top of page

トランプと参政党から考える政治の本質──情動と対抗を活かす民主主義像

シリーズ: 知新察来


◆今回のピックアップ記事

  1. Mitch Epley "I’m a liberal columnist. My dad is a Trump supporter. On this holiday, he gets his say" (The Sacramento Bee, 2025年7月4日)

    • 概要:コラムニストの父親が、トランプを個人的には好まないながらも支持する理由を「corrective evil(矯正的な悪)」という概念で説明


  2. 渡瀬裕哉 "参政党の設立メンバーが分析「叩けば叩くほど逆効果」「これから記録的な大躍進」…反ワク、陰謀論は「初期段階にすぎない」"(集英社オンライン, 2025年7月9日)

    • 概要:参政党躍進の理由を日本政治の構造的問題と「近代政党」の台頭として包括的に分析



現代の政治を理解する上で、政策の合理性や制度の完成度だけでは見えてこない現象があります。今回は、アメリカと日本で起きている興味深い二つの政治現象を取り上げ、その背後にある共通の構造を探ってみます。


一つは、2025年7月4日にアメリカで発表された「トランプは嫌いだが、アメリカには彼の矯正的な悪が必要だ」という保守系有権者の率直な告白。もう一つは、参政党の元設立メンバーによる日本政治の構造的問題の分析と、それに対する「近代政党」としての挑戦です。


一見無関係に見える二つの現象が、実は現代民主主義が直面する根本的な課題を物語っているのかもしれません。富良野さんとPhronaさんの対話を通じて、政治理論家シャンタル・ムフの視座から、政治の本質について考えてみましょう。




トランプ支持者の「矯正的な悪」論理


富良野:このトランプ支持者のコラム、すごく率直で興味深いですね。「矯正的な悪(corrective evil)」って表現が印象的です。


Phrona:普通の政治的支持とは全然違いますよね。トランプを敬愛する理想の指導者として描くのではなく、むしろ悪人だと認めた上で、それでも必要だと言っている。


富良野:そう。彼は「個人的にはトランプが好きではない」と明言している。でも「大統領が良い人である必要はない」「憲法にそんな条文はない」と割り切っている。


Phrona:この父親の論理の背景には、世代的な政治体験がありますよね。ウォーターゲート以来、権力エリートに対する根深い不信を抱いている。


富良野:そうです。そして2024年の選挙を「普通の人々が象牙の塔に勝利した」と捉えている。つまり、エリート対庶民という構図で政治を理解している。


Phrona:「肥大化した官僚制」「永続的な甘い汁」という表現も象徴的ですね。既存システムが完全に機能不全を起こしているという認識がある。


富良野:だから、トランプ政権を「ヘイルメリー戦略(通常の戦術では勝てない状況での、一か八かの賭け)」として位置づけている。


Phrona:でも興味深いのは、彼がトランプを完全に信頼しているわけではないこと。3年間の限定的な実験として捉えている。


富良野:そう、民主主義のサイクルの中での一時的な「ショック療法」として。善悪や個人的な好き嫌いよりも、システムの機能不全に対する処方箋として必要だと考えている。


日本政治の構造的問題


Phrona:一方、渡瀬さんの分析は、参政党現象を日本政治全体の構造的問題として捉えている点で非常に興味深いです。


富良野:そうです。彼は「政党として当たり前のことをやった」と言っているけれど、その背景には日本政治の深刻な構造的問題があると指摘している。


Phrona:議員と後援会の関係を指して、「君臣両方の世襲茶番構造」という表現をしていましたね。


富良野:そう。議員だけでなく後援会も世襲される前近代的な構造。選挙の目的が既存の利権構造の維持と「地域のバカ殿様を総理として担ぎ上げること」になってしまっている。


Phrona:そして新党も結局は「オールドメディア」に認めてもらうことを成立条件としていた。議員を支える仕組みが後援会からメディアに代わっただけで、本質的な構造は変わっていない。


