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生き延びるための脳、真実を探すための脳──進化が仕組んだ「嘘」の効用

更新日:2025年12月12日

シリーズ: 知新察来


◆今回のピックアップ記事:Samuel McKee "Our brains evolved to survive, not to find truth" (Institute of Art and Ideas, 2025年11月4日)

  • 概要:進化論と認識論の交差点から、人間の脳が真実追求ではなく生存のために最適化されてきたこと、そして偽りの信念が社会的結束と意味創出において果たす役割について考察した哲学エッセイ



私たちは理性を通じて真実に到達できると信じています。科学哲学者カール・ポパーは「反証可能性」という基準で科学と非科学を区別し、私たちに真偽を見極める強力な道具を与えてくれました。けれども、ここに厄介な問題があります。私たちの脳は、真実を求めるために進化したのではなく、生き残るために進化したのだということです。


ダーウィン自身が危惧したように、下等な動物から進化した脳の判断をどこまで信頼できるのか。進化は真実への最適化ではなく、社会的結束への最適化を優先してきました。偽りの信念は進化の失敗ではなく、むしろ生存戦略の一部として組み込まれているのかもしれません。マンチェスター・メトロポリタン大学の科学哲学者サミュエル・マッキーは、真実を重んじる時代において、最大の障害は真実を求めるその心そのものかもしれないと論じています。


富良野とPhronaが、この知的な挑発に満ちたテーマについて語り合います。私たちは本当に真実を求める動物なのでしょうか。それとも、生き延びるために巧妙に仕組まれた信念のシステムの中で生きているだけなのでしょうか。




真実よりも生存──脳の本当の仕事


富良野:ポパーの反証可能性の話から始まるんだけど、これって結構シンプルに見えて深い話なんだよね。ある主張が科学的かどうかを判断するには、それが間違いだと証明できるかどうかを見ればいい。もし反証できないなら、それは科学じゃない。


Phrona:占星術とか精神分析とか、そういうものを科学の外に置くための基準ですよね。でも面白いのは、私たち自身がその基準を持っていても、間違いだと分かっても信念を手放せないことがあるっていう。


富良野:そうそう。マッキーが指摘しているのは、僕たちが持っている信念の少なくとも20パーセントは、いずれ間違いだと分かるってことなんだけど、それでもしがみついちゃう。なんでかっていうと、進化がそうさせてるんじゃないかって。


Phrona:進化が私たちを真実追求者じゃなくて、生存者として作り上げたっていう話ですね。ダーウィン自身が1881年の手紙で書いてるんですよね、下等な動物から進化した脳の判断をどこまで信頼できるのかって。


富良野:そこがポイントなんだよ。自然選択の原動力は生存であって、真実じゃない。脳は世界の真実を見つけるために進化したんじゃなくて、生き延びるために進化した。


Phrona:でもそれって、ちょっと怖くないですか。私たちが理性的だと思っているこの思考プロセス自体が、実は真実に到達するようにはできてないかもしれないっていう。


富良野:うん、怖いよね。でもある意味では納得できる部分もある。例えば、アフリカの平原で暮らしている古代人類を想像してみてよ。草むらが揺れてるのを見たら、とりあえず逃げるよね。捕食者がいるかもしれないから。


Phrona:ああ、なるほど。実際には何もいなくても、逃げた方が生存率は上がる。


富良野:そう。脳は生存率を上げるために何千もの「嘘」を教えてくれるかもしれない。現実がどうであろうと関係なく。これが進化的に有利だったわけ。


Phrona:つまり、間違った信念を持つことが、実は生存戦略として機能してきたっていうことですね。真実を見つけることよりも、安全側に倒れることの方が重要だった。


富良野:まさに。そしてこれが「自然主義に対する進化論的論証」って呼ばれる議論につながっていく。最初に提唱したのは哲学者で科学者で政治家でもあったバルフォア卿で、1902年から1905年まで首相もやった人なんだけど。


便利さのための脳、知識のための脳ではなく


Phrona:バルフォア卿は1914年に、私たちの脳は「知識のためではなく便利さのために」進化したって書いてるんですよね。


富良野:そう。この考えをC・S・ルイスが『奇跡』って本で発展させて、哲学者のアルヴィン・プランティンガがさらに精緻化した。プランティンガは、進化論と自然主義──つまり自然だけが存在して超自然は存在しないっていう立場──を同時に受け入れると、自己矛盾に陥るって主張したんだ。


Phrona:どういうことです?


