安定した世界は覇権国を必要とするのか?――東南アジアの歴史から考える、これからの国際秩序
- Seo Seungchul

- 2025年11月23日
- 読了時間: 30分
更新日:2025年12月4日

シリーズ: 知新察来
◆今回のピックアップ記事:Manjeet S Pardesi "The world without hegemony" (Aeon, 2025年10月30日)
概要:アメリカの覇権安定論に対して、古典期東南アジアの歴史を通じて、覇権国なしでも安定した国際秩序が成立しうることを論じたエッセイ。東南アジアの「マンダラ」体制や、インド・中国・東南アジア諸国の相互関係から、多元的秩序(multiplex order)の可能性を示している。
アメリカ主導の国際秩序が揺らぐ今、多くの人が不安を感じています。次は中国が覇権国になるのか、それとも無秩序な混乱が待っているのか。でも、この問いの前提そのものが実は偏っているかもしれません。20世紀のアメリカ人学者が作り上げた覇権安定論という考え方は、世界の安定には必ず覇権国が必要だという前提に立っています。
ところが、東南アジアを中心とした古典期東インド洋の歴史を見ると、まったく違う光景が浮かび上がってきます。紀元前後から15世紀まで、この海域では覇権国なしに交易と文化が栄え、多様な勢力が相互に関わり合いながら安定した秩序を築いていました。富良野とPhronaは、この歴史が今の世界にどんなヒントを与えてくれるのか、お茶を飲みながらじっくり語り合います。果たして、覇権なき世界は本当に混乱を招くのでしょうか。
覇権安定論って、そもそも何だったんだろう
富良野:この論文を読んでてね、改めて思ったんだけど、そもそも覇権安定論って発想からしてかなり特殊だよね。世界の秩序を保つには、絶対に一つの強い国が必要だっていう。
Phrona:たしかに。でもそれって、ある意味すごく分かりやすい物語ではありますよね。誰かがボスで、その人が秩序を守ってくれてるから安心、みたいな。
富良野:うん、分かりやすいからこそ広まったんだと思う。でもこの論文が指摘してるように、それってアメリカの経済学者キンドルバーガーが1929年の大恐慌を分析して生まれた理論なんだよね。つまり、20世紀のアメリカ人が自分たちの経験をもとに作った話。
Phrona:あぁ、だからアメリカが強かった時代の産物なんですね。イギリスがもう世界を支えられなくて、アメリカはまだその気がなかった、だから恐慌が起きた、って。
富良野:そう。で、この理論が拡大して、軍事的な支配、経済の中心、文化やイデオロギーのリーダーシップ、この3つを全部やるのが覇権国だってことになった。
Phrona:ローマ帝国とか、19世紀のイギリスとか、20世紀のアメリカとか、そういう例を自然なものとして見てしまうわけですね。でもそれって、西洋の歴史だけから導き出された理論ですよね。
富良野:まさにそこ。この論文の著者たちは、東南アジアの歴史を見ろって言ってる。そこには全然違うパターンがあったんだって。
東南アジアの海が持っていた特別な役割
Phrona:東インド洋、つまり東南アジアの海域って、昔からすごく重要な場所だったんですよね。中国とインドという二大経済圏をつないでいた。
富良野:そうなんだよ。紀元前後から15世紀くらいまで、この海域は世界経済の最もダイナミックな場所だった。中国とインドで世界のGDPの半分を占めてたっていう推計もあるくらい。
Phrona:で、その間にある東南アジアが、単なる通り道じゃなかったってことですよね。
富良野:全然違う。むしろ東南アジアの人たちが、自分たちの船で、自分たちの航海技術を使って、この海域を開拓していったんだよ。紀元前から中国やインドと貿易してた。3世紀の記録だと、東南アジアの船は50メートル以上あって、600人以上の乗客と600トンの貨物を運べたらしい。
Phrona:それ、かなり大きいですよね。当時としては驚異的なサイズじゃないですか。
富良野:8世紀には1000人以上も運べるようになってた。で、ここが面白いんだけど、中国の使節がインドに行くときも、東南アジアの船に乗ってたって記録が残ってる。
Phrona:へぇ。つまり東南アジアの海運技術が、この地域のインフラそのものだったんですね。
富良野:そう。でも、ローマ帝国みたいに、一つの勢力がこの海域全体を支配してたわけじゃない。ここがポイントなんだ。
マンダラという不思議な政治システム
Phrona:マンダラって言葉が出てきますけど、あの円形の宗教的な模様のことですか。
富良野:元はそうなんだけど、政治システムの話としては全然違う意味で使われてる。イギリスの歴史家ウォルターズって人が理論化した概念でね。
Phrona:どういう仕組みなんですか。