富良野:「みんなの党」の例が象徴的ですね。既存体制に対するガス抜きに利用されただけで終わった。その後の新党も「どうでもよいパフォーマンス」や「賑やかし屋」に過ぎなかった。


Phrona:日本では本当の意味での政党政治が行われてこなかった、と渡瀬氏は指摘していました。


富良野:そういうことです。党員は形だけの名義貸しで、政党の理念や政策を理解して参加しているわけではない。政党が何をするものかも分からなくなっている。


SNSが可能にした「近代政党」の誕生


Phrona:そこで参政党が登場する、という論理なわけですね。渡瀬氏は、参政党がやったことを「欧米の普通の政党がやっていること」だと言っている。


富良野:そう。党員を集め、党員が党費を支払い、ヒトモノカネを全て自腹で運営する。これを可能にしたのがSNSだった。


Phrona:SNSは政治家が有権者に直接メッセージを届けられるツールで、党員一人あたりの獲得コストが非常に低い。これは米国では既に主流のやり方になっている。


富良野:そして重要なのは、参政党が他のSNS政党と違って、その動員力と資金力を組織構築と地域活動に投入した点です。


Phrona:日本保守党やNHK党などは地域での地道な活動を軽視しているように見えるけれど、参政党は全小選挙区に支部を作る巨大な組織構造を築いている。


富良野:渡瀬氏は「他の政党とはまるで異質の組織として認識するべきだ」と言っています。これは単なる新党ではなく、日本政治の構造的変化を表している現象なんですね。


「物語」による政治的統合


Phrona:そして、神谷代表の役割についての分析も興味深いです。「党員が共有できる物語を作る腕前に非常に優れている」と。


富良野:そう。神谷氏は「優れた営業統括マン」として、一定の資金力があり人間がまとまって存在している対象を取り込んでいく。


Phrona:初期段階では陰謀論、オーガニック、反ワクが対象で、現在では「日本人ファースト」という言葉になっている。これは神谷氏の信念というより、党員主体政党の特性として当然の帰結だと。


富良野:そこが興味深い点で、渡瀬氏は「特に定まったガチガチの理念があるわけではない」と指摘している。これを危険な点としても認識している。


Phrona:つまり、参政党は海外の近代政党と違って、融通無下に様々な主張を取り込んでいる。理念の柔軟性が強みであり、同時に危険性でもある。


富良野:そして、だからこそ外部からの批判が逆効果になるんですね。「その主張自体は政党の理念というよりは党員の声なので、何の対抗効果もないどころか、むしろ党員の結束を新たに強める」。


批判が糧になるメカニズム


Phrona:「叩けば叩くほど逆効果」という現象の構造が見えてきますね。


富良野:そうです。渡瀬氏は「愚かな左翼やオールドメディアは延々と同じことを繰り返している」と厳しく指摘している。彼らのやり方は「打たれ弱いバカ殿系議員」や「無党派層に乗るだけのもやし系議員」にしか通用しない。


Phrona:議員を批判するものでしかなく、その主張を叩けば叩くほど新参の党員と既存党員の結束を強める逆効果が発生する。


富良野:これは従来の政治的批判の前提が通用しないということですね。政党の構造そのものが変わっているから、批判の方法も変えなければならない。


Phrona:でも、既存の政治勢力やメディアは、その構造変化を理解していない。だから効果的な対抗策を打てない。


富良野:渡瀬氏は「参政党は時間が経つほど全ての主張を呑み込んでいくだろう」と予測している。それよりも先に「政治理念を掲げた近代政党を作れば、その動きに対抗できる余地はまだ残っている」と。


