top of page

民主主義は誰のものか?――オーストラリアで起きた「合法的クーデター」が問いかけるもの

シリーズ: 知新察来


◆今回のピックアップ記事:Guy Rundle "Fifty Years Ago, the US Staged a Coup in Australia" (Jacobin, 2025年11月12日)

  • 概要:1975年にオーストラリアで起きたホイットラム労働党政権の解任劇について、米国CIAや英国情報機関の関与、憲法上の権限の行使、冷戦下の地政学的文脈を踏まえて論じた記事。総督ジョン・カーによる首相解任が、単なる国内の憲法問題ではなく、国際的な情報機関の影響下で起きた出来事であったことを示している。



1975年11月11日、オーストラリアで異例の出来事が起こりました。選挙で選ばれた首相が、総督という形式的な立場の人物によって突然解任されたのです。ゴフ・ホイットラム首相率いる労働党政権は、国民の支持を背景に社会改革を進めていました。それなのになぜ、こんなことが起きたのでしょうか。背景には、英米の情報機関の影、冷戦下の地政学的緊張、そして憲法上の曖昧さという複雑な要素が絡み合っていました。


富良野とPhronaは、この歴史的事件を入口に、民主主義と国家の主権について対話を重ねます。選挙で選ばれた政権が、投票によらない形で倒される——そんなことが、なぜ起こりうるのか。そこには制度の設計と運用、国際関係と国内政治、形式と実質の緊張関係が潜んでいます。


かつての出来事は、単なる過去の一ページではありません。民主主義がどのような条件のもとで揺らぐのか、権力の正統性はどこから来るのか。そうした問いは、今日の私たちにも深く関わっています。




民主主義を「外から」揺さぶるもの


富良野:1975年のオーストラリアの話、知ってますか?選挙で選ばれた首相が、総督っていう形式的な役職の人によって突然クビになったんですよ。


Phrona:総督って、確か儀礼的な立場の人ですよね?それが首相を解任できるって、どういう仕組みなんですか。


富良野:イギリス連邦の国では、形式上は英国王が国家元首で、その代理として総督がいます。ほとんど儀礼的な役割なんですけど、憲法上は首相を任命したり解任したりする権限を持ってるんです。普段は絶対に使わない権限ですけどね。


Phrona:でも1975年には、それが実際に使われた。


富良野:そうです。ゴフ・ホイットラムっていう労働党の首相が、総督ジョン・カーによって解任されました。選挙で負けたわけでもなく、議会で不信任を受けたわけでもなく。


Phrona:それ、クーデターって呼んでもいいんじゃないですか?


富良野:表向きは憲法に基づいた合法的な措置ですから、軍事クーデターとは違います。でも実質的には、選挙で選ばれた政権が投票によらない形で倒されたわけで、まさに合法的クーデターと呼ばれてますね。


Phrona:なんでそんなことが起きたんでしょう。


富良野:表面的な理由は予算の膠着状態でした。上院で野党が予算案を通さず、政府の資金が尽きそうになって、総督が介入したっていう筋書きです。でも背景にはもっと深い話があります。


諜報機関の影


Phrona:深い話、って?


富良野:CIAとイギリスの情報機関が関わってたんですよ。ホイットラム政権は、オーストラリア国内にあった米国の諜報施設に疑問を持ち始めてました。パインギャップっていう施設なんですけど、表向きは宇宙観測施設で、実際には通信傍受や核戦略に関わる極秘施設だったんです。


Phrona:それを問題視したってことですか。


富良野:そうです。ホイットラムは、自国の領土にある施設が何をしてるのか知りたいと考えました。主権国家として当然の疑問ですよね。それと、東ティモールのインドネシア侵攻を批判したり、中東やアジアで独自外交を展開しようとしたりもしてました。


Phrona:冷戦の真っ只中で、そういう動きは米国にとって面白くなかった。


富良野:まさに。オーストラリアは英米の情報網、いわゆるファイブアイズの一員で、戦略的に重要な位置にありました。そこで独自路線を取られると困る。だから総督のカーを通じて、政権を倒す方向に動いたんじゃないかって言われてます。


Phrona:総督が情報機関と繋がってたんですか?