富良野:王の権力が中心から放射状に広がっていくイメージなんだ。距離が遠くなるほど権力は弱まるし、他の王の権力圏と重なったりもする。で、小さな王が大きな王に従属するっていう階層構造がある。
Phrona:境界線がはっきりしないんですね。ヨーロッパの領土国家みたいに、ここからここまでが私の国、っていう感じじゃない。
富良野:まさに。で、これが面白いのは、戦争があっても、負けた側の王国が勝った側に吸収されないってこと。負けた王は、勝った王の下位の支配者として位置づけられるだけ。
Phrona:領土を奪うんじゃなくて、関係性が変わるだけなんですね。
富良野:そうそう。だから東南アジアには何百ものマンダラ王国があって、それらが栄えたり衰えたりを繰り返してた。でも全体として、どれか一つが全海域を支配することはなかった。
Phrona:各王国が自分の周辺海域だけを支配して、長距離交易路全体を握ろうとはしなかったってことですか。
富良野:その通り。で、もし一つのマンダラが消えたら、別のマンダラがその役割を引き継ぐ。システム全体は続いていくわけ。
スリウィジャヤという例外的存在
Phrona:でも、スリウィジャヤって王国は違ったんですよね。論文でも特別に取り上げられてました。
富良野:7世紀にスマトラ島に現れたスリウィジャヤは、マラッカ海峡を支配しようとした。インド洋と南シナ海をつなぐ交易を独占しようとしたんじゃないかって言われてる。
Phrona:じゃあ、ある種の覇権国になろうとしたんですか。
富良野:なりかけた、かもしれない。でもね、他のマンダラ王国からの抵抗もあったし、実際にマラッカ海峡を完全に支配できたかは疑わしい。ジャワのヘリング王国とか、今のベトナム南部にあったチャンパ王国とか、スリウィジャヤよりも多くの朝貢使節を中国に送ってたって記録もある。
Phrona:つまり、スリウィジャヤが一番だったわけじゃない。
富良野:そう。それに、マラッカ海峡は重要だったけど、インドと中国をつなぐルートはそれだけじゃなかった。スンダ海峡、ロンボク海峡、タイ・マレー半島を経由するルートとか、いろいろあった。
Phrona:なるほど。つまり、ルートが多様だから、一つの勢力が全体を握るのは無理だったんですね。
富良野:で、決定的なのは、11世紀に南インドのチョーラ朝がスリウィジャヤを攻撃したこと。1025年の侵攻でスリウィジャヤの覇権の野望は砕かれた。でもね、その後も海上交易は栄えたんだよ。
Phrona:覇権国がいなくても、交易は続いたんですね。
富良野:それが著者たちの主張の核心部分なんだ。覇権国は必要条件じゃなかった。
大国たちの介入と失敗
Phrona:インドや中国みたいな大国は、この海域にどう関わってたんですか。
富良野:チョーラ朝の軍事遠征は、スリウィジャヤが自分たちの対中貿易を邪魔してたから起きたって言われてる。でも、チョーラはマラッカ海峡を完全には支配できなかった。
Phrona:中国はどうだったんでしょう。
富良野:面白いのは、中国の商人が積極的に海に出始めたのは、宋の時代、1090年以降なんだよ。それまでは、逆に外国の商人が中国に来てた。
Phrona:えっ、そうなんですか。中国って、もっと早くから海洋進出してたイメージでした。
富良野:実は違う。海洋貿易に力を入れ始めてからも、宋の海軍は主に北方のモンゴルに対する防衛力だった。東南アジアを征服しようとはしなかった。
Phrona:じゃあ、モンゴルは。
富良野:モンゴルはさすがに世界征服を目指したから、13世紀にチャンパやジャワに大規模な海軍遠征を送った。1292年から93年には、ジャワ征服のために1000隻の船と2万人の兵士を送ってる。
Phrona:すごい規模ですね。成功したんですか。
富良野:失敗したんだよ。海域の一部さえも支配できなかった。
鄭和の大航海――壮大だけど例外的な試み
Phrona:鄭和の遠征って有名ですよね。あれはどうだったんでしょう。
富良野:15世紀前半、明の時代の話だね。1405年から1433年にかけて、鄭和は大艦隊を率いて東南アジアからインド洋まで航海した。
Phrona:あれも征服が目的だったんですか。
富良野:いや、ちょっと違う。明の経済は海洋貿易に依存してなかった。収入源は土地税だったから。鄭和の遠征は、むしろ中国の力と威信を示すためのものだったって言われてる。
Phrona:パフォーマンス的な要素が強かったんですね。
富良野:そう。論文では、鄭和遠征は海上交易を支配するための理論を持ってなかったって指摘されてる。それに、この遠征は例外的で、その後の中国の王朝は二度と同じことをやらなかった。
Phrona:じゃあ、宋から明まで、中国が海に積極的だった時期があったけど、それでも海域の交易は中国の国家や海軍の庇護の下にあったわけじゃないってことですか。
