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波と石、どちらが本当の世界なのか?──オブジェクト指向存在論が問い直す「連続」と「離散」

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シリーズ: 知新察来


◆今回のピックアップ記事:Graham Harman and Omari Edwards "On the ultimate nature of reality" (Institute of Art and Ideas, 2025年11月6日)

  • 概要:南カリフォルニア建築大学の哲学教授であるグラハム・ハーマンへのインタビュー。新著『Waves and Stones』を通じて、連続と離散という哲学的対立、オブジェクト指向存在論の基本的な考え方、科学と哲学の役割分担、量子力学と一般相対性理論の不整合、文明論などについて語られている。



私たちは世界を理解するとき、自然とどちらかの見方に偏ってしまいます。すべては繋がった流れだと感じるときもあれば、バラバラの個別のものたちの集まりだと感じるときもある。グラハム・ハーマンが新著『Waves and Stones』で取り組んだのは、まさにこの根本的な問いです。現代哲学の重要人物として知られる彼は、「連続」と「離散」のどちらかに還元しようとする試みを退け、両方がそれぞれの仕方で本物だと主張します。


この対話では、富良野とPhronaが、科学の限界、アリストテレスの知恵、量子力学の謎、さらには文明と野蛮の往還まで、ハーマンの思想を手がかりに縦横に議論します。なぜ哲学は科学になれないのか、対象はなぜ私たちから永遠に隠れ続けるのか、そして現実とはいったい何なのか。ゆっくりとお茶を飲みながら、一緒に考えてみませんか。




「連続」と「離散」って、そもそも何?


富良野:ハーマンのインタビューを読んでて、最初にひっかかったのが「連続」と「離散」っていう対比なんだよね。これ、単純そうに見えて実はすごく深い。


Phrona:ああ、わかります。数直線の話が出てましたよね。0から100までって、整数だけなら100個だけど、小数を考えたら無限にあるっていう。


富良野:そう。それが連続的なものの例だね。いくらでも好きなように切り分けられる。空間とか時間とか、運動もそう扱われることが多い。一方で離散的なものっていうのは、はっきり数えられる個別の存在。僕たち二人が今ここにいる、っていうのがまさにそう。


Phrona:でも、それって単なる数学の話じゃないですよね。ハーマンはこれが哲学的な問題だって言ってる。なぜなんでしょう。


富良野:世界の根本的な成り立ちに関わってくるからだと思う。すべてを連続的な流れに還元しようとする人たちがいる一方で、すべては最終的には個別のものに分解できるって考える人たちもいる。どちらの視点を取るかで、現実の見え方がまるで変わってくる。


Phrona:そうか、それで彼はアリストテレスを持ち出してくるんですね。アリストテレスは両方を認めた珍しい思想家だって。


富良野:そこがポイントなんだよ。ハーマンが評価してるのは、アリストテレスがどちらか一方に還元しなかったこと。『自然学』では連続的な運動や時間を扱い、『形而上学』では個別の実体、つまり離散的な存在を扱った。両方が必要だっていう姿勢。


Phrona:でも、私たちって日常ではどっちも使ってますよね。朝から夜への流れを感じつつ、午後3時の会議っていう区切りもある。


富良野:まさにそう。だからこの問題は抽象的な哲学議論じゃなくて、僕たちの経験そのものに関わってるんだ。


「引きこもる対象」という不思議な考え方


Phrona:ハーマンの中心的なアイデアって、対象の「引きこもり」ですよね。これ、最初読んだとき、すごく奇妙に感じたんです。


富良野:うん、彼はハイデガーから借りてきた概念だね。でも、ハーマン独自の使い方をしてる。


Phrona:どういうことですか?


富良野:カントの時代から、私たち人間は「物自体」には到達できないっていう考え方があった。現象しか知覚できなくて、その背後にある本当の姿は掴めないっていう。でもハーマンが言ってるのは、これは人間の限界じゃなくて、現実そのものの構造だってこと。


Phrona:つまり、対象同士でさえ、お互いを完全には理解できないってことですか?