富良野:カーはCIAと接触してたことが後に明らかになってます。アメリカの情報機関と緊密な関係にあったイギリスの諜報機関も関与してた可能性が高いです。カー自身、解任の前日にホイットラムと会ってるのに、何も言わずに翌日いきなり解任してます。


Phrona:それ、裏切りですよね。


富良野:政治的には完全な裏切りですね。しかも解任のタイミングが絶妙で、ホイットラムが議会で予算を通す手段を講じる直前でした。


形式と実質のギャップ


Phrona:憲法上は合法だとしても、道義的にはどうなんでしょう。


富良野:そこが難しいところでね。憲法に書いてあるからといって、何をやってもいいわけじゃないです。憲法上の権限って、基本的には使わないことが前提になってる場合もあります。特に民主主義が成熟した国では、形式的な権限を実際に行使することが、逆に正統性を損なうこともあるんです。


Phrona:総督の権限って、そういう性質のものだったんですね。


富良野:そうですね。イギリス連邦の国では、英国王や総督は政治的に中立で、選挙で選ばれた政府の意思に従うのが慣例です。でもカーは、その慣例を破りました。


Phrona:慣例を破ったことの重さって、どう測ればいいんですか。


富良野:選挙で選ばれた代表が、選挙で選ばれてない人によって解任される。これが許されるなら、民主主義の根幹が揺らぎます。有権者の意思って何なの、ってことになりますから。


Phrona:でも選挙で選ばれた政権が暴走したら、止める仕組みも必要じゃないですか。


富良野:もちろんです。だから議会の不信任決議とか、司法審査とか、いろんなチェック機能があります。ただホイットラムの場合、議会で不信任を受けたわけじゃなかった。上院で予算が通らなかったのは事実ですけど、それは野党が意図的に阻止してただけで、下院ではホイットラムは多数派でした。


Phrona:つまり、正当な手続きを経ずに倒されたってことですね。


富良野:そう見る人が多いです。しかも解任後すぐに選挙が行われて、野党が勝ちました。でも選挙前に政権を倒すこと自体が、選挙の公正さを疑わせますよね。


主権と従属の間で


Phrona:オーストラリアって、独立国のはずですよね。


富良野:法的には完全に独立してます。でも実質的には、英米の情報ネットワークに深く組み込まれてました。自国の領土にある施設が何をしてるのか知る権利さえ、制限されてたんです。


Phrona:主権があるって言っても、実質的には制約がある。


富良野:冷戦の構造がそうさせてた面もありますね。米国の核の傘に守られて、経済的にも安全保障的にも米国に依存してましたから、完全に独自路線を取るのは難しかったんです。


Phrona:でもホイットラムは、それに挑戦しようとした。


富良野:そうですね。彼は社会福祉を拡充して、無料の大学教育や国民皆保険を導入しました。外交でも独自色を出そうとした。それが既存の権力構造と衝突したんです。


Phrona:改革派の政権って、よく潰されますよね。


富良野:歴史を見ると、ラテンアメリカでもアフリカでも、似たようなことが起きてます。選挙で選ばれた左派政権が、米国の利益と対立して、クーデターで倒される。チリのアジェンデ政権とか、イランのモサデク政権とか。


Phrona:でもオーストラリアは西側の同盟国ですよね。


富良野:それでもこういうことが起きました。同盟国だからこそ、裏切りとみなされたのかもしれません。


記憶の政治


Phrona:この事件、オーストラリアではどう語られてるんですか。


富良野:今でも議論の的ですよ。ある人にとっては民主主義への攻撃で、別の人にとっては憲法危機を収めた正当な措置。世代によっても見方が違います。


Phrona::記憶が分断されてるんですね。


富良野:歴史的な出来事って、その時代を生きた人と、後から学ぶ人とで、受け取り方が全然違うんです。しかも関係者の証言や機密文書が少しずつ出てくるから、解釈も変わっていきます。


Phrona:真実が一つじゃないっていうのは、難しいですね。


富良野:歴史って、事実の集積だけじゃなくて、どう語られるかっていう物語でもありますから。誰がどう語るか、どの事実を強調するかで、全然違う物語になります。


Phrona:でも、選挙で選ばれた政権が投票によらずに倒されたっていう事実は動かないですよね。


富良野:その事実をどう評価するかが、まさに分かれるところなんですよ。


制度設計の危うさ


Phrona:この事件から学べることって、何でしょう。


富良野:一つは、憲法上の権限があっても、それを行使するかどうかは別問題だってことです。形式的な権限が、実質的な権力に変わる瞬間がありますから。


Phrona:それを防ぐ方法はあるんですか。


富良野:慣例や規範を明文化するとか、権限の行使に条件をつけるとか。でも完璧な制度設計って難しいんですよね。どんな制度にも抜け道はあるし、想定外の使い方をされることもあります。


Phrona:結局は、制度を運用する人の判断に依存する。


富良野:そうなんです。だから民主主義って、制度だけじゃなくて、それを支える文化とか規範とか、見えないものが大事なんですよ。


Phrona:でもその規範が破られたら?


