極度の貧困撲滅の足跡が止まる日――成長なき国々の未来
- Seo Seungchul

- 2025年12月26日
- 読了時間: 14分

シリーズ: 知新察来
◆今回のピックアップ記事:Max Roser "The end of progress against extreme poverty?" (Our World in Data, 2025年11月17日)
概要:過去数十年間の極度の貧困削減の進展が、今後停滞する可能性について、世界銀行の予測データをもとに分析した記事。経済成長が停滞している国々に極貧層が集中している現状を指摘し、このままでは2030年以降、極貧人口が再び増加に転じる可能性があることを警告している。
過去30年間、世界は極度の貧困との闘いで目覚ましい成果を上げてきました。1990年には23億人だった極貧層が、現在は8億人余りまで減少。1日あたり約11万5000人が極度の貧困から抜け出した計算になります。しかし、この歴史的な進展が終わりを迎えようとしています。なぜか。それは、今日の極貧層の多くが、長期にわたって経済成長が停滞している国々に暮らしているからです。
富良野とPhronaが、この構造的な転換点について語り合います。かつて貧困削減を牽引したアジア諸国の成長と、今なお停滞が続くサブサハラ・アフリカ諸国の現実。そして、私たちがこの「進展の終わり」をどう受け止め、何ができるのか。経済成長、再分配、国際支援――複数の視点から、この難問に向き合います。
驚くべき30年間の成果と、その背景にあるもの
富良野:このデータ、改めて見ると本当にすごいよね。1990年から2025年までの35年間で、極度の貧困から抜け出した人が15億人。1日あたり11万5000人という計算になる。
Phrona:11万人ですか。毎日、小さな都市ひとつ分の人たちが、極度の貧困を脱しているイメージですよね。数字で見ると、何か実感が湧かないけれど、それって本当に歴史的なことなんでしょうね。
富良野:うん。ただ、この成果がどうやって生まれたのかを理解しないと、これからの話が見えてこない。記事が指摘しているのは、1990年代初頭の時点で、世界の極貧層の大半が、その後急成長を遂げる国々に住んでいた、という事実なんだ。
Phrona:つまり、たまたまタイミングが良かった、と。
富良野:そう言うと身も蓋もないけど(笑)、でも本質はそこにある。中国やインドネシアでは、1990年時点で人口の3分の2以上が極度の貧困状態だった。でもその後、これらの国々が急速に経済成長して、今では極貧率が10%以下になっている。
Phrona:インドやバングラデシュ、フィリピンなんかも同じ流れですよね。アジア全体が成長の波に乗った。
富良野:そういうこと。それにアジアだけじゃなくて、ガーナやカメルーン、ブラジル、メキシコなんかでも、成長とともに貧困率が下がった。要するに、極度の貧困削減の鍵は、国全体の経済成長だったわけ。
Phrona:でも、それって当たり前といえば当たり前ですよね。経済が成長すれば、人々の所得も増える。
富良野:理屈はそうなんだけど、実際にそれを実現するのは簡単じゃない。そして、今問題になっているのは、今日の極貧層が住んでいる国々の多くが、成長していないということなんだ。
成長なき国々――マダガスカルという鏡
Phrona:成長していない、というのは具体的にどういう状況なんですか。
富良野:マダガスカルの例が象徴的だよ。この国、1950年と今とで、1人あたりのGDPがほとんど変わっていないんだ。70年以上、経済的に横ばいのまま。
Phrona:70年間……それって、もう停滞というより、時間が止まっているみたいですね。
富良野:人口は増え続けているから、経済規模自体は少しずつ大きくなっているんだけど、1人あたりで見ると成長がない。だから極度の貧困の人数も、人口増加に比例して増えていく。
Phrona:それって、再分配では解決できないんですか。富の偏りを是正すれば、少しは変わるんじゃないかと思うんですけど。
富良野:そこが厳しいところでね。記事が指摘しているのは、マダガスカルのような国では、平均所得が貧困ライン以下だということなんだ。つまり、仮に全国民の所得を完全に平等にしたとしても、全員が極度の貧困状態になる。
Phrona:……それは、想像以上に深刻ですね。
富良野:コンゴ民主共和国、モザンビーク、マラウイ、ブルンジ、中央アフリカ共和国。これらの国では、人口の半数以上が極度の貧困状態にある。そして、経済が何十年も停滞しているから、この状況が変わらない。