富良野:その通り。華僑は宋の時代から東南アジアに定住し始めてたけど、中国の海軍活動は彼らの商業利益を守るためのものじゃなかった。
三つの視点から見る覇権の不在
Phrona:さっき、覇権国の役割って三つあるって話でしたよね。軍事、経済、文化イデオロギー。この東インド洋では、どれも存在しなかったんですか。
富良野:まず軍事面。この海域に海軍覇権国はいなかった。マンダラ王国同士は競争してたし、戦争もあった。中国は修辞的には東南アジアの朝貢国に指示を出してたけど、実際の支配力は限定的だった。
Phrona:中国側の海域までってことですね。
富良野:そう。しかも元や明の時代には、中国自身が大規模な強制や戦争の源になってた。平和をもたらす覇権国どころか、逆だったわけ。
Phrona:経済面はどうでしたか。
富良野:中国は確かに単体で最大の経済だったかもしれないけど、経済の中心ではなかった。インドも同じくらい重要で、特に綿織物という当時の最重要工業製品の主要生産地だった。
Phrona:シルクロードじゃなくて、綿ロードだったって話ですか。
富良野:そういう言い方をする歴史家もいる。インドの綿布は1世紀から東南アジアと交易されてて、中国にも輸出されてた。でもインドも、綿織物貿易の絶対的なトップや調整役じゃなかった。
Phrona:東南アジア自身も、単なる周縁じゃなかったんですね。
富良野:まったく。東南アジアの海運ネットワークがこの海域の接続性の鍵だったし、香辛料や金属といった独自の産品も供給してた。しかもそれらは、中国やインドの製造業の原材料や投入物じゃなかった。
Phrona:じゃあ、文化イデオロギー面は。
富良野:ここがすごく面白い。東南アジアのマンダラ王国って、中国式じゃなくてインド式の影響を受けた政体だったんだよ。
インド化という不思議な現象
Phrona:インド化って、具体的にどういうことなんですか。
富良野:1世紀のフナンっていう王国が、東南アジアで最初のインド化された政体って言われてる。今のカンボジアとベトナムのあたりね。その後もずっと、東南アジアの王国はインド的な統治観念を採用していった。
Phrona:でもそれって、インドが強制的に広めたわけじゃないんですよね。
富良野:そこが重要なんだ。ほぼ完全に平和的だった。チョーラ朝の遠征は11世紀だけど、フナンはその何世紀も前から存在してた。
Phrona:じゃあ、東南アジアの人たちが自主的にインドの政治思想を取り入れたってことですか。
富良野:そう。サンスクリット文学やヒンドゥー仏教の政治宗教思想を参考にしながら、自分たちの必要に合わせて現地化していった。インドの政体から正式な承認を受ける必要もなかった。
Phrona:野心的な支配者は、自分の領域内で理想的なインド式の政体を再現すれば、それで正統性を主張できたんですね。
富良野:アンコールワットって知ってる。あれ、世界最大の宗教建築物なんだけど、カンボジアにあるんだよ。ボロブドゥールっていう世界最大の仏教寺院も、インドネシアにある。
Phrona:インドにはないのに。
富良野:そう。インドの発想に触発されてはいるけど、アンコールワットやボロブドゥールはインドにはない。東南アジアの王たちは、仏教におけるチャクラヴァルティン、つまり転輪聖王として自らを位置づけた。
Phrona:普遍的な君主ってことですか。
富良野:1017年にスリウィジャヤの王が中国に使節を送ったとき、自らを海洋諸国の王って呼んでた。中国のエリートは東南アジアを属国だと思ってたかもしれないけど、それは中国中心主義的な修辞にすぎなかった。
中国から学びに来た僧侶たち
Phrona:でも、中国の方が文化的に上だったんじゃないですか。
富良野:それが違うんだよ。7世紀の中国の僧侶、義浄って人はスリウィジャヤやインドにサンスクリットや仏教を学びに行ったんだ。文明を広めに行ったんじゃなくて、知識を求めに行った。
Phrona:あぁ、逆なんですね。
富良野:アンコールの王たちも、中国からは朝貢国だと見なされてたかもしれないけど、自分たちも世界征服者、大地の支配者だと称してた。それに、アンコール王朝の首都は、先進的な水利技術を持つ世界最大の前近代都市だったかもしれないって研究もある。
Phrona:北ベトナムは中国化されたんですよね。
富良野:ダイ・ヴィエトね。そこは938年から939年まで、中国の帝国に支配されてた。でもそこから先、東南アジアはインド化された世界だった。15世紀に、ダイ・ヴィエトが明に占領されてて、鄭和がインド洋を航海してた頃でも、今のベトナム南部のチャム王朝の王は、即位式でインド式の儀礼をやってた。
Phrona:中国の影響圏のすぐ隣で。
富良野:それに、東南アジアはインドの文化的周縁でもなかった。11世紀のインドの高僧アティーシャは、チベットに仏教を広める前に、スリウィジャヤの東南アジアの仏教導師から学んでた。