ムフの理論から見た共通構造


Phrona:日米で起きているこの二つの現象は、現代の民主主義を理解する上で、とても重要なケースと考えられるような気がします。


富良野:そうですね。そして、これらをしっかり考えるためには、シャンタル・ムフの政治理論が参考になると思います。


Phrona:ムフは政治の本質を「政治的なもの」に見ていますよね。つまり、敵対性こそが政治を可能にする根本的な条件だと。アメリカの「われわれの悪人」という論理も、日本の参政党現象も、まさに「われわれ」対「彼ら」の境界線を明確にする政治的主体の形成過程と言えそうです。


富良野:その通りです。そして、ムフが重要視する情動の動員が、両方の現象で中心的な役割を果たしている。


Phrona:アメリカでは既存システムへの怒りや諦め、日本では封建的政治構造への不満や変化への期待。どちらも理性的な政策分析よりも感情や情動が根底にある。


富良野:ムフは、リベラル民主主義が情動を政治の外に追いやろうとしたことを批判していますが、これらの現象はまさにその脱政治化に対する反動として理解できます。


Phrona:脱政治化というのは、政治的対立を技術的・管理的な問題に還元してしまうことですね。


富良野:そうです。アメリカでは「政治主導」や「政策論争」という名目で本質的な対立が隠されてしまい、日本では政党が利益調整の技術的機関になってしまった。


Phrona:どちらも「政治的なもの」を欠いた状態になっていた。だから政治的エネルギーが抑圧されて、別の形で噴出している。そして、ムフの近年の関心である動態としての政治が、まさにこれらの現象で実現されている。


富良野:参政党の「真の党員組織」も、アメリカの「矯正的な悪」としてのトランプ支持も、既存の制度政治では表現できない政治的欲求が運動として現れた現象として理解できます。


ヘゲモニー的戦略としての「物語」


Phrona:アメリカでは「普通の人々対エリート」という物語が、日本では「真の日本人対既存勢力」という物語が、それぞれ人々の情動を動員していますよね。


富良野:ムフにとって、政治とは異なるヘゲモニー的プロジェクトが人々の情動を争奪する闘いです。日米のこうした現象は彼女の政治観を通して見るとよりよく理解できると思います。


Phrona:渡瀬氏が指摘する神谷氏の「物語」創造力は、まさにこのヘゲモニー的戦略の実践ですね。ラクラウが「空虚なシニフィアン」と定義したポピュリズムの本質を体現している。


富良野:興味深いことに、ムフは近年の世界的な政治状況を見て、左派が情動を軽視してきたことで、右派ポピュリズムに主導権を奪われたと分析しています。


Phrona:つまり、情動の動員自体は政治にとって必要なことだから、問題はそれをどう方向づけるかが重要ということでしょうか。


富良野:まさに。ムフは近年、左派ポピュリズムに注目している。包摂的で平等主義的な内容を持つポピュリズム運動の可能性を探っている。


闘技民主主義 vs リベラル民主主義


Phrona:左派ポピュリズムの話に入る前に、ムフの闘技民主主義についてもう少し詳しく見てみたいんですが、彼女は既存の民主主義理論とどう違うアプローチを取っているんでしょうか。


富良野:ムフの民主主義理論は、主に現代リベラル民主主義、特にハーバーマスを中心とする熟議民主主義に対する批判として発展しました。


Phrona:熟議民主主義は、古典的な集計民主主義や初期の参加民主主義が抱えていた問題への応答として登場した理論ですよね。集計民主主義の機械的な選好集計や、参加民主主義の量的参加重視に対する批判として、質の高い討議を重視する熟議民主主義が生まれた。


富良野:その通りです。ハーバーマスの熟議民主主義は非常に洗練された理論で、公共圏における理性的なコミュニケーションを通じて、より正当性の高い政治的決定に到達できるという理想を掲げています。


Phrona:でも、ムフはその熟議民主主義の根本的前提に疑問を投げかけているんですね。


富良野:そうです。ムフは、熟議民主主義が想定する「理性的討議による最終的合意」という理想が、政治の本質的な次元を見落としていると批判している。つまり、社会には克服不可能な価値対立や利害の衝突が存在するという現実です。


Phrona:政治的な対立は、理性的な討議によって完全に解消できるものではない、ということですね。


富良野:まさに。ムフの「闘技民主主義」は、そうした敵対性を民主主義の欠陥として除去すべきものと見るのではなく、むしろ政治の活力の源泉として積極的に位置づけ直そうとする試みです。


Phrona:でも、「敵対性を積極的に位置づける」というのは、具体的にはどういうことでしょうか?