富良野:一度破られると、次も破られやすくなります。前例ができちゃいますから。だからこそ、ホイットラムの解任は重大な出来事だったんです。


今、私たちに問われること


Phrona:この話、過去の出来事だけじゃないですよね。


富良野:そうですね。今でも世界中で、民主主義が揺らぐ瞬間があります。選挙で選ばれた政権が、クーデターで倒されたり、司法を使って追い落とされたり。


Phrona:形を変えながら、同じようなことが繰り返されてる。


富良野:それに、情報機関の役割も変わってないです。テクノロジーが進化して、監視や情報操作の手段はむしろ増えてますから。


Phrona:民主主義を守るって、簡単じゃないんですね。


富良野:制度があればいいってもんじゃないです。絶えず注意を払って、おかしいと思ったら声を上げる。そういう市民の関与が必要なんだと思います。


Phrona:でも、おかしいと思っても、何が起きてるのか見えにくいこともありますよね。


富良野:特に情報機関が絡むと、何が起きてるのか分からないまま、事態が進んでしまいます。透明性って、民主主義の基本なんですけど、安全保障とぶつかることもありますから。


Phrona:そのバランスを、誰がどう決めるのか。


富良野:まさにそこが問われてますね。結局、民主主義って完成形じゃなくて、常に問い続ける過程なのかもしれません。


多極化する影響力


Phrona:でも富良野さん、1975年の話だと、介入してきたのは米英の情報機関でしたよね。今はもっと複雑じゃないですか。


富良野:ああ、その通りです。冷戦が終わって、影響力を行使しようとする主体が増えました。CIAだけじゃなく、中国もロシアも、それぞれのやり方で他国の政治に関与しようとしてます。


Phrona:それぞれ、どんな手法を使ってるんですか。


富良野:中国の場合は、経済的な相互依存を利用することが多いですね。貿易相手国として存在感を高めて、政治的な影響力に転換する。孔子学院みたいな文化機関を通じた浸透もあります。それと、デジタル時代ならではの情報操作も。


Phrona:ロシアは?


富良野:ロシアはSNSを使った情報戦が得意です。2016年のアメリカ大統領選への介入が有名ですけど、フェイクニュースを流したり、既存の社会的分断を煽ったり。エネルギー資源を持ってる強みを使って、欧州諸国に圧力をかけることもあります。


Phrona:アメリカは、昔みたいな露骨なことはしなくなったんですか。


富良野:手法がより洗練されたってことでしょうね。シンクタンクや学術交流、NGOを通じた影響力の行使は続いてます。それと、スノーデン事件が明らかにしたように、デジタル監視の能力は冷戦時代とは比較にならないほど拡大してます。


Phrona:どの大国も、形を変えながら同じことをやってる。


富良野:興味深いのは、オーストラリアが2010年代後半から中国の影響力工作に最も警戒的な国の一つになったことです。外国干渉防止法を作って、中国系の政治献金を規制して、ファーウェイの5G参入を排除した。


Phrona:1975年に米国からやられたことを、今度は中国から警戒してるってことですね。


富良野:まさに。歴史から学んだとも言えるし、皮肉とも言えます。


日本という位置


Phrona:日本の場合は、どうなんでしょう。


富良野:日本の立ち位置は、オーストラリアよりもっと複雑かもしれません。米国とは安全保障で完全に依存してる。在日米軍基地もあって、戦後の占領から始まった関係ですから。


Phrona:でも経済的には中国が最大の貿易相手国ですよね。


富良野:そうです。サプライチェーンも深く統合されてます。それにロシアとも、エネルギー資源や北方領土問題で関係がある。つまり、三つの大国すべてから、異なる形での影響力行使の対象になりうる位置にいるんです。