Phrona:インド人が東南アジアから知識を得てたんですね。
富良野:南インドのチョーラ朝の寺院は、それ以前のインドの建築の5倍の大きさだけど、アンコールの寺院はチョーラの寺院の何倍も大きい。東南アジアのマンダラ王国は、政治的にも経済的にも文化的にも、それ自体が中心だった。
共同管理という秩序の作り方
Phrona:じゃあ結局、この海域の安定は何によってもたらされてたんですか。
富良野:共同管理だよ。覇権国による管理じゃなくて、複数の大国や地域勢力が分散的に決定を下して、それが集まって海上交通路の安全という公共財を提供してた。
Phrona:それぞれが自分の利益を追求しながら、結果としてシステム全体が機能したってことですか。
富良野:そう。東南アジアの人たちは自分たちの船と船長で海域をつないで、地元の商品も供給した。インドの政体は綿織物やその他の工業製品、商人、政治思想をもたらした。中国の朝貢システムは、中国側での相互作用の様式を管理してただけ。
Phrona:朝貢は儀礼的な外見で、実態は商業的な交流だったんですね。
富良野:東南アジアの政体は、インド的な国家形成の観念に基づいて、インドの政体やお互いとの関係を築いてた。だから中国の朝貢システムは、もっと大きな相互接続された東インド洋世界の一部にすぎなかった。
Phrona:海も自由だったんですか。
富良野:各国が自分たちの周辺海域を支配しようと競争してたけど、全体としては自由だった。この多元的秩序、論文では「マルチプレックス・オーダー」って呼んでるけど、覇権国中心でもなかったし、少数の大国を中心に回ってたわけでもない。
分散型のレジリエンス
Phrona:ねえ富良野さん、さっきから考えてたんですけど、覇権国なしで安定してたっていうのは分かるんです。でも、結局ヨーロッパの植民地になっちゃったわけじゃないですか。
富良野:あぁ、そこね。確かに論文でも、このマンダラ・システムは16世紀以降のヨーロッパの植民地化によって混乱させられたって書いてあった。
Phrona:そうなんです。つまり、内部的には安定してたけど、外からの覇権的な力には弱かったってことですよね。これって結局、覇権国がないシステムの脆弱性を示してるんじゃないかって。
富良野:うーん、でもそれはちょっと違う角度から見る必要があると思う。16世紀以降のヨーロッパの植民地化って、単純な軍事力の問題じゃなかったから。
Phrona:というと。
富良野:ヨーロッパが持ち込んだのは、軍事力だけじゃなくて、全く異なる政治経済システムだったんだよ。領土国家の概念、資本主義経済、産業革命後の技術格差、それに感染症も。
Phrona:でも、もし東南アジアに覇権国があって、統一された防衛システムがあったら、もっと抵抗できたんじゃないですか。
富良野:それは一つの可能性だけど、逆もあるんじゃない。インドや中国を見てみると、あれだけ大きな帝国だったのに、結局ヨーロッパの植民地化や半植民地化を防げなかった。
Phrona:あぁ、確かに。中国も清の時代にはかなり苦しんでましたね。インドに至っては完全に植民地化されたし。
富良野:むしろ東南アジアのマンダラ・システムって、ある意味柔軟性があったんだよ。一つの中心が崩れても、別の中心が機能を引き継ぐ。だから完全に征服するのは、ヨーロッパにとっても時間がかかった。
Phrona:分散型のレジリエンスってことですか。
富良野:そう。それに、現代の状況は16世紀とは全然違う。核兵器の存在、相互依存的な経済、国際規範や国際法の発達。外から来る覇権国が、昔みたいに一方的に征服するのは難しくなってる。
Phrona:でも、ロシアのウクライナ侵攻みたいなことは起きるわけで。
富良野:そうだね。でも、あれですらロシアは思ったようにいかなくて、国際的な孤立を深めてる。昔だったら、もっと簡単に征服できたかもしれない。
Phrona:つまり、覇権国なしのシステムは外からの脅威に弱い可能性はあるけど、現代の国際環境では、その脆弱性は相対的に小さくなってるってことですか。
富良野:それと、覇権国があるシステムだって、別の覇権国からの挑戦には脆弱なんだよ。冷戦がそうだったし、今のアメリカと中国の関係もそう。どっちのシステムにも弱点はある。
日本の幕藩体制――分権と集権のバランス
富良野:そういえば、日本の幕藩体制って、このマンダラ・システムと似てる部分があるかもしれない。
Phrona:えっ、どういうことですか。徳川幕府って中央集権的なイメージがありますけど。
富良野:いや、それが微妙なんだよ。確かに将軍は頂点にいるんだけど、各藩は相当な自治権を持ってた。財政も軍事も、基本的には藩が独立してた。
Phrona:あぁ、そうか。藩って小さな国みたいなものですもんね。