Phrona:つまり、経済成長なしには、極度の貧困からは抜け出せない、と。
富良野:少なくとも、大規模な貧困削減は無理だね。個別の支援策はもちろん意味があるけれど、構造的な変化を起こすには、経済全体の成長が必要になる。
2030年以降、何が起きるのか
Phrona:それで、これからどうなるんでしょう。世界銀行の予測では。
富良野:現在のトレンドが続くと仮定した場合、2025年の8億3100万人から、2030年には7億9300万人まで減少する。ただし、2030年以降は逆に増加に転じると予測されている。
Phrona:増加するんですか。それって……過去30年間の流れが、完全に反転するってことですよね。
富良野:そう。これが「極度の貧困削減の進展の終わり」という記事のタイトルの意味なんだ。もちろん、これは予測であって予言ではない。現在のトレンドが続けば、という条件付きの話。
Phrona:でも、そのトレンドを変えるのは難しそうですね。
富良野:地理的な分布も変わってくる。30年前は極貧層の大半がアジアにいたけど、今はサブサハラ・アフリカに移っている。今後もこの傾向は続いて、アジアでは成長によって極度の貧困がほぼ解消される一方で、アフリカでは停滞と人口増加によって、極貧人口が横ばいか増加する見込み。
Phrona:なんというか、進歩の地図が書き換えられているみたいですね。
富良野:うん、それは的確な表現だと思う。そして、これは単に2040年までの話じゃない。最貧国で所得が増えなければ、極度の貧困は現実であり続ける。
相対的な進歩と、最底辺の停滞
Phrona:でも、記事の中で少し希望も書かれてましたよね。1日5ドルとか10ドルといった、もう少し高い貧困ラインで見れば、改善が続く可能性がある、と。
富良野:そう。これは重要なポイントだね。極度の貧困、つまり最低限の貧困ラインで見ると進展が止まるけれど、より高い生活水準のラインで見れば、改善は続く見込みなんだ。
Phrona:それって、どういう意味なんでしょう。
富良野:極度の貧困から少し抜け出した層、たとえば1日5ドルで暮らしている人たちは、成長の恩恵を受けやすい位置にいる。経済成長が続いている国では、この層はさらに上に移動していく。
Phrona:でも、最底辺にいる人たちは、そもそも成長の波に乗れない、と。
富良野:そういうこと。だから記事の著者は、国際的な貧困ラインをもっと高く設定すべきだという主張は間違っている、と言っている。確かに高いラインも必要だけど、最も低いライン、つまり極度の貧困のラインを見失ってはいけない。そうしないと、本当に最も苦しい状況にある人たちが、成長から取り残されているという事実が見えなくなる。
Phrona:複数の貧困ラインが必要、ということですね。
富良野:そう。1つの基準だけで全体を判断すると、見落としが生まれる。だから、Our World in Dataでは、さまざまな定義の貧困データを公開しているんだ。
これは予測か、それとも警告か
Phrona:でも富良野さん、この予測って、何か悲観的すぎませんか。未来はもっと変わるかもしれないじゃないですか。
富良野:いや、それはその通り。記事でも強調されているけど、これは「予測」じゃなくて、現在のトレンドが続いた場合の「見通し」なんだ。
Phrona:違いは何ですか。
富良野:予測は未来を当てようとするもの。でも、この見通しは、現在の私たちの世界がどういう状態にあるかを示している。つまり、何もしなければこうなる、という形での現状認識なんだ。
Phrona:ああ、なるほど。だから、これは警告でもあるんですね。
富良野:そう。過去には、停滞を抜け出して成長軌道に乗った国がたくさんある。だから、最貧国がそうした転換点を迎える可能性は、もちろん残されている。
Phrona:でも、それが起きなければ、何億人もの人たちが何十年も極度の貧困の中で暮らし続けることになる、と。
富良野:それが、この記事が示している未来だね。
成長と再分配と、もうひとつの道
Phrona:じゃあ、どうすればいいんでしょう。経済成長が鍵だというのは分かったんですが、それ以外に方法はないんですか。
富良野:記事では、3つのアプローチが示されているよ。まず第一は、やはり経済成長。これが最も重要で、根本的な解決につながる。
Phrona:でも、それが難しいから問題なんですよね。
