理解することで、逆に生命の始まりも新しい視点で見えてくるってことじゃないかな。で、その鍵になるのが「competence without comprehension」、理解なき能力という概念なんです。


Phrona: 理解なき能力...なんか禅問答みたいですね。能力があるのに理解していないって、どういうことでしょう?


富良野: 例えば、クモが巣を張るとき、クモは建築学を理解してるわけじゃないですよね。でも見事な構造物を作る。これが理解なき能力です。


Phrona: ああ、なるほど。でも、それって本能とか、遺伝的にプログラムされた行動ってことじゃないですか?それ自体は新しい発見じゃないような。


富良野: そう、でもデネットが革命的なのは、この原理を人間の意識にまで適用したことなんです。つまり、僕らの意識や理解も、最初は「理解なき能力」から生まれたって。


Phrona: えっ、それって...私たちが何かを理解してるって思ってることも、実は理解してないってこと?


ダーウィンとチューリングの「奇妙な逆転」


富良野: この本で面白いのは、ダーウィンとチューリングが同じような「奇妙な逆転」を成し遂げたって指摘してることです。


Phrona: 奇妙な逆転?


富良野: ダーウィンは、デザインには必ずデザイナーが必要だっていう常識を逆転させた。自然選択っていうメカニズムで、デザイナーなしにデザインが生まれるって。


Phrona: ああ、それで生物の精巧な仕組みも説明できるようになったんですね。じゃあチューリングの逆転は?


富良野: チューリングの場合は、計算するには理解が必要だっていう常識を逆転させたんです。機械は算術が何かを知らなくても、完璧に計算できるって。


Phrona: うーん、でも計算機って、人間がプログラムしてるじゃないですか。結局、人間の理解が必要なんじゃ...


富良野: そこがミソで、プログラムを実行する機械自体は、何も理解してないんです。ただルールに従って記号を操作してるだけ。でも、その結果として正しい答えが出る。


Phrona: なるほど...理解してないのに正しい答えが出る。これ、ちょっと不思議ですね。


富良野: で、この二つの逆転が実は同じ発見の二つの側面なんです。どちらも「理解なき能力」から「理解」が生まれるメカニズムを示してる。


意識は「ユーザー・イリュージョン」?


Phrona: でも、ここで一番引っかかるのが、デネットが意識を「ユーザー・イリュージョン」だって言ってることなんです。


富良野: ああ、これは確かに物議を醸す主張ですよね。コンピューターのユーザーインターフェースみたいに、意識も実際の脳の働きを単純化した「見せかけ」だって。


Phrona: でも、私たちの意識体験って、すごくリアルじゃないですか。痛みを感じたり、色を見たり、音楽に感動したり。これが全部イリュージョンだなんて。


富良野: いや、デネットは体験そのものを否定してるわけじゃないと思うんです。むしろ、僕らが意識について持ってる「理論」が間違ってるって言ってる。


Phrona: 理論?


富良野: 例えば、意識は脳の中の特別な場所にあるとか、意識の流れは一本の川みたいなものだとか。デネットによれば、実際の意識は「多重草稿モデル」で、並列的なプロセスの集まりなんです。


Phrona: 多重草稿...同時にいくつもの下書きが書かれてるみたいな?


富良野: そうそう。で、その中から状況に応じて一つが「採用」される。だから意識の統一性も、実は後付けの編集結果みたいなものだって。


Phrona: うーん、でもそれだと、私という統一された主体はどこにいるんでしょう?バラバラのプロセスの寄せ集めだったら、私は誰なの?


ミームと文化的進化


富良野: そこで重要になるのが「ミーム」の概念なんです。デネットは、人間の心の特殊性は、生物学的進化だけじゃなくて文化的進化によって作られたって主張してる。


Phrona: ミームって、インターネットのあれじゃなくて、ドーキンスが提唱した文化的遺伝子のことですよね。


富良野: ええ。言葉とか、習慣とか、技術とか。これらが遺伝子みたいに複製され、変異し、選択される。で、人間の脳はミームの「宿主」として進化したって。


Phrona: 宿主...なんかウイルスみたいですね。


富良野: 実際、デネットはミームを「脳に感染する」ものとして描いてます。良いミームも悪いミームもある。


Phrona: でも、それだと私たちの思考や信念も、ただミームに操られてるだけってこと?自由意志はどこに?


富良野: そこが面白いところで、自由意志も進化の産物として説明されてます。でも、それは「幻想」じゃなくて「リアル・パターン」なんだって。


Phrona: デネットの概念で、素粒子レベルでは存在しないけど、より高いレベルでは実在するパターンのことですよね。


富良野: そう、自由意志もその一つで、社会的相互作用の中で意味を持つ。


言語という「思考の道具」


Phrona: でも、ミームの中でも特に重要なのが言語なんですよね、きっと。


富良野: まさに。デネットは言語を「思考のための道具」って呼んでます。素手で大工仕事ができないように、素の脳では思考もあまりできないって。


Phrona: 面白い比喩ですね。でも、動物だって考えてるんじゃないですか?言葉がなくても。


富良野: 確かに動物も環境に反応して行動を選択してます。でも、デネットによれば、それは「アフォーダンス」への反応で、抽象的な思考とは違う。


Phrona: アフォーダンスって、環境が提供する行動の可能性のことですよね。食べ物は「食べられる」、崖は「危険」みたいな。動物はこれを直接知覚して反応する。でも人間は?