Phrona:それって、すごく難しい立場ですね。


富良野:戦後日本政治におけるCIAの関与については、もう研究や証言がかなり出てます。自民党への資金提供、左派勢力の分断工作、メディアへの影響力行使。でも日本では、こういう話が陰謀論として片付けられがちです。


Phrona:なんででしょう。


富良野:先進国の日本でそんなことは起きないっていう思い込みがあるんでしょうね。でもオーストラリアの例が示すのは、同盟国だからこそ、むしろ強く介入するってことです。敵対国なら軍事介入ですけど、同盟国の場合はもっと巧妙な政治工作が行われます。


Phrona:もし日本で、本気で安保を見直そうとする政権が出てきたら?


富良野:形を変えて、何かが起きる可能性はあると思います。ただ、今は米国だけじゃなく、中国やロシアも絡んできますから、もっと複雑になるでしょうね。


見えない圧力との向き合い方


Phrona:じゃあ、私たちはどうすればいいんですか。


富良野:まず、こうした話を陰謀論として片付けないことです。公開された文書や証言が実際にあるし、各国の情報機関は予算と人員を持って活動してます。地政学的に見て、大国が影響力を行使しようとするのは合理的な行動なんです。


Phrona:あるかないかじゃなくて、どう向き合うかってことですね。


富良野:そうです。問題は、どの程度の規模で起きてるか、どんな手法が使われてるか、民主主義とどう両立させるか、透明性をどう確保するか。そういう具体的な問いです。


Phrona:でも、見えにくいですよね。情報機関の活動って。


富良野:だからこそ、市民社会には複数の大国からの影響力を認識する目が必要なんです。一方に偏らない批判的思考、透明性の要求、メディアリテラシー。


Phrona:CIAが悪い、中国が悪いっていう単純な話じゃないってことですか。


富良野:どの大国も自国の利益のために影響力を行使しようとする。それが現実です。その前提に立って、それでも民主的な意思決定をどう守るかっていうのが、問われてるんだと思います。


Phrona:同盟国であることと、主権を持つことの緊張関係。


富良野:そう。現代では、米国からは同盟の信頼性という名の制約、中国からは経済的相互依存という名の制約、ロシアからはエネルギー安全保障という名の制約。1975年より、もっと見えにくく、もっと複雑になってます。


Phrona:オーストラリアの事件は、50年前の話だけど、今の問題なんですね。


富良野:まさに。歴史は繰り返すって言いますけど、同じことが形を変えて起き続けてる。だからこそ、あの事件から学ぶことは多いんです。


 

 

ポイント整理

  • 1975年11月11日の出来事

    • オーストラリアのゴフ・ホイットラム労働党首相が、総督ジョン・カーによって突然解任された。これは選挙や議会の不信任によらない、憲法上の権限を使った異例の措置だった。

  • 表面的な理由と実質的な背景

    • 表向きは上院での予算審議の膠着が理由とされたが、背景には米国CIAとイギリス情報機関の関与があったとされる。ホイットラムがオーストラリア国内の米国諜報施設パインギャップの活動に疑問を持ち、独自外交を展開しようとしたことが、米英の戦略的利益と衝突した。

  • 憲法上の権限と民主主義の緊張

    • 総督は憲法上、首相を解任する権限を持っていたが、それは通常使われない儀礼的なものだった。この権限の行使は、形式的には合法だが、実質的には選挙で選ばれた政権を投票によらず倒す行為であり、民主主義の根幹を揺るがす出来事となった。

  • 情報機関の役割

    • 総督カーはCIAと接触しており、解任の決定には英米の情報機関の影響があったとされる。冷戦下のオーストラリアは、ファイブアイズの一員として英米の情報ネットワークに組み込まれており、独自路線を取ることが困難な状況にあった。

  • 主権と従属の問題

    • オーストラリアは法的には独立国だが、安全保障と情報共有の枠組みの中で、実質的に米英の影響下にあった。自国領土内の施設の活動内容を知る権利さえ制限されていた状況は、主権の実質的な制約を示している。

  • ホイットラム政権の改革

    • ホイットラム政権は、無料の大学教育や国民皆保険の導入など、大胆な社会改革を進めた。また外交面でも、東ティモール問題でのインドネシア批判や、中東・アジアでの独自外交など、従来の枠を超えた動きを見せた。