富良野:そう。幕府は外交と大きな政策を握ってたけど、日常的な統治は藩に任せてた。しかも参勤交代とか、藩同士を競わせる仕組みもあった。
Phrona:それって、マンダラの階層構造に似てますね。中心の権力が放射状に広がって、地方の権力と重なり合う感じ。
富良野:でね、面白いのは、明治維新のとき。幕藩体制が崩れて中央集権国家になったおかげで、日本は近代化に成功したって言われるけど、幕末に外国の圧力が来たとき、各藩がバラバラに対応してたよね。
Phrona:薩摩とか長州とか、勝手に動いてましたね。それって弱点じゃないんですか。
富良野:そう見えるんだけど、逆に言えば、幕府が倒れても、藩という単位が機能してたから、完全な崩壊は避けられた。それに、薩長みたいな辺境の藩が改革を主導できたのも、ある程度の自律性があったからだよね。
Phrona:でも結局、明治政府は中央集権を選んだわけですよね。
富良野:それは、西洋列強に対抗するために、彼らと同じ形の国民国家を作る必要があったってことかもしれない。つまり、システムの優劣じゃなくて、国際環境への適応の問題。
Phrona:当時の正しい国家の形が領土国家だったから、それに合わせざるを得なかった。
富良野:そう。でもさ、戦後の日本の発展を見ると、地方分権的な要素も残ってるよね。県や市の自治体が結構な権限を持ってるし、企業グループも系列とか財閥とか、分散的なネットワーク構造だった。
Phrona:バブル崩壊後に日本型システムは非効率だって批判されたけど、逆に言えば、どこか一つが失敗しても全体は生き残るって面もありましたね。
富良野:幕藩体制って、中央集権と分権のスイートスポットだったのかもしれない。外交や大きな方針は中央が決めて、実際の運用は地方に任せる。これって、今のEUとか、連邦制国家が目指してるバランスに近い。
Phrona:でも、そのバランスを保つのは難しそうですよね。
富良野:中央が弱体化するとバラバラになる危険があるし、中央が強すぎると柔軟性がなくなる。まさにスイートスポットを維持するのが課題なんだよ。
Phrona:東南アジアのマンダラ・システムも、そういうバランスだったのかもしれないですね。完全な統一を目指さないことで、柔軟性を保ってた。
富良野:ただ、技術革新とか外部環境の激変には、やっぱり弱い面もある。日本も東南アジアも、産業革命後のヨーロッパには苦戦した。でも、完全に消滅したわけじゃない。
Phrona:日本は独立を保ったし、東南アジアも戦後には独立を回復しましたね。
富良野:それに、今の国際秩序を考えると、もう一度この中央と地方のバランスが重要になってきてる気がするんだよね。
Phrona:グローバルとローカルの共存、みたいな。
富良野:そう。完全な世界政府も無理だし、完全に国家が孤立するのも無理。その中間の、柔軟で多層的な秩序。歴史って、過去の正解を教えてくれるんじゃなくて、可能性の幅を教えてくれるんだと思う。
今のインド太平洋に似てる?
Phrona:で、この歴史が今の世界に何を教えてくれるんでしょうか。
富良野:まず、中国の台頭を覇権への挑戦だと見る必要はないってこと。中国は2013年に世界最大の貿易国になったし、2020年には海軍の艦艇数でも世界最大になった。
Phrona:でもアメリカに取って代わるわけじゃない。
富良野:そう思う。中国の戦略的地理条件、日本やインドみたいな強い隣国の存在、それにアメリカもまだその地域に関与してる。同盟関係もある。
Phrona:じゃあ、アメリカの覇権が衰えても、中国の覇権にはならないってことですか。
富良野:そして重要なのは、覇権国がいないことが無秩序を意味しないってこと。アメリカと中国は地位や順位を競ってるけど、海域へのアクセスを確保しようとしてる。これは力の投射であって、海域支配じゃない。
Phrona:他にも大きな海軍国があるんですよね。
富良野:インド、日本、オーストラリア、フランス、イギリスもいる。それに、中国の台頭は単独の出来事じゃない。アジアでは他の勢力も成長してる。インドとかね。
Phrona:東南アジアの国々の役割はどうなんですか。
富良野:そこが面白い。力や主体性や正統性が、東南アジアの地域国家やASEANみたいな地域組織にも広がってる。地元の主導性が重要なんだ。
Phrona:ASEAN流って言葉が出てきますね。
富良野:地域の規範が、この地域の政治軍事的、政治経済的な相互作用を形作ってる。東南アジアの国々は、個別にも集団的にも、すべての大国と関わりながら、どの国の覇権も拒否してる。
Phrona:大国間の対立を抑えようとしてるんですね。
富良野:国内のイデオロギーに基づいて大国と組むのを避けたり、すべての大国にアクセスを与えたりしてる。それに、マラッカ海峡パトロールとか、スールー・スラウェシ海パトロールとか、地元の取り組みで重要な海域の管理にも貢献してる。