富良野: 人間は言語によって、目の前にないものについても考えられる。過去や未来、仮定や反実仮想。これが人間の思考を特別なものにしてるって。


Phrona: ああ、だから「バッハ」なんですね。音楽、特にバッハみたいな複雑な音楽は、言語的思考なしには作れない。


人工知能の未来への警告


富良野: この本の最後の方で、デネットは人工知能について興味深い警告をしてるんです。

Phrona: 超知能が人類を支配するとか、そういう話ですか?


富良野: いや、逆なんです。真の危険は、AIが賢くなりすぎることじゃなくて、人間がAIの能力を過大評価して、時期尚早に権限を譲渡することだって。


Phrona: ああ...確かに今でも、AIに何でも任せようとする風潮がありますよね。


富良野: で、面白いのは、デネットが「人間を模倣するAIで、その限界を隠すものは詐欺として扱うべきだ」って提案してることです。作った人は刑務所行きだって。


Phrona: え、それはちょっと極端じゃないですか?


富良野: でも考えてみると、人間のふりをするAIって、ある意味で究極の「理解なき能力」ですよね。理解してないのに理解してるように見せかける。


Phrona: うーん、でもそれを言ったら、私たち人間だって本当に理解してるかどうか...


富良野: そう!そこに戻ってくるんです。バクテリアから始まって、バッハまで行って、また戻ってくる。僕らの理解も、究極的には「理解なき能力」から生まれたものかもしれない。


進化は続いている


Phrona: この本を読んで、意識も自由意志も、ただの進化の産物だなんて、なんだか人間は特別じゃないんだなって気がしました。


富良野: そうですね。でも僕は、ある意味もっと特別に感じるようになったかな。だって、理解なき能力から理解が生まれるなんて、それ自体が驚異的じゃないですか。


Phrona: 確かに...無目的なプロセスから目的を持つ存在が生まれる。これ、考えれば考えるほど不思議ですね。


富良野: しかも進化はまだ続いてる。今度は文化的進化が加速して、AIみたいな新しい「心」も生まれようとしている。


Phrona: そう考えると、私たちは進化の途中にいるんですね。バクテリアとバッハの間のどこかに。


富良野: で、面白いのは、僕らは自分たちの進化を理解し始めてるってことです。これ、進化の歴史上初めてのことかもしれない。


Phrona: 理解なき能力が、ついに自分自身を理解し始めた...なんか、ちょっと感動的かも。


富良野: うん。デネットの理論は確かに私たちの素朴な自己理解を壊すけど、代わりにもっと深い驚きを与えてくれる気がします。


Phrona: そうですね。意識が幻想だとしても、その幻想を生み出すメカニズムの精巧さには、やっぱり魔法を感じちゃいます。リアル・マジック、ですね。




ポイント整理


  •  理解なき能力から理解へ

    • 進化も計算も、理解や意図なしに複雑な「設計」を生み出せる

    • 人間の理解や意識も、この原理の延長線上にある

    • ダーウィンとチューリングの「奇妙な逆転」が鍵

  • 文化的進化とミーム

    • 生物学的進化から文化的進化への移行が人間の特異性

    • 言語は「思考の道具」として心を拡張する

    • 文化的進化は次第に「脱ダーウィン化」し、意図的設計へ

  • 意識というユーザー・イリュージョン

    • 意識は脳の複雑なプロセスを単純化したインターフェース

    • 「デカルト劇場」は存在しない―意識は分散的プロセスの産物

    • 錯覚であっても機能的には「リアル」

  • 現代的意義

    • AIの「理解なき能力」を見極める重要性

    • 教育における実践と経験の重要性の再認識

    • 科学的理解が神秘を奪うのではなく、より深い驚きをもたらす



キーワード解説


【理解なき能力(competence without comprehension)】

理解や意図を持たないにもかかわらず、あたかもそれらを持っているかのような適切な振る舞いができる能力。バクテリアの走化性から、コンピュータの計算まで、幅広い現象を説明する中心概念。


【ミーム(meme)】

文化的に伝達される情報の単位。遺伝子のアナロジーとして、リチャード・ドーキンスが提唱。言葉、習慣、技術、物語など、模倣や学習を通じて広まる情報パターン全般を指す。


【デカルト劇場(Cartesian Theater)】

意識体験がすべて集まって「上映」される脳内の中心的な場所があるという誤った考え方。デネットはこれを批判し、意識は分散的・並列的プロセスの産物だと主張する。


【ユーザー・イリュージョン(user-illusion)】

コンピュータのユーザーインターフェースのように、複雑な基盤プロセスを単純化して表現したもの。意識もまた、脳の複雑な神経活動を「使いやすく」表現したイリュージョンだとされる。


【脱ダーウィン化(de-Darwinization)】

文化的進化が、盲目的な選択から意図的な設計へと移行していくプロセス。生物学的進化とは異なり、文化的進化は次第に目的志向的になっていく。



本稿は近日中にnoteにも掲載予定です。
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