富良野:ここでムフの重要な概念的区別を理解する必要があります。彼女は「敵対(antagonism)」と「闘技的対抗(agonism)」を明確に区別している。


Phrona:その違いは何でしょうか?


富良野:「敵対」というのは、相手を完全に排除すべき存在、つまり「敵(enemy)」として捉える関係です。この場合、対話や妥協の余地はなく、一方が他方を完全に打ち負かすまで闘争が続く。それに対して「闘技的対抗」では、相手を「競争相手(adversary)」として捉えます。つまり、共通の民主的なルールやゲームの枠組みは認めつつ、その中で競い合う関係です。


Phrona:なるほど。敵対では相手の存在そのものを否定するけれど、闘技的対抗では相手の正当性は認めた上で競争する、ということですね。


富良野:その通りです。ムフの闘技民主主義は、避けられない政治的対立を「敵対」から「闘技的対抗」に転換することを目指している。完全な合意は不可能だが、破壊的な敵対関係は回避できる。


Phrona:でも、その転換は簡単ではないですよね。現実には「闘技的対抗」が「敵対」に戻ってしまう危険性もある。


富良野:まさにそこがムフの理論のリアリズムです。彼女は「闘技的対抗」が常に「敵対」に転化する可能性を認めている。だからこそ、民主的な制度や文化を通じて、その転換を常に維持し続ける努力が必要だと考えている。


Phrona:今回の二つの現象も、従来のリベラル民主主義の立場からすると、民主主義の衰退として語られがちだけど、闘技民主主義の観点では違った見方ができる。


富良野:そうです。アメリカの「矯正的な悪」の論理は、理性的な熟議や利益計算を超えた情動的な支持ですし、参政党の現象も参加民主主義や熟議民主主義の枠を超えている。


Phrona:リベラル民主主義が排除すべきものと考えてきた敵対関係が、政治的変革のエネルギーにつながっていると見ることができる、と。


富良野:その通り。ムフの闘技民主主義から見れば、これらは政治が本来の生命力を取り戻そうとする現象として捉え直すことが可能になります。


左派ポピュリズムの戦略的意義


Phrona:そして、ムフが近年特に注目している左派ポピュリズムですが、これは闘技民主主義とどういう関係にあるんでしょうか。


富良野:左派ポピュリズムは、闘技民主主義を実現するための具体的な政治戦略として位置づけられています。ムフは、従来の左派が犯した二つの重大な誤りを指摘している。


Phrona:どのような誤りでしょうか?


富良野:一つは「第三の道」的な中道主義で、これは政治的対立を曖昧にしてしまった。もう一つは情動を軽視して、理性的な政策論争に固執したことです。


Phrona:その結果、右派ポピュリズムに情動の動員で後れを取ってしまった。


富良野:そうです。ムフは、ポピュリズムという形式自体は中性的だと考えている。重要なのは、その内容が排外的な右派ポピュリズムになるか、包摂的な左派ポピュリズムになるかです。


Phrona:左派ポピュリズムの具体的な特徴は何でしょうか?