富良野:そういうこと。彼が挙げてる例がわかりやすいんだけど、火が綿を燃やすとき、火は綿の可燃性とだけ相互作用してる。綿の色とか香りとか価格とは関係ない。関係っていうのは、常にその項を使い尽くすことがないんだ。


Phrona:それって、ちょっと寂しい感じもしますね。すべてのものが、本当の自分を完全には見せられないっていう。


富良野:寂しいかもしれないけど、逆に言えば、それぞれの対象が独自性を保ち続けてるってことでもある。完全に翻訳されてしまったら、もうそれは独立した存在じゃなくなる。


Phrona:ああ、なるほど。地図の例も出てましたね。球体を平面に投影すると、必ず歪みが生じるって。


富良野:そう、アフリカが実際より小さく見える地図とか。あれは技術の問題じゃなくて、表象っていうもの自体に内在する不可能性なんだよね。ある対象を別の形式に翻訳しようとすると、何かが必ず失われる。


Phrona:じゃあ、私たちが言葉で何かを説明するときも、同じことが起きてる?


富良野:間違いなく。だからハーマンは、哲学を美学に近づけようとしてる。比喩とか詩的な表現っていうのは、知識として対象を捉えようとするんじゃなくて、別の仕方で触れようとする試みなんだ。


科学じゃなくて、なぜ哲学なのか


Phrona:でも、そうなると疑問が出てきますよね。科学があれば十分じゃないかって。


富良野:うん、それこそハーマンが正面から取り組んでる問いだね。彼は科学の重要性は認めつつ、科学が唯一の認識方法だとは思ってない。


Phrona:科学は知識を与えてくれるけれど、って話でしたね。二つの方向があるって。


富良野:そう。対象が何でできてるかを教えてくれるか、対象が何をするかを教えてくれるか。ハーマンの言葉で言えば、下方への還元か、上方への還元か。


Phrona:水がH2Oだって知ることと、魔女が存在しないって知ることですね。どっちも大事だけど、何かが抜け落ちてる?


富良野:下方への還元、つまり部品に分解すると、創発的な性質を見逃す。水素と酸素は火を助けるけど、水は火を消す。その新しさは部品の説明からは出てこない。一方、上方への還元、つまり効果だけで説明すると、今は現れてないけど潜在してる能力を見逃す。


Phrona:ハーマンは、アリストテレスを使って説明してましたよね。眠ってる建築家は、眠ってる間も建築家だって。


富良野:まさにそれ。能力っていうのは、実際に使われてなくても存在してる。これを見落とすと、反事実的な推論ができなくなる。もしこうだったら、っていう思考ができないんだよね。


Phrona:じゃあ、哲学が美学に近いっていうのは?


富良野:美的な経験っていうのは、対象を性質のリストに還元しないで触れる方法なんだ。ホメロスの「ワインのように暗い海」っていう表現を、普通の散文に言い換えたら、その力が失われてしまう。


Phrona:つまり、比喩は単なる装飾じゃなくて、現実に近づく一つの方法だってことですか。


富良野:そういうこと。知識に還元できない何かに触れる方法。


量子力学と一般相対性理論の板挟み


富良野:もう一つ面白かったのが、量子力学と一般相対性理論の話。普通は、量子力学は小さいもの、相対論は大きいものを扱うって言われるけど、ハーマンは違う見方をしてるんだよね。


Phrona:ああ、本当の対立は連続と離散の間にあるって。


富良野:そう。一般相対性理論では、時空は滑らかに連続的に曲がってる。一方、量子論では、粒子は飛び飛びの状態を取る。このズレが、二つの理論が統合できない根本原因だってハーマンは見てる。


Phrona:でも、小さいものと大きいものっていう説明は、単純でわかりやすいですよね。なんでそれじゃダメなんですか?


富良野:実際には、量子効果は巨視的なスケールでも起きるし、相対論的効果は小さいスケールでも起きる。サイズだけの問題じゃないんだよね。


Phrona:それで、ハーマンはどう解決しようとしてるんですか?


富良野:彼自身は特定の統一理論を推してるわけじゃない。でも、アリストテレスみたいに、連続と離散の両方を基本的なものとして認めることが必要かもしれないって示唆してる。どちらか一方に還元しようとするから、うまくいかないんじゃないかって。


Phrona:面白いですね。古代の哲学者の洞察が、現代物理学の問題に光を当てるかもしれないって。


富良野:そこがハーマンのやり方なんだよね。哲学は科学の手前で立ち止まって、科学が当然視してる前提を問い直す。


ジジェクやバラッドとの対立


Phrona:ハーマンって、結構論争的な人ですよね。ジジェクやカレン・バラッドとの対立が印象的でした。


富良野:うん、特にジジェクとは根本的な違いがある。ジジェクはドイツ観念論の伝統から来てて、主体っていうものが存在論的に特別だと考えてる。現実の裂け目みたいな位置づけ。


Phrona:でもハーマンは、人間主体に特権的な地位を与えないんですよね。


富良野:そう。ジジェクは量子力学のコペンハーゲン解釈をよく使うんだけど、ハーマンは、測定によって性質が確定するからって、性質を持つ根底の物まで消えてしまうわけじゃないって主張してる。


Phrona:バラッドの「内的作用」っていう概念は?