富良野:うん。だから第二のアプローチとして、社会政策や直接支援がある。極めて貧しい国でも、最も困窮している人々を対象とした政策は可能なんだ。歴史的に見ても、今の豊かな国々が貧困を脱する過程で、社会保護政策が重要な役割を果たした。
Phrona:ターゲットを絞った支援、ということですね。
富良野:そう。そして第三が、国際的な再分配。世界には今、極度に貧しい人と、極度に豊かな人が共存している。だから、グローバルな再分配が可能になっている。
Phrona:GiveDirectlyみたいな組織ですね。直接、現金を届ける。
富良野:そう。これは過去にはなかった選択肢なんだ。かつてはほとんど全員が貧しかったから、再分配のしようがなかった。でも今は違う。
Phrona:でも、それって根本的な解決にはならないですよね。一時的な支援にはなるけど。
富良野:その通り。だから記事の結論は、成長、国内の再分配、国際的な再分配、これらすべてが必要だということなんだ。どれか1つでは足りない。
終わりの始まりか、転換の予兆か
Phrona:この話、聞けば聞くほど重いですね。過去30年間の成果が、ある意味で偶然の産物だったというのも。
富良野:うん。でも、偶然というより、歴史的なタイミングだったと言うべきかな。中国やインドが開放政策に舵を切って、グローバル経済に統合されていった時期と重なっていた。
Phrona:それが一巡して、次のステージに移った、と。
富良野:そういうことだね。そして次のステージでは、成長のエンジンがない国々が残された。これは構造的な問題だから、簡単には解決しない。
Phrona:でも、希望はあるんですよね。少なくとも、私たちはこの問題を認識している。
富良野:それが最初の一歩だよ。記事の著者も言っているけど、この問題は数年前から知られていたのに、十分な注目を集めてこなかった。極度の貧困削減は、過去数十年の人類の最大の成果の1つだった。その進展が止まるとしたら、それは今後数十年の最悪の現実の1つになる。
Phrona:だから、今この問題を語ることが大事なんですね。
富良野:そう思う。予測は運命じゃない。現在のトレンドは、未来の事実にならなくてもいい。多くの国が過去に停滞から抜け出したように、今の最貧国にも、そうした転換点が訪れる可能性はある。
Phrona:その可能性を現実にするために、私たちに何ができるのか、ですね。
富良野:少なくとも、この問題を知り、語り、考え続けることだと思うよ。そして、国際社会の優先事項として、この問題を位置づけ続けること。国連の持続可能な開発目標(SDGs)の第1番目は、「あらゆる場所のあらゆる形態の貧困を終わらせること」だった。残念ながら、世界は明らかにこの目標達成の軌道から外れている。でも、目標を持ち続けることは意味がある。
Phrona:希望を持つことと、現実を直視することと、両方が必要なんですね。
富良野:そうだね。楽観的になりすぎず、悲観的になりすぎず。ただ、今起きていることを正確に理解して、できることを探していく。それしかないんだと思う。
ポイント整理
過去30年間の顕著な成果
1990年から2025年までに、極度の貧困状態から15億人が抜け出し、1日あたり約11万5000人が極貧を脱した計算になる。これは人類史上最も急速な貧困削減の進展だった。
成功の背景にあった地理的条件
1990年代初頭、世界の極貧層の大半が中国、インドネシア、インド、バングラデシュなどのアジア諸国に集中していた。これらの国々がその後急速な経済成長を遂げたことで、極度の貧困率が劇的に低下した。経済成長が貧困削減の主要な原動力だった。
現在の構造的な問題
今日の極貧層の多くは、マダガスカル、コンゴ民主共和国、モザンビーク、マラウイなど、長期にわたって経済成長が停滞している国々に住んでいる。これらの国では、人口増加に伴って極貧人口も増加している。
再分配の限界
マダガスカルのような国では、平均所得が貧困ライン以下であるため、国内での再分配では極度の貧困を解消できない。全国民の所得を完全に平等にしても、全員が極度の貧困状態になる。経済成長なしには大規模な貧困削減は実現困難。
世界銀行の予測
現在のトレンドが続く場合、極貧人口は2025年の8億3100万人から2030年には7億9300万人まで減少するが、2030年以降は再び増加に転じると予測されている。これは「極度の貧困削減の進展の終わり」を意味する。
地理的分布の変化