  • 解任の手法とタイミング

    • カーはホイットラムと前日に会談していながら、解任の意図を伝えず、翌日突然解任を通告した。そのタイミングは、ホイットラムが議会で予算問題を解決する手段を講じる直前だった。

  • 選挙と正統性

    • 解任後すぐに行われた選挙では野党が勝利したが、選挙前に政権を倒したこと自体が、選挙の公正さや有権者の意思の反映について疑問を投げかけた。

  • 歴史的文脈

    • 同時期の世界では、チリのアジェンデ政権やイランのモサデク政権など、選挙で選ばれた左派政権が米国の利益と対立してクーデターで倒される事例が複数あった。オーストラリアの事件も、この文脈で理解される必要がある。

  • 記憶と解釈の分断

    • この事件は今日でもオーストラリア社会で議論の対象となっており、民主主義への攻撃と見る人と、憲法危機を収めた正当な措置と見る人とで評価が分かれている。

  • 制度設計の限界

    • どんなに精緻な制度設計でも、権限の行使は最終的に人の判断に依存する。形式的な権限が実質的な権力に変わる瞬間をどう防ぐかは、民主主義の永続的な課題である。

  • 透明性と安全保障のジレンマ

    • 情報機関が関与する場合、何が起きているのか市民には見えにくい。民主主義に必要な透明性と、安全保障上の秘密保持の間には、常に緊張関係がある。

  • 慣例と前例の重要性

    • 一度規範が破られると、次も破られやすくなる。ホイットラム解任は、憲法上可能でも通常は行使されない権限を実際に使った前例となり、その影響は長く残った。

  • 現代への示唆

    • この事件は過去のものではなく、現代でも世界中で民主主義が揺らぐ瞬間がある。テクノロジーの進化により、監視や情報操作の手段はむしろ増えており、市民の絶えざる注意と関与が必要とされている。

  • 影響力行使の多極化

    • 冷戦終結後、米国だけでなく中国やロシアも、それぞれ異なる手法で他国政治への影響力を行使している。中国は経済的依存と文化機関を通じた浸透、ロシアはSNSを使った情報戦とエネルギー資源を利用した圧力、米国はシンクタンクやNGOを通じたより洗練された関与を続けている。

  • オーストラリアの学習

    • 興味深いことに、オーストラリアは2010年代後半から中国の影響力工作に最も警戒的な国の一つとなり、外国干渉防止法を制定した。1975年に米国から受けた経験が、現在の中国への警戒につながっている。

  • 日本の複雑な立ち位置

    • 日本は米国との安全保障依存、中国との経済的相互依存、ロシアとのエネルギー・領土問題という三つの異なる制約を同時に抱えている。戦後日本政治におけるCIAの関与は研究で明らかになっているが、「先進国では起きない」という思い込みから陰謀論として片付けられがちである。

  • 同盟国ゆえの介入

    • オーストラリアの事例が示すのは、同盟国だからこそ、敵対国への軍事介入とは異なる、より巧妙な政治工作が行われるということ。形式的な同盟関係が、実質的な主権の制約をもたらす。

  • 陰謀論を超えた現実認識

    • 大国による影響力行使は、公開文書や証言で裏付けられた現実であり、陰謀論として片付けるべきではない。問題は「あるか/ないか」ではなく、「どの程度の規模で」「どのような手法で」起きているか、そして「民主主義とどう両立させるか」という具体的な問いである。

  • 複数の視点の必要性

    • 「米国が悪い」「中国が悪い」という一方的な見方ではなく、どの大国も自国の利益のために影響力を行使しようとするという前提に立ち、それでも民主的な意思決定をどう守るかが問われている。



キーワード解説


ゴフ・ホイットラム】

1972年から1975年まで在任したオーストラリア労働党首相。社会改革を推進し、無料の大学教育や国民皆保険を導入。独自外交を展開しようとしたことで、英米の情報機関との緊張を生んだ。


総督】

イギリス連邦の国において、英国王の代理として儀礼的な役割を果たす国家元首の代理人。憲法上は首相の任免権を持つが、通常は政治的に中立で選挙結果に従う慣例がある。


ジョン・カー】

1975年当時のオーストラリア総督。ホイットラム首相を突然解任し、史上初めて総督の予備権限を行使した人物。後にCIAとの接触が明らかになった。


合法的クーデター】

憲法上の権限を用いて、形式的には合法的な手続きで政権を倒す行為。軍事クーデターとは異なり、暴力を用いないが、選挙で選ばれた政権を投票によらず倒すという点で、民主主義の実質を損なう。