富良野:まず、「人民」対「エリート」という対立軸を設定しますが、この「人民」は排外的ではなく包摂的に定義される。移民も労働者も、すべて支配的エリートに対抗する「人民」の一部として位置づけられる。


Phrona:つまり、敵対関係は維持しながらも、その内容を平等主義的で包摂的なものにする、ということですね。


富良野:そうです。そして、情動の動員も積極的に行う。希望、怒り、誇りといった感情を通じて政治的アイデンティティを形成していく。


Phrona:でも、それって操作的に聞こえませんか?意図的に感情を操るような。


富良野:ムフの議論では、情動の動員は政治の本質的な側面なんです。問題は、均質性を重視するか多元性を重視するか、そして排外的か包摂的かの違いです。右派ポピュリズムも情動を動員している。左派がそれを拒否すれば、情動的な政治を右派に独占されてしまう。


Phrona:だからこそ、ムフは左派ポピュリズムという対抗戦略を提唱しているわけですね。情動の動員と対抗関係の設定という同じメカニズムを使いながら、内容を平等主義的で包摂的なものにするために。


ヘゲモニー闘争としての政治


Phrona:ムフのヘゲモニー論をもう少し詳しく理解したいのですが、これは左派ポピュリズムとどう関係するんでしょうか?


富良野:ムフのヘゲモニー論は、グラムシから継承しつつ発展させたものです。社会には決定的な基盤というものはなく、すべては政治的に構築される。つまり、「人民」も「エリート」も自然に存在するのではなく、政治的な実践によって作り出される。


Phrona:ということは、参政党が「日本人ファースト」と言うとき、その「日本人」も政治的に構築されたアイデンティティということですね。


富良野:その通りです。そして、ヘゲモニー闘争とは、どのような政治的アイデンティティが支配的になるかをめぐる闘いです。


Phrona:左派ポピュリズムは、そのヘゲモニー闘争において、多元的で包摂的な「人民」のアイデンティティを構築しようとする戦略、ということでしょうか。


富良野:まさに。例えば、経済的不平等に苦しむ人々、気候変動に不安を感じる人々、差別に直面する人々、これらすべてを「99%の人民」として統合し、「1%のエリート」に対抗する政治的主体を形成する。


Phrona:でも、そんなに多様な人々を統合するのは難しくないですか?


富良野:確かに困難です。ムフも、左派ポピュリズムが簡単に実現できるとは考えていない。重要なのは、多様な要求を一つの「等価の鎖」でつなぐことです。


Phrona:等価の鎖?


富良野:異なる社会的要求を、共通の敵に対する闘いとして位置づけることです。労働者の賃上げ要求も、環境保護も、反差別も、すべて支配的エリートに対する挑戦として理解される。


Phrona:つまり、個別の政策ではなく、より大きな政治的物語の中で統合される、ということですね。


富良野:そうです。そして、ここでもう一つ重要なのは、ムフのヘゲモニー論が政治的決定の責任を引き受けるリアリズムに基づいているという点です。


Phrona:どういうことでしょうか?


富良野:討議の過程を重視する熟議民主主義や、権力の分散構造を重視する分散型社会論では、どのようにして社会が必要な集合的意思決定を行うかという点が見落とされがちです。しかし、政治とは社会のメタ決定を引き受ける機能そのものです。個人や小集団では解決できない問題について、社会全体としてどう対処するかを決める。それが政治の本質的な役割なんです。


Phrona:メタ決定というのは?


富良野:社会がどのような価値に基づいて集合的な決定を行うかという、より上位レベルの決定のことです。例えば、経済成長を優先するか環境保護を重視するか、個人の自由を尊重するか社会の秩序を維持するか、といった根本的な価値選択を伴う判断ですね。


Phrona:その本質的な役割を直視しているのが、ムフのヘゲモニー論ということですね。


富良野:政治という機能自体が、その不完全さと党派性を受け入れた上で、社会のメタ決定の責任を引き受けなければならない。これが熟議民主主義や分散社会論との決定的な違いかもしれません。


制度と運動の弁証法


Phrona:ムフの理論では、政治が社会のメタ決定という機能を果たすために、具体的にどのような仕組みがあれば良いと考えられているのでしょうか?