現代への問いかけ――この議論は何を意味するのか
Phrona:現代の私たちが現代の世界について考えるとき、この歴史からどういう教訓を引き出せるんでしょうか。
富良野:一つは、覇権なき秩序が内部的には機能しうるってこと。もう一つは、外からの脅威に対しては、単に強い覇権国がいればいいってわけじゃないってこと。
Phrona:むしろ、どういう要素が必要なんですか。
富良野:技術力、経済力、それに何より、地域全体での協調じゃないかな。今のASEANが目指してるのも、まさにそれだと思う。
Phrona:でも正直、ASEANって結束力が弱いイメージもありますよね。全会一致原則で、なかなか強い決定ができない。
富良野:それは確かに課題だね。ただ、強い決定ができないことと、システムとして機能しないことは別だと思う。ASEAN流のやり方は、柔軟性と包摂性を重視してる。
Phrona:すべての国を巻き込んで、誰も排除しない。
富良野:そう。それに、現代は15世紀とは違う。核兵器の時代に、覇権国同士が直接衝突するリスクは計り知れない。むしろ、多極的な均衡の中で、誰も圧倒的な力を持たない状態の方が、安定してるかもしれない。
Phrona:相互抑止みたいなものですか。
富良野:それもあるし、相互依存も大きい。今の世界経済は、どの国も一国だけでは成り立たないほど複雑に絡み合ってる。
Phrona:でも、その相互依存が崩れたら。たとえば経済のブロック化が進んだら。
富良野:そこが難しいところだよね。東南アジアの歴史は、完璧な答えを与えてくれるわけじゃない。ただ、覇権国がいなくても秩序は可能だっていう、選択肢の存在を示してくれる。
Phrona:可能性の幅を広げてくれる。
富良野:そして、その秩序がどう機能し、どういう弱点を持つのかについても、考えるヒントをくれる。あなたの最初の疑問、外からの脅威に弱いんじゃないかっていうのは、まさに今も問われ続けてる問題だと思う。
多元的な未来に向けて
Phrona:つまり、歴史は繰り返さないけど、古典期東インド洋のような非覇権的秩序が、今のインド太平洋で形成されつつあるってことですか。
富良野:そう考えられる。複数の大国と地域勢力の分散的な選択が積み重なって、貿易や安全保障という公共財を生み出してる。
Phrona:アメリカは、海を支配する最後の海軍超大国になるんでしょうか。
富良野:そうかもしれない。未来は非覇権的な世界を指してる。過去にインド的、東南アジア的、中国的な政治システムが共存してたように、今後もイデオロギーの多元性がこの地域の特徴になるだろう。
Phrona:多様な政治経済システムがあるから。
富良野:アメリカ主導の国際秩序の終わりを恐れる必要はないんだよ。マルチプレックス・オーダーはもう形になりつつある。ただし、その秩序がどう外からの挑戦に対処するかは、これからの課題だね。
Phrona:結局、完璧なシステムなんてないってことですか。
富良野:そうだと思う。でも、アメリカ中心の理論をそのまま中国中心やインド中心の理論に置き換えるだけじゃダメだってことは確かだ。グローバルで歴史的なアプローチが必要なんだ。
Phrona:東インド洋の歴史は、今と未来について新しい考え方を可能にしてくれる。
富良野:より良い決定をして、安定した繁栄する世界秩序を築く手助けになるかもしれない。少なくとも、選択肢が一つじゃないってことを教えてくれる。そして、どんな秩序にも強みと弱みがあるってことも。
ポイント整理
覇権安定論の起源と限界
アメリカの経済学者キンドルバーガーが1929年の大恐慌を分析して生まれた理論で、世界秩序の安定には覇権国が必要だとする。しかしこれは20世紀のアメリカ人が自分たちの経験を普遍化したものであり、他の歴史的経験を無視している。
古典期東インド洋の重要性
紀元前後から15世紀まで、中国とインドをつなぐ東南アジアの海域は世界経済の最もダイナミックな部分だった。中国とインドで世界のGDPの半分を占めていた時期もある。
東南アジアの海運技術
東南アジアの人々、特にオーストロネシア系の人々が、中国とインドへの海路を開拓した。紀元前から独自の船と航海技術で交易を行い、3世紀には50メートル以上の船で600人以上の乗客と600トンの貨物を運んでいた。
マンダラ政体の特徴
王の権力が中心から放射状に広がり、距離とともに減衰する分散型の統治システム。敗北した王国は領土的に吸収されず、勝者の階層構造の中で下位の支配者として位置づけられる。境界が流動的で、何百ものマンダラが共存していた。
スリウィジャヤの例外性
7世紀にスマトラ島に現れたスリウィジャヤは、マラッカ海峡の支配を試みた。しかし他の政体からの抵抗もあり、完全な支配は達成できなかった。11世紀のチョーラ朝の攻撃でその野望は砕かれたが、その後も海上交易は繁栄し続けた。
大国の介入の限界