富良野:もし脳が偶然のプロセスを通じて、便利さと生存のために進化したなら、その脳が究極的な現実について真実を把握できると、どうして信じられるんだろうって。自然選択は真実な信念を選択するんじゃなくて、有利な行動を選択するだけだから。


Phrona:ああ、つまり進化論を信じるなら、その進化論を理解している脳自体の信頼性を疑わなきゃいけなくなるっていう、ある種のパラドックスですね。


富良野:まさにそう。これがダーウィンの「恐ろしい疑念」って呼ばれるものの核心部分。2002年には『自然主義は敗北したか?』っていう論文集が出て、11人の研究者がプランティンガに反論してるんだけど、この問題はいろんな形で繰り返し現れてくる。


Phrona:でもこれって、科学そのものを否定することにはならないんですよね。むしろ、私たちが真実にアクセスする方法についての、より慎重な理解を求めてるっていうか。


富良野:そうだね。物理学者のピーター・アトキンスが最近のインタビューで言ってたんだけど、弦理論とか多次元の問題を考えるとき、僕たちの脳はそもそもそういう問題に答えるようにできてないかもしれないって。


Phrona:ライオンやトラや熊を検知するために進化した脳で、究極的な現実の本質を解き明かそうとしてるっていう。


富良野:まさに。マーティン・リース卿も似たようなことを言ってて、この限界を超えるには人工知能の助けが必要かもしれないって。でもそうなると、また別の問題が出てくるんだよね。


AI時代の脳──退化のリスク


Phrona:AIに頼りすぎると、脳への選択圧が減るっていう話ですか。


富良野:そう。数学も科学も技術も、AIがやってくれるなら、僕たちは努力しなくてよくなる。1000年後の人類は、もしかしたら今より小さい脳で、数学的能力も低下してるかもしれない。


Phrona:それは皮肉ですね。進化が私たちを真実追求に向いてない存在にしたから、AIを作って真実を探させようとしたら、今度は私たちがさらに退化していくっていう。


富良野:面白いのは、高等教育を受けた人ほど子供が少ない傾向があるって事実もある。これも一種の逆選択かもしれない。


Phrona:でも一方で、CRISPR-Cas9みたいな遺伝子編集技術を使った「方向性進化」の可能性もありますよね。私たち自身が進化の方向を意図的に操作できるかもしれない。


富良野:確かに。生殖細胞系列を編集して特定の形質を次世代に伝えることができるようになってきてる。でもそれでも、進化が偽りだけど有利な信念を好むっていう本質的な問題は変わらないんだよね。


社会的結束と偽りの信念──意味を求める動物


Phrona:ここからが、私にとって一番興味深いところなんですけど。社会性の話です。


富良野:僕たちは社会的動物だからね。他の哺乳類や社会性昆虫と同じように、複雑な社会集団の中で暮らして、深い共同体的絆を形成する。


Phrona:そして、その絆が偽りの信念の周りに形成されることがあるっていう。


富良野:そう。ペアボンディング、血縁関係、集団生活は子孫の生存を大きく高める。そして僕たち人間は、レジャーや興味、娯楽、その他たくさんの二次的な特性を通じて絆を形成するように進化してきた。


Phrona:哲学者デイヴィッド・マクファーソンが言う「意味を求める動物」ですね。カレン・アームストロングは、意味がなければ水がなければ死ぬのと同じように私たちは死ぬって書いてます。


富良野:ヴィクトール・フランクルの『夜と霧』が示してるように、ホロコーストの中でさえ、意味を見いだして保持した人々は、そうでない人々よりも高い生存率を示した。


Phrona:つまりこういうことですよね。人間は完全に偽りの信念の周りに結束することができる。でもその深い結束自体が、生存にとって途轍もない恩恵になる。


富良野:まさにそう。複数のフィクションや虚偽の周りに結束することもできる。それが私たちに生きる意志や努力する意欲を与えてくれるなら、真実な信念を上回ることさえある。