富良野:そうですね。ムフは制度を否定するわけではありませんが、制度だけでは不十分だと考えている。なぜなら、制度は常に特定の権力関係を固定化する傾向があるからです。


Phrona:だから、左派ポピュリズムのような動態としての政治を重視するということでしょうか。


富良野:その通り。制度と運動は対立するものではなく、相互に補完し合う関係にある。運動が制度を変革し、制度が運動を可能にする条件を作る。


Phrona:従来の制度的政治では、人々の政治的エネルギーを十分に吸収できなくなっているから、運動体としての政治が台頭してくる。そう考えると、この日米の二つの現象も現代民主主義が直面している根本的な変化を表している気がしてきますね。


富良野:そうです。ムフから見れば、これらは制度と運動の健全な緊張関係の表れとも言えます。制度が硬直化した時、運動がそれを活性化する。


Phrona:でも、それは同時に不確実性も伴います。渡瀬氏も参政党の危険性を認識しているし、アメリカのコラムニストの父親も決してトランプを全面的に信頼しているわけではない。


富良野:ムフは、そもそも政治とは不安定で予測不可能なものだと考えています。それを制度で完全に制御しようとすること自体が、政治の本質を見誤っている、と。


Phrona:つまり、私たちは政治の不確実性と向き合いながら、それでも民主主義を維持していく道を探らなければならない。


富良野:そうです。そして、そのためには、情動を政治から排除するのではなく、それをいかに民主的な方向に向けるかが重要になってくる。


Phrona:でも、その運動が必ずしも民主的な方向に向かうとは限らない。


富良野:その通り。だからこそ、ムフは左派ポピュリズムという方向性を提示している。運動のエネルギーを民主的で平等主義的な方向に向けるための戦略として。


Phrona:結局、政治に理想的な均衡は無いということなんですね。


富良野:ムフの理論の核心はそこにあります。政治に最終的な解決はない。常に暫定的で、常に争われ続ける。でも、だからこそ政治は生き生きとしたものになる。


Phrona:政治の本質に立ち返ることで、逆に新しい民主主義の可能性が見えてくる、ということでしょうか。


富良野:そうかもしれません。日米に限らず、現在世界中で起きている現象は、確かに危険な要素も含んでいる。でも同時に、政治を再び生き生きとしたものにする可能性も秘めているのかもしれません。


Phrona:政治の本質は対立にあるけれど、その対立を建設的な方向に向けることができるかどうかが、民主主義の未来を決めるということですね。


富良野:まさに。そして、そのためには、政治を技術的な問題として扱うのではなく、人々の情動や価値観が深く関わる「政治的なもの」として真摯に向き合うことが必要なんです。