30年前は極貧層の大半がアジアに住んでいたが、現在はサブサハラ・アフリカに移っている。今後、アジアでは経済成長により極度の貧困がほぼ解消される一方、アフリカでは停滞と人口増加により極貧人口が横ばいまたは増加すると見込まれる。
複数の貧困ラインの必要性
極度の貧困(国際貧困ライン)での進展は止まるが、1日5ドルや10ドルといったより高い貧困ラインで見れば、改善は続く見込み。最も低い貧困ラインを追跡し続けることで、最も困窮している人々が成長から取り残されている実態を可視化できる。
予測ではなく警告
これらの見通しは未来を予言するものではなく、現在のトレンドが続いた場合に何が起きるかを示すもの。過去に多くの国が停滞から抜け出したように、最貧国にも転換点が訪れる可能性は残されている。
3つのアプローチ
極度の貧困に対処するには、(1)経済成長の実現、(2)社会政策と直接支援による最困窮層への支援、(3)グローバルな再分配(GiveDirectlyのような直接送金を含む)が必要。単一のアプローチでは不十分で、これらすべてが求められる。
国際社会の責任
国連の持続可能な開発目標(SDGs)第1番目の「あらゆる場所のあらゆる形態の貧困を終わらせること」は、明らかに達成の軌道から外れている。過去数十年の最大の成果だった極度の貧困削減の進展が止まることは、今後数十年の最悪の現実の1つになりうる。
キーワード解説
【極度の貧困(Extreme Poverty)】
国際的に定められた最低限の貧困ライン以下で生活している状態。具体的には、1日あたりの生活費が非常に少なく、飢餓、清潔な水へのアクセス不足、基本的な医療や電気といった最低限の生活インフラが欠如している状況。
【国際貧困ライン(International Poverty Line)】
世界銀行が定める貧困の基準線。極度の貧困を測定するための最も低い基準で、購買力平価(PPP)に基づいて設定される。これとは別に、1日5ドルや10ドルといったより高い貧困ラインも設定されており、複数の視点から貧困を評価する。
【1人あたりGDP(GDP per capita)】
国全体の経済規模(GDP)を人口で割った値。経済の豊かさや生活水準を測る重要な指標の1つ。人口が増えても経済規模がそれに見合って成長しなければ、1人あたりGDPは横ばいまたは減少し、個人の生活水準が向上しない。
【経済停滞(Economic Stagnation)】
長期にわたって経済成長がほとんど、あるいは全く見られない状態。マダガスカルの例では、1950年から現在まで1人あたりGDPがほぼ変わっておらず、70年以上の経済停滞が続いている。
【サブサハラ・アフリカ(Sub-Saharan Africa)】
サハラ砂漠以南のアフリカ地域。現在、世界の極貧層の大半がこの地域に集中している。多くの国で長期的な経済停滞と高い人口増加率が重なり、極度の貧困からの脱却が困難になっている。
【再分配(Redistribution)】
税制や社会保障制度を通じて、所得や富を社会の中で再配分すること。国内での再分配と、国際的な再分配(先進国から途上国への支援など)の両方がある。ただし、平均所得が貧困ライン以下の国では、国内再分配だけでは極度の貧困を解消できない。
【持続可能な開発目標(SDGs: Sustainable Development Goals)】
国連が2015年に採択した、2030年までに達成を目指す17の国際目標。その第1番目が「あらゆる場所のあらゆる形態の貧困を終わらせること」であり、極度の貧困撲滅が最優先課題として位置づけられている。
【世界銀行(World Bank)】
国際開発を支援する国際金融機関。貧困削減や経済成長を促進するため、途上国に融資や技術支援を提供する。また、貧困データの収集・分析や経済予測も行っており、本記事で引用されている極貧人口の予測も世界銀行の研究に基づいている。
【GiveDirectly】
最貧層の人々に直接現金を送金することで支援を行う非営利組織。従来の開発援助と異なり、仲介者を通さず受益者に直接資金を届けることで、効率的な支援を実現する。グローバルな再分配の新しい形として注目されている。
【社会保護政策(Social Protection Policies)】
貧困層や脆弱な人々を対象とした、現金給付、食料支援、公的医療、教育支援などの政策。経済成長が限られている国でも、最も困窮している層に対してターゲットを絞った支援を行うことで、一定の効果を上げることができる。