インドのチョーラ朝、中国の宋・元・明の各王朝、モンゴル帝国など、大国による軍事的介入はあったが、いずれも東インド洋全体の覇権を確立できなかった。鄭和の大航海も、威信を示すための例外的な試みで、海上交易を支配する理論を持っていなかった。
軍事的覇権の不在
この海域に海軍覇権国は存在せず、マンダラ王国同士の競争と戦争が続いた。中国の影響力は主に中国側の海域に限られ、元や明の時代には中国自身が大規模な強制や戦争の源となった。
経済的中心の不在
中国が単体で最大の経済だったとしても、インドも綿織物という重要工業製品の主要生産地として同等に重要だった。東南アジアは単なる周縁ではなく、独自の海運ネットワークと商品を持つ経済主体だった。
文化的多元性
東南アジアのマンダラ王国はインド的影響を受けた政体であり、中国式の中央集権的官僚国家ではなかった。この「インド化」は平和的に進行し、東南アジアの人々が自らの必要に合わせて現地化した。アンコールワットやボロブドゥールなど、インドにはない壮大な宗教建築が東南アジアに建設された。
知識の双方向性
中国の僧侶義浄が7世紀にスリウィジャヤやインドに学びに行ったように、文明の伝播は一方向ではなかった。11世紀のインドの高僧アティーシャも、東南アジアの仏教導師から学んでいる。東南アジアはインドや中国の文化的周縁ではなく、それ自体が文化的中心だった。
共同管理による秩序
覇権国による管理ではなく、複数の大国や地域勢力の分散的な決定が集まって、海上交通路の安全という公共財を提供していた。東南アジアは海運で接続を提供し、インドは工業製品と思想をもたらし、中国の朝貢システムは相互作用の一つの様式にすぎなかった。
ヨーロッパ植民地化による崩壊
16世紀半ばから、ポルトガル、オランダ、イギリスなどのヨーロッパ列強による植民地化が進み、マンダラ体制は崩壊した。これは覇権なき秩序の外部脅威への脆弱性を示す事例とも言えるが、技術的優位性、征服イデオロギー、組織力など複合的な要因による。
分散性の強靭さと脆弱さ
マンダラ体制の分散性は、一つの中心を叩けば全体が崩れる構造ではないという意味で強靭だった。モンゴルの侵攻も失敗している。しかし最終的にはヨーロッパの段階的な侵略に対して有効な抵抗ができなかった。覇権国の有無だけでなく、技術力、経済力、地域協調が重要。
現代インド太平洋への示唆
中国の海軍力の増大はアメリカへの覇権的挑戦とは限らない。戦略的地理、強力な隣国、アメリカの継続的関与により、中国の覇権は実現しにくい。アメリカと中国の競争は力の投射であり、海域支配ではない。
地域主体性の重要性
東南アジア諸国とASEANが、力・主体性・正統性を持つアクターとして浮上している。ASEAN流の地域規範が政治軍事的・経済的相互作用を形作り、すべての大国と関わりながらどの国の覇権も拒否する戦略を取っている。
マルチプレックス・オーダーの形成
古典期東インド洋のような、覇権国中心ではなく、少数の大国だけに依存しない多元的秩序が、現代のインド太平洋で形成されつつある。物質的な力だけでなく政治思想も重要で、地域の非大国も積極的な役割を果たす。
イデオロギー的多元性の未来
過去にインド的、東南アジア的、中国的な政治システムが共存したように、今後も多様な政治経済システムが共存する可能性が高い。アメリカ中心の理論を中国中心やインド中心の理論に置き換えるのではなく、グローバルで歴史的なアプローチが必要。
完璧なシステムは存在しない
覇権国主導の秩序にも、覇権なき多極秩序にも、それぞれ強みと弱みがある。重要なのは、単一のモデルに固執せず、歴史から複数の選択肢を学び、現代の文脈に応じた最適な秩序を模索することである。
外部からの脅威への脆弱性
16世紀以降、東南アジアのマンダラ・システムはヨーロッパの植民地化によって混乱させられた。しかしこれは単純な軍事力の問題ではなく、産業革命後の技術格差と全く異なる政治経済システムの衝突だった。中国やインドのような大帝国も同様に植民地化や半植民地化を防げなかったことから、覇権国の有無が決定的要因ではなかったことがわかる。
分散型のレジリエンス
マンダラ・システムの分散性は、一つの中心が崩れても別の中心が機能を引き継ぐという柔軟性を持っていた。これは完全に征服するのを困難にし、ある種のレジリエンスとして機能した。現代では核兵器、経済的相互依存、国際規範の発達により、外部からの一方的な征服はさらに困難になっている。
日本の幕藩体制との比較
徳川幕府の幕藩体制は、中央(幕府)と地方(藩)のバランスという点でマンダラ・システムと類似していた。外交と大きな政策は中央が握り、日常的な統治は各藩に任せるという構造は、中央集権と分権のスイートスポットだった可能性がある。幕末の混乱期でも、藩という単位が機能していたため完全な崩壊は避けられた。