富良野:バラッドは、別々の存在だと思ってるものは、実は一つの大きなプロセスの一部だって考える。でもハーマンからすると、それは個別の対象とその本質を消してしまう危険がある。


Phrona:本質っていう言葉、最近はあまり人気ないですよね。


富良野:そうだね。ポストモダン以降、本質主義批判が強かったから。でもハーマンは、ある種の本質を復活させようとしてる。ただし、それは固定的で不変なものじゃなくて、対象の引きこもりとセットになった本質なんだけど。


Phrona:つまり、掴めないけど確かにあるもの?


富良野:そういう感じかな。完全には知れないけど、それが対象を対象たらしめてるもの。


真理と現実を分ける


Phrona:ハーマンが真理と現実を区別してるのも、興味深かったです。


富良野:ああ、彼は真理っていう言葉にはやや懐疑的なんだよね。真理を持ってると主張する人たちが、それを権威的に使うことが多いから。


Phrona:じゃあ、代わりに現実って言葉を使うのはなぜですか?


富良野:現実っていうのは、僕たちの期待を挫いて、決断を迫るもの。フロイトの例が出てきたけど、臨床実践が彼に、当初の仮説に反してナルシシズム的リビドーを仮定させた。現実が押し返してきたんだ。


Phrona:ああ、ラカンの「現実界」に近い感じですね。象徴化できない何か。


富良野:まさに。現実を保持しないと、僕たちの言明が驚かされることもないし、考えを変えることもない。すべてが主観的な構成に溶けてしまう。


Phrona:でも、だからといって、客観的な真理に一直線に到達できるわけでもない?


富良野:そう。ハーマンの立場は、リアリズムだけど、ナイーブなリアリズムじゃない。対象は引きこもってるから、完全な知識は不可能。でも、対象は確かにあって、僕たちに抵抗してくる。


Phrona:その緊張感が大事なんですね。


進化論の中の「波」と「石」


富良野:進化論のところも面白かったよ。ハーマンはグールドとエルドリッジの断続平衡説を取り上げてる。


Phrona:ドーキンスじゃなくてグールドなんですね。なんでだろう。


富良野:ドーキンスの漸進主義は、ダーウィン的枠組みの中で暗黙的なんだ。一方、グールドとエルドリッジは、連続的変化と離散的な飛躍の対比を明示的に前面に出してる。だから『波と石』っていう本の主題にぴったりなんだよね。


Phrona:断続平衡説って、長い停滞の後に急激な変化が起きるっていう考えでしたっけ。


富良野:そう。種はほとんどの期間、形態的にほぼ安定してて、変化は短期間に集中するっていう。これは連続か離散かっていう問題が、生物学の領域にも現れてることを示してる。


Phrona:グールドのNOMA、つまり「非重複教導権」の話も出てきましたね。科学と宗教は別々の領域を持つべきだっていう。


富良野:そう、グールドは不可知論者だったけど、科学と宗教の境界を擁護した。それぞれが自分の領域で権威を持つって。でもドーキンスは、その境界は実は多孔質だって反論してる。


Phrona:科学的証拠が宗教的主張を支持するように見えたら、宗教側も黙ってないだろうって。


富良野:まさに。この論争も、連続か離散かっていう問題の別バージョンなんだよね。知識の領域を明確に区切れるのか、それとも境界は曖昧で流動的なのか。


ラトゥールの複数のモード


Phrona:ブルーノ・ラトゥールの話も出てきましたよね。ハーマンの友人だったって。


富良野:うん、二人は近い立場にいたけど、重要な違いもあった。ラトゥールは、対象はその作用以上のものではないって考えてた。でもハーマンは、潜在してる能力は顕在化してなくても存在するって主張してる。