パインギャップ】

オーストラリア中部にある米国の諜報施設。表向きは宇宙観測施設だが、実際には通信傍受や核戦略に関わる極秘施設。ホイットラムがその活動内容の開示を求めたことが、英米との緊張を生んだ。


ファイブアイズ】

米国、イギリス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドの5か国による情報共有の枠組み。第二次世界大戦後に形成され、冷戦期を通じて密接な諜報協力を行ってきた。


予算の膠着状態】

1975年、野党が上院で予算案を阻止し続けた状況。政府の資金が尽きる危機が迫る中、総督が介入して首相を解任する口実となった。


予備権限】

総督や君主が持つ、憲法に明示された特別な権限。通常は行使されず、あくまで形式的・儀礼的なものとされるが、極端な憲法危機の際に理論上は行使可能とされる。


冷戦】

第二次世界大戦後から1991年のソ連崩壊まで続いた、米国を中心とする西側陣営とソ連を中心とする東側陣営の対立構造。直接的な軍事衝突は避けつつ、世界各地で代理戦争や情報戦、政治的影響力の行使が行われた。


東ティモール問題】

1975年、インドネシアが東ティモールに侵攻した事件。ホイットラム政権はこれを批判したが、米国はインドネシアを支持していた。この外交姿勢の違いも、英米との緊張要因となった。


チリのアジェンデ政権】

1970年に選挙で選ばれたチリの社会主義政権。1973年、CIAの支援を受けた軍事クーデターで倒された。ラテンアメリカにおける米国の干渉の象徴的事例。


イランのモサデク政権】

1951年に石油国有化を断行したイランの民族主義政権。1953年、英米の情報機関による工作でクーデターが起き、倒された。


憲法危機】

憲法の規定や慣例では明確に解決できない政治的対立や緊張状態。ホイットラム解任劇は、憲法上の権限と民主主義の慣例が衝突した憲法危機とされる。


主権】

国家が対内的・対外的に最高の権力を持つこと。しかし実際には、安全保障や経済などの面で他国に依存する場合、主権の実質的な制約が生じることがある。


透明性】

政府の活動や意思決定のプロセスが、市民に対して開かれていること。民主主義の基本原則だが、安全保障や情報機関の活動との間でジレンマを生むことがある。


規範と慣例】

法律や憲法には明文化されていないが、社会や政治において広く受け入れられ、従うべきとされる行動様式。民主主義の安定には、こうした不文律の規範が重要な役割を果たす。


影響力工作の多極化】

冷戦終結後、米国だけでなく中国やロシアも独自の手法で他国政治への影響力を行使するようになった状況。各国が経済、文化、情報、エネルギーなど異なる手段を用いる。


外国干渉防止法】

オーストラリアが2017年に制定した、外国政府による政治的影響力行使を規制する法律。中国の影響力工作への警戒から生まれた。他国政府のために活動する者の登録義務などを定める。


経済的相互依存と政治的圧力】

貿易や投資などの経済関係を通じて形成された依存関係が、政治的な影響力の源泉となること。特に中国が得意とする手法で、最大の貿易相手国としての地位を政治的レバレッジに転換する。


情報戦とディスインフォメーション】

SNSやデジタルメディアを通じて、偽情報を拡散したり、既存の社会的分断を煽ったりする現代的な影響力行使の手法。ロシアが2016年米大統領選で用いたことで注目された。


シンクタンクとソフトパワー】

軍事力や経済力といったハードパワーではなく、文化、価値観、政策研究などを通じて影響力を行使する手法。表向きは独立した研究機関や文化組織を通じて行われるため、直接的な政治介入より見えにくい。


デジタル監視】

通信技術の発達により可能になった、大規模な情報収集と監視活動。スノーデン事件で明らかになったように、同盟国間でも広範な監視が行われている。


メディアリテラシー】

情報の真偽を見極め、情報源の意図や背景を批判的に評価する能力。多様な主体による情報操作が行われる現代において、民主主義を守るために市民に求められる基本的なスキル。



本稿は近日中にnoteにも掲載予定です。
ご関心を持っていただけましたら、note上でご感想などお聞かせいただけると幸いです。
bottom of page