Phrona:フラットアース運動の急成長がいい例ですよね。地球が平らだなんて明らかに偽りなのに、それを信じる人々の生活を豊かにしてる。陰謀論グループは、偽りの信念に情熱的にしがみつくことで、自分たちの目的を強化してる。


富良野:そこに確証バイアスや動機づけられた推論みたいな認知バイアスも加わって、判断がさらに歪められる。僕たちは真実がどうであるかよりも、真実がこうあってほしいっていう願望に色づけられた評価をしてしまう。


Phrona:でも、これって文脈次第ですよね。ジョーンズタウンやヘヴンズ・ゲートみたいに、儀式的カルトが偽りの信念に基づいて悲劇的な結果を招くこともある。


富良野:そう、だから一概には言えない。でも進化的に言えば、偽りの信念が僕たちを生かすなら、行動は自然にその方向に従う。死に導くなら、その信念は継続しない。


真実最適化と社会最適化のはざまで


Phrona:興味深いのは、自閉症やそれに類する状態の人々は、社会的コンセンサスに左右されにくいから、客観的真実に対してより敏感かもしれないっていう指摘ですね。


富良野:うん。社会的慣習を避ける傾向が、真実最適化にとってはプラスになるかもしれない。これって皮肉だよね。社会性が低いことが、真実へのアクセスを改善するかもしれないっていう。


Phrona:私たちの脳は社会最適化されてるのであって、真実最適化されてるわけじゃないっていうのが、結論なんですね。


富良野:そう。進化は僕たちをここまで連れてきたけど、これ以上は連れて行ってくれないかもしれない。リースやアトキンスが指摘してるように、技術の発展によって選択圧が失われたことで、人間の進化は止まったか、少なくとも非常に遅くなってる可能性がある。


Phrona:リチャード・ドーキンスも同じようなことを言ってますよね。


富良野:もし技術が僕たちのために全ての思考をしてくれるようになったら、生理学的にも神経学的にも、僕たちの発達にとっていい結果にはならないだろうね。


Phrona:進化は止まらない。でも退化するかもしれない。


富良野:そう。だからこそ、反証可能性っていう道具をポパーが与えてくれたのは大きい。問題は、偽りの信念の方が真実よりも安全に見えたり、意味があるように見えたりするとき、その道具を使う勇気を持てるかどうかなんだ。


Phrona:でも、その勇気を持つこと自体も、強い生存上の利益をもたらしますよね。


富良野:まさに。結局、知恵と教育がベストな対策なんだと思う。信念を検証するための道具は持ってる。でもより理性的になれるからといって、常にそうしたいわけじゃないし、それが利益になるとも限らない。


Phrona:社会的な利益と真実は、しばしば対立するっていうことですね。


富良野:そう。だけど同時に、長期的に見れば、真実を求める姿勢も生存に有利に働くことがある。バランスなんだよね、きっと。


Phrona:真実と生存、理性と社会性、そのバランスの中で、私たちは常に揺れ動いてる。


富良野:その揺れ動きを自覚することが、最初の一歩なのかもしれないね。



 

ポイント整理


  • 反証可能性の限界

    • カール・ポパーは科学と非科学を区別する強力な基準として反証可能性を提示したが、人間は反証に直面しても信念を手放すことに抵抗する。現在持っている信念の約20%はいずれ誤りだと判明するにもかかわらず、私たちはそれにしがみつく傾向がある

  • 生存のための脳、真実のための脳ではない

    • ダーウィンが1881年の手紙で指摘したように、人間の脳は下等な動物から進化したものであり、その判断の信頼性には疑問が残る。自然選択の原動力は生存であって真実ではないため、脳は世界の真実を発見するためではなく生き延びるために進化した

  • 進化論的論証の核心

    • バルフォア卿、C・S・ルイス、アルヴィン・プランティンガらが発展させた「自然主義に対する進化論的論証」は、進化論と自然主義を同時に受け入れることの自己矛盾を指摘する。偶然のプロセスを通じて便利さのために進化した脳が、究極的な現実について真実を把握できるという保証はない

  • 認知的限界の実例

    • 物理学者ピーター・アトキンスが指摘するように、人間の脳はライオンや熊を検知するために進化したのであって、弦理論や多次元宇宙といった複雑な問題を解くようにはできていない。マーティン・リース卿も、この限界を超えるには人工知能の助けが必要かもしれないと示唆している