Phrona:でも、ラトゥールの「複数のモード」っていう考えは、ハーマンも評価してるんですよね。


富良野:そう。ラトゥールは、近代性が二つの言説、つまり科学的言説と経済的言説を最終的な審判者に祭り上げてしまう傾向に挑戦した。でも実際には、もっと多くのモードがあって、それぞれが相互に制約し合ってるんだ。


Phrona:法律の例がわかりやすかったです。裁判所は科学的証拠を使うけど、手続き上の理由でそれを排除することもある。


富良野:そう、法廷では科学的方法論が最終的な発言権を持つわけじゃない。これは広く受け入れられてる。



Phrona:政治はもっと複雑ですよね。


富良野:政治は、どの証拠を数えるべきか、どんな目的のためにそうするかを社会が決める場なんだ。事実が重要じゃないってことじゃなくて、モードごとに基準が違うってこと。



Phrona:ハーマンがイスラエルとパレスチナの例を出してきたのは、驚きました。


富良野:あそこは議論を呼びそうだけど、彼のポイントは明確だよ。ガザでのイスラエルの行動は国際法の側面に違反してる。でも、ネタニヤフに言ったら、彼は法的な点は認めつつも、10月7日の後で国民を守る義務があり、存亡の危機では政治が法に優先するって答えるかもしれない。



Phrona:カール・シュミットの「主権者の決断」ですね。


富良野:そう。支配者が生存の名のもとに規則を停止する権利を主張するとき。政治が悲劇的になる瞬間で、哲学はそこを道徳的にではなく分析しなきゃいけない。



Phrona:これって、還元主義への抵抗でもあるんですね。法も政治も宗教も、科学に還元できないし、すべきでもないけど、それぞれのモードの中で現実が押し返してくるってことを否定するわけでもない。


富良野:まさに。連続と離散は、こういう境界でも活動し続けてるんだ。


文明と野蛮の往還



Phrona:最後に出てきたイブン・ハルドゥーンの話も印象的でした。


富良野:中世の偉大な思想家だよね。彼は二つの関連するアイデアを出してる。第一に、世代は衰退するっていうこと。文明は退廃的になって、外部者に取って代わられる。第二に、遊牧民と文明人の区別。



Phrona:遊牧民はしばしば都市を略奪するけど、時間が経つと都市的な贅沢に惹かれて定住するって。


富良野:そう、クビライ・ハーンがその典型例。征服から数世代のうちに、彼は中国の皇帝になって、行政的な洗練を採用し、学識ある討論を主催するようになる。野蛮人が文明化されるわけだ。


Phrona:でもハーマンは、逆の動きもあるって指摘してますよね。


富良野:そう、イブン・ハルドゥーンが主題化してない動きだけど、文明化された人々が野蛮に惹かれることもある。ティムールがその例。



Phrona:その根底にあるのは恐怖だって言ってましたね。


富良野:そう、持てば持つほど、失うことを恐れる。その恐怖が、保存の名のもとに残虐行為を生み出すことがある。僕たちのカテゴリーは固定されてないっていう注意喚起なんだ。



Phrona:状況の連続的な圧力と、指導者の離散的な決断が相互作用して、しばしば悲劇的な結果を生むんですね。


富良野:まさに。そして、ここにも「波と石」の問題が現れてるんだよ。歴史の流れという連続性と、決断という離散性の絡み合い。



 

ポイント整理


  • 連続と離散の対立は存在論的問題である

    • 数直線のような数学的事例から、物理学の基礎、生物進化、政治的決断に至るまで、この区別は現実の根本構造に関わる。ハーマンは、どちらか一方に還元する試みを拒否し、アリストテレスに倣って両方の不可還元性を認める立場を取る。

  • 対象の「引きこもり」は普遍的現象である

    • カントの物自体を人間認識の限界としてではなく、対象間の関係一般に適用する。火が綿を燃やすとき、火は綿の可燃性とのみ相互作用し、色や香りとは無関係である。あらゆる関係において、関係項は完全には捉えられず、余剰が残る。これが対象の独立性と実在性を保証する。

  • 科学は知識を与えるが、現実の全体ではない

    • 科学は対象が何でできているか(下方還元)、何をするか(上方還元)を教えるが、どちらの方向も何かを見落とす。下方還元は創発を、上方還元は潜在的能力を捉えそこなう。哲学は美学に近く、比喩や詩的表現を通じて、知識に還元されない仕方で現実に触れる。