ポイント整理


  • 「矯正的な悪」の支持論理

    • 個人的な好き嫌いや道徳的判断を超えて、システムの機能不全に対する処方箋として政治的支持を決める論理

  • 日本政治の前近代的構造

    • 封建的な「君臣両方の世襲茶番構造」により、真の政党政治が行われてこなかった政治システム

  • 近代政党としての参政党

    • 欧米の政党のように党員主体でヒトモノカネを運営し、SNSを活用した政治的動員を実現

  • 「物語」による政治統合

    • 神谷代表の「党員が共有できる物語」創造力による多様な支持層の統合メカニズム

  • 外部批判の逆効果 

    • 党員主体政党では従来の議員批判手法は通用せず、むしろ結束を強める効果を生む

  • 脱政治化への反動

    • 政治的対立を技術的・管理的問題に還元する脱政治化に対する政治的エネルギーの噴出

  • 敵対と闘技的対抗の概念的区別

    • 敵対(相手を完全排除する関係)と闘技的対抗(共通ルール内での競争関係)の違いと転換の重要性

  • 熟議民主主義への批判

    • 討議過程重視により「十分な熟議がない」として決定を先送りする構造的問題

  • 分散社会論の限界 

    • 権力分散構造を重視するあまり集合的意思決定メカニズムが軽視される問題

  • 政治のメタ決定機能

    • 政治が社会全体に影響する重要な選択を時間的制約の中で行う本質的役割

  • 左派ポピュリズムの戦略的意義

    • 情動の動員と対抗関係設定のメカニズムを用いつつ、内容を包摂的で平等主義的にする政治戦略

  • ヘゲモニー闘争と優位的地位

    • 社会の基本的価値や意思決定の枠組みを決定する優位的地位(ヘゲモニー)をめぐる政治的競争が、闘技民主主義の核心的過程

  • 等価の鎖

    • 多様な社会的要求を共通の敵に対する闘いとして統合し、包摂的な「人民」のアイデンティティを構築

  • 制度と運動の弁証法

    • 制度と運動は相互補完関係にあり、運動が制度を変革し制度が運動を可能にする条件を作る

  • 政治の永続的闘争性

    • 政治に最終的解決はなく、常に暫定的で争われ続けるものとして理解する必要性



キーワード解説


矯正的な悪(Corrective evil)】

既存システムの問題を修正するために必要とされる、道徳的には問題のある手段や人物


【君臣両方の世襲茶番構造】

封建領主(議員)と臣民(後援会)の関係として構築された前近代的な政治システム


【近代政党】

党員主体でヒトモノカネを運営し、政治的理念に基づく自発的参加による政党組織


【シャンタル・ムフ】

ベルギーの政治理論家。政治の本質を「敵対性」に見る「競争的多元主義」理論で知られる


【政治的なもの】

ムフが「政治」と区別する概念。敵対性という社会の存在論的次元を指す


【脱政治化】

政治的対立を技術的・管理的問題に還元し、根本的な価値対立を隠蔽する現象


【ラクラウ】

アルゼンチンの政治理論家エルネスト・ラクラウ。ムフと共にポスト・マルクス主義理論を発展させ、ヘゲモニー論と「空虚なシニフィアン」概念を提唱


【空虚なシニフィアン】

ラクラウが提唱した概念。特定の内容を持たないが、多様な要求を統合する象徴的な記号。「民主主義」「自由」「人民」などがその例


【情動の動員】

政治的アイデンティティ形成における感情や情動の中心的役割


【グラムシ】イタリアの政治理論家アントニオ・グラムシ。ヘゲモニー概念の創始者で、支配が物理的強制だけでなく文化的同意によって維持されるメカニズムを分析


【ヘゲモニー】

グラムシが提唱した概念で、物理的強制ではなく社会的合意に基づく支配形態。ムフの理論では、社会の基本的価値や意思決定の枠組みを決定する優位的地位を指す


【競争的多元主義】

敵対関係を民主的競争関係に転換する政治モデル


【運動としての政治】

固定的な制度ではなく、動的で流動的な政治的結集を重視する視点


【党員が共有できる物語】

多様な支持層を統合する政治的ナラティブの創造と提供


【左派ポピュリズム】

包摂的で平等主義的な内容を持つポピュリズム運動


【闘技民主主義(Agonistic Democracy)】

ムフが提唱する民主主義モデル。敵対性を排除するのではなく競争関係に転換することを重視


【集計民主主義】

有権者の選好を機械的に集計して政策を決める民主主義モデル。熟議や相互理解による意見変容を前提とせず、政治過程をゼロサムゲームとして捉えがち


【熟議民主主義】

ハーバーマスに代表される、理性的討議を通じて合意に到達できるという民主主義理論


【参加民主主義】

市民の直接的政治参加を重視し、参加自体が民主主義を深化させるという考え方


【等価の鎖】

異なる社会的要求を共通の敵に対する闘いとして位置づけ、統合する政治的戦略


【99%対1% 

左派ポピュリズムにおける包摂的な人民対支配的エリートという対立軸の設定



本稿は近日中にnoteにも掲載予定です。
ご関心を持っていただけましたら、note上でご感想などお聞かせいただけると幸いです。
bottom of page