  • AI時代の退化リスク

    • 技術、特に人工知能への依存が高まると、人間の脳への選択圧が減少し、数学的能力や科学的思考力が退化する可能性がある。高等教育を受けた人ほど子供が少ないという事実も、一種の逆選択として作用しているかもしれない

  • 偽りの信念と社会的結束

    • 人間は「意味を求める動物」(デイヴィッド・マクファーソン)であり、意味がなければ生きられない(カレン・アームストロング)。ヴィクトール・フランクルの『夜と霧』が示すように、意味を見いだした人々は過酷な状況下でも高い生存率を示した。人間は完全に偽りの信念の周りに結束でき、その結束自体が強力な生存上の利益をもたらす

  • フラットアース運動の教訓

    • 地球平面説は明らかに誤りだが、その信念を共有する人々の生活を豊かにし、コミュニティを強化している。陰謀論グループは偽りの信念に情熱的にしがみつくことで、むしろその目的を強化する。確証バイアスや動機づけられた推論といった認知バイアスが、この傾向をさらに増幅する

  • 社会最適化 vs 真実最適化

    • 人間の脳は真実最適化ではなく社会最適化されている。興味深いことに、自閉症などで社会的コンセンサスに左右されにくい人々は、客観的真実に対してより敏感である可能性がある。社会的慣習を避ける傾向が、真実最適化にはプラスに働くかもしれない

  • 方向性進化の可能性

    • CRISPR-Cas9などの遺伝子編集技術を用いた「方向性進化」により、人間は進化の方向を意図的に操作できるようになりつつある。生殖細胞系列を編集して特定の形質を次世代に伝えることが技術的に可能になっている

  • 知恵と教育の役割

    • 偽りの信念が安全や意味をもたらすように見えるとき、真実を求める道具(反証可能性など)を使う勇気を持つことが重要。より理性的になれる能力があっても、常にそうしたいわけではなく、それが利益になるとも限らない。最良の対策は知恵と教育であり、長期的には真実を求める姿勢も生存に有利に働く



キーワード解説


反証可能性(Falsifiability)

カール・ポパーが提唱した科学と非科学を区別する基準。ある理論や仮説が科学的であるためには、それが間違いであることを証明できる可能性がなければならない。反証できない主張は科学の範囲外とされる


自然主義(Naturalism)

自然だけが存在し、超自然的なものは存在しないという哲学的立場。全ての現象は自然的原因によって説明されるべきだとする


自然主義に対する進化論的論証(Evolutionary Argument Against Naturalism)

バルフォア卿が提唱し、C・S・ルイスやアルヴィン・プランティンガが発展させた論証。進化論と自然主義を同時に受け入れると、人間の認知能力の信頼性について深刻な懐疑に陥るという主張


自然選択(Natural Selection)

ダーウィンが提唱した進化のメカニズム。環境に適応した個体が生き残り、その特性が次世代に受け継がれることで、種が変化していく過程


認知バイアス(Cognitive Biases)】

人間の思考や判断における体系的な偏り。確証バイアス(自分の信念を支持する情報を優先的に集める傾向)や動機づけられた推論(望ましい結論に到達するように推論を歪める傾向)などが含まれる


意味を求める動物(Meaning-seeking Animal)

哲学者デイヴィッド・マクファーソンによる人間の特性の記述。人間は生理的欲求と同じくらい、意味や目的を求める存在であるという考え方


方向性進化(Directed Evolution)

CRISPR-Cas9などの遺伝子編集技術を用いて、進化の方向を意図的に操作すること。生殖細胞系列を編集することで、特定の形質を次世代に伝えることができる


社会的結束(Social Cohesion)

集団やコミュニティのメンバー間の絆や連帯感。人間の進化において、真実の追求よりも社会的結束が優先されてきた可能性がある


選択圧(Selection Pressure)

進化において、特定の形質を持つ個体の生存や繁殖に影響を与える環境的要因。技術の発展により人間への選択圧が減少し、進化が停滞または退化する可能性が指摘されている


生殖細胞系列編集(Germline Editing)

精子、卵子、または受精卵の遺伝子を編集すること。この変更は次世代に受け継がれるため、倫理的に議論の多い技術である



本稿は近日中にnoteにも掲載予定です。
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