  • 量子力学と一般相対性理論の不整合は、連続と離散の対立を反映する

    • 通常は「小さいもの vs 大きいもの」の理論として対比されるが、本質的な違いは、一般相対性理論の連続的な時空曲率と、量子力学の離散的な振る舞いにある。統一理論の困難さは、この哲学的対立に根ざしているかもしれない。

  • ポストモダン的懐疑論との違いは、現実の保持にある

    • ハーマンは真理という言葉には慎重だが、現実という概念は擁護する。現実とは、私たちの期待を挫き、決断を迫るもの。フロイトが臨床実践によって理論を修正せざるを得なかったように、現実は押し返してくる。これがないと、言明が驚かされることも、考えが変わることもない。

  • 知識の領域は複数あり、相互に還元不可能である

    • ラトゥールの複数モード論を援用し、科学と経済を唯一の審判者とする近代の傾向に抵抗する。法、政治、宗教などはそれぞれ独自の基準を持つ。裁判所が手続き上の理由で科学的証拠を排除できるように、各モードは他のモードを制約する。政治的決断において法が停止されるシュミット的瞬間も、この複数性の現れである。

  • 進化における断続平衡説は、連続と離散の生物学的表現である

    • グールドとエルドリッジの理論は、長期の停滞と短期の急激な変化を対比させる。これはドーキンスの漸進主義との対立であり、生物学においても連続と離散の問題が中心的であることを示す。

  • 文明と野蛮は固定的カテゴリーではなく、相互転換する

    • イブン・ハルドゥーンの世代衰退論と遊牧民の文明化(クビライ・ハーン)に加え、文明人の野蛮化(ティムール)もある。この双方向の動きの根底には、所有への恐怖と喪失への恐れがある。連続的圧力と離散的決断の相互作用が、歴史における悲劇を生む。



キーワード解説


オブジェクト指向存在論 (Object-Oriented Ontology)

グラハム・ハーマンが提唱する現代哲学の立場。あらゆる対象(人間、物体、概念など)を平等に扱い、人間中心主義を退ける。対象は関係の中で完全には捉えられず、常に「引きこもって」いるという考えが中心。


投機的実在論 (Speculative Realism)

2007年頃に登場した哲学運動。相関主義(人間の思考と世界の相関のみを扱う立場)を批判し、人間抜きの実在を考察しようとする。ハーマンはその主要人物の一人。


引きこもり (Withdrawal)

ハイデガーの概念を発展させたハーマンの中心概念。対象は決して完全には現前せず、あらゆる関係から部分的に隠れ続ける。これは人間認識の限界ではなく、対象間の関係一般に当てはまる存在論的特徴。


下方還元と上方還元 (Undermining and Overmining)

対象を説明する二つの還元主義的方法。下方還元は対象を構成要素に分解すること(水をH2Oとして説明)。上方還元は対象をその効果や作用として説明すること(魔女を迷信の効果として説明)。両者とも対象の独立性を見落とす。


連続と離散 (Continuous and Discrete)

連続とは、いくらでも細かく分割できる均質な広がり(数直線、時空など)。離散とは、数えられる個別の単位(個人、物体など)。ハーマンはこの対立を、還元不可能な存在論的区別として扱う。


断続平衡説 (Punctuated Equilibrium)

スティーブン・ジェイ・グールドとナイルズ・エルドリッジが提唱した進化理論。種は長期間ほぼ変化せず、短期間に急激に変化するという考え。ダーウィン的漸進主義への対抗理論。


NOMA (Non-Overlapping Magisteria, 非重複教導権)

グールドが提唱した概念。科学と宗教はそれぞれ独自の権威領域を持ち、互いに侵害すべきでないという考え。ドーキンスらから批判を受けた。


複数のモード (Plurality of Modes)

ブルーノ・ラトゥールの概念。科学、法、政治、宗教など、異なる言説領域はそれぞれ独自の基準と権威を持つ。一つのモードが他を支配することはできない。


主権者の決断 (Sovereign Decision)

カール・シュミットの政治理論の中心概念。主権者とは例外状況において法秩序を停止できる者。通常の法的規範が適用されない緊急事態において、誰が決定するかが政治の本質を示す。


イブン・ハルドゥーン (Ibn Khaldun)

14世紀の北アフリカの歴史家・哲学者。『歴史序説』で知られ、社会の興亡サイクル、遊牧民と定住民の関係について論じた。社会科学の先駆者とされる。



本稿は近日中にnoteにも掲載予定です。
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