国際環境への適応
明治維新で日本が中央集権を選んだのは、システムの優劣の問題ではなく、当時の国際環境が領土国家を標準としていたための適応だった。しかし戦後の日本の発展では地方分権的要素も残り、企業グループの分散的ネットワーク構造は、どこか一つが失敗しても全体が生き残る柔軟性を持っていた。
多層的秩序の重要性
現代の国際秩序では、完全な世界政府も完全な国家の孤立も不可能であり、その中間の柔軟で多層的な秩序が求められている。グローバルとローカルの共存、中央と地方のバランスは、幕藩体制やマンダラ・システムから学べる重要な視点である。
キーワード解説
【覇権安定論(Hegemonic Stability Theory)】
国際秩序の安定には覇権国の存在が必要だとする理論。軍事的支配、経済の中心、文化イデオロギーのリーダーシップの三つの役割を覇権国が担うとされる。
【パックス・アメリカーナ(Pax Americana)】
第二次世界大戦後にアメリカが構築した自由主義的国際秩序。ローマのパックス・ロマーナ、イギリスのパックス・ブリタニカの系譜に位置づけられる。
【東インド洋世界】
東南アジアを中心に、中国とインドをつなぐ海域。紀元前後から15世紀まで、世界経済の最もダイナミックな部分だった。
【マンダラ政体】
イギリスの歴史家O・W・ウォルターズが理論化した、東南アジアの分散型統治システム。王の権力が中心から放射状に広がり、距離とともに減衰する。境界が流動的で、階層的な支配関係が特徴。
【スリウィジャヤ】
7世紀にスマトラ島に現れた海洋王国。マラッカ海峡の支配を試みたが、11世紀のチョーラ朝の攻撃で覇権の野望が砕かれた。
【チョーラ朝】
11世紀の南インドの帝国。スリウィジャヤへの軍事遠征を行ったが、東インド洋全体の覇権は確立できなかった。
【鄭和の航海】
1405年から1433年にかけて、明の時代に行われた大規模な海洋遠征。中国の威信を示すための例外的な試みで、海上交易を支配する理論は持っていなかった。
【朝貢システム】
中国と周辺国の関係を儀礼化したシステム。実態は商業的交流であり、中国側での相互作用の様式を管理していたが、東インド洋世界全体を支配するものではなかった。
【インド化(Indianisation)】
東南アジアがインド的な統治観念、宗教、文化を平和的に採用した現象。強制や征服ではなく、東南アジアの人々が自らの必要に合わせて現地化した。
【チャクラヴァルティン(転輪聖王)】
仏教における普遍的な君主の理想。東南アジアの王たちは自らをこの理想に基づいて位置づけた。
【アンコールワット】
カンボジアにある世界最大の宗教建築物。ヒンドゥー仏教の影響を受けているが、インドには同様の建造物は存在しない。
【ボロブドゥール】
インドネシアにある世界最大の仏教寺院。東南アジアが単なる文化的周縁ではなく、独自の文化的中心だったことを示す。
【共同管理(Shared Management)】
覇権国による管理ではなく、複数の大国や地域勢力の分散的な決定が集まって、公共財を提供する秩序の形態。
【マルチプレックス・オーダー(Multiplex Order)】
覇権国中心でも少数の大国中心でもない、多元的な国際秩序。物質的な力だけでなく政治思想も重要で、地域の非大国も積極的な役割を果たす。
【ASEAN(東南アジア諸国連合)】
東南アジアの地域組織。現代のインド太平洋において、地域規範を形作り、すべての大国と関わりながらどの国の覇権も拒否する戦略を取っている。
【ASEAN流(ASEAN Way)】
合意形成を重視し、内政不干渉の原則を尊重する、ASEANの独特な意思決定様式。
【オムニ・エンメッシング(Omni-enmeshing)】
すべての大国を同時に関与させる、東南アジア諸国の戦略。特定の大国への過度の依存を避け、バランスを取る。
【マラッカ海峡パトロール】
インドネシア、マレーシア、シンガポール、タイが共同で行う、重要海域の安全管理の取り組み。
【力の投射(Power Projection)】
自国の影響力を遠方に及ぼす軍事的能力。海域支配とは異なり、アクセスと影響力の確保を目指す。
【幕藩体制】
江戸時代の日本の政治体制。将軍を頂点とする幕府が外交と大きな政策を握り、各藩が日常的な統治を行う。中央集権と分権のバランスを保つ独特な構造で、マンダラ・システムとの類似性が指摘される。
【分散型レジリエンス】
一つの中心に依存せず、複数の中心が相互に補完し合うことで、システム全体の強靭性を高める仕組み。一部が機能不全になっても、他の部分が役割を引き継ぐことができる。
【スイートスポット】
中央集権と分権の最適なバランス点。過度な中央集権は柔軟性を失い、過度な分権は統一性を失うため、その中間に最も効果的な統治形態が存在するという考え方。